合唱コンクール今昔

2016年10月19日 | 日記
今日は中3の姪が通う中学校の合唱コンクールでした。姪、甥、姪と3人の身内が次々とこの学校に通ったので、一番上の姪が中1の時から数えてもう7年間続けて聴きに行っていることになります。ここ数年、この学校の生徒たちが時々うちにレッスンに来るようになったので、コンクールがより一層身近に感じられます。
私もこの学校の出身で、且つ以前9年間非常勤講師として音楽を教えたので、校内合唱コンクールには格別の思い入れがありますが、毎年つくづくと「ここの生徒たちは幸せだなあ」と思います。パーフェクトに行き届いた学校側のお膳立てのもと、コンクールに向けて生徒たちは燃えに燃えます。数週間は文字通り学校を挙げて合唱一色の毎日。これは昔も今も変わりません。私たちの時もそうでしたし、おそらくもっと昔からでしょう。違うのは、昔は会場が学校の体育館だったのが、今は県立劇場のコンサートホールという熊本随一の会場を借り切って一日がかりのイヴェントになったことです。平日の昼間なのに、2000人近く入る会場が生徒(全員で500人ほど)とその保護者でいっぱいになるのです。これもまたすごい話。
さて、今日のコンクールを聴いていろいろなことを思いましたが、一番感じたのは選曲の大切さです。私たちがソロのリサイタルをするときも同じですが、身の丈に合った、共感できる、聴衆に訴える力のある曲を選ぶことが大事ですね。皆の好きな曲を心を合わせて仕上げていく喜びには教育的な意義も大きいと思います。最近の合唱曲は言葉が多く、メロディもリズムもハーモニーも複雑で、背伸びをしたい盛りの中学生たちにはそういう難曲、大曲に惹かれる気持ちもあるのでしょうが、実力との兼ね合いを誤ると演奏効果が落ちます。この辺の判断はなかなか微妙なものですが、今年は比較的実力相応の曲が多かったと思います。また、古い(と言ってもせいぜい20~30年前の)曲で、今でも訴求力のある(まだ賞味期限の切れていない)名曲が選ばれることもあります。「樹氷の街」、「ひとつの朝」、「山のいぶき」、「聞こえる」などはスケール感と説得力に富んでいて、今の中学生たちが歌ってもピタッとはまっています。今日3年生が全員合唱で歌った「大地讃頌」も、巷間では中学校の第2校歌と言われるほどの古典的名曲ですが、これを160名余の3年生が全員で高らかに歌うさまは圧巻でした。うちの姪もこの曲にぞっこんで、お陰で合唱にハマってしまったようです。先日、「大地讃頌はおばちゃんが中3の時のクラスの自由曲だったんだよ」と言ってうろ覚えの伴奏を弾いてやったら、上の姪も一緒になって2人でハモってくれて、それを聴きながらひそかな幸せを噛み締めました。何しろ私は長いこと我が一族の中で「黒い羊」で、合唱やクラシック音楽について語り合える血縁の身内を持っていなかったので。姪たちがこの学校に行ってくれて本当に嬉しいです(笑)。
生徒の指揮もだいぶ端正になってきました。以前は体をくねらせたり、拍がはっきりしなかったりする指揮が目についていたのですが、きちんと定石通りに振るようになってきたな、という印象を受けました。それと、昔は指揮は男子、伴奏は女子というのが不文律だったのですが、今は指揮も伴奏も男女を問わず適材適所で、こんなところにも時代の変化を感じます。
今年は未曽有の大地震の後という特別な状況があったことの反映でしょう、合唱にも何か普段とは違う雰囲気がありました。皆で声を合わせて歌えることも決して当たり前のことではない、ということが観念ではなくちゃんと腑に落ちているような、何か肚の座った感じがあったように思います。子どもから大人への過渡期にこんな大災害を経験したことが、彼らを少し早く大人にしたのかもしれません。きっと、この合唱コンクールの経験が特別な意味を持って思い出される日がいずれ来ることでしょう。
音楽を心から味わい楽しんでいる時、私たちは音楽とともに日常の尊さを享受しているのかもしれません。

聴く力

2016年10月15日 | 日記
ネット上で面白い記事を見つけました。題して「すれ違う男女」。内容は以下の通りです。

女性にとって会話は心のやりとりだが 男性にとって会話は情報のやりとり
女性は考えがまとまらないから話し 男性は考えがまとまったら話す
女性はすべて聞きたいと思うが 男性はすべてを話す必要はないと思う
女性は悩みを聞いてほしいだけなのに 男性は悩みを解決しようとする
女性は何も言わなくてもわかって欲しいのに 男性は何も言わなければ大丈夫と思う
だからいつまでも男女はすれ違う

