ドイツの作曲家、ロベルト・シューマンの108回目の命日にあたる今日、近所の禅宗のお寺で「シューマン忌」が行われました。シューマンを偲ぶとともに、熊本地震から1年余を経て、心の再建の一助となれば、との思いで企画されたものです。
それでは、今日の顛末を実況中継したいと思います(笑)。
まず、10:57に鐘が鳴りました。そして11:00から、本尊である薬師瑠璃光如来の本願功徳経の読経があり、その後「音の供養」ということで、ご住職がピアノの88鍵を1音ずつすべて鳴らし(正確に言えば、白鍵を一番低い音から順に一番上まで鳴らし、今度は黒鍵を高音から低音に向かって一音ずつ鳴らしていかれました)、最後に、K町から来られたご住職様が虚鐸(尺八のような楽器)を演奏されました。ここまでで約10分です。引き続き、ピアニストのUさんによる「トロイメライ」の演奏。ピアノは昨日のうちにご内陣に出して調律を済ませてあり、先日の打ち合わせの時と違って鍵盤のムラも調性されていたようで、絶品のトロイメライでした。Uさんが退場されるのと入れ替わりに私がご内陣に登場し、お話をスタート。シューマンの生い立ちから、ライプツィヒ大学で法律を学ぶ傍らピアノ修業に励んだ話、ピアノ教師ヴィークの娘で天才ピアニストのクララの話、文才があり、音楽評論家としても活躍し、同い年のショパンを絶賛する記事を書いた話までで一区切りして、「謝肉祭」というピアノ組曲の中の「ショパン」という曲(ショパンのノクターン風の小品)をピアニストのYさんに弾いて頂きました。
そして、ヴィークの娘クララと恋仲になり、ヴィークの怒りを買ったという話をしているあたりで、突然若い女性が大声を上げながら本堂に闖入してきました。どうも裏方の手伝いをしてくれていた若い男性の恋人らしく、彼が一ヵ月ほど無断で行方をくらませた挙句、今日ここにいるということをラインで知って激怒してとっつかまえに来た、ということのようです。一同あっけにとられて茫然。ご住職が2人を外へ連れ出してくれましたが、どんどんボルテージが上がっているようで、怒声とともに彼女が彼を張り飛ばす音が聞こえてきます(-_-;)やれやれ、いつの時代も恋のもつれは厄介です。
ここで5分以上のロスが出ましたが、気を取り直して話を先に進めました。シューマンとクララの恋はとうとうヴィークを相手取っての法廷闘争に及びますが、1840年、晴れて勝訴した2人は、クララの21歳の誕生日の前日に結婚式を挙げます。この年、シューマンは、それまであまり興味のなかった歌曲の作曲に目覚め、何と120曲以上もの歌曲を書いています。結婚式の前日にクララに捧げた歌曲集「ミルテの花」から、第1曲目の「献呈」をソプラノのSさんが、続いて第3曲「胡桃の木」を私が、それぞれYさんの伴奏で歌いました。
続いて連作歌曲の話をしました。シューマンは、複数の曲を一つのコンセプトでまとめた歌曲集をいくつか書いています。ストーリー性が明確な「女の愛と生涯」や「詩人の恋」、また、個々の曲どうしにあまり連関性のない「リーダークライス」など。その中で、アイヒェンドルフの12編の詩による「リーダークライス」(「歌の環」という意味です)に収められている「月の光」という曲は、シューマンが傾倒していた神秘主義の結晶のような珠玉の歌曲です。そこで、再びSさんにこの曲を歌って頂きました。
結婚後、シューマンの家庭生活は幸福で、4男4女の子宝にも恵まれます。親友の作曲家メンデルスゾーンが創設した音楽院に作曲とピアノの教授として招聘され、作曲家としての名声も確立し、ヴィークともようやく和解したシューマンですが、次第に精神を病んでいきます。転地療養の意味でドレスデンに引っ越しますが、ここで1歳の長男を亡くし、また親友メンデルスゾーンも亡くなってしまいました。シューマンは「思い出」というピアノ小品を作曲してメンデルスゾーンを偲びます。ここで、「ユーゲントアルバム」というピアノ曲集に収められているこの曲をYさんに演奏してもらいました。
