B.フリットリの至芸

2012年01月31日 | 日記
「世界の5大ソプラノ」というカテゴリーがあるとすれば、まず間違いなくその中に入ると思われるバルバラ・フリットリ。今日は彼女のリサイタルを聴きに福岡まで出かけました。
素晴らしかった!敢えて3階の桟敷席で聴きましたが、見事に声が飛んできます。ベルベットのような潤いのある美声が低音から高音まで全くムラなく響きます。完璧な発声です。ベッリーニ、ヴェルディ、ロッシーニ、デュパルクのよく知られた短い歌曲ばかりを、はったりのない、抑制の効いた端正な歌いぶりで聴かせてくれました。衣装も地味で上品です。このプログラミングでこれほどの感動を与えることのできる歌い手も珍しいのではないでしょうか。
ピアノのエンリコ・マリア・カッチアーリも名脇役でした。イタリアンな明るい音色と柔らかなリリシズムが見事に融合した伴奏です。歌の合間合間にピアノ・ソロも披露してくれました。ロッシーニの「老年のいたずら」という組曲から数曲と、フォーレの小品も。今夜の歌にマッチした心にくい選曲でした。
どの曲だったか、フリットリが歌の途中で体の向きを変え、ほぼ真横を向いた状態で数小節を歌った場面がありましたが、客席に届いてくる響きが全く痩せません。彼女の発声の素晴らしさを垣間見た瞬間でした。
鳴りやまぬ拍手に応えて歌ってくれた2曲のオペラアリアも、格調高い名唱でした。1曲目が「アドリアーナ・ルクヴルール」のアリア「私は芸術のしもべです」、2曲目が「トスカ」のアリア「歌に生き、恋に生き」。どちらも最後の高音が息をのむような美しさで、聴衆一同魂を奪われてしまいました。
歌には人柄が表れると言いますが、フリットリはきっと知的で心の温かい人なのだろうと思います。こんな幸せな一夜を贈ってくれたフリットリに心から感謝したいと思います。

バロメーター

2012年01月29日 | 日記
今日は聖歌隊のヴォイトレの日でした。午前中に合唱団の練習を終え、フェリーで教会へ。暮のクリスマス会で素敵なア・カペラのアンサンブルを聴かせて下さった4人組ですが、今日はお仕事の都合でお一人欠席で、3名でのレッスンでした。
ここのヴォイトレは、ストレッチや発声、コンコーネまでを全員一緒にやって、その後お一人ずつのレッスンをしています。しばらくの間クリスマス会に向けてアンサンブルの練習に集中していたので、今日は久し振りにお一人ずつの声を聴きました。牧師さんと若い信者さんはイタリア歌曲、牧師夫人はモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のソプラノパートを持ってこられました。
レッスン後のティータイムで、牧師さんが「いつも思うのですが、私たちは猿回しの猿みたいなものですね。先生に言われる通りに声を出していれば喉にも来ないしラクに歌えるけれど、自分で練習しているとヘンなところに力が入ったり、妙に疲れたりしてうまくできないんですよ。」と言われました。続けて「でも、先生に来て頂くようになって約2年になりますけど、今日の礼拝でMさん(音楽がご専門の女性信者さん)が「聖歌隊の皆さん、随分良くなってきましたね。2年前とは全然違いますよ」と言われたんですよ。多少は進歩しているのでしょうか」と。すると牧師夫人が「最初の頃に比べると声がラクに出るようになりました。自分でも2年前とは明らかに違うと思います」と言われました。そこで私も申し上げました。「2年前とは本当に違いますよ。私も人さまには偉そうに教えさせて頂いていますけど、自分で練習すると声がかれたりするんです。発声って本当に難しいもので、良い状態の時には変なリキみもなく、声が自分から離れていくので、その状態を覚えられないんです」と。
これまで私が習った先生は皆そのようにおっしゃっていましたし、今にして私も同じことを言っています。つまり、良い発声の時は全身の筋肉の引っ張り具合のバランスが絶妙にとれた、いわば±0の状態なので、力が入っているとか緊張しているという感覚がないのです。しかも、十分に開いた息の通り道を呼気が高速で頭上に通り抜けていくので、まさしく「風が吹き抜けた」ような心地で、声を出している最中にその「よい状態」を観察したり分析したりすることができない、つまり「よい状態を覚えられない」のです。
逆に言えば、声を出している最中に身体のどこかにリキみを感じたり、自分の声がとても立派に聞こえたりする時は「よくない状態」だということですね。良い状態を覚えられないのであれば、よくない時のバロメーターを持つしかありません。そして「あまり練習しないこと」が大事です。これは器楽とは大きく違う点です。よい発声を身につける秘訣は、なるべく自分ひとりでは練習しないでレッスンに頻繁に通われることです。レッスンでだけ声を出していれば、声を出すことと「よい状態」とが結びつきやすくなりますから。また、発声が良く、自分の声質に似ている歌手のCDを繰り返し聴くことも大事です。CDに合わせて声帯が内唱(共振)するからです。
声楽の練習は、ヤミクモに声を出すよりもむしろ、良い発声の時の状態を思い浮かべたり、良い発声のCDを聴いたり、楽譜や歌詞を深く読み込んだり、質の良い食事や睡眠、適度な運動を心がけたりといった間接的なアプローチの比重が高いものです。そのことが性格にも反映するのでしょう、声楽家には楽器の演奏者と比べて能天気な人が多いですね(笑)。

