多くの方の応援を頂き、また、連休中でしかも雨降りだったにも拘わらず100名以上の方にご来聴頂いて、本日のリサイタルを無事終えさせて頂きました。ご来聴下さった読者の皆様、また盛会を祈って下さった読者の皆様に心より感謝申し上げます。
終演後しばらくは放心状態でしたが、正気に戻って最初に心に浮かんだのは「私は何という果報者」という感慨でした。このブログにも何度も書きましたが、2月下旬に崩した体調がなかなか元に戻らず、これほど練習できずに臨んだ本番は初めてでした。そのお陰で得たものも大きかったので決してマイナスに受け止めているわけではありませんが、それにしても体調の波が大きく、数日前の夜にはチラッと「ひょっとして今回はドタキャンになるかも...」という不安が一瞬よぎるほどひどく具合が悪くなりました。その翌日は持ち直したのですが、その翌日はまた...とにかく気持ちを明るく前向きに保つことに全力を挙げていました。
昨夜熊本に到着されたM先生と伴奏合わせをした時も、30分ほど歌ったところで「今日はもうこれでやめておきましょう」と言われるような状態だったのですが、今朝の最終調整では「絶好調じゃないの!」と言われるほど調子がよく、「あとは気持ち!中から湧き上がる気持ちを大事にしてね」と何度も言われました。
しかしやはり体力がかなり落ちていたようです。前半はまあ何とか、後半の日本歌曲もまあま何とか行けましたが、プログラム最後のメイン曲「春の声」ではさすがにもう筋肉が引っ張れなくなってしまい、せっかくW先生直伝の「側頭骨共鳴」でラクに出るようになっていたハイCも残念ながら落ちてしまいました。
アンコールで歌った「Stand alon」も途中で歌詞が真っ白になってしまい、M先生に歌ってもらってつなぎました(笑)。アンコール2曲目の「God bless you」でも歌詞を間違えました。まあしかし、これはご愛嬌(と自分で言ってはいけませんね)。
そういう大小の事故はあったものの、それでも歌いながら心から感じたことは「私は何という幸せ者だろう」という深い喜びと感謝でした。まず、お客様が素晴らしかった。最初から最後まで本当に温かい雰囲気に満ちていました。お客様との一体感をこれほど感じられるなんて本当に幸せなことです。歌い手にとってこれにまさる喜びはないと言ってもいいのではないかと思います。また、伴奏者の音楽性と人柄にどれほど助けられたかわかりません。M先生があまりに気さくなので、つい当たり前のような気になってしまいますが、そもそもこれほどのアーチストが共演を自ら申し出て下さるということ自体が大変なことです。
教会という場の力も大きかったと思います。よく響きますし、本来が祈りの場ですからコンサートホールとは雰囲気が違います。この静謐さが、歌う作品の歌詞や音楽をくっきりと浮かび上がらせてくれるような気がします。この教会がM先生のゴスペル教室の会場になっている関係で、リサイタルに使用させて頂くことも快くご了承下さいました。これも本当に有り難いことです。そして、裏方で手伝って下さった私の生徒さんや友人たち。皆さん快く雑事を引き受けて下さいました。
こうした様々な有形無形の土台の上に乗せて頂いて、心ゆくまで大好きな歌を歌い、お客様とその喜びを分かち合える幸せ。これを「果報者」と言わずして何と言うべきか。大仕事を終えた今、私の心を占めているのはそんな思いです。
誰の人生もそうでしょうが、人間、40年以上も生きればそれなりの紆余曲折を経てきています。それでも、後で振り返った時にそれらのすべてを「あの時があったから今がある」と思える、そういう生き方ができれば人生は成功なのではないでしょうか。私にも、「いっそ私から歌を取り上げて下さい」と天に祈った時もありました。それでも、天は「歌っていいんだよ、頑張りなさい」と無言のうちに私を励まし、後押ししてくれました。そして今、「歌ってきてよかった」、「これからも歌い続けよう」と心から思えるこの幸せ。言葉には尽くせません。
もちろん、課題はまだまだいっぱいです。少しずつでも精進を続け、近い将来「春の声」のリベンジに挑戦したいと思います。
