若い頃ひとかたならぬお世話になった叔母が、一昨日、静かに息を引き取りました。享年71歳。長い闘病の末の安らかな最期でした。
父の義妹にあたるこの叔母は、とても愛情深い人で、私も小さい頃から可愛がってもらいました。叔母の夫である私の叔父は、姉、兄、弟、妹と上下に2人ずつの兄弟姉妹を持つ次男ですが、「お家の事情」で本家を継いだため、叔母は色々な意味で苦労の絶えない人生を送りました。しかし、いつも穏やかで明るく、嫁ぎ先の係累はもとより、ご縁のあるすべての方を大切にし、いつでも優しく温かく心を尽くして人をもてなしていました。人の話にじっと耳を傾け、慰めたり励ましたり、一緒に泣いたり笑ったり、そして、普段は控えめでも、必要とあらば決然と行動を起こす。そういう人柄ですから、誰もが叔母を慕い、頼りにしていました。大変に信心深い人でもありました。あの驚嘆に値する謙虚さと共感力と献身性、そして、現実を直視しつつ、希望をもって逞しく未来を切り拓いていく積極性は、生来の徳性に加えて、信仰の賜物でもあったのでしょう。
私にとって叔母は、その姿に多くを教えられ、無言のうちに人生の指針を示してくれる人でした。自分を導き、育ててくれた方たちが一人ずつこの世を去っていくこの頃、今度はそのご恩を若い人々にお返しする番になっているのに、未だに甚だ心許ない我が身です。
心残りなのは、叔母に私の歌を聴いてもらう機会がなかったこと。私がリサイタルをするようになった頃、叔母は体がきかなくなり、遠出ができなくなっていたのです。もう叔母に聴いてもらうことは叶いませんが、聴いて下さる方々に叔母の分まで楽しんで頂くつもりで、精進を重ねたいと思います。
苦労に磨かれた人ならではの光を放ちつつ、その苦労で体を虐げてしまった叔母。1週間ほど前、もう目を開く力さえ無いのに、見舞いに訪れたうちの父に「今日は有難うございました。気を付けて帰って下さいね」と、最後の力を振り絞って感謝と労いの言葉をかけてくれたそうです。いまわの際にあってなお、見事なお手本を残してくれました。今はただ、心からの感謝を捧げつつ、冥福を祈りたいと思います。
父の義妹にあたるこの叔母は、とても愛情深い人で、私も小さい頃から可愛がってもらいました。叔母の夫である私の叔父は、姉、兄、弟、妹と上下に2人ずつの兄弟姉妹を持つ次男ですが、「お家の事情」で本家を継いだため、叔母は色々な意味で苦労の絶えない人生を送りました。しかし、いつも穏やかで明るく、嫁ぎ先の係累はもとより、ご縁のあるすべての方を大切にし、いつでも優しく温かく心を尽くして人をもてなしていました。人の話にじっと耳を傾け、慰めたり励ましたり、一緒に泣いたり笑ったり、そして、普段は控えめでも、必要とあらば決然と行動を起こす。そういう人柄ですから、誰もが叔母を慕い、頼りにしていました。大変に信心深い人でもありました。あの驚嘆に値する謙虚さと共感力と献身性、そして、現実を直視しつつ、希望をもって逞しく未来を切り拓いていく積極性は、生来の徳性に加えて、信仰の賜物でもあったのでしょう。
私にとって叔母は、その姿に多くを教えられ、無言のうちに人生の指針を示してくれる人でした。自分を導き、育ててくれた方たちが一人ずつこの世を去っていくこの頃、今度はそのご恩を若い人々にお返しする番になっているのに、未だに甚だ心許ない我が身です。
心残りなのは、叔母に私の歌を聴いてもらう機会がなかったこと。私がリサイタルをするようになった頃、叔母は体がきかなくなり、遠出ができなくなっていたのです。もう叔母に聴いてもらうことは叶いませんが、聴いて下さる方々に叔母の分まで楽しんで頂くつもりで、精進を重ねたいと思います。
苦労に磨かれた人ならではの光を放ちつつ、その苦労で体を虐げてしまった叔母。1週間ほど前、もう目を開く力さえ無いのに、見舞いに訪れたうちの父に「今日は有難うございました。気を付けて帰って下さいね」と、最後の力を振り絞って感謝と労いの言葉をかけてくれたそうです。いまわの際にあってなお、見事なお手本を残してくれました。今はただ、心からの感謝を捧げつつ、冥福を祈りたいと思います。