健康発声セミナー第10クール終了

2014年08月31日 | 日記
昨日はセミナー3回目でした。これで第10クール終了です。常連さんや同業の友人、うちの生徒さんやニューフェイスの方も加わり、9名のご参加を頂きました。県境を超えて隣県から参加して下さった方もありました。感謝!
ウェルパルくまもとをお借りしてのセミナーも10回を数えたと思うと、感慨深いものがあります。毎回いろいろな出会いがありましたし、ご参加の皆様の喜んで下さるお顔が何よりの心の支えでもありました。
それと同時に、こうしてささやかでも社会的な実践を積み重ねることができたのはこの会場を借りることができたお蔭でした。カリオペくまもとを立ち上げて以来、さまざまな場所で定期的にセミナーを開講してきましたが、ウェルパルは立地が良く、ご参加の方々にとっても私にとっても大変好都合でした。
さて、「次はいつですか」と複数の方からお尋ねを頂いているのですが、ウェルパルも競合が激しく、なかなかこちらの希望通りに借りられません。借りる手続きもすこぶる煩雑で、アシスタントのSさんの全面的なご協力なしにはとてもスムーズには進まないので、ここらで場所のことを再考せねばと思っています。皆様、よい場所にお心当たりがありましたらどうぞ教えて下さい。条件は使用料無料、交通至便、いつでも使えるの3点(笑)。そんな虫の良い話がそうそうあるはずもありませんが、このうち1つか2つでも満たしている場所があれば...と願っています。

思い出

2014年08月21日 | 日記
このブログに時々コメントを下さっていたドイツ在住のくみさんが、昨夜、ドイツのホスピスでお亡くなりになりました。享年48歳、乳がんでした。
10年ほど前になるでしょうか、くみさんが熊本にお里帰りされている時、たまたまドイツ語関係のお花見会があって、ご主人と一緒に参加されたのが初めての出会いでした。日本を飛び出してドイツ人と結婚し、当時はご主人のお仕事の関係でルーマニアに住んでいて、アマチュアの合唱団に入って歌に目覚めた、と話してくれました。はつらつとした明るい方でした。
その後、ネットサーフィンをしていてたまたま私のブログに行き当たったそうで、よくメールやコメントを下さるようになりました。3年ほど前にお里帰りされた時は子連れでした。子供のできないご夫婦だったので、ベトナム人の女の子を養女にしたのだそうです。そのお子さんをバギーに乗せて一緒に大学のキャンパスを散策しながらゆっくりおしゃべりをしました。その時のことを後日、
緑陰やバギーに眠る異国の児
という俳句に詠んだことを覚えています。
数日後、熊本日独協会の年次総会に飛び込み参加して我が合唱団の歌を聴いて下さり、「私もドイツで合唱をしています。皆さんもどうぞ楽しんで歌い続けて下さい」とメッセージを下さいました。そして、せっかくの機会だからヴォイストレーニングを受けたいとおっしゃるので、ご実家に伺って、くみさん、義理の妹さん、小さな2人の姪御さんの4人にファミリーレッスンを3回ほどさせて頂きました。
