男性増える

2016年03月31日 | 日記
3月も終わりですね。2月以来の大学の春休み期間、スローライフを存分に満喫しました。レッスンも余裕をもってできるし、お休みってホントにいいものですねえ(笑)。充分に休養したので、そろそろねじを巻かなくては。
さて、このところなぜか男性の生徒さんが増えています。現職の高校教諭、住職さん、元大学教授、高校を出たての若者たち。前から来ている方たちも含めると結構な男性率(?)になったなあ、と思っていたところに、昨日は住職さんの紹介でもう一人男性が現れました。住職さんから「81歳の神主さんです。祝詞をあげるのに声を鍛えたいそうです」と伺っていたのですが、目の前に現れたのは御歳81歳にして現役のお医者さんでした(!)「神主さんだと伺いましたが」というと、「いえ、それは個人的な信仰でして、職業ではありません」とのこと。日頃から丹田呼吸を心がけておられるそうで、さすがに姿勢正しく呼吸も深く、発音明瞭、足取りもしっかりしていらっしゃいます。さすがです。実践していらっしゃる丹田呼吸をやってみせて頂きましたが、かなりの腹圧です。声楽発声とは少々違っているところもありますが、これだけ身についていらっしゃるものをわざわざ声楽発声の呼吸に切り替える必要もなさそうだし、さて、このお方にどんなレッスンをすればよいのか?少々迷いましたが、釈迦に説法とは思いつつ、まずは先日のセミナーの資料を差し上げて簡単なレクチャーを試みました。すると「共鳴の原理は知りませんでした」とのこと。耳鼻咽喉科の領域ですものね(ちなみにこの方は内科医です)。
祝詞をあげて頂いて声や体の使い方を観察してみると、息は長いのですが、もう少し力のある声が出そうです。そこで、一応定石通りに呼気を垂直に飛ばす練習や喉頭蓋を下げる練習、リップロールなどをやってみました。なかなか反応が良いので、「それじゃ何か歌ってみて頂けませんか」と言うと、「歌ですか、私は歌など歌ったことがありませんが」と仰いながら「ふるさと」を歌って下さいました。それが良い声なのです。驚いて「お上手ですねー、声もいいし、子供の頃「歌がうまいね」って誉められたでしょう?」と尋ねると、いえ、そんなことは一度もありませんでした、ときっぱり(笑)。しかし本当に81歳とは思えない良い声だったので、それじゃもう一曲、と言うと「さくらさくら」を歌って下さいました。これも立派。「荒城の月」も歌って頂きました。
ここまでで45分ぐらい。お疲れになるといけないのでこの辺で切り上げましょう、と言うと「週に何回ぐらい来たらいいでしょうか」とのお尋ね(笑)。月に2,3回ぐらいでいいんじゃありませんか、と言いましたが、私の予定との兼ね合いてまた明後日お見えになることになりました。
最高齢だったお茶の先生が最近お見えにならないので、この方が現在わが教室の最高齢です。それにしても、今年のクリスマス会はどうなることでしょう??

