合宿

2017年04月30日 | 日記
恒例の「メサイア」合宿で、昨日から1泊で阿蘇の小国に行きました。今年はいろいろな事情で参加者が少なめでしたが、少なければ少ないなりに、充実した練習ができたと思います。
思います、というのは、私自身が数日前から喉がイガイガして声が出にくくなり、合宿に行くことは行ったものの、練習に完全参加ができなかったからです。前日に耳鼻咽喉科に駆け込んだら「リンパが腫れていますね、咽頭炎です。黄砂と寒暖差の影響です」と言われ、炎症止めを処方して頂きました。当日の朝、M先生から時間確認の電話がかかってきたのですが、私の声があまりに普段と違うので「もしもし...あの...吉田さんの携帯ではないのでしょうか...」と言われてしまいました(爆)。
うちの父も毎回合宿に同行するのを楽しみにしています。今回は父と2人、Iさんの車に乗せてもらって出発進行。GWですから渋滞を覚悟していましたが、案外スムーズに行けました。着くとすぐM先生がマッサージをして下さって、その後しばらく横になって休み、体力の回復を期しました。午後3時からと7時からの練習も、少しだけ参加してあとは部屋で寝ていましたが、そのおかげか、少しずつ普通のしゃべり声に戻ってきました。ただ、咳が出るのでまだあまり歌えません。
夕食の時間になって、私の弟が小2の甥を連れてやってきました。弟の5人の子どもたちのうち4人はもうすっかり大きくなり、一番下のこの甥だけがかろうじて時々おばちゃんに付き合ってくれます。今回は父親と一緒に途中でいろんなところによ寄って遊んできたそうで、夕食に合流し、私たちの部屋に一緒に泊まって、今朝は朝食後、「ヘリコプターに乗せてもらうんだ」と張り切って去っていきました。ヘリコプターの後には馬に乗せてもらうのだそう(笑)。うちの父もそちらに同行することになり、3人で去っていきました。10時からの練習には何とか通しで参加し、正午に終了。
M先生の合唱の練習は、いきなり「メサイア」を歌うのではなく、メンバーのそれぞれが好きな歌をみんなで歌うところから始まります。メンバーに世代差があるので、いろんな曲が覚えられます。私がリクエストした「牧場の朝」も、40代のIさんやSさんは知らないそうです。でも、こういう機会に古い歌を覚えておくと、老健施設の訪問演奏の時に役に立ちますね。
「メサイア」は、新しい曲を数曲練習しました。昨年の1月に「メサイア」抜粋を県立劇場で、東京の超一流カルテットの伴奏で歌う予定だったのですが、M先生の腰椎圧迫骨折によりプログラムが変更になり、それでも大盛況かつ大好評でたくさんの義援金が集まりました。あの時は東北支援でしたが、今度は熊本支援のチャリティにするとのことで、今度こそ「メサイア」をヴィンテージカルテットの伴奏で歌うという計画です。
「メサイア」は大規模な曲なので、全曲演奏はお客様にとってもかなり負担が大きくなります。いつかは全曲をやりたいですが、そのためにも、抜粋の演奏会を積み重ねていくのがいいですよね。抜粋でも、M先生が指導している全国各地のグループから合唱のメンバーが集まり、コンサートホールでオケ付きでやれれば素晴らしい演奏会になると思います。
そういえば、昨年暮れにも教会で「メサイア」抜粋をM先生のオルガン伴奏でやったのでした。昨年はやはり特別な年で、1月のコンサートも12月のコンサートも、随分昔のことのような気がします。
明日から5月。13日には福井でIさんのチャリティコンサートです。賛助出演の役目をしっかり果たせるよう、この咽頭炎を早く治したいと思います。

