昨夜は本を読みふけって夜更かしをしてしまい、一日遅れの更新となりました。
数日前の朝ドラで、アイドルの卵という設定の主人公に向かって大先輩の女優が、「あなたにはやっぱり女優は向いていない」と前置きした上で、「向いてないことを続けられるのも才能よ。頑張りなさい」と励ますシーンがあり、不肖私、この言葉に思わず反応してしまいました。まるで若き日の自分に言われているような気がしたのです。
音楽も含め、芸術家や学者、職人などを目指す場合、まずは「才能」が問題になりますよね。声楽の場合は、何と言っても「良い声」を持っていること。声楽家は大抵、子どもの頃から周囲の人たちに「いい声だねえ」と言われ続けて育っています。それから、音感やリズム感、フレーズ感などが良いこと。「カンの良さ」もこの中に含まれるでしょう。いわゆる「音痴」でないこと、です。「あの人、声はすごくいいのに音痴よね」と言われる人も時々いますから(私は「音痴は直る」と思っているので、音痴だから歌を諦めるべきだとは決して思いませんが、プロを目指すとなると話は少し違ってきます)。そしてもちろん、歌が大好きであること。まあ、声が良くて音楽的センスもあって、それで歌が嫌いという人はめったにいないでしょうが(笑)。この3つは、声楽家を目指すなら外せない前提条件です。多少のデコボコはあっても、音大の声楽科や教育学部の音楽科に行くような人にはこの3つは必ず備わっているのですが、いざ音大に入ってしまうと、このデコボコの序列が非常に気になり、「私は歌には向いていない」と悩むことになります(笑)。
これと別に、「あの人は歌に向いてるよね」と言われるような特性があります。それは、性格が外向き(=社交的で目立つことが好き)で容姿が人並み以上で、華(オーラ)があること。声楽科の人は器楽科や楽理、作曲などの人と比べると明らかに華やかです。昔から、音大のキャンパスを颯爽と胸を張って大きな声で喋ったり笑ったりしながら歩いているのは声楽科の学生と相場が決まっています(笑)。蛇足ですが、私はこの点では全く「歌に向いていない」人間です。
整理すると、歌うたいになる才能とは、1)声が良い、2)音楽的センスがある、3)歌が好きである、4)外向的な性格である、5)容姿が良い、6)オーラがある。大体こんなところでしょう。また、身体的条件というものもかなり大事です。声楽の場合、足腰が強いこと、筋力があること、体力があることも、声の良さに勝るとも劣らぬ条件です。
しかし、こういう「持って生まれた才能」とは別の、隠れた才能(条件)というものもあると思うのです。その筆頭が「継続力」です。「あきらめない」力とも言えるでしょう。以前、学位論文を書いていた頃、仲間内で励まし合う時の合言葉が「あきらめなければ必ず書ける!」でした。
そして、コツコツ努力し続ける力です。あきらめずに努力し続けることができれば必ず花開く。持って生まれた才能の多少のデコボコは努力で補えます。そして、そういう内面的なものは不思議と歌ににじみ出てくるものです。
矛盾するようですが、人生という大きな視点で見れば、どんなに愛着のあるものでも潔くスパッと諦める力が必要な時もあります。人生は複雑で不可思議なものですから。そう考えると、あきらめずに継続することができた場合、そこには本人以外の力やサポートが存在したということでもあります。まことに感動的なことです。
数日前の朝ドラで、アイドルの卵という設定の主人公に向かって大先輩の女優が、「あなたにはやっぱり女優は向いていない」と前置きした上で、「向いてないことを続けられるのも才能よ。頑張りなさい」と励ますシーンがあり、不肖私、この言葉に思わず反応してしまいました。まるで若き日の自分に言われているような気がしたのです。
音楽も含め、芸術家や学者、職人などを目指す場合、まずは「才能」が問題になりますよね。声楽の場合は、何と言っても「良い声」を持っていること。声楽家は大抵、子どもの頃から周囲の人たちに「いい声だねえ」と言われ続けて育っています。それから、音感やリズム感、フレーズ感などが良いこと。「カンの良さ」もこの中に含まれるでしょう。いわゆる「音痴」でないこと、です。「あの人、声はすごくいいのに音痴よね」と言われる人も時々いますから(私は「音痴は直る」と思っているので、音痴だから歌を諦めるべきだとは決して思いませんが、プロを目指すとなると話は少し違ってきます)。そしてもちろん、歌が大好きであること。まあ、声が良くて音楽的センスもあって、それで歌が嫌いという人はめったにいないでしょうが(笑)。この3つは、声楽家を目指すなら外せない前提条件です。多少のデコボコはあっても、音大の声楽科や教育学部の音楽科に行くような人にはこの3つは必ず備わっているのですが、いざ音大に入ってしまうと、このデコボコの序列が非常に気になり、「私は歌には向いていない」と悩むことになります(笑)。
これと別に、「あの人は歌に向いてるよね」と言われるような特性があります。それは、性格が外向き(=社交的で目立つことが好き)で容姿が人並み以上で、華(オーラ)があること。声楽科の人は器楽科や楽理、作曲などの人と比べると明らかに華やかです。昔から、音大のキャンパスを颯爽と胸を張って大きな声で喋ったり笑ったりしながら歩いているのは声楽科の学生と相場が決まっています(笑)。蛇足ですが、私はこの点では全く「歌に向いていない」人間です。
整理すると、歌うたいになる才能とは、1)声が良い、2)音楽的センスがある、3)歌が好きである、4)外向的な性格である、5)容姿が良い、6)オーラがある。大体こんなところでしょう。また、身体的条件というものもかなり大事です。声楽の場合、足腰が強いこと、筋力があること、体力があることも、声の良さに勝るとも劣らぬ条件です。
しかし、こういう「持って生まれた才能」とは別の、隠れた才能(条件)というものもあると思うのです。その筆頭が「継続力」です。「あきらめない」力とも言えるでしょう。以前、学位論文を書いていた頃、仲間内で励まし合う時の合言葉が「あきらめなければ必ず書ける!」でした。
そして、コツコツ努力し続ける力です。あきらめずに努力し続けることができれば必ず花開く。持って生まれた才能の多少のデコボコは努力で補えます。そして、そういう内面的なものは不思議と歌ににじみ出てくるものです。
矛盾するようですが、人生という大きな視点で見れば、どんなに愛着のあるものでも潔くスパッと諦める力が必要な時もあります。人生は複雑で不可思議なものですから。そう考えると、あきらめずに継続することができた場合、そこには本人以外の力やサポートが存在したということでもあります。まことに感動的なことです。