今日は何の日

2012年10月31日 | 日記
確か、こんなタイトルのラジオかテレビの番組があったと記憶しています。
今日はハロウィーンですね。さっきコンビニでコピーを取っていたら、突然あたりがガヤガヤと騒がしくなって若い女性たちの「かわいい~!」という甲高い声が聞こえてきたので、何かと思って振り向いたら仮装をした小さな子供が店内に入ってきていました。最近では仮装やかぼちゃの飾り物が日本でもすっかりおなじみになってきましたが、ハロウィーンというのは明日の「諸聖人の祝日(万聖節)」の前夜祭なんですよね。万聖節はカトリックで天国の諸聖人を記念する祝日だそうですが、歌うたいにはその翌日の「万霊節」の方がなじみがあります(有名なシュトラウスの歌曲がありますから。ちなみに、私はこの「万霊節」を卒業試験で歌いました)。すべての死者の霊を慰めるという、日本で言えばお盆のような日です。
シュトラウスの「万霊節」は名曲ですが、もうひとつの万霊節の歌であるシューベルトの「連祷」も美しい歌曲です。地味好みの私にはシューベルトの方がぴったりきます。大学時代に、「Ruhn in Frieden, alle Seelen(すべての魂よ、安らかに憩いたまえ)」という歌詞で始まるこの歌を初めて歌った時、その祈りに満ちた静謐な調べに思わず胸が熱くなりました。
Iさんが先月この「連祷」をレッスンに持ってこられましたが、この曲は最初の「Ruhn」の発音が難しいのです。巻き舌のrも難しいのですが、uの母音はもっと難しい。日本語の「う」と違って、ドイツ語の「u」は口の奥を深く開けて発音しなくてはいけません。口をあまり開けずに喋る日本人には、ドイツ語の深い「u」の発音はとても難しいのです。上あごをしっかり引き上げながら、口の中に棒を突っ込む感覚で深く開ける練習が必要です。その時腹筋が動きます。口が開かないのは、一つにはお腹を使っていないからなのです。そう言えば、著名なイタリア人歌手の公開レッスンを聴きに行った時、講師に「もっと口を開けなさい」と言われた受講生が「どうやって開けたらいいんですか?」と尋ね、通訳の人が「ただ開ければいいんです」と勝手に答えたので、義憤に駆られた私は主催者に文句を言おうかと思ったことがありました(しかしやめておきました)。おそらく、ちゃんと通訳したとしても、イタリア人にはなぜ日本人が口が開かないのか、どうしたら開くのかは分からないでしょう。ドイツの講習会でも、日本人は口が半分しか開いていない、と指摘されましたが、それは身体を使わずに下あごに力を入れて口先だけで喋る日本語の特性から来るのですから、それを克服する効果的な方法を考えなくてはいけません。
rもuも難しい上に、次のnがまた難しい。nは舌を持ち上げて上あごのどこかに付けた状態で、身体の緊張をゆるめずに発音します。Ruhn in Friedenと最初の3つの単語の語尾がすべてnなので、これだけでも相当気をつけていないと息が落ちて響きがなくなります。シューベルトの歌曲はシンプルで音が少ないものが多いので、とても発声の勉強になります。
さて、今日はハロウィーンだけではありません。1517年10月31日は、かの有名なマルティン・ルターがヴィッテンベルク城の城壁に「95カ条の提題」を発表してカトリック教会の腐敗を断罪し、免罪符の販売に異を唱えた日です。すなわち、今日は「宗教改革記念日」なのです。私は子どもの頃プロテスタントの日曜学校に通っていたので、自分の誕生日が宗教改革記念日であることが密かな誇りでした。そう、今日は私の誕生日なのであります(笑)。中1の生徒に「先生、何歳?」と訊かれ、「辰年生まれよ」と答えたら「僕のおばあちゃんと同じだ!先生、72歳?」と言われて卒倒しかけましたが(笑)、12の倍数よ、と言ったら「12、24、36...」で止まってくれたので(?)、彼の頭の中ではきっと私は36歳になっていると思います(笑)。