その翌年の2月、M先生たちとご一緒にウィーンに演奏旅行に行った時、くみさんはドイツからわざわざウィーンまで会いに来て下さいました。その時は既に病気を発症していて、ストーマを2つ装着していましたが、深刻な病気であることをみじんも感じさせない様子で、私たちの練習に付き合ってくれたり、2人で教会のミサや食事に行ったりしました。
次に会うのはいつかな、と言って別れましたが、その年の9月、私たちのメサイアの集中練習に参加したいとおっしゃって、単身で一時帰国されました。阿蘇での合宿の後、私はかかりつけの整体の先生のところにくみさんをお連れし、M先生も東京で、お知り合いの高名な専門医とくみさんを引き合わせて下さいました。
ドイツに帰られた後のメールのやり取りの中で、病状がだんだん悪化していることを知らされました。もう帰国するのは難しいと言うので、私は夏休みにお見舞いに行くことにしました。ご実家の義理の妹さんもお子さん2人を連れて一緒に行くことになり、9月9日のフライトを4人分予約しました。一日も早く、と思いましたが、いろいろな都合で9月にならないとまとまった時間が取れません。W先生の娘さんのRさんがドイツに住んでいらっしゃるので、Rさんにもくみさんのお友達になって頂けるようお願いしました。Rさんは時々くみさんに電話したり、日本の本を送って下さったりしていました。くみさんが緩和ケアのためホスピスに入られたことを知らせてくれたのもRさんでした。電話してあげた方がいいよ、とくみさんの携帯電話の番号を教えてくれたので、すぐに電話しました。くみさんはとても喜んでくれましたが、残り時間が少なくなっていることを実感した私は、時々電話をして声を聴き、安否確認をしていましたが、電話に出られないこともあり、不安を募らせていました。くみさんのご主人から、もう輸血も効果がなくなり、いつどうなってもおかしくない状況だという電話と頂き、Rさんにそれを伝えると、数日後、Rさんはくみさんに会いに行って下さいました。くみさんがとても喜ばれたので、明日もう一度、ドイツ在住の叔母様と一緒にお見舞いに行って下さるというメールを頂き、昨夜、叔母様にも「くみさんのことをどうぞよろしくお願いします」とメールしたばかりでした。
そして今日の夕方、くみさんのご主人からメールが届きました。くみさんの訃報でした。ご実家に伝えてほしいと書いてあったのですぐに義理の妹さんに電話しましたが、二人とも絶句したまま言葉が出ません。この数ヶ月、ずっとくみさんのことを思って過ごしていたので、最期に会えなかったことが無念でなりません。数日前に電話で「近いうちにRさんがまた叔母様と一緒にお見舞いに行って下さるそうよ。私も先週、素敵な絵本を見つけたのでご自宅に送ったから、気分のいい時に読んでね」と話したのが最後でした。くみさんは「嬉しい、楽しみだわ」と言っていました。最後まで前向きでした。
ヨーロッパと日本をまたにかけてのくみさんとのお付き合いは、不思議な、温かい、楽しいものでした。遠く離れていても、それほど近い間柄でなくても、心が通えばこんなに深い絆ができることに、私はいつも感動していました。人は皆いつかはこの世とさよならしますが、それでもまたいつか会える。私はそう信じていますが、もうこの世にくみさんがいないことを得心するには、しばらく時間がかかるかもしれません。9月には予定通りドイツへ行き、お墓参りをしてこようと思っています。