セミナー終了

2016年03月21日 | 日記
2016年春の発声セミナーが無事に終わりました。今回は第1部「レクチャー&エクササイズ」、第2部「斉唱・輪唱・合唱」、第3部「公開レッスン」の3本立てにしました。第1部に24名、第2部に25名、第3部に20名(レッスンモデル4名を含む)のご参加を頂きましたが、人数がちょうどよい感じでした。セミナーは30名前後ぐらいが一番やりやすいですね。
第1部は、いつものようにパワーポイントを使ってレクチャーと基本的なエクササイズをやりました。毎度同じことを話しているようですが、少しでも分かりやすいようにと思うと表現が少しずつ変わってきます。お渡しする資料も、あまり情報量が多いと却ってインパクトが落ちるので、なるべくシンプルにという方向で少しずつ手直ししています。このレクチャーで外せないのは「呼気をできるだけスピーディーに真上に上げる」、「息は吸わない(脱力すれば自然に吸気が生じる)」、「軟口蓋を上げる」の3点で、トランペットのマウスピースとワインコルクは必須アイテムです。今日は終了後にマウスピースをお求めになる方が数名いらっしゃいました。
第2部では、最初に母音と子音の発音の位置を確認した後、「夜汽車」のメロディを「マリア」という歌詞でユニゾンで歌いました。下行音型やロングトーンで息のポジションが下がらないように気をつけて頂くと、最後までとても豊かな響きに統一された素晴らしい歌声になりました。歌詞が「マリア」の一語だけなので、発声に意識を集中できたようです。次の輪唱は、大学時代に合唱の授業で習った「中央線上のカノン」。国立を起点に小金井、三鷹、吉祥寺、荻窪、中野、新宿、四谷、神田、東京と中央線上の駅名を上り方向に辿っていく歌詞で、合唱の授業を担当していらした故N先生が作曲された天下一品の名曲です。皆さんノリノリで歌って下さいました。輪唱も響きが良いととても楽しいですね。今日の輪唱は絶品でした。
ひとしきり輪唱を楽しんだ後、イギリス民謡をアレンジした「クリスマスのあさ」というア・カペラの混声合唱曲を練習しました。昨年はドイツ語の曲でしたが、「難しかった」と仰る方が多かったので今回は英語の歌にしました。この曲は最初はユニゾン、次に女声2部、次に男声2(3)部、次に混声、という風に一節ずつ編成を変えていって、最後は混声で高らかに歌い上げるという形になっています。メロディがシンプルで歌いやすく、歌詞も繰り返しが多くてそれほど難しくもなく、この曲を選んだのは成功だったようです。バスの低音は少し低すぎるので、クリスマス会の時にはチェリストに弾いてもらうことにしましょう。
第3部の公開レッスンは、以前からやってほしいというご希望があったのですが、自信がなくて踏み切れませんでした。しかし、何事もやってみてから反省点をリファインしていくしかありませんから、肚を括って取り組んでみることにしました。今回のレッスンモデルは、シューマンの短い歌曲を歌われるIさん、コンコーネを歌われるNさん、合唱曲を持ってこられるSさん、そして発声だけみるつもりだったM君の4人。一人10分から15分ぐらいですからワンポイントアドヴァイスのようなレッスンにならざるを得ませんが、皆さんまだ譜読みが充分にできていない段階だったので、曲が出来上がっていく様子を聴いて頂くということにはなりませんでした。聴講している方たちには初心者の発声のレッスンの方が手に取るようにわかりますので、次回はもうすこしグラデーションをつけてもいいかもしれないと思いました。
セミナー終了後は恒例の茶話会をして、5時に解散しました。帰宅してアンケートを読むと、「楽しかったです」、「勉強になりました」、「発声の仕組みや練習の仕方がわかってよかったです」といった喜びの声が寄せられており、よりよいレッスンを目指して私もますます勉強しなければ、と意欲を掻き立てられました。また、今回も新しい方が数名参加され、個人レッスンを受けたいと言ってお帰りになった方もありました。セミナーのたびに新しい出会いがあり、本当に嬉しいことです。
次回のセミナーは9月19日、会場は今日と同じDOLCEです。どうぞ次もたくさんの方たちと歌う喜びを分かち合えますように!

タイムスリップ

2016年03月13日 | 日記
私の両親が結婚式を挙げ、私自身も中学生まで日曜学校に通っていた教会で、昨年少しばかりご縁のあった合唱団がコンサートを開かれるというので、今日、数十年ぶりにその教会に足を運びました。
40年近く経つ間に、教会自体もその周辺もすっかり様変わりしていました。昔と違って2階が礼拝堂になっており、グランドピアノとオルガンが備え付けてあります。しかし祭壇の十字架は(たぶん)同じものです。着席して十字架を見つめながらオルガンの奏楽に耳を傾けていると、過ぎ去った時間の長さがしみじみと思われました。そして奏楽の後、オルガンの伴奏で客席も一緒に讃美歌「いつくしみ深き」を歌い始めると、思いがけず涙がこみ上げてきて抑えきれず、日曜学校でよく歌ったこの歌をこの年になって再びこの場所で歌っている不思議さが胸を去来しました。
演奏が始まってからも、合唱にしっかり耳を傾けているのに、それとパラレルで心の中に一つの聖歌が繰り返し鳴っています。大人の礼拝で母たちが歌っていたのを聞き覚えたものですが、歌詞も一字一句すべて記憶の底から蘇ってきました。今まさに目の前で歌われている歌声にじっと耳を傾けていながら、心の中ではもう一つの曲を歌っている自分が何とも不思議でした。片方に気を取られるのではなく、どちらも同じように意識できるのです。これはどういう脳の働きになっているのでしょうね。
それはともかく、この新しくも懐かしい空間に身を置き、歌とともに歩み来たった私のこれまでの人生の原点はここなのだなと思うと、温かい気持ちが胸一杯に拡がりました。この気持ちを強いて言葉で表せば「感謝」でしょうか。人間、50年以上も生きていれば誰しもいろんなことを経験するでしょうが、私もそれなりに紆余曲折、波乱万丈、臥薪嘗胆(?)、千変万化(!)の人生を送ってきて、しかしいつも歌と共に生きてきたのでした。私から歌を引いたら私ではなくなります。そう思うと心の奥底から身震いするような感動が湧き上がってきました。
今日は午前中が合唱団の練習、午後からモーツァルトのレクイエムの練習、そしてコンサートへ。合唱三昧の一日でした。歌とともにある平和な日常をいとおしみつつ、明日も元気に頑張ります。
付記:コンサートは手作り感あふれるアットホームなものでした。演奏が終わるたびに嘆声をあげる年配のお客様がいたり、「実は今日は私の60歳の誕生日なのです。私を産み育ててくれた母に感謝します」と指揮者の先生が仰って、拍手が湧き起こったり。驚いたことに、私のごく近しい方の義理のお父様(故人)がこの合唱団の設立当時の指導者で、しかもこの教会の信者さんだったそうで、この合唱団の第1回目の練習はここで行われたのだとか。人のつながりって本当に...不思議としか言いようがありませんね。

