2021年05月14日 | 日記
クリスティナ・ロセッティという18世紀イギリスの詩人に「風を見た人」という作品があります。これを西条八十が訳し、草川信が曲を付けた童謡があることを知りました。

Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro'.

Who has seen the wind?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく

誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

私は近くの高校のコーラス部に月2回ボイストレーニングに行っているのですが、そこで今「風を見たひと」という女声3部合唱曲をやっていて、いい曲だなと思ってテキストについて調べてみたら、なんと西条八十・草川信のペアによる童謡があったのですね。さすが西条八十、この訳詞の何と魅力的なこと!子供の頃歌いたかったな、と思いました。
高校生が歌っている合唱曲は、木島始の訳詞に木下牧子が付曲したものです。

風をみたひとが いるかしら?
あなたも わたしも 見ちゃいません
でも 葉っぱが 垂れて ふるえていたら
風が 吹きすぎているのです

風をみたひとが いるかしら?
あなたも わたしも 見ちゃいません
でも 木々が 頭で お辞儀をしていたら
風が 吹きすぎているのです

この訳詞もいいですね。「見ちゃいません」という表現がちょっと気になりますが、女流詩人の原詩だからか、女性の口調で訳されていて、平易で親しみやすく、八・五調がベースになった韻律も適度にリズミカルで素敵です。
冒頭の「風をみたひと」という言葉にまず心をとらえられます。風はヘブライ語で「ルアッハ」、ギリシア語で「プネウマ」で、魂とか気息という意味もあるのです。以前「千の風になって」という曲が大ヒットしましたが、あれも元々はネイティブアメリカンに伝承されている詩なんですよね。風を霊魂ととらえる発想は、どうも集合的無意識のようです。
以前、特別支援学校の先生が、生徒さんに「先生、風を見たことある?」と聞かれて「風は見えないのよ」と答えてしまい、その後ずっとそのことが心に残っていた、と話して下さったことがありました。この話、とても印象深く覚えています。そのお子さんにはきっと風が見えていたのでしょうね。残念ながら私にも風は見えませんが、風に息吹を感じることはあります。呼吸と大いに関連があるテーマだと思っています。

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