追悼コンサート

2017年04月23日 | 日記
熊本市の中心部にあるカトリック教会で「熊本地震犠牲者追悼チャリティコンサート」が開かれ、私が指揮を務めている「コール・クライゼル」も出演させて頂きました。
この話は、昨年暮れに、うちの合唱団の男性陣の数名が所属しているD男声合唱団を通して、主催団体から出演オファーを頂いたことに始まります。
日本の男声合唱団は全国的に大きく組織化されているらしく、各地で災害などの追悼コンサートを行っているのだそうです。熊本地震の被災地である熊本のD男声合唱団がホスト役となり、今回の中心的合唱団であるTクワイアーを迎えて、他の男声合唱団から歌いに来る方々も含め、カトリック作曲家高田三郎の典礼聖歌を歌う合同合唱団が組織されました。第1部ではD合唱団が「高田典礼聖歌」から数曲、第2部では我がコール・クライゼルが15分ほどの演奏、第3部は、Tクワイアーを中心とした合同合唱団による「高田典礼聖歌」8曲、というプログラムです。
高田典礼聖歌は日本語なので、コール・クライゼルにはドイツ語の宗教曲を歌ってほしいというオファーでした。うちの合唱団は月に2回しか練習がなく、これまで宗教曲はプロテスタントの曲しかやったことがないので選曲に悩みましたが、紆余曲折の末(?)、カトリック教会で会衆賛美に使われているヘンデルの「Tochter Zion」と、シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」から3曲を歌うことにして、これだけでは割り当てられた時間が余ってしまうので、伴奏ピアニストさんに「ドイツ・ミサ」から2曲をオルガン独奏して頂くことにしました(会場になるカトリック教会にはピアノがなく、伴奏も独奏もパイプオルガンです)。
「ドイツ・ミサ曲」は、シューベルトがアマチュア合唱団のために書いた曲だそうで、音取りが比較的易しく、1曲1曲が短めで、それでいて大変美しく、崇高で格調高い作品です。練習もまあまあスムーズに進んだのですが、歌詞を読み込んで曲想を表現していく段階で、多少なりともキリスト教の教義や信仰心の核心部分への共感や感動が必要になってきます。一番難しかったのはそこでした。今更ですが、西洋音楽の源流が教会音楽であることを改めて痛感した次第。
そして昨日、遠路はるばるT合唱団が熊本入りし、リハーサルと懇親会が行われました。実は、その前日の夜に、万やむを得ない事情で伴奏ピアニスト(オルガニスト)さんが出演できなくなり、彼女のお知り合いの女性に急遽代奏をお願いすることになりました。昨日のリハーサルではほぼ初見に近い状態だったので、歌の練習よりテンポやフレージングの確認に終始しました。しかもリハーサル会場は当日演奏する教会ではありません。しかし幸いなことに、彼女は当日の会場になるカトリック教会のオルガンを何度も弾いたことがおありだとのこと。オルガンは、ストップの操作などピアノと違うことがいろいろあるので、経験者でないと難しいのです。また、オルガン奏者は2階の奥で、祭壇に背を向けて弾くので、指揮も合唱も見えません。その状態で指揮をしても、指揮と歌と伴奏がずれてしまう危険性があります。そこで、今回は私は指揮をせずにソプラノの左端で一緒に歌い、うちの合唱団で以前伴奏をして下さっていたMさんにオルガン補佐をお願いして、私とのアイコンタクトで曲のアタマのタイミングをオルガニストに伝えて頂くことになっていました。Mさんと代奏者のIさんが本当によくやって下さり、合唱団のメンバーも瞬発力と集中力を発揮して下さって、本番は練習よりも良い演奏ができたと思います。会堂はお客様でいっぱいでした。今回は私も一緒に歌ったので、喪服の方や、演奏を聴いて涙を流している方も目に入ってきました。泣くことはとても大事なことだと思います。泣いて頂けたことが有難いと思いました。私も、曲間のオルガン独奏を聴きながら涙が出ました。
今日は朝から航空自衛隊によるブルーインパルスのアクロバット飛行の実演があり、そのせいで熊本市内は中心部に向かって大渋滞でした。渋滞を予想して電車で行くことにしていたのですが、電停も道路まではみ出すほどの長蛇の列。電車もバスも満杯で何台も見送り、仕方なく自宅に電話して父に車で送ってもらいましたが、車も全然進みません。何人もの方から「間に合いません」、「遅刻します」とメールが入り、私自身も遅れそうで、朝からヒヤヒヤでした(-_-;)何ともスリリングな一日でした。
熊本地震から1年。復興もまだ道半ばです。亡くなった方を心から悼むことと、生き残った人々が前を向いて進んでいくことは表裏一体の事柄だと思います。一日一日、生活の小さな一コマ一コマを心から慈しみ、人と人との心のつながりを大切にしたいと改めて思いました。


復活祭に寄せて

2017年04月17日 | 日記
昨日は復活祭でしたね。復活祭は移動祝日(春分の後の最初の満月の次の日曜日)で、今年は比較的遅めに巡ってきました。
復活祭が来ると思い出すのは、やはりイースターエッグです。子どもの頃日曜学校で、復活祭になると野外で卵探しをしたのは懐かしい思い出。20年近く前、ウィーンに一人旅をした時もちょうど復活祭に当たっていて、町のカフェやケーキ屋さんのディスプレイがイースターエッグとうさぎの形のチョコレートでうめつくされていました。シュテファン大聖堂の前を通りかかると、猫柳の枝を手にした人の群れがぞろぞろと出てきているところで、珍しい光景にくぎ付けになりました。
さて、先日のリサイタルの時、アンコールの3曲目に「うるわしの白百合」という讃美歌を用意していたのですが、2曲目が終わって袖に引っ込んだら、それをしおにお客様が席を立ってお帰りになり始めたので(笑)、結局歌わずじまいになりました。この歌は昔、母がよく口ずさんでいた曲で、ちょうど復活祭の頃に歌われる歌です。せっかく教会でのリサイタルだし、もうすぐ復活祭だから、という気持ちを込めて用意していたのです。リサイタルの翌日、「先生、なぜ「うるわしの白百合」を歌われなかったんですか、楽しみにしていたのに」と仰った方があってびっくりしましたが(笑)、直前リハの時歌っていたのを聴いていらしたようです。
実は、リハで歌っている時、突然こみあげてくるものがあって声が詰まってしまいました。昔の記憶というものは、時によって思いがけない反応を引き起こすのですね。M先生が「大丈夫、私が歌ってあげるから(笑)」とフォローして下さいましたが、我ながら驚いてしまいました。

うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を イェスきみの墓より 出でましし昔を
うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ 昔を

春に咲く白百合 夢路より目さめて 限りなき命に 咲きいづる姿よ
うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ 昔を

歳を重ねると、心の中にさまざまな温かい思い出を持つことがどんなに幸せなことか、痛感します。
さっきテレビを見ていたら、指揮者の佐渡裕さんがフルートで「ダニー・ボーイ」を演奏していらっしゃるシーンがあり、その調べがすーっと心の中に沁み込んできて、一瞬心が浄められたような気がしました。
こういう気持ちを味わえるのも、幸せの一つの形でしょうか。

復活

2017年04月14日 | 日記
新年度の授業が始まって1週間が過ぎました。今年は大学の授業を月・木にほぼ固めたので、この2日間は完全に大学オンリー。その方が疲れにくいことがわかりました。今年度は2年生の既習外国語の受け持ちの方が多いので、1年生のクラスのように90分喋りっぱなしでなく、学生さん主体でやってもらえます。その点もラクです。仕事が楽しいのは幸せなことだとつくづく思います。ヴォイトレもそうですが、やる気のない生徒さんや学生さんがいない、ということの何という有難さ。中学校や高校で教えていた頃を思うと天国です。意欲的で理解力のある人たちが相手だと当然ながら何の苦労もありませんが、意欲はあるが理解するのに時間がかかる、というタイプの人がいると燃えるんですね、私は。自分がそうだったからかもしれません。昔の自分のような苦労は決してさせないぞ、とスイッチが入ります。
さて、最初の1週間が過ぎた今日は、熊本地震からちょうど1年目。県立劇場でマーラーの「復活」の演奏会がありました。チケットは販売開始後あっという間に完売したという話ですが、私は運よく3階席が手に入りました。うちの生徒さんたちやお知り合いの方たちが合唱に参加していることもあって、楽しみに聴きに行きましたが、オケも合唱も渾身の演奏でした。開演前のプレイヴェントで県知事や熊本市長の挨拶もあり、報道陣もたくさん。ロビーには震災関連の写真や記録がパネル展示してありました。終演が前震発生時刻の直前になるよう計算してあり、終演後、客席も全員起立して1分間の黙祷を捧げた後、万雷の拍手とブラヴォーの嵐。祈りと感謝と希望と覚悟が混然一体となった、感動的なフィナーレでした。
マーラーは長くて大規模なので、演奏される機会もそんなに多くはありません。私もナマで「復活」を聴いたのは初めてでした。もともとマーラーが大好きというわけでもないからですが、一緒に聴いたIさんはマーラーフェチなので、スコアを見て予習して行ったそうです。「マーラーが歌いたくなった」と言っていました。Iさんの極太の声帯にはマーラーはよく合うと思います。今日のソプラノとメゾのソリストも、太くてつややかで、日本人離れした質感の声でしたね。
立派な声帯を持った人は訓練次第で重い曲も軽い曲も何でも歌えますが、私のように薄い声帯だと、軽いものはよくても重いものを歌うと声帯を傷めます。そんな具合にレパートリーが制限されるという憾みはありますが、面白いことに、人間は自然と自分の声にあった曲が好きになるようなのです。また、自分に似た声の歌い手さんを好きになるようなのです。W先生もよくそう仰っていました。だから、好きな歌い手さんのCDを繰り返し聴いていると喉の調子がよくなってくるんですね。もちろん、発声の良い歌い手さんに限りますが。それから、人間の声の周波数に近いのでしょう、ヴァイオリンの演奏を聴くと声の調子が整うのですが、ヴァイオリンも奏者によってやはり音色や表現が違いますよね、それがやはり面白いことに、自分の声の質感と似た音を出す奏者の演奏が好きになるんですね。不思議なものです。自分とは違うものを聴くと疲れやすいです。
マーラーのような濃厚な音楽は、本来は私の領分ではないので、今回のような機会がないとなかなか聴かないのですが、地震の後まもない頃にピアノのコンサートを聴きに行った時は、選曲もタッチも割と私の好みに近かったにもかかわらず、自分の回りにバリアが張り巡らされているかのように、なかなか心にすんなり入ってきませんでした。1年たって、県立劇場でマーラーを聴けるようになっている自分に、やはり時間が必要だったのだなあとしみじみ思いました。今日のご挨拶の中でも、「東日本大震災の時は、自分たち音楽家に何ができるのかと半ば絶望的な気持ちだった。しかしいずれ音楽が力になる時がくる、という確信もあった」というお話がありました。心を癒し、鼓舞し、どんな人にも内在する「生きる力」を引き出す音楽の役割はやはり大きいです。

