年明けにあたり

2016年12月31日 | 日記
今年もあと1時間余り。文字通り激動の年でしたね。熊本地震をはじめ日本各地、世界各地で天災が相次ぎ、ヨーロッパではテロも頻発し、アメリカ大統領選では史上最大級の番狂わせがあり、隣国でも政界は大揺れです。オリンピック・パラリンピックもありました。豊洲市場問題や相模原の施設での凄惨な障がい者殺傷事件など、顔を覆いたくなる信じがたい事件もありました。これほど多様で圧倒的な数々のできごとに直面すると、音楽にはどんな意味や力があるのか、とどうしても考えてしまいますが、震災後しばらく経ってからのIさんのリサイタルはご来聴の方々にとても喜ばれました。人間はパンのみにて生くるにあらず。地震の時の差し入れも、ゴディバのチョコレートやアマノフーズのお味噌汁が喜ばれました。救荒食ばかりでは人間らしさを失ってしまうのですね。贅沢といえば贅沢ですが、人間らしさや文化とはそういうものなのでしょう。ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞も象徴的なできごとでした。音楽は言葉の力、言霊の窮まった形なのでしょうね。
難しい話はさておき、今年の後半はことのほか体調不良に悩まされた日々でした。長い風邪がやっとのことで治ったところですが、今日もまたちょっと買い物に出た後で咳が出始めて、疲れも出て寝てしまい、結局まったく掃除はできずに一日が終わってしまいました。年賀状も、パソコンを替えたためセットアップに数日かかり、住所を登録し、宛名をプリントするのがまたおおごとで、今日の午前中いっぱいかかってやっと書き終えました。その合間に4月のリサイタルのチラシの作成の件でデザイナーさんとのやり取りがあり、リュート伴奏用の移調譜を作るために楽譜ソフトをダウンロードしたはいいけれど、これがまた大変複雑でそんなに簡単には使いこなせず、合唱団のライブラリアンさんに何度も電話でナビゲートしていただいた挙句、見かねた彼女が一曲は作って送ってくれました(-_-;)。というわけで、最後の最後までひとさまの手を大いに煩わせた大晦日でした(苦笑)。
あ、テレビで除夜の鐘が鳴っています。地震の揺れで心の底に秘めていた煩悩が噴き出してきた今年、鐘の音に耳を澄まし、しばし心を鎮め、浄めて頂きながら年を越すことにしましょう。来年は明るい年になりますように。
皆様、どうぞよいお年を!

忙中閑あり

2016年12月28日 | 日記
やっと大学の授業が終わりました。2か月近く長引かせてしまった風邪もようやく治ったようです。ずっと先延ばしにしていたピアノの調律も昨日ようやく済ませ、これからクリスマス会の残務整理や年越し関係の雑務、それに春のリサイタル関係の雑務に取り掛かろうと思っていたら、今朝のfacebookで俳句大学の研修会が今日の午後に熊本で開催される、という情報をキャッチ。まだ面識は得ていないもののfacebook上で既に知り合いになっている若き大家(医師兼俳人)が講師です。これは何としても行かねばと思い、午後の予定を午前中に回して時間を作り、会場となっている漱石ゆかりの温泉宿へ飛び込みました。朝から参加申し込みのメールをしましたが、さすがに受理されておらず、それでも「どうぞ、どうぞ」と気持ちよく参加させて下さいました。俳句大学は全国組織ですが、さすがにこれだけ暮れも押し詰まった時期なので参加者は20名弱。私が年に1度ぐらい参加している句会の常連メンバーの方がおみえになっていて、ちょっとホッとしました。
講師のG先生は文理両刀使いのインテリですから、どんなにシャープな方かと思っていたら、物腰の柔らかい優しい方で、最初の一時間ほどの講話は、師匠のいない句会で気楽に句作をしている素人の私にも大変興味深いものでした。十分に理解できたとは言えませんが、俳句の本質は有季定型ではなく俳諧性、つまり滑稽さと観念的な難解さの橋渡しであるというお話、俳句は言葉の意味を超えるために韻律で詠むのだというお話、俳句の詩的創造における音楽性、つまり俳句の音韻構成がもたらす印象や効果についてのお話はすんなりと腑に落ちました。小学生の頃、国語の時間に「わが宿のいささ群竹吹く風の音もかそけきこの夕べかも」という大伴家持の和歌を習い、「さ行」が多いので、声に出して読むとさわさわと風がそよぐ音が想起されて、とても心地よい気分になったことを今でも印象深く覚えています。大学院でドイツ詩を学んだ時も、ヨーロッパでは詩は目で読むものではなく耳で聴くものだと教わりました。
講話の後は句会。俳句を作るとは思っていなかったので歳時記も句帳も持ってきていないし、句会には出ずに帰ろうかと思ったのですが、帰りそびれてつい参加してしまいました(笑)。一人4句ずつ出し、計57句から気に入った句(自分の句以外)を5句を選びます。私の句はあまり票は入りませんでしたが、「北方に征矢(そや)射るごとく鶴帰る」と「短日を切り裂きて往く救急車」、それに「万象の触媒たらむ真夜の雷」の3句に1票ずつ入りました。「万象の」は以前句会に出したことがありますが、その時も今日も、理系の方に受けが良かったようです(笑)。当初は「小夜の雷」としていましたが、「真夜の雷」の方がいいと仰って下さった方があったので直して出しました。もうひとつ出した句は、自分でも凡作だと思ったので帰りの車中で自分で添削してみたら、力感が少し増したようです。「すくと佇つ黄葉銀杏(もみじいちょう)やなゐの跡」。大学の教室からイチョウの大木が一本だけすっくと立っているのが見えるのですが、これが見事に黄葉するのです。何度見ても感動します。地震にも負けず、今年も素晴らしい黄葉でした。
句作や選句に集中している時間は、日常から完全に離れた、とても純度の高い楽しい時間です。歳の暮れの慌ただしさの真っただ中で、仕事でもなく勉強でもなく遊びでもない(いや、遊びか(笑))、この不思議な時間がとても貴重なものに感じられました。

