渋さの至芸

2014年11月29日 | 日記
昨日、コントラルトのナタリー・シュトゥッツマンの歌う「冬の旅」を聴きに福岡シンフォニーホールへ行ってきました。
まだ咳が出るので行くのをやめようかと思ったのですが、どうしても諦め切れず、友人のIさんの運転する車に乗せてもらって、往復とも助手席のシートを倒して横になった状態で運んでもらいました。Yさんもご一緒して、女3人組のドライブです。
座席は2階後方のど真ん中。リートを聴くには広すぎるホールですが、すらりと背の高いシュトゥッツマンがピアニストのインゲル・ゼーデルグレンを伴って黒のパンツスーツ姿で登場すると、聴衆はすっと舞台中央のスポットライトの中に引きこまれました。第1曲「おやすみ」が静かに始まり、低音部も高音部もむらなく美しく緻密にコントロールされた、マホガニー色とでも形容すべき艶やかなコントラルトの声が響きます。時に寄り添い、時にリードし、時に支えるピアノの何と絶妙なパートナーシップ。少しもダレることなく高い集中力を保ったまま粛々と曲は進み、傷心の若者のさすらいの旅路がくっきりと描き出されます。表情豊かなアゴーギクに時折ハッとさせられますが、決して全体のバランスを崩すことなく、あくまでも端正。見事な造形でした。
全24曲、休憩無しで80分の演奏があっという間に感じられました。
残念だったのは拍手のタイミングが少々早過ぎたこと。深い余韻がかき消され、演奏者もきっと残念に思ったのではないかと思います。しかしシュトゥッツマンは、ブラボーと拍手のやまない客席に向かって丁寧に何度も挨拶をしてくれました。
以前、シュトゥッツマンの歌うシューマン歌曲のCDを聴いて、コントラルトの魅力にぞっこん惚れ込んでしまいました。その渋くも艶やかな声が、溢れる知性と抒情性にこれ以上ないほどマッチしていたのです。それにしても、彼女の手(声?)にかかると、もともと渋いドイツ歌曲がますます渋くなりますね。これがシューマンだともう少し色彩感もあるのですが、シューベルトと来てはもう、渋いという以外に言葉が見つかりません。日本人にはしっくりとなじむ感覚だと思います。
無理して聴きに来てよかった、と自分としては大満足でしたが、やはり演奏中に何度か咳が込み上げてきて、周囲のお客様に迷惑をかけてしまいました。必死で堪えましたがどうしても抑え切れず、苦しいのと申し訳ないのとで涙目になってしまいました。早くこの咳をなおしたいのですが、熊本は今、阿蘇の噴火で降灰がひどく、加えて北京でのAPEC終了後に急激に濃度が再上昇したpm2.5のせいで、咳をしている人がとても多いのです。嗚呼!昨年の二の舞にならないよう、12月の声を聞く前に何とかなおしたいと焦っています。

鬼の霍乱

2014年11月23日 | 日記
1週間ほど前、左腰に異変が生じました。ここ数年無縁だったぎっくり腰の予兆のような、あるいはかつて持病だった坐骨神経痛のような、不気味な痛みが間歇的に襲ってきます。水曜日の夜あたりから徐々に痛みの周期が短くなり、木曜日の午前中の授業では教壇の昇降が辛くなり、これはマズイと思って整体に駆け込みました。「何か腰に負担のかかることをなさいましたか?」と訊かれましたが、特に思い当たることはありません。「それならやはりオーバーワークでしょう。ドイツから帰られて以来ずっと休み無しでしょう?」と言われました。そうかな?まあ、そうかもしれませんが(笑)。
翌日の金曜日の午前中、授業の最中にかなり痛みが強くなり、2限のクラスの学生さんに「昨日から腰痛なので、もしかして授業の途中で痛みがひどくなったら途中で切り上げるかもしれません」と言ったら「やった!」という呟きが聞こえ、周りから失笑が起こりましたが、残念ながら(?)授業中は何とか持ちこたえることができました。しかし午後の福祉サービス事業所のヴォイトレは休ませてもらいました(初めてのことです)。
夕方の個人レッスン中、今度は喉がいがらっぽくなってきました。PM2.5の濃度が上がっているのかとも思いましたが、咳も出始めたので、翌日の午後にかかりつけの耳鼻咽喉科に行くと「声帯が少し荒れていますね。痰が絡むのを無理に切ろうとするとこうなります。薬を出しますので、様子を見て下さい」とのこと。「歌ってもいいですか?」とお尋ねすると「構いませんが、少し声が出にくいと思いますので、無理して声を絞り出さないように気を付けて下さい」と言われました。
50歳の誕生日を過ぎた途端このテイタラクです。やはり無理の利かない歳になったんでしょうね。何とかして休みを作らないといけないのでしょう。
それにしても、発声にどれほど腰が重要か、腰を痛めるたびに再認識させられます。一声出そうとするたびに腰がギクッと痛み、支えが利かないのです。腰痛持ちだった若い頃、なかなか発声が身に付かなかったのも、今思えばむべなるかなです。そして、木曜日にM先生のピアノのレッスンを受けてわかりましたが、腰を痛めていると指も思うようにまわらないものなのですね。弾けば弾くほど下手になるのです。M先生にそう言うと、「そうなのよ。体調が悪い時は練習しても無駄よ」と言われました。
明日はおとなしく家で休むことにします。

