ケアの難しさ

2016年05月29日 | 日記
今日は地震後初の合唱団の練習日でした。皆、会うなり「大丈夫でしたか?」、「ご無事で何よりでした」、「片付きましたか?」と切れ目なく話が続きます。ひとしきり再会の喜びを分かち合った後、団長の挨拶と黙祷、そして練習開始となりました。今日はまず蝶形骨・仙骨エクササイズを丁寧にやってから発声練習に入りました。久し振りの練習でしたがよく声も出ています。しかし、いざ何か歌おうとなると、これほど大きな衝撃的経験の後の最初の練習で何を歌ったらいいのか、ここしばらくずっと考えていましたがどうにもひらめきません。皆さんの様子を見ながら流れを作ることにして、とりあえずいつものように最初に「wir danken」というカノンを歌い、次に我が団のテーマソング「野ばら」を歌い、地震の前に練習していたメンデルスゾーンの「3つの民謡」の復習をしてみました。まあまあいい感じで時間が流れているな、と思ったのですが、休憩時間に団長から「もっと楽しい(明るい)曲をやりませんか」と申し入れがありました。さて、何をやりましょう。「歓喜の歌」?ちょっと違うかも...「ローレライ」?楽しい曲とは言えないかも...「ふるさと」?これは今歌うのは辛い、という人も...結局、6月の熊本日独協会総会・懇親会のためにということで「乾杯の歌」と「バーデン州の歌」の歌詞をアレンジした「Kumamotolied」という歌の練習をしました。どちらも弾けた歌なので、それなりに楽しく明るい雰囲気にはなりましたが、練習終了後、何だか少し無理をした気分になりました。
こういう時にどんな歌を歌うのがよいのか、本当に迷います。正直なところ、私自身はまだあまり歌う気持ちになれないのです。ピアノには無性に触りたくなりますが、ロマン派の曲には気持ちがついていかず、何とか集中できるのはバッハだけです。落ち込んでいる時に元気な曲はフィットしない、ということはよく知られていますが、こういう時って、感情に訴えてくるロマン派の音楽もちょっと辛いんですね。
救急医療や炊き出しや瓦礫撤去の段階を過ぎて心のケアの段階に入ると、そろそろ芸術の出番なのでしょうが、一口に芸術や音楽と言ってもどんなものがケア的に作用するのか、個人差もあるでしょうし、なかなか難しいものですね。しばらくは試行錯誤となりそうです。

エクササイズNo.1

2016年05月20日 | 日記
今日は、発声のためのリラクゼーションエクササイズをいくつかご紹介したいと思います。
まず、震災疲れのかなりの割合を占めている神経疲労を緩和するエクササイズです。毎度おなじみの蝶形骨の話から始まりますが、蝶形骨は頭蓋底の真ん中に位置していて感覚器官である耳、目、鼻とつながっているため、耳、目、鼻が緊張すると蝶形骨とその周りの骨の間のスキマ(遊び)が詰まってぎゅっと締まります。すると蝶形骨と筋膜でつながっている横隔膜も緊張するので、呼吸も浅くなってしまいます。つまり、呼吸を深くするためには耳、目、鼻をゆるめる必要があるわけです。
1.耳を軽く引っ張ります。頭蓋骨からほんの少し引き離すようにして、呼吸が楽になっていくのを感じながら。
2.右手指で左まぶたを軽く触り、空いている左手で、首と頭の境目あたりの左側を触ります。右手指に左の眼球を感じながらゆっくり眼球を動かします。首の筋肉も連動しますが、あまり感じられなくても気にしないで。反対側も同様に。
3.右手の親指と中指で鼻の一番上(眉間の下)を軽くつかみ、左の掌で額を触りながら眉間で呼吸をするつもりで、顔の奥や背中が緩んでいくのを感じます。
ここまでのエクササイズは、あまり力を入れず、急がず丁寧にやりましょう。感覚器官はデリケートなので、強過ぎる刺激は逆効果です。これで呼吸がある程度深くなるので、仕上げに、吐く息(呼気)を長くするエクササイズをします。両足を少し開いて立ち、右腕を真上に挙げ、左手で右の肋骨を触ります。その手の下に横隔膜があることを意識します。息を吐きながら上体を左に傾けていきます。その時、横隔膜が上方に動き、引き伸ばされるのを感じます。呼気が終わったら、自然に吸気が生じるのを感じながら元に戻します。これを数回繰り返します。反対側も同じように行います。
お疲れの皆様、どうぞお試し下さい。ご感想を頂ければ嬉しいです。

歳でしょうか

2016年05月17日 | 日記
数日前から時折左上腕部に軽い痛みを感じるようになり、すぐになおると思っていたのにちっともよくならないので整骨院に行ってみました。先週、肩こりが高じて呼吸が苦しくなった時に友人の紹介で行った整骨院です。その時、若いイケメンのスポーツ整体師の方が見事に肩こりを解消して下さったので、今回もきっとラクにして下さるだろうと思ってあまり深くも考えずに行ってみたのですが、手技、電気治療、鍼まで打って頂いてもなかなか痛みが消えません。「何か普段と違うことをしましたか?これがきっかけで痛くなった、とか?」と訊かれましたが、特に心当たりはありません。もちろん、地震の後ですから普段よりはモノを運んだり動かしたりすることが多かったと思いますが、ある瞬間にぎくっと来たというわけでもなく、気がついてみたら何だか動かしにくいな...という感じでしたので。そう言うと、「それじゃ加齢でしょうね」とあっさり一言(笑)。五十肩と同じような現象だと。まあ、そう言ってしまえばそれで説明は終わりですよね。いえ、もっといろいろ細かく話をしては下さったのですが(例えば「仕事でピアノを弾くので、その影響でしょうか」、「あ、きっとそうです。ちょっと指を動かしてみて下さい、ほら、ここ(大胸筋)に動きが伝わるでしょう?」、「先日、背中がパンパンに張ったんですけど」、「ああ、肩甲骨周りが固まると肩の動きも阻害されるので、痛みの原因になったかもしれませんね」等々)、ざっくり言えば、今までは単に肩こりや背中の張りで終わっていたものが別の部位の痛みとして現れるということは、その部位の老化(磨滅)のサインなのだと。「これは肩の腱が萎えたり溶けたりしているのかもしれないので、痛みが続くようなら整形外科でMRIを撮ってもらった方がいいですね」とのことでした(-_-;)
今ちょうど、よい発声の基礎になる体の使い方をもう少し細分化、体系化したいと思ってソマティクスの本を読んでいるところなので、これを機に痛みと歪みの関係なども勉強して、震災疲れに効く簡単なメソッドも考えてみたいと思います。
歳をとって体に少しずつひずみが現れると、今までより問題意識が切実になりますね。怪我の功名と行きたいものです。