第29回クリスマス会

2016年12月24日 | 日記
昨日は今年のレッスンの締めくくり、毎年恒例のクリスマス会でした。年々参加者が増え、今年は賛助出演と講師演奏も含め23組の出演、そのうち2組はアンサンブルです。県外の教会からおなじみの4人組の聖歌隊が来て下さった他、今年は初出演の方を中心にソプラノ4人、アルト4人の女声アンサンブルを組んだので、合唱のみの参加者や伴奏者も含めると総勢40人近くの出演者となりました。ここ数年レッスンをお休みしている生徒さんが久し振りに聴きにみえて「いつの間にこんなに大きな会になったんですか?」と驚いていましたが、幼稚園児や小学生のピアノの生徒さんたちが中心の文字通りのホームコンサートだった頃を振り返ると、私自身も隔世の感があります。
本番は司会者が上手にリードしてくれたので、多少のハプニングがあっても何の問題もなかったのですが、リハーサルはてんやわんやでした。10時前に会場入りして設営の手直しから始まり、12時半までのソロのリハーサル、そのあとアンサンブルと合唱のリハーサルを経て午後1時半の開演までホールに詰めっきり。誰が来ているのか、裏がどうなっているのかもわからないまま、出演者の最後の仕上げや確認に大わらわで、自分の着替えも食事も、トイレさえままならず、分身の術が使えたらと本気で妄想しました(笑)。きっと私、かなりひきつった顔をしていたと思います。普段は取り繕っていますが、私はもともとかなり気が短くてきつい性格なのです。人間って追い詰められると地金が出ますね。思うようにさっさと進まないと声が大きくなり、髪の毛が逆立ってくるのがわかりました(苦笑)。すぐ顔や態度に出てしまうのは私の不徳です。去年も同じような思いをしたなあと思い出し、進歩のない自分を反省しました。
それでも時間は確実に過ぎていき、いよいよ本番開始。今年のプログラムは、特筆すべきことがいくつかありました。それはまず、高校生が3人、それぞれイタリア語、日本語、ドイツ語で個性豊かな歌を聴かせてくれたこと。うちの生徒さんは圧倒的に熟年の方が多いのですが、最近若い方が増えつつあります。伸び盛りの若者の歌声は聴いていて元気をもらえますね。次に、いつも伴奏や弾き語りで活躍してくれる2人のピアニストが独唱デビューしたこと。歌の伴奏をする方が歌の勉強をして下さることは、歌い手にとってとても有難いことです。舞台で歌ってみれば歌う人の呼吸や気持ちがよくわかるでしょうし、歌ってみて初めて分かる伴奏のコツもあるでしょう。私の伴奏をして下さるM先生も、私のリサイタルの前には、私が歌うプログラムを全部ご自分の歌の先生のレッスンに持って行ってみて頂くのだと仰っていました。だからあんなに歌い手が歌いやすい伴奏ができるんですね。
もう一つは、重唱が2組あったこと。聖歌隊のアンサンブルはア・カペラでいつもながらの清らかなハーモニーを聴かせて下さいましたが、もう一組は伴奏つきで、メンデルスゾーンの名曲「おお、ひばり」をソプラノ、アルト各4名の女声2部で歌っていただき、いつも弾き語りで出演して下さるMさんに伴奏をお願いしました。ここでハプニング。変ホ長調のこの曲を、Mさんがホ長調で引き始めたのです。前奏で「あれ?ちょっと高いな」と思いながらもそのまま歌に突入。しかし数小節進んだところで伴奏が止まり、Mさんが立ち上がって「ごめんなさい!!間違えました」と大声を出し、すかさず司会者が「今のはリハーサルでした」とフォローしたのはさすが。場内爆笑でしたが、これで場が和みました(笑)。
プログラムも後半に入ると、イタリア歌曲、ドイツ歌曲、オペラアリアとだんだん本格的になってきます。出番の多い伴奏のUさんは、このところ身辺多事で心配していたのですが、その上数週間前に追突事故に遭い、コルセットを装着しての熱演でした。私もとても忙しかったので伴奏合わせのレッスンをみて差し上げる時間がなく、かなりスリリングな思いをしたのではないかと思います。歌い手さんたちにも体調面でいろいろ不安材料がありましたが、皆さんベストを尽くされ、それぞれの個性のにじみ出る味わい深い演奏でした。
客演でヴァイオリンを弾いてくれた中1のRちゃんは、先日の学生音楽コンクールで県知事賞を受賞したホープです。昨年に引き続き、今年も素敵な演奏を聴かせてくれました。いつも友情出演してくれる盟友Iさんも、他用で演奏前ギリギリに駆けつけてくれました。講師演奏は...前日まで咳がひどく、歌えるかどうか最後までわからなかったので、とうとう一度も伴奏合わせをせずに当日を迎えてしまいました。後でUさんが「伴奏しながら、あまりのひどさに笑いが出てしまいました」と言うほどのやっつけ仕事でしたが、ともかく感謝と喜びを込めて心から歌わせて頂きました。これまで何度も歌った大好きな十八番を選んだのが奏功して、何とか無事歌えてホッとしました。
最後の全員合唱も、無伴奏の曲にRちゃんのヴァイオリンのオブリガートと友人のチェリストの通奏低音が入る編成だったのですが、チェリストが別の演奏会に出演した後で駆けつけてくれて合唱の直前に到着、一回通して練習してから本番というおかしな本番になりました。ホームコンサートですから何でもありです。全員歌っているのだからいいのです(笑)。お陰で弦楽付きア・カペラという面白い経験ができました。
終演後に伴奏者や客演の方にお花を差し上げる予定だったのですが、司会者が機転を利かせて、チェリストの到着を待つ間にお花の贈呈セレモニーを演出してくれました。これがなかなかいい雰囲気でした。お母さまや奥様が伴奏をして下さったカップルは息子さんやご主人様からの贈呈。そして、ご自宅が全壊して一旦他県に引っ越され、また熊本に帰って来られた常連のドレミファそら豆さんをお招きしてあったので、そら豆さんにもお花の贈呈。感無量のひとときでした。
2時間弱のコンサートが無事終わり、茶話会へと移行。和やかな時間を過ごし、5時に散会となりました。しみじみと「来年は30回目になるんだなあ」と思いながら帰途につきました。光陰矢の如し。それに、今年は地震がありましたから、よくぞ例年通りクリスマス会ができたものだと感慨もひとしおでした。歌とともにある人生、歌を愛する生徒さん方とともにある人生を心から有難く思った一日でした。