ストレッチ

2014年11月18日 | 日記
寒くなってきて体が縮こまりがちですが、柔軟で伸縮性に富んだ筋肉はよい発声に不可欠です。様々なストレッチのメソッドの中から、私がよく用いるやり方をいくつかご紹介したいと思います。
1.足を肩幅に開き、上体を前屈させて脱力します。鼻から息を吸いながら上体を持ち上げ、一旦息を止めて丹田を後ろへ引き、再度息を鼻から吸いながら両腕を頭上へ持ち上げます。次に息を止めたまま両腕を水平に拡げ、今度は息を吐きながら両腕を下へ下します。最後に脱力。掌がちょっと熱くなり、重心が下へ移動します。
2.両手を組んで頭上に挙げ、掌を返します。腕をさらに上へ引き上げ、息を吐きながら上体を右へ倒し、左側の体側を伸ばします。次は左に倒して右側の体側を伸ばします。元に戻したらもう一度腕を上へ引き上げなおし、息を吐きながら今度は前へ。ひざの裏が伸びたところでぐーっと掌を前へ押しやります。そのまま掌を下へ向け、さらに息を吐きながら深い前屈をします。
3.両手を後ろへ回し、背中側で合掌します。右手を右肩の裏側から下へ向け、左手を左わきから背中側へ回して右手とつなぎます。次に左手を左肩の裏側から下へ向け、右手を右わきから背中側へ回して左手とつなぎます。
4.首を右に倒し、右の耳を右肩にくっつけるようにします。そのままの態勢で右腕で大きく3回、8の字を描きます。肘は伸ばしたまま。次に左の耳を左肩にくっつけたまま左腕で大きく3回、8の字を描きます。
5.右手を左肩に乗せ、顔はまっすぐ前を向いたまま、腰を大きくひねりながら左腕で8の字を描きます。次に左手を右肩に乗せて同様に。
どれも数分で終わりますが、随分と体がほぐれます。ストレッチをせずに発声練習を始めるのは、準備運動をせずにプールに飛び込むのと同じ暴挙です。歌う前には必ずストレッチをして体をほぐしましょう。

コンサートシーズン

2014年11月11日 | 日記
芸術の秋もはや暮れかけていますが、毎年、秋からクリスマス前後にかけてはコンサートが目白押しです。毎日忙しいので行きたいコンサート全部に行くわけにはいきませんが、今シーズンは10月にゲルギエフ指揮のマリインスキー歌劇場オーケストラの素晴らしい演奏を聴いた他、友人のピアニストのリサイタル、うちの生徒さんや数名の知人がメンバーである老舗アマオケの定演など、心に残るコンサートがいくつもありました。これからも生徒さんたちのコンサートが3つばかり続く他、うちの教室のクリスマス会が12月23日に、そしてM先生主催の東北支援チャリティコンサートが12月27日に行われます。
今年で27回目になるクリスマス会ですが、今年は新しく入門された生徒さんが多く、ゲスト出演も5組ほどあり、数えてみたら30人以上の方が演奏して下さるようで、これまでの最多人数です(まだ増えるかもしれません)。独唱がメインですが、ゲスト出演でピアノやチェロ、オカリナの演奏もあり、最後には出演者全員による合唱もあります。アットホームでとても雰囲気の良い会なので、生徒さん方も毎年楽しみにしておられます(中でも私が一番楽しませて頂いています(笑))。
それが終わって4日後のチャリティコンサートは、昨年と同じく熊本市中心部の教会で「メサイア」をメインとして行われます。昨年はクリスマス会の後で喉が腫れて声が出なくなり、私が歌うことになっていたソロをM先生が指揮をしながら歌われるというアクロバティックなコンサートになりましたが、今年はM先生に無茶振りをしなくて済むよう(笑)体調を万全に整えて本番に臨みたいと思います。また、前半ではア・カペラや小林秀雄先生の合唱曲もお聴き頂く予定で、なかなか聴きごたえのあるコンサートになりそうです。お時間と興味のある方、どうぞご来聴下さい。お待ちしています。