秒読み

2012年10月29日 | 日記
合唱団のコンサートまであと3週間です。自分のリサイタルだったらこれから本腰を入れて暗譜に取り掛かろうかというところですが、あいにく合唱はソロと違って全員が集まらないと練習になりません。そして、全員が集まる練習はあと2回しかない!これはもう秒読みに入ったということですね。本番の前に小さな本番があるので、そこでピリッと引き締まって本番になだれ込むだろうと踏んではいますが、本番は曲数が多い上に最後の一曲が大曲なので、団員の皆さんのスタミナが切れないかどうかが一番の懸案事項です(春のリサイタルで最後に胸突き八丁の大曲を持ってきて青息吐息になった記憶が生々しい私としては)。
本番を迎えるまでには見えない仕事がたくさんあって、肝心の演奏のことにあまり気が回らなくなるのが常ですが、忘れてはいけないのが「歌う喜び」です。皆歌が好きで集まって来て、自分たちで歌っているだけでは収まりきれなくて他人様にまで聴いて頂こうとしているのですから、お客様に「みんな楽しそうね」と思って頂くことが一番大事なことだと思います。楽しそうな歌声を聴けば聴いている人も楽しくなるでしょうし、楽しんで頂ければ「来てよかった」となるでしょうから。
楽しいと言っても、そこは真剣勝負ですから聴く側にも演奏する側にもある種の緊張があるのは当然ですが、お客様に「歌うのも大変だねえ」とか「演奏会をするのも大変だねえ」などと思われては、その演奏ははっきり言って失敗です。ましてや、「ああ、疲れた」などと思われるようでは大失敗ですね。そして、お客様が良い気分で帰って下さるかどうかの鍵は、技術的な巧拙にではなく、歌う側に「歌う喜び」と「歌えることへの感謝」がどれだけ実感されているか、というその一点にあるのではないかと私は思っています。
演奏会には、お客様に楽しんで頂くためのいろんな仕掛けが必要です。照明、衣装、配布プログラム、MC(曲間のおしゃべり)などなど。それらすべての準備を、こちらも楽しみながら進める。「見て見て!」、「聞いて聞いて!」という感じですね。そして演奏は、作品に心から感動しながら歌うこと、でしょう。ああ、この曲が歌えて幸せ!この気分こそ、緊張し過ぎて自滅するのを防ぐための最大の武器です。
無論これはやるだけのことをやった上での話です。とは言え、やるだけのことをやったと思える本番なんておそらく一生のうちに何回あるかわからないぐらいのものではないでしょうか。あれもこれもやってない、という焦りとともに本番を迎えざるを得ないのが残念ながら私たちの現実です。だからこそ、一番大事なことを忘れないようにしないといけません。その一番大事なことが「喜び」と「感謝」ではないか、と私は思っています。
今日は自分に言い聞かせるようなブログになりました。実を言えば昨日から、若者用語で言うところの「いっぱいいっぱい」感をどうやって打破しようかと必死だったのです。お陰様ですっきりしました(笑)。お付き合い頂いて有難うございました。

