のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

クリスマスおめでとう

2018年12月24日 05時39分41秒 | 教会生活
クリスマスです。
大好きな季節です。

ただ、今年は毎日の生活に追われ、アドベント(待降節。イエス様の誕生日を待つ期間です。)もあまりクリスマスに心を向けることができずにいました。毎週の礼拝もずっと遅れての参加だったし、家の中もクリスマスとは無縁の状態で(兜のタペストリーが未だに飾りっぱなしでした!季節感皆無!!)クリスマス礼拝の前日にようやく兜のタペストリーを片付けて、クリスマスツリーを飾るような有様。

その小さなクリスマスツリーを起きてきた息子が
「くります!くりますよ!ママ!サンタさんもおるよ!」
と喜んでくれて。
その日の夜には、ウォーキングメンバーと恒例のクリスマス会を楽しんで。
古い日本家屋のせいか、いつも寒い寒い我が家が暖房のスイッチをオフにするぐらい温もって。
みんなで美味しいお酒を呑んで、目がどこにあるのか分からなくなるぐらい、みんなずっと笑顔で顔をくしゃくしゃにして笑って。
やっぱりクリスマスって素敵な季節だなぁ、と心から思いました。

その翌日はクリスマス礼拝。
(いつもどおり)遅刻して、教会に足を踏み入れると、クリスマス劇のクライマックス、産まれたばかりのイエス様に3人の博士が会えて、お祝いの品を渡すところでした。
星のお告げで救い主が産まれたと知り、救い主を目指して寒い中、長い長い旅を続けていた3人の博士が小さな馬小屋の中でイエス様に会う場面。
「救い主」を目指してきたのに、そこにいたのは産まれたばかりの無力な赤ちゃんで博士たちは戸惑いますが、戸惑いながらも「この人こそ救い主」と受け入れ、祝福します。

教会のクリスマス劇では、祝福した博士たちが小さな馬小屋を出ると、空いっぱいに星たちが輝いている、という演出を入れていました。
夜空いっぱいに輝く星たちは、会堂に集まった私たちが両手に持つ星。
小さな会堂に集まった(小さな会堂にしては)たくさんの人たちによる星は、みんなの手によって優しくゆらゆらと揺れていて、ヨセフ様役の男の子の
「星がこんなにたくさん。」
というセリフになんだか胸がいっぱいになりました。それまでもちゃんとあったのに、突然、認識できることって、私たちの毎日にもたくさんあるんだろうな、見えているはずなのに、見えないことの中に大切なことって、きっとたくさんたくさん隠れてるんだろうなぁ、と思いました。
今までもちゃんとそこにあったのに、気が付かない幸せが世の中にはたくさんあって、「あ!ここにあったんだ!」と気が付いたときに、私はじんわりと幸せをかみしめることができているんだろうなぁ、と思いました。

大切なことっていうのは、救い主だったイエス様が救い主にまったく見えない無力な赤ちゃんだったように、多分分かりやすくは提示されていないんだろうな、と思うのです。
きっと大切なものほど、世の中にそっと散りばめられていて、私が目を凝らさなければ見えないようになっている。
でもきっと、私のすぐ見えるところに、心を向けさえすればちゃんと見えるように、用意されている。
夜空いっぱいに星が輝く場面は、そんなふうに思わせてくれて、しみじみと、じんわりと胸が温かくなりました。

希望も喜びも見えないけれど、そこにある。
目を、心を向けさえすれば、ちゃんと見える。
私が毎週、礼拝に通うのは、教会に行くたびにこのことを思い出させてくれるからなんだな、と改めて思いました。

今日はイブ礼拝です。
普段はクリスチャンらしさと無縁で過ごしていますが、今日の夜は教会で静かにクリスマスをお祝いします。
付き合ってくれる夫と息子に、ちゃんと感謝しようと思います。


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