目と声

2015年02月27日 | 日記
不思議な話ですが、高音発声時に目玉を動かすと、下あごの緊張が緩和されて声が出やすくなります。以前W先生から伺って、時々自分でもやってみていたのですが、先日、県南での出張レッスンでこの方法が驚くほど奏功しました。この日最初に来られたMさんのレッスン中に、思いついて「ちょっと視線を動かしてみて下さい」と言うと、何とMさん、3点ト音(ハイcの上のg音)まで軽々と出たのです。とてもきれいな響きで。ご本人がびっくりして声を出すのを止めちゃったのですが、そのままいけばもっと高い方まで行けそうな感じでした。喉には何も感じなかったそうです。Mさんは普段は少々視野が狭いそうで、目を動かして下さいと言っても最初は顔ごと動いていましたが、コツがわかると驚くほど伸びやかな声になりました。
あまりに劇的だったので次のTさんでも試してみましたが、声帯が太いので重くなりがちなTさんの声が、目玉を動かすとスーッと伸びの良い軽い響きになります。ご本人もラクに声が出る感覚だそうです。この日レッスンに来られた全員の方が、この方法で高音域が軽くなりました。
なぜ目を動かすと下あごの緊張が取れるのかわからないので、今のところポストホック的に「目を動かすと下あごの緊張が取れる」としか言えないのですが、声って本当に不思議なものですね。ともかく、普段から下あごに力を入れて喋る(しかも、そのことを自覚していない)日本人にとって「下あごの緊張を取る」のは至難の業。下あごを軽く左右に動かしてみたり、brbrbrとリップロールをしてみたり、顎関節の周りをマッサージしたり、普段からあの手この手で頑張っている私たちにとって、有効なメソッドが1つ増えるのは大変ありがたいことです。皆様もどうぞお試し下さい。

芸術と人間

2015年02月21日 | 日記
ティーンエイジャーの頃、音楽のように美しいものに関わる人は心も美しくなければならないのではないか、と考えたことがあります。歌うたいのような再現芸術家と、作曲家や詩人のような「無から有を生み出す」芸術家との関係なども随分考えました(思えば哲学少女でしたね)。霊感を得て作品を生み出す作曲家や詩人は、私たち凡人には想像もつかないような人並み外れた知性と感性を持つ人で、しかも、芸術作品は芸術家の人格を通路としてこの世に現われ出るのだから、素晴らしい作品を生み出す芸術家は人格も素晴らしいはずだ、芸術家とは知性、感性、人格と3拍子揃った、神の化身のような人なのではないか、と。美しい音楽を聴いて感動すると、それを作った作曲家に偶像崇拝に近い気持ちを抱いたものです。ですから、作曲家の伝記を読んで、彼らの私生活や性格が予想外に人間臭かったりすると、その作品の素晴らしさと人格とのギャップをどう理解したらいいのかわからなくなって混乱したものでした。
先日、音大時代の恩師I先生のブログの中に概略以下のような文章を発見しました。
~芸術とは、神ならざる人間が「より高いもの」をめざして生み出すものであり、その原動力は深い内省である。今の自分に安住していては創造はできない。また、偉大な芸術家が自己中心的であることはままあるが、結果として素晴らしい作品が残されるのであれば、その自己中心性は許容されるべきである。~
芸術と倫理や人格の関係を考える上で示唆的な文章です。特に前半部分の「今の自分に安住していては創造はできない」という部分は、再現家としての私たちにも当てはまりそうですね。演奏(=作品の再創造)もやはり創造的営為です。知性も感性も技術も足りない自分であるからこそ、少しでも向上したいと願い、努力するわけです。自らの足らざるを深く自覚しているという意味では、芸術家は謙虚な側面を持っていると言えるでしょう。
また芸術家は、自分の従事している芸術活動に誠実であればあるほど、それを他のすべてに優先しようとします。純粋ではありますが、それは現実的には自己中心性として表れますから、しばしば他人を振り回し、傷つける、かなりハタ迷惑なものです。それでもそれを理解し、支えてくれる人がいるとすれば、それはやはり当人の持つ人間的魅力の賜物でしょう。
考えてみれば、何も芸術家でなくても、人間は生きている限り人さまに多少の迷惑はかけざるを得ないのですから、別のところで埋め合わせをして帳尻を合わせるしかありませんよね。つまり、我々は人間である限り自己中心性を免れない存在なのですから、芸術家だけに高潔な人格を求めるのは、つまり人間認識が足りないということです。若い頃の私は、その意味でかなり「人間知らず」だったわけです。
長年の問題意識が少し整理され、スッキリしました。