学生オーケストラ

2016年12月17日 | 日記
初修ドイツ語の担当クラスの学生さんから「熊大フィルの定演に来て下さい」と招待状を2枚頂いたので、友人Iさんと一緒に聴きに行ってきました。演目はボロディンの「韃靼人の踊り」、ムソルグスキー=ラヴェルの「展覧会の絵」、そしてブラームスの交響曲1番。すごい取り合わせですよね(笑)。先日、世界に名だたるドイツカンマ―オーケストラのブラームスを聴いて鳥肌が立つほど感動したばかりなので、同じ演目を聴いてどんな印象を受けるか心配でしたが(笑)、学生オケも立派な演奏でした。チケットをくれたN君だけでなく、団員には他にも私の担当クラスの学生さんが何人かいたので、雄姿をよく見ようと百均で買ったオペラグラスで(今は百均でオペラグラスまで買えるんですね)覗いてみると、ヴァイオリンに私の中学の先輩がOBとして参加していました。よく存じ上げている指揮者の先生も、さすがにびしっと決まっています。この大変な3曲を最後まで集中を切らさずに演奏し切ったのはさすが。若さの賜物ですね。
プログラム終了後、指揮者の先生が「今年は震災の影響で5月のサマーコンサートも中止、夏の合宿も中止、スクールコンサートもできず、授業の日程がずれ込んだ関係で練習も思うようにできず、そんな中を学生たちは、OBや関係者のお力添えを頂きながら精いっぱい今日に向けて頑張ってきました」というご挨拶をなさった時は、思わず胸がいっぱいになりました。そしてアンコールの前にメンバー全員がサンタの帽子をかぶり、指揮者の先生はサンタに扮して「今日この会場に皆様が足を運んで下さったことは、皆様から私たちへのクリスマスプレゼントだと思っています。私たちはお客様に演奏をプレゼントします」とルロイ・アンダーソンの「そりすべり」を演奏してくれましたが、これが圧巻。ロシアとドイツの重厚長大なプログラムの後で、手拍子に乗って生き生きと、愉悦に満ちた演奏をプレゼントしてくれました。楽しかった!
昔はよく熊大フィルや熊大の合唱団の演奏会を聴きに行きました。中学時代から何度も。中高生の頃、手作り感満載のパンフレットを読んで「大学生ってすごいなあ、かっこいいなあ」と憧れ、大学生になったら学生オケに入ろうと思ってヴァイオリンを携えて上京しましたが(中学生の頃習っていたのです)、専攻の声楽と副科のピアノで手いっぱいで結局オケに入る余裕がありませんでした。音大には専攻以外の楽器を演奏するオケがあって(カルトッフェル(←じゃがいも)オーケストラという名前でした)、入りたくて随分心が揺れたのをよく覚えています。30代で修士課程に社会人入学した時も、今度こそ熊大オケに入ろうかと思ったのですが、やはり学業と仕事の両立で精いっぱいでした。正規の(?)大学生って、人生で一番いい時かもしれません。若い時に好きなことに一生懸命打ち込むことができるのは、何と幸せなことでしょう。

