熊本県立劇場の文化事業としてシュトゥットガルト室内合唱団が熊本へやってきました。今日の公演に先立ち、昨日は合唱のワークショップが行われ、私たちの合唱団も参加させて頂きました。
指揮者のベルニウス氏は当年とって68歳。練達のマエストロです。曲はメンデルスゾーンの「Abschied vom Walde」(「緑の森よ」の邦題で有名です)と「Auf dem See」(湖上にて)でした。「緑の森よ」の方は我が団の愛唱歌ですが、「湖上にて」は初見参で、数ヶ月をかけて音取りの練習をして備えました。が、テンポが速い曲なので、皆さん言葉が追い付きません(-_-;)どうなることかと戦々兢々でしたが、100名を超える参加者だったので何とかボロは隠せたかな(笑)。
ワークショップは英語で行われました。上手な通訳さんがついていましたが、いくつもの合唱団が寄り集まっていきなり一緒に歌うわけですから、最初は皆おっかなびっくりです。まずは歌詞の発音が問題。ネイティヴスピーカーの指揮者には発音が一番気になりますよね。ベルニウス氏が歌詞を読み上げて下さると、さすがに言葉の細かいニュアンスまでくっきりと浮かび上がってきます。そして、歌詞の意味に添って音楽的な表現を施していきます。「緑の森よ」は有節歌曲で、1番から3番までの歌詞が同じメロディで繰り返されます。それぞれ違った意味とイメージを持つ歌詞が同じメロディと同じハーモニーで繰り返されても違和感のない見事な作曲技術に注意を喚起しつつ、それぞれの詩節にふさわしい表現を与えて全体を形作っていくプロセスがとても素晴らしく、あっという間の1時間でした。休憩を挟んで後半の「湖上にて」は、やはりこのテンポに乗ることが最も大変でしたが、皆さん指揮者についていこうと必死で、集中力もどんどん高まっていき、最後には生き生きとした歌が仕上がりました。素人相手でも妥協せず、的確に根気強くイメージを伝え、短い時間でぐっと引き上げて下さる手腕に感服しました。
そして今日は公演本番。前半はラインベルガ―のミサ曲の間にラフマニノフの手になるロシア正教の典礼曲が抜粋で挿入された、ちょっと不思議なプログラミングです。ラインベルガ―はラテン語、ラフマニノフは古ロシア語(教会スラブ語)でしたが、一まとまりの全体としてほとんど違和感がありません。ノン・ヴィブラートの澄明さと純正律の完璧さ、それでいて立体感のあるダイナミックな造形が光っていました。後半はロマン派の作品で、最初にコルネリウスの3つの合唱曲、次に存命中の作曲家ゴットヴァルトの編曲によるシューベルト、グリーク、リストの歌曲、そして最後に、メンデルスゾーンの『野に歌う』から9曲がメドレーで歌われました。昨日の「緑の森よ」や我が団の愛唱歌集に収載予定の「おお、ひばり」、以前練習したことのある「ナイチンゲール」も入っていました。歌詞やメロディがわかっていると聴こえ方も違います。「緑の森よ」を聴いて、昨日のワークショップで求められていたもの、つまり指揮者の持っていた曲のイメージがよくわかりました。
27名のメンバーには、かなりご高齢に見受けられる方もおられましたが、長い演奏時間中誰も姿勢が崩れません。最初から最後まで響きも変わりません。後半のゴットヴァルト編曲の3曲は、ロマン派の曲なのに何だか古いミサ曲を聴いている気分になりました。おそらく純正律の響きのせいでしょう。このハーモニーの正確さには全く驚きました。音感だけの問題ではなく、安定した発声の賜物でもあると思います。また、言語が発声を規定することもつくづくと感じました。歌なのに(朗読と歌では響き具合が違いますから)ドイツ語(ラテン語、ロシア語もですが)が極めて自然に明瞭に聞こえてきます。
