構音の位置

2014年10月29日 | 日記
構音とは上あごや舌や唇などを使って母音や子音を作ることですが、これは体(筋肉)の使い方と密接に関係しています。少し前のコメント欄に「イ」や「エ」の母音を発声する時の舌の位置についてのお尋ねがありましたが、これも構音の問題ですね。
このところ、生徒さんたちのレッスンで構音の位置をしっかり認識することに取り組んでいます。まず、舌先で上あごをなぞって軟口蓋の位置を確認します。次にその軟口蓋をできるだけ高く挙げてドーム型にし、その下に広い空間を作ってそこで「ア」の母音を発音します。あくびの途中から「アー」という声を出す要領です。あくびの時は吸気筋が働いているので体は外側に広がります。その体の動きをそのまま続けながら声を出すのです。この時の構音点は、普段日本語を喋っている時の「ア」よりかなり奥です。それを確認し、「エ」、「イ」、「オ」、「ウ」と続けて同じ場所で発声します。その際、なるべく軟口蓋を高く拳上したまま母音を変えていきます。「エ」と「イ」では口角を横へ広げず、なるべく「ア」の時と同じ口形で、舌が少し持ち上がり、前へ出てくるように意識します。「オ」と「ウ」では舌は下がりますが、それにつられて口の奥が狭くならないよう気を付けます。
母音をこの位置で発音すると、自然と体が外側へ広がり、横隔膜が動き出します。これだけでフーッとため息をつく人もいるほど筋力が要ります(私たちが普段喋っている日本語は口先で発音するので、横隔膜を全然使わないのです)。
次に子音ですが、まず、母音の構音点から一番遠い唇を構音点とするp,b, mに5つの母音を組み合わせます。最初に西瓜の種を飛ばす要領でpだけを無声(母音なし)で発音してみてから、pとaを組み合わせて「パー」と発音しますが、aのアンザッツ(声の当たる場所)は軟口蓋ですから、pを唇で発音した後すぐに軟口蓋を拳上してaを発音します。構音点の異なる2つの音声を連続して発音するわけです。pからaに移行する時、pの時の体の緊張が緩むと息が口先から流れ出てしまうので、体をしっかり使ったままaへ移ります。この要領でパー、ペー、ピー、ポー、プーと母音を変えます。続いてバ行、マ行。bよりp、pよりmと体の負荷は軽くなりますが、破裂音がちゃんと出るよう気を付けます。
次はサ行とザ行。閉じた前歯の間をこじ開けて息が出るので、かなり体に負荷がかかります。この歯擦音から母音に移る時は子音を破裂させず、引きずるようにして母音に接続します。
その次は前歯の裏と舌先で構音するt,d,l、すなわちタ行、ダ行、ラ行です。これらの子音は普段の日本語では硬口蓋で構音しますが、歌の時は舌先で前歯を前方に押しやるようにして子音を発音し、母音に接続します。
最後にカ行とガ行。これは構音点が軟口蓋なので、母音の場所と同じです。舌背が軟口蓋をはじく時、下あごに力を入れないように気を付けて、軟口蓋をじゅうぶんに拳上して母音につなぎます。
日本語に無い子音としてvとfがありますが、これは下唇と上の前歯で構音します。これも相当に体力を要する発音です。
この練習の後で、構音の位置を意識しながら短い文章や歌の歌詞を読み上げたり、歌詞のついた歌を歌ったりすると、必要十分な体の筋肉が使えているのに気づき、発音(構音)と発声の関係を体感できます。どうぞお試しを。