イとエ

2017年04月08日 | 日記
以前にもこのタイトルで書いたことがあるような気がしますが...
リサイタルのDVDを今日ようやく見ましたが、自分のあまりの音程の悪さに唖然。意気消沈してしまいました。特に前半の古典歌曲とリュートソングはひどかった。がっくり。
思えば本番の時、1曲目の「そよ風吹けば」の出だしのseという発音で音程が決まらず、「あ、これはダメだ」と焦ったのでした(-_-;)結局、1曲歌い終わるまで音程がふらつきっぱなしで立て直せず、次の曲でやっと気を取り直したのですが、リュートソングでも再び同じ現象が。二重唱でアルトのIさんが入ってくれるまで、とにかく上ずりっぱなしです。
うわずり癖とヴィブラートは私の二大欠点です。今回は他にも熊本弁のアクセントが外国語の歌に出てしまうこと、タ行の舌の弾きが弱いことなど、新たな課題に挑戦したのですが、これも結局完全には克服できず、「たんぽぽ」という曲に何度も出てくる「たんぽぽ」の「た」の音程が全部落ち、発音がすべってしまいました。しかし、うわずりとヴィブラートだけは練習の中ではクリアしたつもりだったので、ショックもひとしお。これで、常連のお客様や声楽プロパーの友人たちの終演後の反応が微妙だったことの理由がわかりました。これでは褒め言葉が見つからないはずです。
後日、M先生と話をしていて、「se」で始まる歌はリスキーだと言われ、本当にそうだと納得。sもeも難しいからです。今更ですが、「イで始まる曲にすればよかったのよね」と言われました。イは母音の中でも一番発声がラクなのです。一番大変なのはエ。しかもそれにsという摩擦の子音がつくのですから、体がきちんとできていないと最初から発音でつまずきます。
DVDを見ると、他にも問題点が明らかになりました。全体に曲のテンポが速すぎます。私は声帯が軽いので、気を付けていてもどんどん早くなる傾向があるのですが、今回のようにさっぱりした軽めの曲が多いと、よけいに走ってしまうのです。好みから言えばゆったりめの曲の方が好きなのですが、声に合う曲という意味でアップテンポの明るい曲を選ぶことが多いので、本当に気を付けなくては。
リサイタルの後で録音を聴いて「もう金輪際人前で歌うのはやめよう」と固く決意する、というパターンを何度繰り返したことでしょう。Iさんがいつも「また言ってる」と笑うのですが、毎回本気でそう思うのです。しかし、今回は何だかムラムラっと闘争心が湧いてきました。何としてもこのうわずり癖とヴィブラートを克服して、納得のいく歌を歌いたい!
最近、フィットネスクラブでパーソナルトレーナーについて体づくりを始めたのですが、驚いたことに「吉田さんは腹式呼吸の過剰で腹筋がゆるんで力が入らなくなっています。胸式呼吸の練習をしましょう」と言われました。M先生が伴奏合わせの時によく「おなかを引き上げて!」と仰るのですが、その意味がわからず(引き上げる、というのはどうすることなのかがわからず)困っていたのですが、お陰で、腹筋がゆるんでしまって引き上がらなくなっていたのだ、ということがようやくわかりました。腹筋がゆるんでいることで、背中側にいろいろなひずみがでていたようで、年明けからの「ぎっくり背中」と「ぎっくり骨盤」の原因もこれだったこと、さらに、10年以上苦しんでいる片側顔面痙攣も、胸式呼吸の練習をしている時には症状が出ないことがわかりました。胸式呼吸ができなくなっていたことで、神経の圧迫が生じていたようです。
身体って本当に不思議。虚弱体質の運動音痴というのは、子どもの頃からの根深いコンプレックスでした。今、この年になって、その抜本的な解消に歌を通してチャレンジすることになろうとは。
人間の可能性というのは無限大です。生徒さんたちを見ていると心からそう思います。それなら自分だって、可能性を可能性のままで終わらせるのではなく、それを実現しなければいけませんね。
ここ数日、不世出のダンサー、ニジンスキーの言葉が頭の中を駆け巡っています。
「成功とは、喝采を浴びることではなく、名声を博することでもなく、一つの理想を実現することである」