セミナーにて

2014年08月18日 | 日記
今回の発声セミナーで出た質問について少し考えてみたいと思います。
合唱団に入って歌っている方から、以下のようなご質問を頂きました。
1.以前住んでいた東京で入っていた合唱団では「声は後ろから上へ回して出すように」と教わりましたが、熊本で入った合唱団では「声は前へ出すように」と言われます。その理由は「声を後ろから回して出すとヴィブラートがつくから」。ルネサンスやバロックのア・カペラなどを歌う時にはノン・ヴィブラートでなくてはいけない、従って声は前から出すように、と言われます。このセミナーでは私が以前から習ってきたように「後ろから上へ」と言われますが、どちらが正しい(良い)のでしょうか?
2.座って歌う時の姿勢は、椅子に浅く腰掛けて腰を伸ばす、と教わってきましたが、このセミナーでは「深く腰掛けてしっかりと足で床を踏みしめる」と言われます。どちらが正しいのでしょうか?
最初のご質問は、頭部共鳴の解剖学に基づけば声は「後ろから上へ」と表現する方が適切でしょう。声の共鳴箱である副鼻腔、その中で最も大きい蝶形骨洞に呼気を届け、そこで反響させるには、呼気を垂直に上へ飛ばさなくてはいけません。呼気圧が弱かったり、口の奥が開いていなかったりすると、呼気が蝶形骨洞まで届かず、開口部(口)から抜けていってしまうからです。息が口から抜けてしまったら「息モレ」です。
「声を前へ」の真意は、声の当たり(アンザッツ)を目の間の裏側にある「篩骨」という蜂の巣状の小さな骨に持ってくることだと思われます。蝶形骨洞に入った呼気の振動は隣接する9つの骨に伝導しますが、蝶形骨の前方にある篩骨のところに緊張を作ると、声はそこに集まってきます。篩骨に当たった声は前方に向かって飛び、ふわっと四方八方に響く蝶形骨共鳴がぎゅっと凝縮されて、より密度の高い声になります。ですから、「声を前へ出す」とは、正確には「両目の間や額のあたりを緊張させる」ことであり、そのようにして前に飛ぶ声を出すためにも、口の奥や喉頭蓋をしっかり開いて呼気を垂直に上へ飛ばすことが前提条件です。その説明なしにいきなり「前へ」と言われれば、口から息を吐くことだと誤解してしまっても仕方ありませんよね。
姿勢に関しては、私もセミナーを始めた最初の頃は「重心を真ん中より少し前へ」と言っていました。しかしその後、W先生が太極拳の先生とコラボで発声時の体の状態について観察と研究をなさった結果、重心はかかとへ、そして、後ろへひっくり返りそうになるのを足の指を使ってバランスを取りつつ、内転筋を引き上げて仙骨を立てる、というフォームを教えて下さいました。また、高音を出す時には胸骨を内側へ入れる感じで背筋を開きますが、これは胸を反らす姿勢の反対です。重心を後方へかけ、足の指を使い、腰は伸ばすけれど高音域の時は瞬間的にほんの少し猫背っぽくなる。この形は、従来の「浅く腰掛けて体をまっすぐに」という姿勢とは違いますが、実際に歌ってみると、この方が体が安定し、声が出やすいのです。
合唱の発声も、よほど特殊な曲でない限り声楽発声と全く同じです。合唱も重唱も独唱も同じ声楽というジャンルの中の別の形態に過ぎませんから。この基本認識がもっと浸透するよう、私もセミナーを通じでもっとアピールしていかないといけないと思った次第です。

断捨離完遂!

2014年08月16日 | 日記
お盆休みを作って断捨離に励んだ結果、見事にスッキリした我が家の抽斗と押入れ(笑)。見えないところにギュウギュウに押し込んであったものをほぼすべて処分しました。衣類、写真、テキスト、ノート、プログラム、講義のレジュメに提出物に試験の答案、年賀状、カセットテープ、ビデオテープ、DVD、レコード、アーサー君の筋肉と消化器(もともと骨だけしか組み立ててなかったので、考えれば随分ムダをしたものです)、習字道具、その他諸々。その結果、書棚の抽斗や衣装ケースは相当スッキリしました。残るは本と楽譜の大群。これらは我が家の「目に見えるところ」にあるモノのうち最も品数が多く、従って整理の難しいものたちです。ひと様に差し上げたり、ブックオフにお引き取り頂いたりして約半分から3分の1にまで減らしました。人さまがご覧になってもあまり変化は感じられないかもしれませんが、私には相当減ったように感じられます。
一人分でもこれほどの量なのですから、家族の多いお宅のモノの量には想像を絶するものがありそう。それに、モノのない時代に育った人は「断捨離」という考え方そのものを受け入れ難く感じるかもしれません。うちの父もモノを捨てることに強い抵抗があるらしく、輪ゴム一本、ビニール袋1枚でも取っておきたがります。しかし、不要なものを所有することは「不偸盗戒」(盗んではならない、という戒律)に抵触するという仏教思想もあることだし、モノへの執着を断ち、足るを知って生きることは悟りにもつながると私は信じております(笑)。
そういうわけで、おかたづけを中心としたお盆休みを終え、今日からまた仕事でした。本日は健康発声セミナー第10クールの2回目。この時期は参加者が少ないだろうと思っていましたが、前半5名、後半6名の方が参加して下さり、合唱や声楽をやっている方もいらして質問も活発。後半は懐かしの「森へ行きましょう」を教材にして、口の奥の開け方、上あごの上げ方、足腰の使い方などをしっかり実習し、素敵な部分2部合唱ができあがりました。今回も皆さんとても喜んで下さって、充実の2時間でしたが、終了後はいつもの如くかなり疲れました。毎回思いますが、セミナーは体力勝負です。今回の連続セミナーもあと1回で終わりますが、夏の疲れを溜めないよう心して最終回を迎えたいと思います。