体解

2012年01月28日 | 日記
今日一番印象に残ったことは、「口の奥の突き当りの壁をもっと後ろに引いて息の通り道を作り、息を上へ飛ばして下さい」という説明がなかなか通じなかった方に、一計を案じて後ろ向きに歩きながら声を出してもらったら見事成功したことでした。息を前に吐き出さない、というのは案外難しいことなのですね。後ろを通って上へ、という理屈はわかっても、口は前についているからどうしても息が前に出てきてしまうのです。後ろ向きに歩けば「後ろへ」という意味がわかる、というのは、考えてみれば当然のことです。「平清盛」の題字を書かれたダウン症の書家、金澤翔子さんの母上が、幼い頃の翔子さんに「平行」の意味を理解させるために手を繋いで一緒に線路を歩いた、という話を聞いて感服しましたが、本当の理解とは身体でわかることです。「円周」を理解させるためにクラス全員で輪になって手を繋ぎ、間隔を保って時計回りや反時計回りに歩くという教育方法を読んだことがありますが、この学校の子たちは「2乗」と言えば反射的に面積を、「3乗」と言えば体積を連想するのだとか。私など単に計算上の約束事としか思っていませんでしたが、身体感覚と結びついた理解というのは文字通り「身に付いた理解」ですね。
発声はもちろん身体で理解しなければ意味がありません。正しい知識は必要不可欠ですが、それだけで正しい発声が身に付くものではありませんから。しかし、身体で理解できるように導くのは大変に難しく、教えることの大変さはそこにあります。言葉であれこれ説明するとかえってわからなくなることもありますが、とは言え、言葉を介してしか教えることはできませんから。やってみせ、真似してもらうというのも、何を真似するのか、どのように真似するのかを言葉で説明しなければなりません。だから私のレッスンはどうしても言葉が多くなり、時々自分でもいやになってしまうことがあります。もっと要領簡潔な説明はできないものだろうかといつも悩みますが、悩むのも仕事のうちですね。今日も、韓国人女医のYさんに「上顎を挙げて下さい」と言ってもうまく通じず、顎を台に載せて口を開けてもらい、「もう少し上顎を持ち上げてみて下さい」と言ったらやっとわかってもらえました。「日本語が通じていませんでした」と笑っておっしゃって下さいましたが、これはYさんの日本語能力の問題ではなく、私の説明の仕方の問題です。
東京の師匠も時々、「言葉って本当に難しいのよねえ。全然違って受け止められることもあるのよ」とおっしゃいます。以前、頭の後ろを開けるようにしてごらんなさい、という説明に対して、「観音開きにするんですか?」と訊き返されてびっくりした、とおっしゃっていました。言葉って本当に難しい!