校内合唱コンクール

2014年10月17日 | 日記
今日は中1の姪が通う中学校の校内合唱コンクールの日でした。午前中の仕事が終わってそのまま会場の県立劇場に直行し、午後のひと時を中学生の歌声に浸って過ごしました。今時の合唱曲はリズムもハーモニーもメロディも複雑で、中学生がよくこんな難しい歌を歌うなあと感心します。姪はアルトなので「ソプラノと合わせると音がわからなくなる」と言いながら家でも一生懸命練習していました。先日レッスンしたコーラス部3人組もこの中学校の生徒さんです。
ヴォイストレーナーの悲しい性で、歌を聴くと反射的に発声上の問題点に意識が向くので、こういう機会にははアラではなく良さを探しながら聴くよう努めます。コンサートホールいっぱいに響き渡る中学生の若々しい歌声は、声というより生命力やエネルギーの発露と呼ぶ方がふさわしく、聴いているこちらが元気をもらえますし、1年生、2年生、3年生と学年が上がるにつれて声も表現も成熟していくのがわかり、自分もいつまでも成長し続けなくては、という気持ちにもなれます。中学生っていいなあ。ふと、だいぶ昔に音大時代の哲学の先生から頂いたお手紙の一節に「教員の中でももっともやりがいのあるのは中学校の先生という気がします」とあったのを思い出しました。
そんな感じで、午前中の仕事で少々疲れていたこともあって、ちょっとうとうとしながら聴いていたのですが、3年生の最後のクラスの自由曲「ひとつの朝」の出だしが耳に入った途端、突然ぼろぼろっと涙がこぼれ落ちました。少なからず動揺して周りを見回すと、皆さん落ち着いて熱心に耳を傾けていらっしゃいます。これは一体どうしたことか、と気を取り直して振り返ってみました。
この「ひとつの朝」という曲は昭和53年、NHK学校音楽コンクール高校の部の課題曲として世に出ました。当時中2だった私は、市民会館ホールで行われたNコンの県大会で初めてこの曲を聴いて感動し、中3の先輩と「今年の高校の課題曲、すっごくいい曲ですね~」と話しながら帰ったことを今でも鮮明に覚えています。以来数えきれないほど何度もこの曲を聴いてきましたが、いつ聴いても感動します。ですから今日も、前奏が始まった時点で「ああ、「ひとつの朝」だ!」とぱっちり目をさまし、期待を持って耳を傾けたことは事実です。しかし、歌の出だしの「今、目の前にひとつの朝...」という男声のユニゾンが耳に入った途端に生じた涙の洪水は、歌詞やメロディに反応したのではなく、純粋に音響的な感動だったような気がします。というのも、その後女声がハミングで重なってきて混声のハーモニーになると涙は一旦止まったのです。そしてしばらくして「あのノアたちのように」と男声だけになるところで、またぐっとこみあげてきたのです。その後も同じような経過をたどり、最後の「広がる自由を求めて」という全パートで歌い上げる高らかなフィナーレに至った時はもう冷静さを取り戻していました。つまり、男声だけの部分になると涙が湧出する、という経過だったわけなのです。その部分は中学生の男子にとっては低めの音域ですが、往々にしてありがちな押しつぶしたような苦しい感じは全くなく、深々とよく響く声でした。その後に出てくる、少し高めの音域で伸ばす音は少し詰まった感じがしましたから、発声に少々ムラがあったわけです。しかしともかく、そのバリトンの音域の響きの良さに反応して私は我知らず泣いてしまったようなのです。
後でよく思い返してみると、このクラスでは、課題曲の「流浪の民」のバリトンソロを担当した男子生徒がずば抜けて大人っぽい深い響きの声を出していました(そこでハッと目が覚めましたから)。「ひとつの朝」の男声部分もその生徒さんの声が核になって響いていたような気がします。実はその男子生徒は、先日レッスンした3人組のうちの一人だったのです。レッスンの時はメンタルブロックがかかってなかなか思うように声が出せないでいましたが、自分の担当部分のソロだけはしっかり歌いたいという一念で一瞬素晴らしく良い響きが出たことは前回書きました。あの響きを今日コンサートホールの舞台でも出せたのですね。そして、良い波動を持つ良い響きが私の心に直接飛び込んできてゆさぶりをかけたのです。声って本当に素晴らしい楽器です。K君、感動をありがとう!