被災地コンサート

2014年11月04日 | 日記
東日本大震災で被害のひどかった岩手県の沿岸部へコンサートに行ってきました。昨年はうちの生徒さんや合唱団のメンバーの方たちとご一緒しましたが、今年は行事の多い時期に重なったせいで、熊本からは私のみでした。
11月1日、福岡空港からいわて花巻空港へ飛び、JRで釜石へ。現地の老健施設にお勤めの声楽家のOさんが釜石駅に迎えに来て下さり、Oさんの勤務先の老健施設へ移動。そこで2人で練習をしているところへ、陸前高田で「歌の会」を終えたM先生が合流されました。文部省唱歌を合唱用にアレンジしてメドレーにした「ふるさとの四季」という合唱組曲をメインに練習した後、Oさんとご友人がM先生と私を夕食にご招待下さり、「今日は口開けの日だったんですよ」と言いながら、獲れたての大きなアワビのお刺身とステーキ、それに豪華版の海の幸の盛り合わせで歓待して下さいました。感動的な美味しさでした。
夕食後、M先生の車で大槌町の仮設住宅に移動しました。今回はここにM先生と一緒に泊まるのです。暗い夜道を車で延々と走り、「こんなところに?」というぐらい奥まったところでした。板一枚の仕切りで長屋状に並んだ仮設住宅は人が住んでいるとは思えないほどひっそりと静まり返り、どの家も真っ暗です。忍び足で室内に入りましたが、電灯をつける音にさえ気を遣うほどでした。お風呂やトイレの水音も隣近所に丸聞こえで、布団を敷いて早々に就寝しました。この日、日中は割と温かかったのですが、さすがに日が落ちるとしんしんと冷え込んできました。
翌朝、前日の夕食の残り物で朝食を済ませ、Oさんと待ち合わせしたコンビニへ向かいました。山肌の見事な紅葉とは対照的に、仮設住宅と民家以外何もない荒涼とした景色の中にぽつんとコンビニが立っています。夜は9時までしか開いていないので、昨夜はこの待ち合わせ場所を確認できませんでした。そのコンビニを通り過ぎると、荒地の中に一軒の掘っ立て小屋のようなお花屋さんがありました。M先生はいつもここでお花を買って訪問先への手土産にされています。お供え用にお花がとても喜ばれるのだそうです。この日もこれから演奏に行く2軒の施設のために花束を買われました。コンビニへ引き返し、Oさんの車に連なって、鵜住居という被害のひどかった地区に最近再建された老健へ向かいました。再建するのに震災からやがて4年にもなる今頃までかかったのかと思うと、何とも言えない気持ちでした。せめて入居者の皆さんに楽しんで頂こうと、持参したドレスに着替えて施設内のホールへ。楽器が無いので、M先生ご持参のキーボードをセッティングしてコンサートが始まりました。M先生の巧みなトークにリードされながら、最初にOさんと2人で「ふるさとの四季」を歌いました。一緒に歌って下さる方もたくさんいらして、中には涙ぐまれる方も。Oさんのソロで「落葉松」と「You raise me up」、私のソロで「ナイチンゲール」と「風の子供」を聴いて頂き、約45分のコンサートを終えました。ペダルのないキーボードを自在に操って見事な伴奏をして下さるM先生の手腕にはただただ脱帽。施設長さんが「こういう演奏(クラシックという意味でしょうか)を聴く機会はあまりないので、今日はとても良かったです」と言って下さいました。
午後は、昨日練習させてもらったOさんの勤務先の老健での演奏です。ここにはペダル付きの電子ピアノがあるので、モーツァルトの「アレルヤ」を歌いました。Oさんの歌われる「落葉松」や「Stand alone」に部分的にオブリガートを付けたりもしました。そして「ふるさとの四季」。前列に座ったお2人の女性が「ああ、有難いねー」、「素晴らしいねー」、「涙が出るねー」と言いながら大きな拍手を送って下さり、他の皆さんもとても喜んで下さいました。いつも職員として利用者さんたちのケアに当たっているOさんが皆のために一生懸命歌っている姿に、きっと心を打たれたのでしょう。
