愛の夢

2012年05月30日 | 日記
視力と気力の関係は思いのほか密接なのかもしれません。というのも、今日は午後から3人の方のレッスンをして、その後友人と会い、更にその後ドイツ語の勉強に行きましたが、あまり疲れを感じないのです。遠くがよく見えると体が軽いんですねえ。尤も午前中は死んだように寝ていたので、体力が温存されていただけかもしれませんが。
さて、今日はIさんがレッスンに伴奏者を同伴され、かの有名なリストの「愛の夢」を歌われました。これはもともと歌曲なんですね。リスト自身がピアノ曲に編曲しており、そちらの方が人口に膾炙しています。詩はそれほどインパクトのある内容ではなく、どちらかと言えば歌詞よりメロディの甘美さを味わう曲という感じです。
私もこの曲を歌ってみてはどうかと勧められたことがありますが、これは聴いた印象とは違ってかなり重い曲で、ビールの泡のように軽いと評される私の声にはちょっと合わないような気がします。しかしIさんの美声にはしっくりと合います。良い曲を選ばれたな、と思います。不思議なもので、歌の勉強をある程度続けていると、自然と自分の声質に合う曲を選ぶようになるのです。
さて、この曲が「重い」と感じられるのは、ゆったりとした動きの中に、比較的高い音を長く伸ばす箇所がたくさんあるからです。高音を出すには声帯を引っ張らないといけませんが、声帯自体は自力では動けないので、声帯を動かす筋肉(声帯筋)や身体の筋肉で引っ張るわけです。コツがわかれば、高音を瞬間的に出すことはそれほど難しくありませんが、高音を伸ばすとなると筋力がとても必要です。ゆったりとした動きに乗せて様々な音型のフレーズを音楽的に表現しながら、その中に現れる高音を破綻なく歌うのは本当に体力勝負です。Iさんはしかし、この曲を美しい声で最後まで息切れせずに歌いきられますから、私よりかなり体力があると推察します。
Iさんは以前、ワーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの歌」を歌いたい、と言われたことがありました。これまた重い曲で、私など歌いたいと思ったことさえないのですが、「愛の夢」を歌われるぐらいですからIさんには合いそうです。実は先日、私と同世代の男性とのジョイント・リサイタルへの出演依頼を頂き(来年の話ですが)、「よかったらヴェーゼンドンクを歌ってもらえませんか」と言われました。私のレパートリーではないんですが...と言うと、「いや、あなたの声に合うはずです。勉強してみて下さい」と。うーん...しかしまあ、こういう外的な要因がなければまず一生歌うことのない曲ですから、良い機会と思って勉強してみるか、と思っています。そして、毒食わば皿まで、という訳ではありませんが、それならいっそ「愛の夢」も歌ってみるか、なんて無謀なことをちらりと思ったりして。まだ先の話ですから、いろいろ歌ってみながら検討したいと思います。

視界良好

2012年05月28日 | 日記
昨日、福岡でレーシック手術を受けました。ここ3年ばかり考えていたのですが、近眼、乱視、老眼のトリプルパンチによる眼精疲労に耐えかねて。加えてここ数ヶ月の体調不良(更年期障害)、何でもいいからとにかく現状を一歩でも抜け出したい一心でした。
福岡のクリニックで手術を受けることにしたので、昨日新幹線で福岡へ行き、友人と会ってランチとお茶をした後で病院へ。術前の検査を受け、手術に臨みました。手術自体はあっという間に終わり、30分ばかり休憩したらもう無罪放免です。病院から出て、その足でまた別の知人に会って一緒に食事をしました。手術直後はまだ視力が安定しないので、見えているのかいないのかよくわからないような感じです。ホテルに戻って眼帯をして就寝。朝起きて時計を見たら、文字盤がはっきり読めます。ドライアイのためコンタクトレンズが使えなくなって以来、久し振りの鮮明な世界です。
午前中に一つ用を済ませ、術後の検査のため再度クリニックへ。検査の結果、両眼とも0.7の視力でした。最終的に安定するまでにはあとしばらくかかるそうで、これから1週間は一日に何度も目薬をさしたり、外出時にはサングラスをかけたり、寝る時は眼帯をしたりしないといけないのですが、0.01から0.03の間をさまよっていた視力が一挙に0.7まで上がり、今日は少々興奮状態です。
パソコンや携帯メールなどは控えめに、とのことですから今日はこれぐらいにしておきますが、これからは楽譜を見るのも随分ラクになりそうです。それにしても、世の中ってこんなに明るかったんですね。視力が正常な人のことを「晴眼者」と呼ぶ理由がわかったような気がします。