ロシア民謡

2012年01月27日 | 日記
今日は音楽療法士をしている友人がカフェレストラン「みなみのかぜ」の月例コンサートで歌うので、聴きに行ってきました。オールロシア民謡のコンサートで、プログラムには懐かしいロシア民謡の題名がずらっと並んでいます。このレストランは障がい者福祉サービス事業所で、私も定期的に利用者さんのヴォイトレに伺っていますが、ここの本部長がロシア民謡好きなので、今日は本部長も「ポーリュシカシカポーレ」と「山のロザリア」を歌うことになっているとのこと、楽しみに待ちました。
コンサートはロシア語と日本語による「黒い瞳の」で幕開けしました。「ともしび」、「トロイカ」と続きます。憂いを帯びた短調の調べが郷愁を誘います。ここで本部長が登場して「ポーリュシカポーレ」を披露。本部長も私のヴォイトレに参加していらっしゃるので、しっかり声が出ています。続いて「バイカル湖のほとり」、「小さいぐみの木」、「カチューシャ」と続きました。
休憩後は副施設長がロシア民謡について少しレクチャーをするとのこと。登場した副施設長の話で面白かったのは、有名な「一週間」という歌の歌詞の内容についてでした。子どもの頃、「月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂にはいり...」という歌詞を読んで「月曜日に焚いたお風呂に火曜日に入るのでは、何度も追い焚きしないと冷めてしまうんじゃないかと心配した」とおっしゃるのです。私も同じ疑問を抱いた記憶があるので笑ってしまいました。そして「主人公は結局一週間のうち何日仕事をしたのでしょうか?」と問いかけられました。答えは「0日」です。日曜日は糸と麻を買ってきただけ。月曜日はお風呂をわかしただけ。火曜日はお風呂に入っただけ。水曜日は友達が来た。木曜日は友達を送って行った。金曜日は「糸巻きもせず」、土曜日は「おしゃべりばかり」。ロシア人っておおらかな人たちなんだなと思いました、というコメントに一同失笑。確かに、歌の歌詞には時々「?」と思うものがありますよね。
さて、後半は「赤いサラファン」、「コサックの子守歌」、そして再び本部長が登場して「山のロザリア」。伴奏者のソロで「アンダンテ・カンタービレ」の美しいメロディが奏でられた後、「モスクワ郊外の夕べ」、「カリンカ」と続いて終わりました。この後、「ともしび」、「トロイカ」、「一週間」、「泉のほとり」、「カチューシャ」を会場の全員で歌いました。歌詞はプログラムに載せてあります。皆さんしっかり声を出して歌っておられます。鈴が配られ、皆で鈴を鳴らしながらの熱唱です。
本部長が「アンコールに何か歌ってほしい曲は?」と水を向けると、「ステンカ・ラージンをお願いします!」との声。なぜかたまたま「ステンカ・ラージン」の歌詞を大きく書いた模造紙があったので、それを見ながら皆で声を合わせて歌いました。すると次に、小学生ぐらいの女の子が「カリンカを歌って下さい!」と声をあげました。演奏者が身振り手振りで皆を誘導し、これも一緒に歌いました。リクエストした女の子が「この歌、面白くて好き!」と喜んでいました。
ロシア民謡は「うたごえ喫茶」全盛期に日本中に拡がり、歌われました。私が子どもの頃にはもうブームは去っていましたが、大人たちがこれらの歌をよく歌っていたので、特に習った記憶はありませんが大体の曲は歌えます。中でも私は「ステンカ・ラージン」と「赤いサラファン」がとても好きでした。また「カリンカ」は、高校生の頃ロシアの(サーカスか何か、忘れてしまいましたが)有名な団体が何かの催しで熊本に来て、交流会のようなことが高校の体育館で行われた時、私が所属していた合唱部が歓迎の意をこめて歌ったことがあります。もちろん日本語で歌ったのですが、ロシア人たちがとても喜んで手拍子をしてくれました。「カリンカ」はテンポが緩急自在に変化するので手拍子を打つのは結構難しいのですが、さすがに本家本元だけあって見事にピタリと歌に合わせてくれました。後で指揮者の先生が「裏打ちであんなに上手に手拍子してくれるなんて、すごいリズム感だね」とおっしゃっていたのを印象深く覚えています。
戦後シベリアに抑留されていた方たちや、満州から引き揚げてきた方たちによって日本に伝えられたと言われるロシア民謡ですが、今の若い人たちにはもうなじみの薄いものになってしまっているでしょうね。残念な気がします。私は母方の祖父母が満州からの引揚者だったことが何か影響しているのか、小学校5年生の時に校内器楽合奏コンクールで「満州の丘に立ちて」という曲を聴いて非常に強烈な印象を受け、それから1年間、翌年のコンクールの時期まで「あの曲を演奏したい」と思い続けていた記憶があります(残念ながら多数決により夢は叶いませんでした)。また、高校の頃、国語の教科書に掲載されていた、シベリア抑留体験に基づいて書かれたエッセイ風の短編に強く心を奪われ、学校の休み時間や通学のバスの中で繰り返し読みました。梅崎春生の『赤帯の話』という短編でした。寒さに極端に弱い私が極寒の地の話になぜこれほどまでに惹きつけられるのか、自分でも不思議でした。
あの頃から30年もの月日が過ぎ去りました。満州から引き揚げてきて明治、大正、昭和、平成の4つの時代を生きた祖母もとうに鬼籍に入り、満州やシベリアという言葉も久しく聞いていません。しかし、流れゆく時の中で、歌は生の証であるとともに記憶と伝承のツールでもあります。ロシア民謡によって、すっかり忘れていた様々なことを久し振りに思い出した一夕でした。