ドレスデンは音楽的にあまり恵まれた土地柄ではなかったので、シューマン一家はデュッセルドルフに引っ越し、そこで音楽監督の職を得ます。しかし、だんだん病気がひどくなり、オーケストラの統率がうまくできず、指揮者を解任されてしまいます。そんな失意の中、知人の紹介で弱冠20歳のブラームスがシューマン家を訪れます。ブラームスの才能に驚嘆したシューマンは、ライプツィヒの楽譜出版社に手紙を書いてブラームスを紹介し、久しぶりにペンを揮ってブラームスの才能と将来を確信する文章を寄稿しました。しかしその翌年、シューマンの神経症は重篤になり、発作的にライン川に身投げします。救出されたものの、そのままボン郊外の病院に収容されます。病気に障るからと、クララはシューマンとの面会を許されませんでしたが、入院中シューマンは、愛情に満ちた手紙をクララに何通も送りました。シューマンの精神病の症状はついに回復せず、2年後、駆けつけたクララの腕の中で息を引き取りました。
このあたりの話をしている時、ふいに涙がこみあげてきて声が詰まってしまいました。この後、シューマンの恩義に深く感謝するブラームスが、残されたクララと子供たちを陰ながら献身的に支えるのですが、ブラームスはクララに対する恋心を封印して生涯独身を貫きます。この話も、やはり涙なしにはできませんでした。
最後に、シューマンとクララの魂のふれあいが結晶したような珠玉の歌曲「魂を身近に」を歌って私の話は終わり、締めくくりにK町のご住職が虚鐸で「君が代」を吹かれ、お客様と全員で「ふるさと」を歌って、約1時間の会は終了しました。
本堂には冷房がなく、ご参集の20名ほどのお客様はさぞ暑かったと思いますが、皆さん最後まで静かに耳を傾けて下さいました。生徒さんや友人知人の顔がいくつも見えたので、アウェイ感がなく、リラックスしてお話できました。シューマンが大好きだった若い頃(むろん今も大好きです)の情熱を思い出し、さらに、シューマンの魅力を初めて知った高校生の頃の初々しい感動を思い出し、胸の熱くなるひと時でした。最近のリサイタルではバロックや古典のものを中心に歌ってきましたが、またリートが歌いたくなりました。
余談ですが、くだんの若い男女、ご住職の説諭で一旦は落ち着いて出て行ったのですが、道々また女性の方が激高したらしく、男性がビリビリに破れたシャツを首に引っ掛けてふたたび境内に戻ってきました。おしまい。
それでは、今日の顛末を実況中継したいと思います(笑)。
まず、10:57に鐘が鳴りました。そして11:00から、本尊である薬師瑠璃光如来の本願功徳経の読経があり、その後「音の供養」ということで、ご住職がピアノの88鍵を1音ずつすべて鳴らし(正確に言えば、白鍵を一番低い音から順に一番上まで鳴らし、今度は黒鍵を高音から低音に向かって一音ずつ鳴らしていかれました)、最後に、K町から来られたご住職様が虚鐸(尺八のような楽器)を演奏されました。ここまでで約10分です。引き続き、ピアニストのUさんによる「トロイメライ」の演奏。ピアノは昨日のうちにご内陣に出して調律を済ませてあり、先日の打ち合わせの時と違って鍵盤のムラも調性されていたようで、絶品のトロイメライでした。Uさんが退場されるのと入れ替わりに私がご内陣に登場し、お話をスタート。シューマンの生い立ちから、ライプツィヒ大学で法律を学ぶ傍らピアノ修業に励んだ話、ピアノ教師ヴィークの娘で天才ピアニストのクララの話、文才があり、音楽評論家としても活躍し、同い年のショパンを絶賛する記事を書いた話までで一区切りして、「謝肉祭」というピアノ組曲の中の「ショパン」という曲(ショパンのノクターン風の小品)をピアニストのYさんに弾いて頂きました。
そして、ヴィークの娘クララと恋仲になり、ヴィークの怒りを買ったという話をしているあたりで、突然若い女性が大声を上げながら本堂に闖入してきました。どうも裏方の手伝いをしてくれていた若い男性の恋人らしく、彼が一ヵ月ほど無断で行方をくらませた挙句、今日ここにいるということをラインで知って激怒してとっつかまえに来た、ということのようです。一同あっけにとられて茫然。ご住職が2人を外へ連れ出してくれましたが、どんどんボルテージが上がっているようで、怒声とともに彼女が彼を張り飛ばす音が聞こえてきます(-_-;)やれやれ、いつの時代も恋のもつれは厄介です。