メンテナンス

2015年02月12日 | 日記
薄氷を踏む、という言葉がありますが、今まさにそれを地で行っている感じです。
今週の月曜日、疲れのせいか寒さのせいか、はたまた先週我が家のグランドピアノをオーバーホールに出すという力仕事をしたせいか(といってもピアノを動かしたのは運送屋さんですが)、少し腰痛が出てきたので、メンテナンスのつもりで整体に行きました。治療後は腰の違和感は消えたのですが、普段だったら施術後は手足がぽかぽか温まっているのにその日は冷えがおさまらず、「途中で修復しなくてはいけないところがあると、末端まで行き着く前にエネルギーが消費されてしまうのですよ」と言われて、そんなものかと思いながら帰宅、台所で冷蔵庫の下段を開けた途端ギクッときたのです。一瞬アッと思いましたが、何とかぎっくり腰は免れたようで、そーっと動けば大丈夫のようです。そのままお2人の方のレッスンもでき、翌日は大学へ出講もでき、被災地へ送る荷物の荷造りも発送もでき、県北での出張レッスンも無事にできましたが、身動きするたびにほんの僅かですがぎしぎしっと腰が軋むのが何とも不気味です。昨日は午前中の外出の予定を取りやめ、家でのレッスンだけにして安静に努めました。今日も4人の方のレッスンをしましたが、自宅でレッスンしている分には何とか大丈夫のようです。しかし明日は再試験のため大学へ行かなくてはならないし、午後も外出や仕事の予定があります。仕事大好き人間の私も、こういう時はさすがに「せめて2週間に1日でも完全オフの日があれば...」と思ってしまいますね。
昨年の誕生日前後から、ここ数年忘れていた宿痾の腰痛が時々鎌首をもたげるようになりました。年のせいとは思いたくありませんが、体の変わり目なんでしょうね。思えばオーバーホールに出したピアノも購入以来30年以上が経ち、その間ピアノにとってはあまりよくない環境に置いていたので、それなりに傷んでいます。何だか我がことのようです(笑)。ピアノも人間もメンテナンスが大事、というメッセージでしょうか。

