私の母校の中学校は同窓会活動が盛んで、熊本での大同窓会に加え、在京の方たちが立ち上げた東京同窓会が毎年開催されています。今日(正確には昨日ですが)がその日でした。今年は私たちの学年が幹事学年で、関東在住の同級生たちが1年以上かけて本当に献身的に準備にあたってくれました。私は熊本に居て何も手伝えないので、せめて枯れ木も山の賑わいで日帰り参加させてもらうことにして、東京近郊に住んでいる大学生の甥を、2本目の枯れ木(否、若木(笑))として「おばちゃんが会費を払ってあげるから」と懐柔して招集しました。彼の一つ年上の姪も「行く行く!」と大乗り気だったのですが、残念ながら寮祭と重なってしまい、大学生の教え子君も大学祭の準備でアウト。若者がほとんど来ないこの同窓会に、社交の苦手な彼が本当に来てくれるかどうか内心ドキドキでしたが、約束通り現れてくれて、おばちゃんはとても嬉しかったです。
初めて参加した東京同窓会は、上は80代から下は赤ん坊まで(子連れ参加者もいましたので)200人もの老若男女が相集う楽しい会でした。歳の近い先輩後輩たちとの再会で開会前から盛り上がり、開会するとまもなく、くまモンが会場にやってきてくまモン体操を踊っていってくれました。毎年来てくれているのだそうです。
一人だけ飛びぬけて若い甥には、皆さんが気遣って声をかけて下さいました。歓迎されていると感じたのでしょう、だんだんリラックスしてきて、30代の人たちと楽しくおしゃべりしながらご馳走でお腹を膨らませ、面白いことをやっているおじさまもいらっしゃったので、お話を聞かせてもらって喜んでいました。甥は情報工学を専攻しているのですが、その分野で働いている先輩たちからも色々話を聞き、アドヴァイスをもらっていました。
私がこの学校に赴任した年の最初の教え子たちも何人か来ていました。私と気付かなかったようですが、話しているうちに思い出したらしく、「その節は大変ご迷惑をかけました」と今更ながらの平身低頭(爆)。確かに彼らのクラスはやんちゃ揃いで、若い未経験の私はなすすべもなく授業崩壊の憂き目に遭ったのでした(-_-;)。まあ、当時は私もまったく教師の体裁をなしていませんでしたから、お互い様です。過労で入院したほどでしたが、今となってはそれも笑い話です。
途中、大抽選会というアトラクションがあり、その景品として甥の父親(すなわち私の弟)が供出した商品を私が当選者に手渡すというミッションもありました。これも楽しい仕掛けでしたね。
最後は「ハレルヤ」と校歌の大合唱。今年は何回ハレルヤを歌ったことでしょう。今日の指揮者はM先生の従姉妹さんのご子息でした。伴奏は、中学、高校、大学とずっと一緒に過ごした盟友Kさん。熊本から伴奏を弾きにきてくれました。校歌の指揮は私たちの学年の部活仲間M君。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、まだ日の高いうちに散会となりました。片付けを終え、打ち上げに繰り出す同級生たちと別れ、ピアニストKさんと私は羽田空港へ。帰り着いてほっと一息つくと、何だか今日の一日が夢の中の出来事のような気がしてきました。人間、普段は基本的に未来志向で生きていますが、たまには過去にタイムスリップして思い出を上書きするのも、一種の命の洗濯かもしれません。
初めて参加した東京同窓会は、上は80代から下は赤ん坊まで(子連れ参加者もいましたので)200人もの老若男女が相集う楽しい会でした。歳の近い先輩後輩たちとの再会で開会前から盛り上がり、開会するとまもなく、くまモンが会場にやってきてくまモン体操を踊っていってくれました。毎年来てくれているのだそうです。
一人だけ飛びぬけて若い甥には、皆さんが気遣って声をかけて下さいました。歓迎されていると感じたのでしょう、だんだんリラックスしてきて、30代の人たちと楽しくおしゃべりしながらご馳走でお腹を膨らませ、面白いことをやっているおじさまもいらっしゃったので、お話を聞かせてもらって喜んでいました。甥は情報工学を専攻しているのですが、その分野で働いている先輩たちからも色々話を聞き、アドヴァイスをもらっていました。
私がこの学校に赴任した年の最初の教え子たちも何人か来ていました。私と気付かなかったようですが、話しているうちに思い出したらしく、「その節は大変ご迷惑をかけました」と今更ながらの平身低頭(爆)。確かに彼らのクラスはやんちゃ揃いで、若い未経験の私はなすすべもなく授業崩壊の憂き目に遭ったのでした(-_-;)。まあ、当時は私もまったく教師の体裁をなしていませんでしたから、お互い様です。過労で入院したほどでしたが、今となってはそれも笑い話です。
途中、大抽選会というアトラクションがあり、その景品として甥の父親(すなわち私の弟)が供出した商品を私が当選者に手渡すというミッションもありました。これも楽しい仕掛けでしたね。
最後は「ハレルヤ」と校歌の大合唱。今年は何回ハレルヤを歌ったことでしょう。今日の指揮者はM先生の従姉妹さんのご子息でした。伴奏は、中学、高校、大学とずっと一緒に過ごした盟友Kさん。熊本から伴奏を弾きにきてくれました。校歌の指揮は私たちの学年の部活仲間M君。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、まだ日の高いうちに散会となりました。片付けを終え、打ち上げに繰り出す同級生たちと別れ、ピアニストKさんと私は羽田空港へ。帰り着いてほっと一息つくと、何だか今日の一日が夢の中の出来事のような気がしてきました。人間、普段は基本的に未来志向で生きていますが、たまには過去にタイムスリップして思い出を上書きするのも、一種の命の洗濯かもしれません。