17.バッファロー’66/1988年アメリカ
■監督・音楽:ヴィンセント・ギャロ
■脚本:ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグノール、クリス・ハンレイ
■出演
ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ
■ストーリ
5年の刑期を終え、刑務所から釈放されたビリーは、ニューヨーク州
バッファローの実家に戻ろうするが、両親には刑務所にいたことは
話しておらず、電話で「政府の仕事で遠くまで行っていた」と偽り、
さらに勢いで「女房を連れて帰る」と嘘を並べてしまう。
女房どころかガールフレンドもいないビリーは、トイレを借りた
建物の中のダンス教室でレッスン中だった少女レイラを拉致し、
自分の妻のふりをするよう強要する。最初は反抗していたレイラも、
共に過ごすうちにビリーの孤独を理解し、次第に愛情を抱きはじめる。
しかしビリーは実家に戻るだけでなく、バッファローにある目的があった。
■感想
ずっとずっと見たかった映画。
深夜にテレビで放映されていたものを録画し、ようやく見れました。
評判どおりの素敵な映画で大満足。オープニングの映像から
スタイリッシュで、「あ!この映画、絶対に好き!」と確信しました。
脚本、音楽、カメラワークと統一された世界観で構築されている
この映画。その世界観に確固とした信念が感じられる。
そのブレのない潔い姿勢がこの映画を一種、独特のものにしたのだと思う。
その世界観に特に貢献しているのがキャスティング。
主役のビリーを演じるヴィンセント・ギャロと、ビリーに拉致される
レイラを演じるクリスティーナ・リッチ。このふたりなしでは
この映画は、この映画たりえなかったと思う。
冒頭、刑務所を出たばかりのビリーはトイレを探し、もぞもぞと
しながら町を走り回る。そのかっこ悪さがこれまでの彼を髣髴と
させる。必死に悪ぶって見せるけれど、決して悪ではなく、
悪にいいように扱われる、利用されるほうの人間。
自分が思い描いている自分と、現実の自分がうまくリンクしない人間。
その焦燥感と苛立ちを抱き続けるビリーをヴィンセント・ギャロが
表情で見事に演じていた。特にホテルの風呂場の場面は印象的。
風呂場で細い体を小さくたたみ、体操座りで浴槽に入り
「何をやってもうまくいかないんだ」と涙を流す彼は、
彼の持つ孤独を見事に表現していて、どこか守ってあげなきゃ
という気持ちにさせられた。エキセントリックなだけではない
彼の魅力が十分に伝わってくる。
けれど、なんといってもすばらしいのはレイラ演じるクリスティーナ・リッチ。
彼女のまだまだあどけない表情と官能的で豊満な肉体。
なのに感じさせるのは性的な魅力ではなく、純粋な母性。
ビリーに拉致されたにも関わらず彼の孤独を理解し、彼を心配し、
見守り続ける。ホテルの風呂場で泣いた後のビリーを
そっと抱きしめる彼女のその繊細な抱きしめ方が彼女の本質を
端的にあらわしていたと思う。
どこか不器用で人を信じられないビリーは、自分が拉致したにも関わらず
誰かと一緒に過ごすこと、女性に身をゆだねることができない。
女性にどう接していいのかすら分からず、苛立つ彼を
レイラはあたたかい表情で見守り続ける。
映画は中盤以降もどこか物悲しさと破滅的な世界観をにおわせる。
しかし、ラストは全体の世界観を覆すハッピーエンド。
好きな人がいること、好きな人に愛されていること、
それらを実感し、幸せそうにうかれるヴィンセント・ギャロが愛しい。
■監督・音楽:ヴィンセント・ギャロ
■脚本:ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグノール、クリス・ハンレイ
■出演
ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ
■ストーリ
5年の刑期を終え、刑務所から釈放されたビリーは、ニューヨーク州
バッファローの実家に戻ろうするが、両親には刑務所にいたことは
話しておらず、電話で「政府の仕事で遠くまで行っていた」と偽り、
さらに勢いで「女房を連れて帰る」と嘘を並べてしまう。
女房どころかガールフレンドもいないビリーは、トイレを借りた
建物の中のダンス教室でレッスン中だった少女レイラを拉致し、
自分の妻のふりをするよう強要する。最初は反抗していたレイラも、
共に過ごすうちにビリーの孤独を理解し、次第に愛情を抱きはじめる。
しかしビリーは実家に戻るだけでなく、バッファローにある目的があった。
■感想
ずっとずっと見たかった映画。
深夜にテレビで放映されていたものを録画し、ようやく見れました。
評判どおりの素敵な映画で大満足。オープニングの映像から
スタイリッシュで、「あ!この映画、絶対に好き!」と確信しました。
脚本、音楽、カメラワークと統一された世界観で構築されている
この映画。その世界観に確固とした信念が感じられる。
そのブレのない潔い姿勢がこの映画を一種、独特のものにしたのだと思う。
その世界観に特に貢献しているのがキャスティング。
主役のビリーを演じるヴィンセント・ギャロと、ビリーに拉致される
レイラを演じるクリスティーナ・リッチ。このふたりなしでは
この映画は、この映画たりえなかったと思う。
冒頭、刑務所を出たばかりのビリーはトイレを探し、もぞもぞと
しながら町を走り回る。そのかっこ悪さがこれまでの彼を髣髴と
させる。必死に悪ぶって見せるけれど、決して悪ではなく、
悪にいいように扱われる、利用されるほうの人間。
自分が思い描いている自分と、現実の自分がうまくリンクしない人間。
その焦燥感と苛立ちを抱き続けるビリーをヴィンセント・ギャロが
表情で見事に演じていた。特にホテルの風呂場の場面は印象的。
風呂場で細い体を小さくたたみ、体操座りで浴槽に入り
「何をやってもうまくいかないんだ」と涙を流す彼は、
彼の持つ孤独を見事に表現していて、どこか守ってあげなきゃ
という気持ちにさせられた。エキセントリックなだけではない
彼の魅力が十分に伝わってくる。
けれど、なんといってもすばらしいのはレイラ演じるクリスティーナ・リッチ。
彼女のまだまだあどけない表情と官能的で豊満な肉体。
なのに感じさせるのは性的な魅力ではなく、純粋な母性。
ビリーに拉致されたにも関わらず彼の孤独を理解し、彼を心配し、
見守り続ける。ホテルの風呂場で泣いた後のビリーを
そっと抱きしめる彼女のその繊細な抱きしめ方が彼女の本質を
端的にあらわしていたと思う。
どこか不器用で人を信じられないビリーは、自分が拉致したにも関わらず
誰かと一緒に過ごすこと、女性に身をゆだねることができない。
女性にどう接していいのかすら分からず、苛立つ彼を
レイラはあたたかい表情で見守り続ける。
映画は中盤以降もどこか物悲しさと破滅的な世界観をにおわせる。
しかし、ラストは全体の世界観を覆すハッピーエンド。
好きな人がいること、好きな人に愛されていること、
それらを実感し、幸せそうにうかれるヴィンセント・ギャロが愛しい。
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