ここでの演奏が終わった後、昨年伺った時にもお会いしたK教育長さんのお宅を訪問しました。今月下旬に東京で行われる復興支援のチャリティライヴでKさんにお話をして頂くことになっているそうで、その打ち合わせです。Kさんのお住まいは津波で流され、今のお住まいはその後で新しく建てられたそうです。素敵なお庭で奥様お手製のパンプキンパイを頂きましたが、このお庭に使われている庭石は全部津波で流れ着いたものだそうで、きれいに植えられている(ように見えた)鶏頭の花もこぼれ種から生えたのだそうです。奥様が「あの日、私は民生委員の集まりで公民館に行っていたので命拾いしたんです。高台に避難して、自分の家が流されていくのを見ていました。あの気持ちは経験した人でないとわかりませんね。一緒に避難していた小学生たちも、自分の家が流されていくのをじっと見ていたんですよ...」と話され、M先生が「昨日、陸前高田で歌の会をしたんですけど、気仙の小学生が来ていたので「今年は何人のお友達が入学した?」と訊いたら「6人。」って。」と言われると、Kさんが「この地区も同じですよ。もともと少ない入学者が今年はさらに減りました」と仰いました。復興にはほど遠い現状なのです。
Kさんのお宅を辞した後、M先生と一緒に温泉へ行ってしっかり温まり、夕食にお招き頂いているOさんのお宅へ向かいました。毎月の被災地通いの中で、M先生は有精卵や野菜や生活雑貨、その他様々なものを道中で買い込んではOさんのお母様(だけでなくご縁のある方たち皆さん)に差し上げておいでで、お料理上手なOさんのお母様はよくM先生を手料理でもてなしておられるようです。私もお相伴にあずかり、マツタケご飯、土瓶蒸し、マツタケの生ハム巻という贅沢な夕食をご馳走になりました。アワビもありました(笑)。そこにM先生のゴスペルの生徒さんが東京から新幹線と在来線を乗り継いでやって来ました。Tさんとおっしゃるこの方は、M先生と一緒にこの地へ来られたのがきっかけで、ここでボランティアのダンスの会を始められたそうです。月日とともにボランティア活動にもいろいろな課題が出てきているようで、今回はOさんのお母様と善後策を相談するために来られたのでした。お話し合いが無事終わり、Tさんもご一緒にM先生の車で仮設住宅へ戻ることになりましたが、M先生もTさんもワインを飲んでしまったので、何と私が運転することになり(!)、雨の降る山道を40~50分ぐらい走りました。昨夜もM先生はビールを飲んじゃったので私が運転したのですが(笑)、この日は距離的にも倍ぐらいあり、道も曲がりくねっていて、生きた心地がしませんでした(笑)。全く無茶な先生です(-_-;)
仮設住宅に3人ギュウ詰めで泊まり、翌朝は10時からこの仮設住宅の集会所での歌の会でした。私は飛行機の時間の関係で10時半には出発しなくてはならず、Oさんが迎えに来て空港まで送って下さることになったので、Oさんと私も30分間だけ歌の会にご一緒させて頂きました。昨年ここで歌わせて頂いた時、「私も熊本の出身です」と声をかけて下さった方がありました。家族もなく、仮設住宅に一人住まいの半身マヒのおじいさんでした。この日、この方と再会できて本当に嬉しかったです。「また来年も来ますから、どうぞそれまでお元気でいて下さいね」と挨拶して皆さんとお別れしました。
ここから空港まで2時間余りの道中、全く復興の進んでいない現実を目の当たりにしました。大槌は津波だけでなく火災で壊滅したのだそうです。ですから、流されたものの一部でもどこかに残っている、という可能性が無いのだと。ここが町だったんだな、と思われる広い土地の至る所に盛り土がしてあるので、「こんなに盛り土をして、この後どうするんですか?」と尋ねると「どうするんだろう、と思いますよねえ。本当にどうするんでしょう。何の当てもないんですよ」というお返事。前日Kさんの奥様から聞いた話をすると「家だけでなく人が流されていくのを見ながら、私たちは何もできなかったんです」と仰いました。諦念と無念の綯い交ぜになったその言葉に、私は返す言葉がありませんでした。
花巻空港に着いた頃風が強くなり、出発が危ぶまれましたが、予定通りのフライトで無事福岡空港に着き、新幹線で熊本へ戻りました。2拍3日の旅が終わりました。
被災地支援と言っても私たちにできることは限られています。本当は、私たちにできることは「忘れない」ことだけなのかもしれません。人に伝え、思いを共有し、自分にできることを模索し、実践する。小さな営みを諦めず投げ出さず継続することでしか、「忘れない」でいることはできません。そんなことを考えた旅でした。