陽はまた昇る

2016年04月19日 | 日記
度重なる余震に先の見通しのつかない毎日です。ガスと水道は相変わらず止まったまま。水道は今日数時間だけ出たものの再び断水しました。しかし、この非常時にともかく自宅で過ごせるというのは本当に有難いことです。煮炊きができないので栄養はかなり偏っている気がしますが、それでも食べるものがちゃんとあり、水もすぐ近くに湧いているのですから、私など多くの被災者の方たちと比べれば断然恵まれた状況にありますし、復旧や生活支援のためにどれほど多くの方が力を注いで下さっているかを思えば、ただただ感謝しかありません。最大のストレス源だった「お風呂に入れない」という悩みも、水の出る友人宅でもらい風呂をすることで解消。M先生も毎日電話で不自由はないかと訊いて下さいます。つくづくと人の温かさが身に沁みます。
季節は花盛りの春爛漫、道沿いにはつつじが満開、藤棚にも見事な藤の花房が下がっています。非常時だというのに、その眩いほどの美しさにハッと胸を衝かれます。季節がめぐって花が咲くのも、今回の地震も、ともに大自然の厳然とした営みの一部です。人間の非力、命の儚さ、その儚い一瞬の命をどのように生きるべきか、自然の摂理は人間にさまざまなことを無言のうちに教えてくれているようです。そして、たくさんの方が私たちのために祈り、尽力して下さっているのを日々目の当たりにすると、生きるということが実はどれほどひとさまの力の支えの上に成り立っているのかを痛感します。私は今、人として最も大切なことをこういう形で学ばせて頂いているのかもしれません。
確かに今現在は「先の見通しがつかない」ことが大きな不安やストレスですが、本当は「先の見通し」なんて常に幻想です(だからこそ一日一日が尊く大切なのですものね)。私たちにできるのは、ただ「先を明るく見る」、つまり希望を持つことだけです。朝、これほどの実感をもって「朝が来た」と思うことは普段はあまりありません。朝の来ない夜はない、出口のないトンネルはない、闇があるから光がある。そんな思いが一瞬にして頭の中を駆け巡る、毎朝の目覚めのひとときです。生きるということの重みをずしりと感じます。

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