コンサート顛末記

2015年02月04日 | 日記
2月2日、東京文化会館でW先生の門下生の発表会がありました。このコンサート、最初は先生も私たちも内輪の「門下生発表会」のつもりだったのが、二期会が後援して下さるとか、日本声楽発声学会も後援して下さるとか、学会の会長さんがご挨拶を寄せて下さるとか、どんどん話が大きくなっていき、それにつれて先生やお世話係のNさんのご負担も増大していきました。私は遠隔地に住んでいて思うようにお手伝いできないので、パソコンで作業ができるプログラムとプログラムノートの原稿の編集をお引き受けしましたが、これ一つとってもなかなか簡単には進みませんでした。何しろ20名以上の出演者ですから、曲目が差し替えになったり、送られてくる解説文の長さや文体が不統一だったり、パソコン通信がうまくいかず、送信されているのにこちらで受信できなかったり、何やかやと小さなトラブルが頻発するのです。極めつけに、やっと出来上がった原稿が業者さんに届かず、「期日までに納入されていない」と業者さんからNさんへのクレーム。パソコン通信に何らかのトラブルが発生したらしく、Nさんからの連絡を受けて何度も試しましたが悉く不通。仕方なくNさんへ送り、Nさんから転送してもらいました。その後の連絡や校正もNさん経由でとなり、最後の最後で結局Nさんをお煩わせすることになってしまいました。
ちょうどこの時期、私は大学の後期試験問題の作成と来年度のシラバス原稿の締切を抱え、パソコンと格闘の日々となり、お蔭で自分の歌にナーバスになるヒマもありませんでした。毎日一回は通しで歌う、という極めてレベルの低い(?)練習さえかなりの努力を要したのです(笑)。でも、昨年暮に一度本番で歌っている曲でしたし、リートと違って歌詞が少ないので間違える心配もあまりないし(笑)、何より、大好きな曲ですから歌うことが楽しかったのです。
さて、いよいよ当日。お天気は快晴です。初めてお会いする兄弟弟子の皆さんはとても感じのいい親切な方たちばかりで、「プログラムの件、お世話になりました」、「先生からよく伺っていました。お会いするのを楽しみにしていました」と口々に仰るのですぐに打ち解けることができました。午後早くからリハーサルが始まっており、時間通り順調に進んでいましたが、その全てに立ち会って一言ずつアドヴァイスを下さったW先生は、おそらくリハだけでかなりお疲れになっただろうと思います。
実は、東京近郊に住んでいて私の割り当て分のチケットを一括管理してくれていた同郷の親友から、実家のお父様が急逝されたとの報が前日夜に入り、彼女のご両親をよく存じ上げている私は本当に驚きました。彼女も私に連絡するのをためらったようですが、チケットのことがあるのでそうもいかず、気丈にも「父も弱っていたし、介護している母も限界に近かったから、きっと引き取って頂いたんだと思うわ。とにかくあなたはあなたのお仕事をしっかり全うしてちょうだい。」と電話をくれました。こんな時に私のことで手間を取らせることが申し訳なく、何ともいえない気持ちでしたが、このコンサートを心から楽しみにしてくれていた彼女の気持ちに応えるためにも、明日は精一杯心をこめて歌おうと改めて思いました。その友人から取り置きチケットを預かってくれた方が開場前に受付に来られ、中身を確認して受付に並べ、楽屋へ。いよいよコンサートが開まります。
プログラムは日本歌曲からスタートです。伝令さんの「満席ですよ」という声を聞きながら、皆思い思いにストレッチや声出し、化粧、着替えなどをしています。私は前半の最後から2番目。楽屋を出て舞台袖に行くと、私の2番前に歌うNさんが「唾液が全く出なくなっちゃったの」と浮かない顔をしています。相当にお疲れが溜まっているのでしょう。ご自分の体に構う暇もなかったのだと思います。舌のストレッチをお教えし、私の気をあげますから、とNさんの手を握ると「あ、本当に気が来た!」とNさんが驚いています。私も驚きましたが(笑)それは敢えて言わず「そうでしょ、だから大丈夫!ちゃんと歌えますって。頑張って!」と言ってNさんを送り出しました。裏で聴いていると、本当にちゃんと声が出ています。ああよかった!
私の番が来ました。自分が東京文化会館で歌う日が来るなんて思ってもいませんでしたから、舞台に立つと感謝と感動でいっぱいになり、前奏が聴こえてくると、メサイアが歌えることが嬉しくてウキウキしてきました。このホールはよく響きます。ステージから客席があまり見えず、のびのびと歌うことができました。
自分としてはまずまず歌えたような気がして、それなりに納得して楽屋へ戻り、着替えてロビーへ。休憩時間になっており、わざわざ聴きに来てくれた昔懐かしい音楽仲間たちや旧友から「吉田さん、びっくりしたわ~。ソプラノになっちゃったのね」と言われました(笑)。一緒に勉強していた頃の私はアルトでしたから無理もありません(笑)。熊本から聴きに来て下さったYさんともお会いし、「よかったですよ。W先生も「吉田さん、よかったわね」と仰ってましたよ」と言って下さいました。同じく熊本のNさんからもメールが来ており、「先生の歌が一番輝いていました」とのメッセージ。皆さんの応援にともかくもお応えできてよかった、と安堵の気持ちと、後半の出演者の方たちもしっかり本領発揮されますようにと祈る気持ちで客席に座りました。
後半は現役のオペラ歌手たちによるアリアの饗宴です。皆さんそれはそれは素晴らしい歌で、同郷のバリトンT君も若手ながら堂に入った立派な歌い振りで、昔から彼を知っている私は感激を新たにしました。最後にW先生のご挨拶、そして出演者全員とお客様とで「早春賦」を歌ってお開きとなり、友人知人と言葉を交わしてお別れ。W先生は「頭がぼーっとしてきたわ」と仰っていましたが、今頃きっとお疲れが出ていらっしゃるのではないかと思います。
楽屋で同じ音大出身のお2人の女性と仲良くなり、翌日そのお2人とご一緒にランチをして、夕方の飛行機で帰ってきました。一夜明けた今朝は、何だかウラシマハナコになった気分です。W先生はじめ今回のコンサートに関わったすべての方々、聴衆の皆様、いつも応援して下さる読者の皆様に心より感謝申し上げます。本当に有難うございました。