理論と実践

2012年10月27日 | 日記
夜なべ仕事のチケット作りが終了しました。同時にチラシが刷り上がって配達されてきました(12月の演奏会の話です、前置き無しで失礼しました)。ホントに演奏会をするんだなあと実感が湧いてきました。
種々雑多な生業を持つ私は、純粋に自分のための練習時間はほとんど取れません。しかし、生徒さんがレッスンに来て下さるお陰で声のコンディションを保つことができます。レッスンの時には必ずレスナーが声を出してお手本を示さないといけない、というのがW先生のポリシーで、私も瞬間的ではありますが必ず声を出しています。器楽もそうでしょうが、身体の使い方なども含め、真似すべき手本を示すのがレッスンの基本形だろうと思うからです。それに、生徒さんは達は正しい発声を身につける途上にあって不安定なので、それに対して正しい発声で返さないと、こちらに生徒さんの発声がうつってしまうのです。つまり、こういう「必ず正しい発声で返す」という作業のお陰でレスナー自身のコンディションが保てるわけですね。
しかし、真似には危険な一面もあります。いくら正しい発声で返しても、その音色を真似するのは危険です。たとえ同性同士であっても声帯の太さが違うと音色が全然違うからです。声をまねて喉をこわす悲劇は時々起こりますが、W先生のお弟子さんの中に、大学で師事した先生がコロラトゥーラの方で、レッスンで声を転がす練習ばかりさせられて、本人もご自分はソプラノだと思い込んでいたのに、W先生のところでレッスンを受けるうちにだんだんアルト(それもコントラルト)の音域が充実してきて完全に声域が変わってしまった方がいらっしゃるそうです。私はその逆で、ずっとアルトだと思って歌ってきたのが、実はソプラノでした。
こうした事実が何を意味するか、です。真似すべきは声ではなく「合理的なメソッド(方法)」なのです。技術の習得とは「方法の習得」に他なりません。発声も純然たる技術ですから、精神論やイメージだけでは習得できないのです。そして、合理的であるということは理論があるということですから、曖昧さをできる限りなくして明快に説明できるよう理論化しないと、人に伝えることはできません。私が理論を大切に思うのはそのためです。
但し、発声とは、これほど習得の難しい技術もあまりないのではないかと思いたくなるほどのものでもあります。声帯も筋肉も骨格も人それぞれに微妙に異なります。その差異を踏まえつつ個々人に合ったテーラーメイドのメソッドを編み出していかなければならないのですから、レスナーにはたくさんの引き出しが必要です。自分に合ったメソッドをしっかりと体得した時に初めて発声が身に付くのであって、決して本を読んだりレッスンをそばで聴いているだけで身につけることはできないものです。
W先生が発声の本をお書きになるそうです。発声の理論化は関係者の長年の悲願なので、待ちに待った朗報ではありますが、実際のレッスンとセットでしか効力が発揮されないものであることを肝に銘じておく必要がありますね。

リサイタルの準備

2012年10月25日 | 日記
自主リサイタルの準備期間に一番エネルギーを消費するのは歌の練習ではなく、実はチラシ、チケット、配布プログラムの作成、そして曲目解説や歌詞対訳の執筆です。次がチラシ撒きとチケット販売。歌の練習は文字通り二の次、三の次です。ところで「二の次」という言葉はちょっと変ですよね。だって二の次は三ですから(笑)。
それはともかく、12月のリサイタルが迫り来る中、先日やっとチラシの原稿を印刷屋さんに入稿しました。数日中に届く予定です。チラシのデザインは最近は友人のデザイナーに発注するようになりましたが、チケットとプログラムは、経費節減のため自分でデザイン(というほどのものでもありませんが)を考え、自宅のPCとプリンタを使って作ります。チケットは写真用光沢紙というものを文房具屋さんで買って来てプリントし、定規と普通のカッターとミシン目カッターを使ってカットします。プログラムは厚手のカラーコピー用紙を買って来て印刷します。無料イラストを検索してよさそうなものを貼りつけたり、活字のフォントやポイントを工夫したりと、なかなか気骨の折れる作業ではありますが、それなりに楽しみながらやっています。
一番時間がかかるのが歌詞の翻訳作業と曲目解説ですが、これは私にとっては歌の練習以上に充実感を伴う作業で、私はこの作業を経ないと暗譜ができません。歌詞を吟味しながらふさわしい日本語に置き換え、作曲者や作品の特徴、作曲の経緯や時代背景などをいろいろ調べながらできるだけわかりやすい表現で簡潔にまとめていくのは、まるで推理小説を読みながら謎解きをしているような高揚感があります。こうしてしっかりと曲が手のうちに入ってしまってからやおら実際に声を出して歌う練習に取り掛かるわけですが、それは大体本番2週間前。それでよく本番に間に合うね、と器楽の人たちからは驚かれますが、歌は単旋律ですから、よほどヘンテコリンな曲でない限り譜読みはピアノなどとは比べ物にならないほどラクなのです。譜読みより、伴奏との絡みを覚えたり、伴奏と一体になって表現の工夫をしたりする方に労力を要します。歌詞を覚えるのは、器楽の方たちには無い作業なので「よくあんなにたくさんの外国語の歌詞を覚えられるね」と感心されたり尊敬されたりする(のでちょっと気分がいい(笑))のですが、翻訳や解説の作業の中で歌詞の意味内容はしっかりインプットされているので、あとはメロディに乗せるだけ。この段階まで来れば、ゴールが見える感じになります。
さて、12月4日のリサイタルの準備はどこまで進んだかと言えば、現在、チラシとチケット作成の途中です。これから配布用のプログラムを作ります。翻訳と解説は11月に入ってからになるでしょう。順調に進めば11月中旬には暗譜に取りかかれるでしょうが、何しろ今年は11月18日に合唱団の演奏会を控えている上、11月25日はあいぽーと文化祭で無料体験発声講座、12月1日にはもう一つの合唱団の小ステージ、12月2日にはパレアで発声セミナーがあります。大学の授業やレッスンも普段通りにありますから、エネルギー配分をよく考えて一日一日を大事にしないといけませんね。
案外、こういう綱渡り的な生活が私の心身を鍛えてくれているのかもしれません。性分なのでしょうが、時間や気持ちに余裕を持って事に臨むということがどうしてもできない私。お陰で、根拠もなく「何とかなる」と信じられる楽天性が身に付きました。実を言うと、私が指揮をしている2つの合唱団も、本番を控えていながら客観的にはかなり危なっかしい現状です。しかし、自分の例を敷衍して「何とかなる」と信じています(笑)。「火事場の馬鹿力」は馬鹿にできないものです。皆様、どうぞお楽しみに(何を?)。