最近この手の男女類型化が流行っていますね。私は自分をもともと男脳だと思っていて、女性集団の中にいるよりも男性集団の中にいる方が気が楽です。もっとも、地図の読めない女、話の聞けない男、という類型化の場合は両方に当てはまるので困ってしまいますが(笑)。
話を聞く力と言えば、うちの生徒さんには傾聴ボランティアをやっている方が数名いらっしゃいます。私も最近思うところがあって、この「傾聴」の技法を学びたいと思っているのですが、人の話を聴く時の心の態度というのは、例えば音楽を聴く時と似ているように思います。批判せずに聴く。共感的に聴く。聴きたくないときは聴かない。聴くことによって自分の心のとらわれに気づき、そこから解放される。人の言葉も音楽もそのように聴きたい、と思うのですが、案外とその逆をやっていることが多いのです。あらさがしをするような聴き方、義務的な聴き方、自分ならこうするのに、と自分のこだわりを強めてしまうような聴き方。要するに相手との一体感がない対立的な聴き方で、そこからはあまり良い関係は生まれそうにありません。
教える仕事をしていると批判的な聴き方が身についてしまうところがあります。無論、冷静な批判(吟味)力も大事ですが、人間としての総合的な成熟、成長を期すならば、それだけではいけないような気がします。聴いているつもりでスルーしていることが多いことにも最近気が付きました(気づくのが遅すぎる!と誰かに言われそう(笑))。要するに「聴く力」が足りないわけです。聴く力がつけばレッスンや演奏の質も変わってくるでしょうし、心の器も大きくなり、生きることが楽になりそうな気がしますね。

連休ですが

2016年10月09日 | 日記
シルバーウィークですが、昨日未明に阿蘇中岳が噴火、降灰で農作物が大打撃との報道。この噴火は熊本地震と関連しているという話ですが、農業や観光にまたもや大打撃です。生活再建を目指して少しずつ進んできた阿蘇の方々のお気持ちを思うと、何とも言えない重苦しい気持ちでいっぱいです。
そんな中、昨日は熊本日独協会と熊本国際交流事業団の共催で「日本で一番小さな」と但し書きのついたオクトーバーフェストが熊本城の下で開催されました。うちの合唱団がオープニングセレモニーで5分ほど歌うのが恒例になっています。10時過ぎに会場入りして少し発声練習をし、外の屋台の前に並んで4曲を歌いました。一応マイクは入るものの、屋外ですからあまり聞こえません。それにこの時間は通行人もまばらで聴衆はスタッフだけ(笑)、加えて救急車が大音量で通過したりして、いつもながら大して景気づけにはならなかったとは思いますが、これもまあセレモニーの一部ということで(苦笑)。
開会の後は、最初の客としてビールやパンやソーセージを買ってテントの中に座り込み、おしゃべりに花を咲かせました。日独協会の方たちを中心にぽつぽつとお客様が訪れ、知り合いと挨拶を交わしたりしていると、だんだん雲行きが怪しくなり、雨が降り出しました。午後はチェロのコンサートを聴きに行くことになっていたので、これをしおにコンサート会場の教会へ移動し、オール・バッハの渋いプログラムに身をゆだねました。チェロの響きに包まれて身も心も癒されました。
帰宅すると、お天気のせいもあるのか少し疲れが出たようで、頭皮神経痛というけったいな症状が出始めました。片側の頭皮が間歇的にピリッとした電気的な痛みに襲われるのです。昔から馴染みの症状ですが、いつ痛むかわからないので結構ストレスフルです。明日は生徒さんが出演するお芝居の公演を見に行こうと思っていましたが、家で少し休養しなくてはいけないかもしれないなと思いながら就寝しました。
今朝起きてみると、相変わらずの雨。世の中は明日もお休みですが、大学では明日は授業があります(ハッピーマンデーで月曜日の祝日が増え、カレンダー通りに休んでは月曜日の授業時間数が確保できないので)。今日は家で座業をしようと思っていたら、M先生からメールが来ました。12月4日(日)に、先日Iさんがリサイタルをした健軍ルーテル教会で「熊本・東北復興支援チャリティコンサート」が開催されることになったので、それに関連する連絡でした。今年1月に県立劇場で東北支援チャリティコンサートをしましたが、その時M先生の骨折でかなわなかった「メサイア」の演奏を、今回いよいよ(抜粋ですが)やることになりました。毎月第1水曜日に少しずつ練習を重ねてきた「ホープネットワーク熊本」が合唱の主体になります。Iさんと私はソロも担当する予定です。教会には120名ぐらいしか入れないので、今回はチラシは作らず整理券だけ作るという話ですが、M先生のメールでは「整理券どんどん予約でなくなっています」とのこと。まだ整理券自体できていないのに!いつもながらM先生の行動力とネットワークの賜物です。
ここのところ、今後の予定が次々と決まりつつありますので、ここで整理して皆様にお知らせしておきますね。