メンタルブロック

2014年10月14日 | 日記
昨日、中学生3人のグループレッスンをしました。中1女子、中2女子、中3男子の3人組で、皆同じ中学校のコーラス部員です。
W先生は「子供も大人も発声のメソッドは全く同じ」と仰るので、小中学校のコーラス部のヴォイトレに呼ばれた時も私はいつも大人と全く同じようにレクチャーをし(もちろん表現は噛み砕き、なるべく難しい言葉は使わないようにしますが)、同じようにエクササイズをしますが、思春期特有の自意識のせいか、なかなか思い切って声を出せない生徒さんが必ずいます。それも、歌以前の「大声で笑う」とか「おおあくびをする」という一番基本的なところで引っ掛かるのですね。集団でのレッスンの場合はムードメーカーのようなお子さんが必ずいて、お蔭で全体としては何とか良い方向に流れていきますが、これが少人数になると羞恥心がもろに出てきてうまくいかないことがあります。昨日も中3の男の子がそうでした。本人自身それに気づいているようなので、私も敢えて無理強いはせず「自分のお部屋で一人っきりになった時にやってごらんなさい」と言いましたが、校内合唱コンクールを控えて焦りもあるようで、何とかうまくなりたいという気持ちは強いのです。彼はバリトンですが、高音域でミックスヴォイスがうまく使えず嗄声になってしまったそうです。
3人の共通点は「筋肉が弱い」ことです。腰筋、背筋、腹筋が弱いので肋骨と骨盤の間を広く保つことができず、つまり横隔膜を下げた状態に保つことができず、下行音型になるとウエストがしゅーんとしぼんで声が口から洩れる、つまり息モレ状態になるのです。それを自覚させ、あくびや笑いでウェストが外側へ広がった状態を保てるようにすることが必要です。これにはゴムバンドのような補助道具がないと少々難しいかもしれません。昨日は小道具類を何も持って行かなかったので、次回はセラバンドやトランペットのマウスピースを使ったエクササイズをやりたいと思います。
若くて特に病気でもないのに筋肉が弱い人(かつての私もそうでした)には、メンタルブロック、つまり心理的な拒否反応が強い人が多いようです(かつての私もそうでした)。心身一如と言いますが、身体反応が鈍いということと、心が刺激を受け入れないということの間には相関性があるように思えます。要因は様々あるでしょうが、これは、本人さえその気になれば必ず克服できると私は思います(自分の体験から)。義務感や外からの強制はますます殻を硬くしてしまうばかりです。メンタルブロックがかかっていても、ともかく歌が好きなのですから脈は大ありです。私にできることと言えば、私自身が弾けた姿を晒しつつ、気を長ーくして待つことだけです。
昨日も「何とかこの部分だけはうまく歌いたい」という本人の切なる願いがこの殻を一瞬破ってくれて、素晴らしく良い響きを聞かせてくれました。彼はきっと自室で密かに大笑いやあくびの練習に励んでくれるに違いありません。

旅の後で

2014年10月11日 | 日記
帰国後すぐにウルフとイヴォンヌから、写真が添付されたメールが来ました。すぐに返事を書き、エマにも感謝をこめてメールを書きました。ウルフからは折り返し「リュートの伴奏が必要な時はいつでも言ってくれ。飛んで行くから。本気だよ」という返事が来ました。エマからも心のこもったお返事を頂き、改めて感激。
数日前、ハンニとホルストから預かったエリカちゃんとくみさんの写真や、埋葬式での感動的な弔辞を翻訳したもの、くみさんの遺品などを携えてくみさんのご実家に伺い、埋葬式や祈祷式の様子をお父様と義妹のEさんにお伝えしました。お父様は「くみがあちらでたくさんのお友達に愛され、その方たちに見送って頂けたことがわかってよかったです。有難うございました」と安心したように仰って下さいました。エリカちゃんの写真を見て「随分大きくなりましたな」と顔をほころばせていらしたのが印象的でした。今後もエリカちゃんとご実家の橋渡しとして多少なりともお役に立たせて頂ければ、くみさんもきっと喜んでくれるでしょう。
フビイからも何度かメールが来ました。くみさんを失った寂しさや、エリカちゃんとの生活の様子がこまごまと綴られている文章を読んで、フビイにとってくみさんがどれほど大切な存在であったかがひしひしと伝わってきました。ある日フビイが「くみの日本人のペンフレンドたちに訃報を伝えたいので、日本語で書かれている名前と住所の読み方を教えてほしい」と手紙の差出人の住所と名前をスキャンしたものを添付してきたのですが、何とその中に俳句仲間のN先生のお名前がありました。N先生とくみさんがつながっていたなんて思いもしなかったので、驚いてすぐにN先生にメールをしたところ、「くみさんは私の最初のゼミ生で、非常に印象深い学生でした。卒業後もずっと手紙のやりとりをしていて、ドイツで結婚したことも、合唱をやっていることも、病気のことも全部知らせてくれていました。私の退官の時は、何とウズベキスタンからわざわざ最終講義のために帰国してくれて感激したものです。くみさんのことは家内もよく知っているのです。亡くなったなんて信じられません。詳しい話を聞きたいのでお会いしたい」というお返事が来ました。数日後にお会いして1時間ほどお話してきましたが、N先生がくみさんのご実家の住所から卒業後のくみさんの軌跡まで克明に正確に語られるお姿を目の当たりにして、何十年も経った今でも当時の研究室の先生の記憶にこれほど鮮やかに残っているくみさんの存在感の大きさに圧倒される思いでした。早速フビイにも伝えたところ、「学生時代のくみのことを知ることができて嬉しい。くみは日本でのことをほとんど話さなかったから。本当に有難う」という返事が来ました。
もうすぐエリカちゃんの4歳の誕生日です。奇しくも私の姪と同じ誕生日なのです。これも何かのご縁でしょうか。