言葉遣い

2012年01月26日 | 日記
先日の生涯学習フェスティバルの発声セミナーを受講され、「個人レッスンを」とのご希望で今日初めてレッスンにみえた70代の女性Nさんは、とても言葉遣いの美しい方でした。長年日舞をやっていらっしゃるそうです。昨日、高校生のT君が、コンビニの店員さんが「~のほう」という言い方をするのがとても気になる、と言っていたのを思い出し、Nさんのような生きたお手本が身近にあれば、若い人にも美しい言葉遣いが自然と身につくだろうに、と思ってしまいました。
言葉は生きていますから、使われているうちに使われ方が変わってくるのは自然の成り行きです。年輩者はよく「日本語の乱れ」を指摘し、嘆きますが、それは「乱れ」と言うより「揺れ」や「変化」かもしれないので、明らかな誤用でなければあまり目くじらをたてるのも大人げないような気がしないでもありません。
と言っておきながらナンですが、実は私、言葉には人一倍神経質なたちでもあります。自分では結構いい加減な言葉遣いをしているくせに、他人の言葉遣いは気になる。以前某大学でレポートや卒論の書き方の指導マニュアルを作る仕事に数ヶ月間従事したことがあり、若者が日本語を使いこなせていない実情には少々心を痛めています。
若い人たちの話し言葉を聞いていて、自分とは違う言い方を新鮮に感じたり、「うまい!」と感心したりすることもよくあります。「まぎゃく」という言い方を初めて聞いた時は、「正反対」という意味だということがとっさにはわからず、一瞬置いて「なるほど、短くていいなあ」と思いました。ただ、漢字で「真逆」と書くと、私などは「まさか」と読んでしまいますが(笑)。
「やっぱり」を「やっぱし」、「その代わり」を「そのかわし」と言うのは滑舌の関係だろうと思います。ら行は言いにくいですから。私は「やっぱ」になることが多いです。言いにくい音は無意識に省略してしまうんですね。
いい歳の大人が、相槌をうつのに「です、です」と言ったり、「だから」というところを「なので」と言ったりされるのを聞くと、この人若いなあ、と思います。「です」は「そうです」の省略ですね。言葉が磨滅して短くなっていく現象は理解できます。しかし、「だから」が「なので」に転換される理由はよくわかりません。字数も言いやすさもそんなに変わらないのに、「なので」が話し言葉界を席巻しているのはなぜでしょう?どなたか教えて頂けませんか。
さて、T君の気にしている「~のほう」については、今日、笑える経験をしました。ガソリンスタンドでの会話です。「こちらのほうへどうぞ。」「レギュラー満タンでお願いします。」「車内、灰皿やゴミのほうございませんか?」「このゴミを捨てて頂けますか(携帯用ごみ箱を渡す)。」「はい。ごみ箱のほう、お返し致します。」「(雑巾を渡してくれながら)こちら、中拭きのほうにお使い下さい。」「ありがとうございます。」「満タンのほう、入りました。1,742円のほうになります。」「(1,752円を渡して)はい、これでお願いします。」「1,752円のほう、お預かり致します。こちら、10円のほうのお返しになります」「ありがとうございました。」「どちらのほうに出られますか?」「左手に出ます。」「左のほうですね、誘導しますので、こちらのほうからご移動下さい。」以上。感じの良い若い男性の店員さんでしたが、昨日の話を思い出し、笑いをこらえるのに苦労しました。昨日の話というのは、T君は「右のほうにご移動下さい」というのはいいとしても「こちら、レシートのほうになります」というのはおかしい、というのです。私などは「右のほう」も気になるタイプで、「右手にご移動下さい」が本当だろうと思ってしまうのですが、T君は「方角や方向を表す場合は「~のほう」も許容される」と言いたいのかな、と思ったので、今日の会話の中でも、これは方角についている「~のほう」なのか、それ以外の「~のほう」なのか、とつい分類しながら聞いてしまいました。店員さんゴメンナサイ(笑)。
「~のほう」以外にも違和感を感じる言い回しはいろいろあります。もう10年以上前のことなのに鮮明に覚えている会話が2つ。一つは、年下の男性から「ぼくも頑張らさせていただきますので、吉田さんも頑張られて下さい」と言われたこと。もう一つは、コンビニで支払いに1万円札を渡したら、「こちら、1万円からでよろしかったでしょうか?」と言われたこと。前者は意味は理解できましたが、後者は何を言われているのか全然わからず、何かマズイことをしてしまったのかと凍りつくような気持ちでした。今では、誤用とはいえよく耳にする言い回しになってしまいましたが。これは何でも、コンビニの接客マニュアルにあった「Could you~?」という仮定法の表現を過去形として直訳したのが間違いの始まりだったという話です。なるほどね。
言葉のついた音楽である歌を生業とする身としては、美しい言葉遣いを大切にする気持ちを失ってはならないと思いますが、言葉とは、言葉を超えたものを表現するためのツールです。「ありがとう」という言葉ひとつ取っても、それは感謝の気持ちの伝達手段なのですから、言葉尻を捉えて批判するより、相手の意を汲むことの方が大切だと私は思います。しかし、正確で美しい表現は人格を作ると思いますから、若い方は特に、Nさんのような方と積極的にお話して表現力を磨くといいいですね。――私も、ですが(笑)。