演奏家の使命

2018年02月24日 | 日記
礒山先生の訃報以来、なかなか動揺が収まりません。もう更新されることのないブログについアクセスしては、新たな涙を流しています。
眠れぬままにネットサーフィンをしていると、国立音大のウェブサイトの「音楽徒然草」というコーナーに、だいぶ前に礒山先生がお書きになったエッセイが掲載されているのを発見しました。私の大好きなディヌ・リパッティのことが書いてあり、さらに、私がずっと思っていたことが非常にわかりやすい表現でつづられていました。

ルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティの伝記を読みました。天才を謳われ、透明度の高い演奏で世界を魅了したこのピアニストが一種の白血病により33歳で世を去ったのは、皆様ご承知の通りです。
その伝記の中で印象に残ったのは、リパッティが生涯を通じて音楽に「仕える」という姿勢を保ち続けたことでした。音楽を尊敬すべき高いものとみなし、その真髄に一歩でも近づくために献身すること。リパッティと彼を支えた人たちは、それを当然のこととみなしていたようです。
こういう考え方こそ音楽への原動力であるべきだと、私は確信しています。いつからか、私は「音楽には神様がいる」と思うようになりました。音楽の神様に喜んでいただくことが音楽の目的であり、だからこそ音楽を愛する人たちは、寝食を忘れ利害は二の次にして、音楽に励むのではないか・・・。気は確かかとおっしゃる方もおありでしょう。しかしそう考えるようになってから、私は音楽の世界を、自然に見通せるようになってきたのです。
近代社会の常識になってきた「人間第一主義」は、人間を超える者へのまなざしの下で、反省されなくてはなりません。たとえば演奏家は、自己顕示を謹んで、作品に、さらには音楽に、献身しなくてはならないと思います。コンサートの帰りに「今日のソリストはうまかったなあ」「すごい歌い手だったね」という会話がかわされるのは、まだ途上。「モーツァルトっていいなあ」「音楽って本当にすばらしいね」という会話がかわされるのが、究極の形なのです。みなが一つになって「音楽に仕える」ときに、人知を超えた楽興の時は実現します。

演奏家は、自己顕示を謹んで、作品に、さらには音楽に、献身しなくてはならない。この一文、礒山先生の思い出とともに、生涯の座右の銘としたいと思います。

訃報

2018年02月22日 | 日記
衝撃的な訃報です。
国立音大招聘教授の礒山雅先生が、本日お亡くなりになったとのこと。
礒山先生のブログを愛読している私は、最後の更新から随分間が空いていることに一抹の不安を覚えていました。事故に遭われたという噂もちらっと聞きましたが...
今朝、何となく気持ちが晴れず、旧友から来た久し振りのメールに返信しながら不意に涙がこぼれて、我ながら不審に思っていたのです。
私、こういう感じで人が亡くなるのがわかる時があるのです。突然気分が沈んで、私、どうしたんだろう?と思っていると、思わぬ訃報が飛び込んでくる、という経験を何度かしました。
先ほど帰宅して、いつものように礒山先生のブログにアクセスしたら...
言葉がありません。
礒山先生の授業を受けられたことは、国立音大で学んだ4年間の最大の幸せのひとつです。
今は、心より感謝をお捧げしつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。

合唱団の発声訓練

2018年02月14日 | 日記
県北にお住まいのNさんの依頼で、Nさんが指導していらっしゃる、中高年の女声合唱団のヴォイトレに行ってきました。「音大を出た人は一人もいないんです」とのことですが、Nさんのご指導よろしきを得て、かなりよく歌われる合唱団でした。まず雰囲気が素晴らしい。反応が良く、ノリが良いのです。質問も出るし、ちょっと一人で歌ってみて下さい、という注文にも臆せず応じられる。合唱団はこうでなくてはね。代表の方が「歌は本当に素晴らしいですね」と仰ったのが印象的でした。音大出の人なんかいなくても、歌を愛する心がひとつになれば、歌うことを心から楽しめて、聴く方にも喜びが伝わるような合唱ができます。
ただし、この「ひとつになる」が案外と難題です。歌が好きな人が集まって一緒に歌うのだから、当然心ひとつに歌えそうなものですが、人のことはお構いなしに自分の歌に酔っている、というケースもよくありますし(笑)、人の欠点が気になって歌に集中できない、という人がいるかと思えば、逆に自分に自信がもてず、のびのび歌えないという人も。合唱は複数の人と一緒にやるのですから、やはり最低限の知識とメソッドは共有しておく必要があります。それができていれば、練習すればするほどうまくなるので、歌う喜びもどんどん増していきます。練習すればするほど苦しくなる、だから練習に行きたくなくなっちゃうんです、という訴えを過去にたくさん見聞きしましたが、発声の方向が全体でシェアされていないことも原因の一端ではないかという気がします。発声は一朝一夕には身につきませんが、少なくとも、個々の人が抱えている発声上の問題の解決の方向を、本人もまわりの人もちゃんとわかっていて、それを少しずつ克服していく間、お互いがカバーしあえることが大切だと思うのです。
今日も、「ロングトーンで息が続かないんです」と仰る方があり、その方にロングトーンをやってみてもらったところ、横隔膜を支える補助呼気筋群の筋力が弱いことがわかりました。下がった横隔膜がすぐに上がってしまう、つまり肺に取り込んだ吸気がさっさと出て行ってしまうのです。呼気圧が弱いので呼気が蝶形骨まで届かず、口から息漏れするせいで、少し息っぽい声になっています。補助呼気筋群はインナーマッスルなので、片方の膝を曲げて直角に足を上げた状態で小さなフレーズを歌ってみる、というような、それほど極端でない負荷のかけ方で気長にトレーニングしていくと、だんだん息漏れもなくなり、ブレスも長くなっていきます。トランペットのマウスピースを吹くのもとても効果的です。この方も、呼気を強く高速にする練習を繰り返すうちに、息漏れがなくなっていい響きになりました。
また、「歌うと喉に力が入ってしまうんです」という方もいました。その方の場合は、下あごに力が入っているため喉にも力が入ってしまう、という状態でした。舌根も硬いようだったので、リップロールで顎の力を抜き、舌のストレッチで舌根をゆるめると、すごくラクそうな声が出るようになりました。
歌いながら体が揺れる方が多かったので、例によって立ったり座ったりを繰り返してニュートラルな立ち姿を確認し、歌っている時の体の状態に意識を向けて頂くと、体の揺れは落ち着きました。昔は「お腹に力を入れて歌え」などとよく言われたものですが、あごや舌根の力が抜け、口の奥(口蓋垂の裏側)がよく開いていて、呼気のスピードが速ければ、お腹に力を入れるまでもなく、自然とお腹に負荷がかかってくるものです。無論、お腹だけでなく背面や足腰にも。その全体としてのバランスがとれていれば、体はそんなに不自然には動きません。
初回ですから、あまりたくさんのことはできませんでしたが、皆さんとても喜んで下さり、「また来て下さい」と言って下さいました。私もまた是非伺いたいと思っています。