エクササイズNo.2

2016年06月23日 | 日記
忙しくてしばらく更新できない間に北海道でも大きな地震がありました。熊本にも大きめの余震が何度もやってきた上、追い討ちをかけるような雷と豪雨。雨漏りに悲鳴を上げている友人たちがいるのに為す術がなく、もどかしさでいっぱいです。自然の前に人間の何と無力なこと。しかし、人間も本来は自然の一部であり、すべてはつながりあって大きな一つの命を成しているのだ、という感慨も湧いてきて、雷鳴と稲光の交錯する中で一瞬奇妙な恍惚感に打たれました。
万象の触媒たらむ小夜の雷(らい)
夜通し雷鳴の轟いた翌日の句会で満票を頂いた一句です。
さて、レッスンに復帰された生徒さん方と共に、以前ご紹介したエクササイズNo.1を繰り返し試しては有効性を実感していますが、もう少し補足したいと思います。
耳、眼球、鼻をゆるめた後、今度は口です。首の付け根を両手の指で支えて上を向き、視線を後方に動かしながらムガーッとライオンかオオカミのように口を開けます。こめかみや額関節がメリメリッと音を立てるぐらい開けると、後頭部の筋肉が動いて首の付け根がぐーっと縮み、口を閉じると元に戻ります。これを何度か繰り返すと、蝶形骨にアソビができるのが実感できます。
次に、蝶形骨とともに大事な骨である仙骨に動きをつけるエクササイズ。仙骨が動くことで脳脊髄液の循環が促進され、ポンプ作用で後頭骨が押され、連動して篩骨と鋤骨の間にわずかな隙間ができ、そこから声が抜けるのだと以前W先生から教わりました。その仙骨エクササイズは至極簡単です。足を肩幅に開いてまっすぐに立ち、視線は真正面に。両手を「前へならえ」のポーズにセットし、水を掻くように両手を背後へ持っていくと反動で両手が元の位置に戻ってきます。これを間断なく繰り返します。両手が後ろに行く時に上体が前傾しないよう、まっすぐに立ったままで。数十回繰り返して静止すると、掌と足の裏に熱を感じます。このエクササイズは力を入れずにやります。とても気持ちが良いです。
この後、かかとに重心を置き、呼吸とともに重心がゆらぐのを確認するエクササイズもありますが、それはまたいずれ。ともかく、蝶形骨と仙骨を動かすと体の感度が高まり、その後の呼吸の練習やストレッチの効果も倍増します。どうぞお試し下さい。


復興支援

2016年06月09日 | 日記
レッスンを再開される方がぼちぼち増えてきていますが、復帰後の最初のレッスンは「大変でしたね~」とお互いの被災状況を語り合うところから始まるので、歌うモードになるのに時間がかかります(笑)。しかしそれは必要なプロセスで、いきなり声を出してもおそらくあまり効果はないでしょう。
そして、皆さん異口同音にこう仰います。「地震発生直後のことはよく覚えていますが、その後どうやって過ごしたのかあまり覚えていません」、「何もしていないのにもう1ヵ月半も過ぎてしまって、震災前がとても遠く感じます」、「もう生活は普段通りに戻っているのに、何となく気が散ってしまって」等々。今は裁縫に没頭している、という方も複数いらっしゃいました。私のお菓子作りと同じですね。そして、以前のように集中力が続かなくなったことを実感します。普段は本を読む時はかなり集中するのですが、震災後、レッスン体系を再構築するつもりで買い込んだ本もなかなか読みこなせていません。大学の授業は集中しないとできないので、終わった後かなり疲れます。神経の興奮ががまだ続いているのでしょう。
しかし、レッスンに来られる方たちは、そんな状態にあっても少しでもご自分を鼓舞して活力をチャージしようと思ってお見えになるわけです。そのお姿を見て思うのは、被災地では「被災者が被災者をケアする」という構図になるので、ケアができる立場にいる方(つまり比較的被害の少なかった方)が元気を保つことがとても大切だということです。レッスンにみえる方たちもご家族や知人の方たちを何らかの形でケアしておられるのですが、皆さん物的なダメージは少なくても心には想像以上のダメージを受けていて、どうしたら少しでも元気になれるかと考えて、あ、歌があった、と思って来られるのですね。
レッスンでは「エクササイズNo.1」の記事でご紹介した「神経に効くエクササイズ」がかなり効果があり、体が柔軟性を取り戻して呼吸が深くなったのを確かめてから発声に移ると、思ったよりラクに良い声が出て、とても喜ばれます。しかしやはり普段より疲れやすいので、レッスン時間は少し短めにしています。当たり前のことではありますが「疲れたら休む」ことがとても大切です。
ヴォイトレに限らず「自分が元気になれること」を見つけ、疲れたら休みながら気力と体力を保ち、できるだけ普段の生活のペースを大事にするというセルフケアこそ、平時でも非常時でも生活の基本だと再認識させられる毎日です。復興支援は最終段階に至ると「自助・共助を見届ける」ことになりますが、ヴォイトレが「自助」の部分に多少なりともお役に立てればうれしいです。共助の方は、実働作業に参加できない身としてはとりあえず「買って・食べて応援」でしょうか。復興支援にと益城のスイカを送って下さった方があり、その美味しさに感動しました。熊本人はスイカと言えばこの味なのですが(つまり、美味しいのが当たり前、という贅沢に慣れ切っているのですが)、今更ながら本当に美味しいですね。熊本の食べ物の美味しさは、ひょっとしたら相当なレベルのかもしれません。全国の皆様、どうぞ買って・食べて応援して下さい。そして、余震が収まったら是非熊本へ来て、傷つきながらも雄々しく聳える熊本城の姿をご覧下さい。