アインザッツとアンザッツ

2012年10月23日 | 日記
昨日、今日と男性のレッスンが続きました。私はソプラノなので、バリトンやバスの音域は実声では全く出ません。W先生は男性のレッスンをする時は地声で教えるとおっしゃっていましたが、メゾソプラノW先生でもそうなのですから、私はなおのことそうせざるを得ません。テノールの場合はメゾの音域と割と近いので分かりやすいけれど、バリトンの場合、女性の指導者が裏声で歌ってみせてもピンと来ないのだそうです。確かにそうですよね。
前回上京した時に「男性の方の教え方を教えて下さい」とお願いしたところ、地声の出し方を教えて下さいました。1.椅子に深く腰掛ける。2.背もたれを背中で押すようにする。3.お腹は前へ突き出すようにする。4.口蓋垂を引き上げる。5.下あごをラクにして地声を出す。こうすると喉が痛くなりません。地声は胸声とも言うぐらいですから、声が胸板に当たっています。しかしこうすると息が喉にひっかからずに上へ抜けてくれるのです。
W先生が「アインザッツ」と「アンザッツ」についてレクチャーをして下さったことがあります。アインザッツはフレーズの最初のきっかけのことです。身体を外側に開いて口の奥を深く拡げ、息を素早く後ろから上へ回して、声が頭の上で鳴るようにするのがアインザッツの取り方です。
一方、「アンザッツ」は声が当たる場所のことなのだそうです。高い声は額に、低い声は胸に当たります。無論、声は骨に当たって鳴るので頭蓋底や背骨や腰骨が鳴るのですが、胸にも響きます。W先生は、「非科学的な表現だけれど、息と声を分けて考えると分かりやすいのよ」とおっしゃいました。つまり、息は常に上に超高速で抜けていないといけない(呼気は常に垂直方向に上げる)が、声は音域によっては胸に落とす、ということです。
私は最初、息を上へ抜きながら声だけ胸に落とす、という意味がよくわかりませんでした。しかし男性の方たちを教えながら実際に地声を出してみせているうちにわかるようになりました。このやり方だとあまり喉に障りません。とは言え、地声は声帯を厚く使うので、声帯にかかる負担が大きいことは事実です。決して声を前へ押し出そうとせず、口蓋垂をしっかり引き上げておけば大丈夫。
地声と頭声のミックスの仕方や加減の仕方も教えて下さいましたが、私はまだこれがあまりうまくできません。先日W先生の個人レッスンを受けたメゾソプラノの方は実に見事にできていました。声帯の厚さ(重さ)が多少ある方がうまくいくのかもしれません。私も、特に男性の方のために裏声、ミックス、地声をスムーズに連結する方法をマスターしたいと思います。