最後に、本日のリサイタルにご厚情をお寄せ下さった読者の皆様に改めて心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。
終演後しばらくは放心状態でしたが、正気に戻って最初に心に浮かんだのは「私は何という果報者」という感慨でした。このブログにも何度も書きましたが、2月下旬に崩した体調がなかなか元に戻らず、これほど練習できずに臨んだ本番は初めてでした。そのお陰で得たものも大きかったので決してマイナスに受け止めているわけではありませんが、それにしても体調の波が大きく、数日前の夜にはチラッと「ひょっとして今回はドタキャンになるかも...」という不安が一瞬よぎるほどひどく具合が悪くなりました。その翌日は持ち直したのですが、その翌日はまた...とにかく気持ちを明るく前向きに保つことに全力を挙げていました。
昨夜熊本に到着されたM先生と伴奏合わせをした時も、30分ほど歌ったところで「今日はもうこれでやめておきましょう」と言われるような状態だったのですが、今朝の最終調整では「絶好調じゃないの!」と言われるほど調子がよく、「あとは気持ち!中から湧き上がる気持ちを大事にしてね」と何度も言われました。
しかしやはり体力がかなり落ちていたようです。前半はまあ何とか、後半の日本歌曲もまあま何とか行けましたが、プログラム最後のメイン曲「春の声」ではさすがにもう筋肉が引っ張れなくなってしまい、せっかくW先生直伝の「側頭骨共鳴」でラクに出るようになっていたハイCも残念ながら落ちてしまいました。
アンコールで歌った「Stand alon」も途中で歌詞が真っ白になってしまい、M先生に歌ってもらってつなぎました(笑)。アンコール2曲目の「God bless you」でも歌詞を間違えました。まあしかし、これはご愛嬌(と自分で言ってはいけませんね)。
そういう大小の事故はあったものの、それでも歌いながら心から感じたことは「私は何という幸せ者だろう」という深い喜びと感謝でした。まず、お客様が素晴らしかった。最初から最後まで本当に温かい雰囲気に満ちていました。お客様との一体感をこれほど感じられるなんて本当に幸せなことです。歌い手にとってこれにまさる喜びはないと言ってもいいのではないかと思います。また、伴奏者の音楽性と人柄にどれほど助けられたかわかりません。M先生があまりに気さくなので、つい当たり前のような気になってしまいますが、そもそもこれほどのアーチストが共演を自ら申し出て下さるということ自体が大変なことです。
教会という場の力も大きかったと思います。よく響きますし、本来が祈りの場ですからコンサートホールとは雰囲気が違います。この静謐さが、歌う作品の歌詞や音楽をくっきりと浮かび上がらせてくれるような気がします。この教会がM先生のゴスペル教室の会場になっている関係で、リサイタルに使用させて頂くことも快くご了承下さいました。これも本当に有り難いことです。そして、裏方で手伝って下さった私の生徒さんや友人たち。皆さん快く雑事を引き受けて下さいました。
こうした様々な有形無形の土台の上に乗せて頂いて、心ゆくまで大好きな歌を歌い、お客様とその喜びを分かち合える幸せ。これを「果報者」と言わずして何と言うべきか。大仕事を終えた今、私の心を占めているのはそんな思いです。
誰の人生もそうでしょうが、人間、40年以上も生きればそれなりの紆余曲折を経てきています。それでも、後で振り返った時にそれらのすべてを「あの時があったから今がある」と思える、そういう生き方ができれば人生は成功なのではないでしょうか。私にも、「いっそ私から歌を取り上げて下さい」と天に祈った時もありました。それでも、天は「歌っていいんだよ、頑張りなさい」と無言のうちに私を励まし、後押ししてくれました。そして今、「歌ってきてよかった」、「これからも歌い続けよう」と心から思えるこの幸せ。言葉には尽くせません。
もちろん、課題はまだまだいっぱいです。少しずつでも精進を続け、近い将来「春の声」のリベンジに挑戦したいと思います。
最後に、本日のリサイタルにご厚情をお寄せ下さった読者の皆様に改めて心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。