今昔

2012年05月26日 | 日記
今日は熊本日独協会の創立50周年記念総会でした。私はなぜか協会の理事で、且つ日独協会合唱団の指揮者でもあります。合唱団は毎年の総会で歌を披露していますが、今年は記念の年ということで少し趣向を凝らし、弦楽アンサンブルとの共演で歌わせて頂くことになっています。午前中に3人、午後に2人のレッスンをしてから会場に駆け付け、リハーサルをしました。リハーサルに入る前の時点ではかなり疲れていたのですが、毎度ながら練習を始めるとスイッチが入ったように元気になります。本当に不思議。
本番では最初にア・カペラを3曲歌ってから弦楽との共演になるので、控室でア・カペラの練習をしたのですが、普段と場所が違うため、響きが少々不安定でハーモニーがまとまらない感じです。あまり時間もないし、困ったなあと思いながら弦楽との合わせに臨みました。弦楽の指揮者が指揮をして下さるので、私もソプラノに入って歌います。
自分も一緒に歌っているので、全体がどんなふうに聴こえているのかわかりません。しかし、感触としてはア・カペラより乗っているようです。一通り合わせた後、ソプラノのメンバーの一人が「気持ちいい~!」と感に堪えないような声を発しました。やっぱり伴奏があると安心して歌えます。しかも今日は弦楽の伴奏です。弦楽器の音は人間の声に近いと言われますし、ピアノと違って伸ばす音でも表現ができるので歌との相性がいいのですね。確かにとても歌いやすい気がしました。
あっという間にリハーサルの時間が過ぎ、本番です。最初に弦楽アンサンブルがパッヘルベルのカノンを演奏します。その間、合唱団は控え室でストレッチをしたり歌詞を読んだりしながらスタンバイ。いよいよ本番です。最初にア・カペラでメンデルスゾーンの「3つの民謡」を歌います。リハの時にアラが目立ったので内心ハラハラしながら指揮をしましたが、うちの合唱団はいつも「本番が一番上出来」という、火事場の馬鹿力のある合唱団で、ご多分にもれず今日も本番が一番まっとうな出来でした(無論、いろいろ問題はありますが)。次に弦楽との共演でウェルナーの「野ばら」とメンデルスゾーンの「おお、ひばり」。初めて弦楽の指揮者の指揮で歌うので、テンポがずれては大変と皆が指揮に集中しています。そのせいか、快心の出来と言ってもよさそうな演奏になりました。ドイツの副総領事はじめドイツ人の来賓方もじっと耳を傾けて下さいました。もちろん日本人のお客様方も。
レセプションの時、団長が副総領事に「私たちのドイツ語は通じましたでしょうか?」と尋ねていましたが、そう訊かれて「いいえ」とは言えませんよね(笑)。副総領事は流暢な日本語で私たちの合唱を褒めて下さいました。団員の一人が「ドイツではウェルナーの「野ばら」とシューベルトの「野ばら」はどちらの方がよく歌われるのでしょうか。最近の若い人たちはこういう曲をあまり知らないという話ですが...」と問いかけると、「正直に申し上げてもいいですか」と前置きされて、「若い人はどちらも知りません。ドイツでも最近はカラオケが流行っていて、一時期より歌がよく歌われるようになってはきましたが、若い人が歌うのはポップスやロックで、こういう古い歌はあまり歌われないのです」と答えられました。先日、「夏の思い出」や「花の街」や「ふるさと」を知らない若者のことを書きましたが、ドイツの若者も「野ばら」や「菩提樹」や「ローレライ」を知らないのです。西も東も似たような実情なのですね。時代の流れを感じます。質問者は残念そうに、こうした名曲の復権を切に願っている、と応じていました。
このパーティには、一時帰国中のKさん(先日のブログ「ファミリー・レッスン」に登場した方です)も参加されました。ニューフェイスは自己紹介をするという会のしきたりに従って登壇したKさんは、ヨーロッパでの合唱体験に基づいて合唱の楽しさと素晴らしさを壇上から語りかけられ、合唱団員から盛んな拍手を浴びていました。図らずもKさんが合唱団の広告塔になって下さったような趣でした。
Kさんに「吉田さんは日独協会に入ってどれぐらいになるんですか?」と訊かれ、改めて計算してみたら何と25年です。月日の経つのは本当に早いものです。時の流れや時代の変化に意識がついていけていないなあ、と思うと同時に、変わったもの、変わらないもの、変わるべきもの、変えてはいけないもの、そうしたものを心の中でもう一度よく整理しないといけないという気持ちになりました。