ここで5分以上のロスが出ましたが、気を取り直して話を先に進めました。シューマンとクララの恋はとうとうヴィークを相手取っての法廷闘争に及びますが、1840年、晴れて勝訴した2人は、クララの21歳の誕生日の前日に結婚式を挙げます。この年、シューマンは、それまであまり興味のなかった歌曲の作曲に目覚め、何と120曲以上もの歌曲を書いています。結婚式の前日にクララに捧げた歌曲集「ミルテの花」から、第1曲目の「献呈」をソプラノのSさんが、続いて第3曲「胡桃の木」を私が、それぞれYさんの伴奏で歌いました。
続いて連作歌曲の話をしました。シューマンは、複数の曲を一つのコンセプトでまとめた歌曲集をいくつか書いています。ストーリー性が明確な「女の愛と生涯」や「詩人の恋」、また、個々の曲どうしにあまり連関性のない「リーダークライス」など。その中で、アイヒェンドルフの12編の詩による「リーダークライス」(「歌の環」という意味です)に収められている「月の光」という曲は、シューマンが傾倒していた神秘主義の結晶のような珠玉の歌曲です。そこで、再びSさんにこの曲を歌って頂きました。
結婚後、シューマンの家庭生活は幸福で、4男4女の子宝にも恵まれます。親友の作曲家メンデルスゾーンが創設した音楽院に作曲とピアノの教授として招聘され、作曲家としての名声も確立し、ヴィークともようやく和解したシューマンですが、次第に精神を病んでいきます。転地療養の意味でドレスデンに引っ越しますが、ここで1歳の長男を亡くし、また親友メンデルスゾーンも亡くなってしまいました。シューマンは「思い出」というピアノ小品を作曲してメンデルスゾーンを偲びます。ここで、「ユーゲントアルバム」というピアノ曲集に収められているこの曲をYさんに演奏してもらいました。
ドレスデンは音楽的にあまり恵まれた土地柄ではなかったので、シューマン一家はデュッセルドルフに引っ越し、そこで音楽監督の職を得ます。しかし、だんだん病気がひどくなり、オーケストラの統率がうまくできず、指揮者を解任されてしまいます。そんな失意の中、知人の紹介で弱冠20歳のブラームスがシューマン家を訪れます。ブラームスの才能に驚嘆したシューマンは、ライプツィヒの楽譜出版社に手紙を書いてブラームスを紹介し、久しぶりにペンを揮ってブラームスの才能と将来を確信する文章を寄稿しました。しかしその翌年、シューマンの神経症は重篤になり、発作的にライン川に身投げします。救出されたものの、そのままボン郊外の病院に収容されます。病気に障るからと、クララはシューマンとの面会を許されませんでしたが、入院中シューマンは、愛情に満ちた手紙をクララに何通も送りました。シューマンの精神病の症状はついに回復せず、2年後、駆けつけたクララの腕の中で息を引き取りました。
このあたりの話をしている時、ふいに涙がこみあげてきて声が詰まってしまいました。この後、シューマンの恩義に深く感謝するブラームスが、残されたクララと子供たちを陰ながら献身的に支えるのですが、ブラームスはクララに対する恋心を封印して生涯独身を貫きます。この話も、やはり涙なしにはできませんでした。
最後に、シューマンとクララの魂のふれあいが結晶したような珠玉の歌曲「魂を身近に」を歌って私の話は終わり、締めくくりにK町のご住職が虚鐸で「君が代」を吹かれ、お客様と全員で「ふるさと」を歌って、約1時間の会は終了しました。
本堂には冷房がなく、ご参集の20名ほどのお客様はさぞ暑かったと思いますが、皆さん最後まで静かに耳を傾けて下さいました。生徒さんや友人知人の顔がいくつも見えたので、アウェイ感がなく、リラックスしてお話できました。シューマンが大好きだった若い頃(むろん今も大好きです)の情熱を思い出し、さらに、シューマンの魅力を初めて知った高校生の頃の初々しい感動を思い出し、胸の熱くなるひと時でした。最近のリサイタルではバロックや古典のものを中心に歌ってきましたが、またリートが歌いたくなりました。
余談ですが、くだんの若い男女、ご住職の説諭で一旦は落ち着いて出て行ったのですが、道々また女性の方が激高したらしく、男性がビリビリに破れたシャツを首に引っ掛けてふたたび境内に戻ってきました。おしまい。