2016年12月4日(日)19:00(予定) 熊本・東北復興支援チャリティコンサート(熊本市健軍ルーテル教会)
2016年12月23日(金・祝)13:30(予定) カリオペくまもとクリスマス・コンサート(レンタルスペース&サロンDOLCE)
2017年2月11日(土・祝)13:00(予定) 春の発声セミナー(同上)*当初の予定から日程が変更になりました。
2017年3月19日(日)時間未定 熊本モーツァルト協会創立20周年記念コンサート(熊本市男女共同参画センターはあもにいメインホール)*このコンサートに出演させて頂くことになりました。
2017年4月1日(土)時間未定 吉田李佳ソプラノ・リサイタル(熊本市健軍ルーテル教会)

最後の4月1日のリサイタルは、モーツァルト協会のコンサートと日程が近いので9月に延期しようと思っていたのですが、伴奏して下さるM先生が9月は海外で演奏のオファーがあるとのことで。私としては不安がいっぱいなのですが、M先生もIさんも「お客さんは両方ちゃんと来るわよ。何を心配しているの」と言われるし、数人の生徒さんから「伴奏者がそう言って下さる時にやらなきゃダメですよ」、「だんだん年を取っていくんだから、できるうちにやっておかないと後悔しますよ」と背中を押され、「日程が近くても私は両方行きますから」と言って下さったのに勇気を頂きました。皆様のお気持ちに応えられるよう、春風のようなさわやかなコンサートをめざしたいと思います。
それでは、12月4日のチャリティコンサートにご来聴くださる方、どうぞご一報ください。







誌上セミナー(3)

2016年10月04日 | 日記
今日は主に男性の発声について書きます。
男性は女性に比べるとずいぶんと音域が狭いのですね。女性の場合の歌声は基本的に裏声(声帯の合わせ目だけを振動させる)で、中低音域ではミックスヴォイスや地声(=声帯全体を振動させる)にしますが、男性は逆に地声が基本で、高音域でファルセットにするので、男性の方には地声を出してみせながらレッスンする方がわかりやすいのです(W先生はそうしていらっしゃいます)。でも私は声帯が薄いので、地声にするとすぐに声帯が疲れてしまい、声帯の負担が大きい割にはあまりボリュームも出ないのでイマイチお手本になりにくいのです。それでもっぱら言葉での説明に終始することになります。また、男性の声は倍音を多く含んでいて響きが豊かなので、近くで聴くと発声の良し悪しの判別がしにくいのが難点です。
とはいえ、無論男性も女性も発声の原理は同じですから、弱点克服のメソッドもほぼ同じです。男性の方で一番多い問題は、高音域で嗄声になったりひっくり返ったりすることですが、この現象は、下半身をしっかり使って呼気圧を強めることでかなり改善できます。足の指(正確には足の指の付け根)を持ち上げるように使い、内転筋にきゅっと力を入れて締めるようにし、股関節と骨盤底筋を意識して仙骨を動かし、腰まわりの筋肉を後ろ(外側)へ拡げるような感じにします。呼気圧はトランペットのマウスピースを吹くとかなり上がるので、先にそれをやっておいて、口の奥もあくびの時のフォームにして、額にも緊張を作っておき、下半身から高速で呼気を垂直に飛ばしながら高音域を出すとうまくいくことが多いです。
男声の高音域では上半身に力が入らないよう気を付けます。高音を出すためには声帯を引っ張らないといけないのですが、首や肩や背中が凝っていると、引っ張る代わりに声帯に力を入れて硬くして代償しようとするのです。そのせいで声帯で息が止まって力んだ声になり、声が割れたり、高音域に行けなかったりすることがままあります。指先で肩に軽く触れ、肘をぐるぐる回して背中や首の後ろの筋肉のコリをほぐしておくと、声帯を引っ張るための後筋の働きが促進されます。これは女声も同じです。
合理的な体の使い方がわかれば、発声は格段にラクになります。しかし私たちは普段、良い発声に必要な筋肉をほとんど使わずにしゃべっているため、歌うときにも不用意に(体を使おうという意識なしに)声を出して上半身に力が入っていることが多いのです。歌うときには意識的に発声のモードを切り替える習慣をつけることが第一ですね。