こちらの注意をぐっと惹き付けて離さない、それでいて聴いていて全く疲れない、いつまでも聴き続けていたい気持ちになる演奏でした。これぞ名演の証でしょう。心に残る2晩でした。
指揮者のベルニウス氏は当年とって68歳。練達のマエストロです。曲はメンデルスゾーンの「Abschied vom Walde」(「緑の森よ」の邦題で有名です)と「Auf dem See」(湖上にて)でした。「緑の森よ」の方は我が団の愛唱歌ですが、「湖上にて」は初見参で、数ヶ月をかけて音取りの練習をして備えました。が、テンポが速い曲なので、皆さん言葉が追い付きません(-_-;)どうなることかと戦々兢々でしたが、100名を超える参加者だったので何とかボロは隠せたかな(笑)。
ワークショップは英語で行われました。上手な通訳さんがついていましたが、いくつもの合唱団が寄り集まっていきなり一緒に歌うわけですから、最初は皆おっかなびっくりです。まずは歌詞の発音が問題。ネイティヴスピーカーの指揮者には発音が一番気になりますよね。ベルニウス氏が歌詞を読み上げて下さると、さすがに言葉の細かいニュアンスまでくっきりと浮かび上がってきます。そして、歌詞の意味に添って音楽的な表現を施していきます。「緑の森よ」は有節歌曲で、1番から3番までの歌詞が同じメロディで繰り返されます。それぞれ違った意味とイメージを持つ歌詞が同じメロディと同じハーモニーで繰り返されても違和感のない見事な作曲技術に注意を喚起しつつ、それぞれの詩節にふさわしい表現を与えて全体を形作っていくプロセスがとても素晴らしく、あっという間の1時間でした。休憩を挟んで後半の「湖上にて」は、やはりこのテンポに乗ることが最も大変でしたが、皆さん指揮者についていこうと必死で、集中力もどんどん高まっていき、最後には生き生きとした歌が仕上がりました。素人相手でも妥協せず、的確に根気強くイメージを伝え、短い時間でぐっと引き上げて下さる手腕に感服しました。
そして今日は公演本番。前半はラインベルガ―のミサ曲の間にラフマニノフの手になるロシア正教の典礼曲が抜粋で挿入された、ちょっと不思議なプログラミングです。ラインベルガ―はラテン語、ラフマニノフは古ロシア語(教会スラブ語)でしたが、一まとまりの全体としてほとんど違和感がありません。ノン・ヴィブラートの澄明さと純正律の完璧さ、それでいて立体感のあるダイナミックな造形が光っていました。後半はロマン派の作品で、最初にコルネリウスの3つの合唱曲、次に存命中の作曲家ゴットヴァルトの編曲によるシューベルト、グリーク、リストの歌曲、そして最後に、メンデルスゾーンの『野に歌う』から9曲がメドレーで歌われました。昨日の「緑の森よ」や我が団の愛唱歌集に収載予定の「おお、ひばり」、以前練習したことのある「ナイチンゲール」も入っていました。歌詞やメロディがわかっていると聴こえ方も違います。「緑の森よ」を聴いて、昨日のワークショップで求められていたもの、つまり指揮者の持っていた曲のイメージがよくわかりました。
27名のメンバーには、かなりご高齢に見受けられる方もおられましたが、長い演奏時間中誰も姿勢が崩れません。最初から最後まで響きも変わりません。後半のゴットヴァルト編曲の3曲は、ロマン派の曲なのに何だか古いミサ曲を聴いている気分になりました。おそらく純正律の響きのせいでしょう。このハーモニーの正確さには全く驚きました。音感だけの問題ではなく、安定した発声の賜物でもあると思います。また、言語が発声を規定することもつくづくと感じました。歌なのに(朗読と歌では響き具合が違いますから)ドイツ語(ラテン語、ロシア語もですが)が極めて自然に明瞭に聞こえてきます。
こちらの注意をぐっと惹き付けて離さない、それでいて聴いていて全く疲れない、いつまでも聴き続けていたい気持ちになる演奏でした。これぞ名演の証でしょう。心に残る2晩でした。