さて、ようやく時差ボケもなおり、いつものように忙しくも充実した毎日に戻っています。先日ウラからメールが来て、「Rikaと知り合うまでは日本のことをほとんど知らなかったので、ウィキペディアでいろいろ調べてみたら、日本人は会社勤めの人でも休暇を消化しない人が多いって書いてあってびっくりしたわ。休んだら仕事が滞って同僚に迷惑をかけるから、という理由だそうだけど。あなたもたくさんの仕事をしているから休む暇がないと言っていたけど、そんな生活は「非常に」ストレスフルだと私は思うわ!」と「非常に」のところを強調してありました(笑)。確かにね。ドイツでの講習会が早くも夢のような気がしています。仕事はますます増える一方ですが、自由業の身には本当に有難いことです。感謝しつつ、無理をしないように頑張りたいと思います。

旅日記(9)

2014年10月08日 | 日記
翌日は講習会最終日でした。私は飛行機の関係で午前中のレッスンが終わったら退出するので、朝食時に皆にそのことを伝え、記念に一人一人の名前を漢字で書いて渡しました。エマは恵麻、ウルフは宇瑠布、ロベルトは炉辺留戸、ザビーネは沙美音、マクダレーナは真久打礼菜、オクサナは奥佐奈、ゲザは偈座、フランクは普覧供、ラウリンは羅宇林、ハイドルンは葉衣土論、イヴォンヌは伊盆奴、テレーズは手玲寿、パウルは波卯留。できるだけ同じ字を使わないようにして、漢字の右側にはカタカナも書き添えました。皆興味津々で「この字はどういう意味?」と訊いてきます。なるべく良い意味を持つ文字を使うようにしましたが、イヴォンヌの「ヌ」なんて漢字はなかなかありませんし、ゲザに至っては必死で絞り出した苦肉の策です。音によっては複数の文字があることも伝え、汗をかきながら一生懸命説明しました。皆喜んでくれたようでした。
午前中のレッスンは、最初に私たちのトリオをみて下さることになりましたが、ゲザもザビーネも昨日の午後どこかに雲隠れしていて、合わせの練習を一度もしていないのです。ままよとぶっつけ本番で歌いましたが、どうやら2人はほとんど初見らしく、途中あちこちで小さな事故が起き、伴奏のウルフまでパニックになっています。エマは「トリオは難しいわよね」と言いながら例の如く根気よく付き合ってくれました。なかなか形になりませんが素敵な曲です。アンサンブルはバランスが大事。ノン・ヴィブラートで、ボリュームに配慮しながら、ハーモニーをよく聴き合いながら、ウルフのリュートもよく聴いてテンポが走ったりずれたりしないよう気を付けます。あまりサマにはならなかったと思いますが、どうやらそれらしい雰囲気が出てきたところでレッスンは終わりました。次のラウリンたちのデュエットが終わったところで、午前中で帰るラウリンと私は皆にさようならを言って退出。ラウリンが「駅まで一緒にタクシーで行こうよ」と言うので、事務所でタクシーを呼んでもらって一緒に乗り込みました。ラウリンはまだ学生ですが、すごく美声で、また毎日よく練習していました。明るい性格で、若いこともあって女性軍団に可愛がられていました。お母さんがアメリカ人なので英独バイリンガルです。彼が「エマはいい先生だったね」と言うので、私も「ええ、私、今まで何回かドイツやオーストリアで講習会に参加したけど、エマが一番良かったわ」と応えました。「大学の冬学期はいつから始まるの?」と訊くと、「一応10月からになってるけど、どうせ本格的に始まるのは11月だろ。僕はこれからライプツィヒに行って、ちょっとしたオーディションを受けたりしてしばらく滞在する予定なんだ」と言っていました。そしてオスナブリュックの駅で彼と別れ、デュッセルドルフ空港に向かいました。
今回の旅では、私の乗った(乗るつもりだった)列車はとうとう一本も定刻には来ませんでした(-_-;)。ドイツの列車のダイヤは以前から当てになりませんでしたが、この日も私の乗る予定の列車が40分遅れるというアナウンスがあり、それでは接続がうまくいきません。幸い少し早めに着いたので、一本早い便に乗って空港へ向かいました。その後は順調で、空港でゆっくりお土産を買っていざ出発。アムステルダムと台北でのトランジットを経て無事福岡空港に到着。新幹線で熊本へ。自宅に着いたのは夜の12時近くでした。
10日間に亘るドイツへの一人旅はこれにて終了致しました。長い旅日記にお付き合い頂き、有難うございました。