麗し春よ

2016年03月10日 | 日記
「うるわし春よ」というドイツ語の3部カノンがあるのですが、今日はその話ではなく、先だって聴いた「春風にのせて」というコンサートのことを書きたいと思います。
このコンサート、熊本県立劇場の文化事業「クラシックの小箱」の第10回記念コンサートとして開催されたのですが、1,000円という廉価でこんなに質の高い演奏が聴けるなんて信じられないような話です。第1回目以来、友人知人が出演する時にはできるだけ足を運んで聴いてきて、いつも素晴らしかったのですが、今回はこれまでの出演者の方たちの中から5名が演奏されるというので前々から楽しみにしていました。トップバッターのテノールは高校時代からの友人、トリのソプラノは中学・高校の先輩にあたる世界的オペラ歌手、器楽はヴァイオリニスト2人とピアニスト1人という組み合わせで、ドイツ在住のこのピアニストも友人です(私より随分若いですが)。
5人ともトークを交えて数曲ずつ披露して下さいましたが、世界的に活躍している方たちなのに驕ったところが少しも感じられず、大演奏家然とした威圧感もなく、素朴な温かさと誠実さが伝わる、とても好感のもてるお話ぶりでした。お人柄は演奏にも反映していて、はったりのない、真摯で且つ余裕のある演奏で、聴いていて疲れません。もっと聴きたいな、と思わせて終わる絶妙のプログラミングでした。
こういうコンサートが、クラシック音楽の敷居を低くするのに大きく貢献していると思います。最近は熊本でもクオリティの高い演奏会が増えてきました。無論、全体としてはピンキリではありますが、ピンとキリの間の幅が広くなってきたのは、お客様にとっても演奏家にとっても良いことに違いありません。熊本のクラシック音楽市場も少しずつ都会並みに近付いているのかもしれませんね。
さわやかな風に吹かれたようなひと時でした。

癒しの時代?

2016年03月01日 | 日記
だいぶ前、「24時間戦えますか」というキャッチフレーズがTVで流れていましたね。あれは結構インパクトの強いコマーシャルでした。このフレーズに端的に表れているように、バリバリ仕事をこなす精力的な男が魅力的、という風潮というかイメージが一般的だった時代がわりと長く続いたように思います。まあ、これには多分にジェンダーの問題も絡んでいるのでしょうが。ともかく、パワフルであることに価値が置かれていた時代にあっては、音楽的な嗜好も必然的に「力強さ」や「輝かしさ」に傾いていたように思います。圧倒的な声量を誇るテノールの雄叫びに満場の聴衆が酔いしれる、というのはその典型だったでしょうか。
然るに今の世の中はと言えば、成長社会から定常化社会へと推移し、パワーよりは癒しが求められる時代のように思います。尤も、癒しはもともと病や傷や苦しみとセットの概念ですから、癒しへの指向性は現代の病理の反映でもあるのでしょうが、人間の傷つきやすさに対する自覚は大切です。現代人は自分で自覚している以上に深く疲れ、病み、傷ついているのではないかと私は思っています。それを温かく優しく包み、緊張をほぐし、明日への希望を取り戻させることができるのは、ことさらに美声を朗々と鳴らすというのではない、もっと純度の高い声なのではないかと。
抽象的な話のようですが、W先生が以前「発声の好みや方向性も時代とともに変化するのよ。今はふわっと心地よく包み込まれるような声が多くの人に好まれるようになってきているの。」と仰ったことがあり、何かとても納得させれらたものでした。この発声にしても体を最大限に使うことは確かなのですが、全身をバランスよく十二分に使い、体は心地よく疲れるが喉には何も感じないのです。息は声帯のあたりにとどまることなく、声帯を通過した瞬間に頭上に抜けていなくてはいけないからです。これは「抜いている」とか「逃げている」ということではなく、呼気圧の強さで頭部の共鳴腔(蝶形骨洞)までストレートに呼気を飛ばして響かせているということで、そのためには下半身の筋力が相当必要です。
本日は読者の方のご要望に応えて「癒し」をキーワードとした発声談義を試みました。