愛について

2016年12月12日 | 日記
還暦記念コンサートから始まった「歌う女将さん」の毎年恒例のホームコンサート、昨日で7回目となりました。
待望の初孫さんが生まれ、未曽有の地震に遭い、長年尽くしたお義母様が旅立たれた、忘れ得ぬ年の暮れのコンサートでした。例年通りたくさんのお友達やお身内が、この日を楽しみに集われました。Nさんの日頃の精進の成果を味わうひと時の、何と親密で温かいこと。終了後の会食にも毎回お招きいただいていますが、Nさんを支えるご家族やお友達と親しくお話しする時間も、とても和やかで温かい雰囲気です。
今回のテーマは「愛」。数限りなくある愛の歌の中から、Nさんの心にフィットする美しい歌が選ばれました。親しいご友人のTさんとの二重唱もあり、お客様が声を合わせてクリスマスソングを歌うコーナーもあり、お客様の表情もどんどんなごんできます。アンコールの「落葉松」では何人もの方がハンカチで目を拭いておられました。人生のさまざまな経験が歌に深みをもたらすのですね。
Nさんのコンサートを聴かせていただくたびに、人生について深い感慨を覚えるのですが、今朝たまたま、愛読しているブログに載っていた詩が、私の今の心境にジャストフィットしました。


わたしは大地 わたしは大空 わたしは月 わたしは太陽
わたしは花 わたしは鳥 そしてわたしはあなた

ふたつの道を目の前にして 自分自身が迷ったときは
道ばたの石をめくってごらん そこにわたしがいるから

自分で積んだ不幸の壁に 閉じこめられておびえる夜は
星を見あげて話してごらん そこにわたしがいるから

わたしとあなた へだててる線が消えてく
わたしたち 同じ愛から生まれた

わたしは涙 わたしは笑顔 わたしは孤独
わたしは怒りわたしは許しわたしは祈り
そしてわたしはあなた


人が怖くて自分がいやで 動けぬくらいすくんだときは
年老いた木にさわってごらん そこにわたしがいるから

やさしさゆえに人になじられ 愛するゆえに身を引いた夜は
ひとり鏡をながめてごらん そこにわたしがいるから

わたしとあなた それぞれのエゴを超えてく
わたしたち 同じ愛から生まれた

わたしは試練 わたしは学び わたしは光
わたしは命 わたしは愛 わたしは神
そしてわたしはあなた


親を亡くして友をなくして 愛する人を失ったとき
吹きくる風を感じてごらん そこにわたしがいるから

病の床で定めを呪い 死の足音におびえる夜は
自分の胸にさわってごらん そこにわたしがいるから

わたしとあなた 抱き合えばひとつに溶ける
わたしたち 同じ愛から生まれた

わたしは大地 わたしは大空 わたしは月
わたしは太陽 わたしは花 わたしは鳥
そしてわたしはあなた

わたしは涙 わたしは笑顔 わたしは孤独
わたしは怒りわたしは許しわたしは祈り
そしてわたしはあなた

わたしは試練 わたしは学び わたしは光
わたしは命 わたしは愛 わたしは神
そしてわたしはあなた


一にして全、ミクロとマクロの融即。「わたしたち 同じ愛から生まれた」のリフレインが心に深く響きます。愛から生まれ、愛に生き、愛に還る。すべての存在の始源は一つ。今回のコンサートの精神を掬い取ったような詩ではありませんか。