コンサート雑感

2014年08月10日 | 日記
先日、小学生の姪と幼稚園児の甥を連れてキッズ対象の小さなコンサートに出かけました。主催者はベルギー在住の声楽家Mさんで、小学生のお子さん連れで一時帰国中につき8月中にご実家で何回かサロンコンサートをなさる由。Mさんは中学、高校の先輩で、昔から何かとお世話になってきました。お若い頃から眩しいばかりに才能豊かで知的な方でしたが、Mさんの魅力はむしろ謙虚で親切で繊細かつ豪胆なお人柄にあります。今回のコンサートも、その才覚と実力とお人柄がにじみ出た素敵なプログラミングでした。子供にもわかりやすい日本語の小品と、伴奏者(この方もMさんや私の中高の先輩にあたります)のお嬢さんのピアノソロ、そして谷川俊太郎の「ほうすけのひよこ」という絵本に林光が作曲した音楽物語。これはさながらMさんの独壇場とも言うべき見事なオンステージで、子供も大人も皆完全に入り込んでしまいました。Mさんの卓越した表現力とその吸引力には毎回唸らされます。また、大学生のアマチュアピアニストNさんの目の覚めるような「リゴレット・パラフレーズ」も子供たちを釘づけにしていました。音大には行かず、大学では法律の勉強をしているとか。可愛らしい小柄なお嬢さんでしたが、見かけによらずダイナミックな見事な演奏で、うちの甥など「ぼく、あの人が一番好き」なんて言っていました(笑)。
Mさんは私より1歳年上です。歌を聴きながら、演奏やたたずまいに色濃く表れる「生きる姿勢」のようなものについて思いを巡らしました。人間、50年も生きれば、大抵の事柄に「自分なりのスタンス」というものを持っているものです。演奏にはそれが如実に表れるものだな、と。選曲、プログラミング、衣装、トーク、そして聴衆と作品と演奏者の相乗作用としての場の雰囲気。その中にひととき身を置くことが、聴衆にとってリフレッシュ体験となったり、何らかの刺激となったり、ともかく「明日へ向かう活力源」となり得るかどうかは、やはり演奏者の普段の生き方次第なのではなかろうか、と。演奏家の場合、日常の中に「たゆまぬトレーニング」という必要不可欠な要素があり、それに加えて子育てや介護を含む家庭生活の要素、あるいは職業人、社会人としての要素があるわけです。演奏自体の良し悪しは基本的には技術的なトレーニングの成否の問題で、歌は特にストレートに「波動」が聴衆に届くので、発声の技術が確かで音楽的表現力に富んでいれば聴衆をかなり元気にすることができます。しかし、それに加えてもっと別の作用力を内包していればいるほど、「明日に向かう活力源」、つまり「感動」がより深く強くなる、と思うのです。年齢を重ねることのメリットはそこにあるのでしょう。無論、確かな技術力は常に必須要件ですが。
今日聴いたユースオーケストラの演奏は、溌剌とした若さの漲る好演でした。メインはベートーヴェンの第九でしたが、(おそらくは意図的に)テンポが速めに設定され、うねるようなロマンチシズムの代わりにきびきびとした推進力が全面に出ていました。あれまーこんなに走っちゃって...と内心思いましたが、このオケの特質を引き出すために指揮者が敢えて設定したテンポなのでしょうね。立ち見が出るほどの大入り満員で、私は1階の一番後ろの通路でパイプ椅子に座って聴きましたが、オケだけでなくソロも合唱もよく聴こえてきました。これぞ健康的な演奏とでも言うべきでしょう。ゲーテはロマンティシズムを「病的」と評しましたが(笑)。