未来へ

2012年05月24日 | 日記
今朝、日本声楽界の重鎮であったバリトンの畑中良輔氏の訃報に接しました。日本で声楽や合唱に従事する人で畑中氏の名前を知らない人はいないでしょう。声楽を志す人が必ず学ぶ「イタリア歌曲集」をはじめ、数多くの声楽教本の編集に携わり、長らく芸大で教鞭を取られました。私は直接お会いしたのは一回きりですが(それも30年も前)、エッセイなどを能くされていたので、文章を通じて温かいお人柄を感じていました。18日にはフィッシャー=ディースカウが逝ったばかり。この年になると、自分達を導き、育てて下さった世代の方たちが次々と鬼籍に入っていかれます。寂しいことですが、今度は私たちが次の世代を育てていく使命を担うわけです。
今日、老健の職員合唱団で「未来へ」という曲を練習しました。KIROROのヒット曲です。「ほら 足もとを見てごらん これがあなたの歩む道 ほら 前を見てごらん あれがあなたの未来」という歌詞で始まり、「未来へ向かって ゆっくりと歩いて行こう」で終わるこの曲、途中にパッヘルベルの「カノン」風のメロディが挿入され、卒業式の歌にぴったりの雰囲気を醸し出しています。未来ある若い人たちに、人生を前向きに着実に歩んでほしい、あなたは一人ではない、愛し愛されながら人生を歩んでいくのだ、あなたが歩む人生はただ一つのかけがえのない物語なのだ、という心のこもったメッセージが溢れています。
折しも「巨星墜つ」というべき2つの訃報に接して感慨を深くしていただけに、これから人生を切り拓いていく若い人たちへのエールのような歌を聴いているうちに、心が温かくなってきました。私たちは亡くなった人たちともつながり合って生きているのですから、託されたものを知り、受け止め、次につないでいくことが使命なのだと感じます。未来は若者たちの手の中にある。それなら若者を応援しよう。私もそんなことを考える年になったのだなあ、と思います。

ファミリー・レッスン

2012年05月22日 | 日記
世界的バリトン歌手のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが18日に亡くなったという記事が昨日の新聞に載っていました。87歳の誕生日が目前だったそうです。彼以降のリート歌手で彼の影響を受けなかった人はいないと言われますが、声による言葉と音楽の表現の可能性を究極まで開拓した、本当に稀有の声楽家でした。一つの時代が終焉したという感慨が去来します。残念ながら生演奏を聴く機会はありませんでしたが、彼のレコード、CDの恩恵にあずかった一人として、世界中のファンの方々と共に心からの感謝と哀悼の意を捧げたいと思います。
さて、今日はヨーロッパから子連れで一時帰国中のKさんのご希望で、Kさんのご実家にお伺いして、Kさん、Kさんの義理の妹さん、そのお嬢さんお二人、計4名のヴォイス・トレーニングをしました。お嬢さん方は小学生と幼稚園児です。Kさんのお子さん(1歳半)も一緒に(と言ってもレッスンするわけではありません。一緒に部屋にいるだけです、もちろん)。グループレッスンのヴァリエーションですが、こんなに年齢差のあるグループはあまりありませんよね(笑)。どういうアプローチにしようかなと思いながら伺いましたが、結局定石通りにやることにしました。
まずはストレッチから。最近使っている、ペアを組んでストレッチをしながら声を出す方法を試みました。お子さんたちに「裏声」を出してもらうのが最初の狙いです。大人が楽しそうにやっていると子どもは自然に真似します。最初は気後れしている感じもありましたが、構わずどんどん大人主体で進めました。次いで呼吸の練習。胸式呼吸と腹式呼吸の原理をレクチャーしながら実際にやってもらいました。Kさんは合唱団で歌っているので慣れているようですが、4人ともどんどん呼吸が深く長くなっていきます。今度は呼吸と声をシンクロさせる練習。これもなかなか上手です。身体がだんだん温かくなってきたようです。
呼吸と声がうまくシンクロするようになったら、ヴォイトレの半分は達成できたようなものです。次の課題は「下あごの力を抜くこと」。これが一番の難関です。brbrbr...とリップロールを試みてもらいましたが、難航しています。こういう場合は舌根をゆるめなくてはいけません。舌のストレッチを何種類かやって再度トライ。だいぶうまくいくようになりましたが、腹筋や背筋が弱いと、それを下あごで代償するので力が抜けません。そこで、あおむけに寝て足を組み、お腹に引きつけるようにする「横隔膜を鍛えるトレーニング」と、うつ伏せに寝て腰回りの筋肉や中臀筋を動かす練習をやりました。身体の緊張が取れ、筋肉が動きやすくなったようです。
その他、ワインコルクを奥歯に挟んで上あごを上げる練習や、口蓋垂を上へ引き上げ、喉頭を広く開ける練習もやりました。上体を前屈させて頭部に共鳴させる練習、顎関節の動きをよくして側頭骨に共鳴させる練習もやりました。Kさんは来週にはヨーロッパに帰られるので、エクササイズをできる限り網羅的にやっておこうと思ったのですが、少々詰め込みになってしまったかもしれません。やっておきたいことはもっといろいろありましたが、1時間でできるのは最大限このあたりまでかな、というところで終わりにしました。お子さんたちにとってはちょっと意味不明なレッスンだったかもしれませんが(笑)、Kさんも義妹さんもとても喜んで下さって、また来週お伺いすることになりました。
ファミリー・レッスンという新しい形態のレッスン、初日はかくして終了。夜のレッスンでしたが、一日の疲れがスカッと吹っ飛び、身も心も軽くなって帰途につきました。