ワインコルク

2016年05月13日 | 日記
大学再開から1週間が経ち、全クラスの授業が一巡しましたが、担当の7クラスともほぼ全員出席でした。学生さん達は案外飄々としていてあまり深刻さは感じられませんが、何といっても今まで経験のない状況の中にいるのですから、自覚はなくてもかなり疲れているはずですし、緊張が続く時は知らず知らず奥歯をかみしめているものです。ただでさえ口の奥が開いていない日本人ですから、まして況や。そこでワインコルクで奥歯を開けようと思い、「今月の歌」を歌う前の発音練習でコルクを使ってみました。今年はワインコルクを使おうと決めて予め大量に入手してあったので、全員に一個ずつ配り、「奥歯に挟んで母音を発音してみて下さい」と言うと「痛い」、「キツイ」、「苦しい」という人がどのクラスにも若干名いましたが、殆どの人は面白がって練習してくれました。その後コルクをはずして歌ってみると、歴然と響き具合が違います。奥歯(口の奥)を開けて声を出そうとするとお腹に力が入ることも感じたようですし、コルクを使った後は表情にも生気が蘇っています。リフレッシュ効果ですね。彼らに付き合って7回も一緒に練習したお陰か、私もやっと体に少し力が戻ってきたようで、歌が歌えるようになりました。まだ短い1曲だけですが(笑)。
明るく楽しく授業をして、若者たちから元気をもらって、帰宅するとドッと疲れが出る、というパターンを繰り返して一週間が過ぎました。少しずつ疲れも軽くなっていくのかどうか定かではありませんが、これを機に「疲れたら休む」をモットーにしたいと思います(笑)。疲れる前に休むのが人生の極意なのだそうですが、それだと私の場合ずっと休んでいることになりかねません。何事も達人の境地に達するのは至難の業ですね(爆)。

日常

2016年05月10日 | 日記
昨日から再び大学が始まりました。何人集まるかと思ったら、昨日の2クラスも今日の2クラスもほぼ全員出席でした。熊大生は県外出身者が多いので、殆どの学生さんは実家に帰っていたようです。お住まいが損壊して奥様の実家に引っ越された先生もいらっしゃいましたが、「いずれ親の面倒を見なくてはいけなかったので、地震がそのきっかけになった」と仰っていました。授業をしたり、控室で同僚の先生方とお話したりしていると、だんだん自分らしさが戻ってくる気がします。
昨日は久し振りの句会にも参加しました。世話人の先生から「参加者が4名以下だったら中止します」と連絡が回っていましたが、今回は普段の倍ぐらいの人数が集まり、しばし楽しい語らいの時間を過ごしました。しかし持ち寄られた句は圧倒的に地震を詠んだものが多く、句会の最中にかなり強い余震もあり、まだ渦中にあるのだなという実感を深めることにもなりました。私が出した句も、4句のうち2句は地震を詠んだものです。
被災地に生(あ)れし命や薔薇(しょうび)咲く
木も鳥も聲(こえ)ひそめたる地震(なゐ)のあと
自宅にいると被災の現実感がなく、あのひどい揺れの記憶もかすんでしまい、地震は夢だったような気さえしますが、実はまだ音楽が聴けません。特に歌がダメです。ラジオから声楽の演奏が聞こえてくると胸苦しくなり、すぐにスイッチを切ってしまいます。でも、昨日、大学の学生会館前で聞こえてきた学生のア・カペラサークルの歌声は胸に沁み入るようでした。
自分の周りでは殆ど生活の不自由がなくなり、日常が戻りつつある一方で、益城や阿蘇はまだまだひどい状況ですし、家から一歩外に出れば生々しい傷跡が至る所にむき出しになっています。友人知人に会えば心から安堵し、自分を取り戻しますが、一人でいると妙に現実離れした気分にとらわれます。人は、日常と非日常が綯い交ぜになった空間に身を置くと感覚に奇妙な混乱を生じるようですね。今までと同じ場所にいるのに、その風景ががらっと変わってしまうというSF的状況の中では、心の表面は平静でも深層にはダメージを負っているのかもしれません。
でも、時間はかかっても日常は必ず戻ってくると信じます。そして今感じることは、こんな時「他のために自分にできることがある」ということがとりわけ大きな意味を持つ、ということです。今回、炊き出しや知人宅の片付けの手伝いをすることが自分を持ちこたえる力になったことを痛感しています。ですから、人が自分に何かしてくれることも素直に有難く受け取りたいと思います。人は相身互い、持ちつ持たれつなんですね。
今週は「日常」の尊さ、支えあいの大切さを心に刻む週になりそうです。