小さな変化

2016年06月05日 | 日記
地震で大学が休講になり、レッスンも棚上げになっていた間、新調したオーブンでお菓子作りにハマりました。お菓子作りは中学生の頃からの趣味で、自己流ではありますが一応40年近いキャリアです。でも普段は忙しいので、お菓子作りも「オーブンに入れるまで15分」の手抜きラクラク突貫工事ばかり。ところがなぜか「この際じっくり手をかけて美味しいお菓子を作ろう」というモードに切り替わり、クックパッドではなく(笑)レシピブックを買い込み、発酵バターなどという高価な材料を初めて使い、たっぷりと手間暇かけて「上等な」お菓子や体に良さそうなオーガニックのお菓子などを片っ端から焼いたのです。
これがすこぶる好評で、最初に焼いたレーズンサンドクッキーは、普段お付き合いで仕方なく一切れだけ食べてくれる父が珍しく「もっとないのか」と言うし、大学が再開して教員控室に持って行ったら先生方からも絶賛されました。パウンドケーキも発酵バターで作るとすごく美味しいのです。ちょうど弟と義妹の誕生日が5月だったので、材料を奮発してショートケーキやパイを焼いたり、震災後のお茶会を企画して友人たちを招いた日には、大豆粉でガレットを焼き、ココナツパウダーでブラマンジェを作り、人参ケーキや干し柿とくるみを入れた米粉ケーキを焼き、オーガニックなおもてなしをしたところ、皆さん大喜びでした。そんなことを続けていたら止まらなくなり、普段通りの超多忙な毎日に戻ってからも、朝食をパンから手作りスコーンに切り替え、米粉、全粒粉、ライ麦、大豆粉など様々なヴァリエーションで楽しんでいます。昨日も来客があったので、クッキーシューとショコラスフレケーキ、それに塩味もと思ってドイツ風の玉ねぎのキッシュを焼きました。
ラクラク手抜きケーキもそれなりに美味しいし、忙しい毎日に潤いと彩りを与えてくれます。でも、良い材料を使って手間を惜しまず作ったケーキの美味しさは心に沁み込むようです。そして、人生の残り時間をもっと丁寧に生きよう、という気持ちが湧いて来るのです。
この「上等なお菓子作り」の衝動は、おそらく今回の被災の経験と関係していると思いますが、この小さな変化が今後どんな風に展開していくのか、元来が原始人体質の私ですから、きっと70年代のアメリカ東海岸の若者たちのように(?)オーガニックやスローライフ、つまり文明社会の対極への志向性が強くなるだろうという気がします。そうなると、「世捨て人」と「文明社会の住人」の間のどのあたりに定位するか、つまり自然本性に従いつつ自然を超えよう(反しよう)とする人間としての宿命的な矛盾、相克をいかに調和的に止揚するか、という課題が浮上してきます。
環境倫理を講じている頃、この問いに自覚的になることの大切さをよく話していましたが、自然災害を機にひどく卑近な形でこの問いに向かい合うことになりました。歌うという営みの原初的な自然性と、発声法という自然を超えた(しかし動物としての自然に根差した)技術を磨くこととの関係にも通じる、非常に根源的な問いだと思います。