(1)山本有三記念館
三鷹駅から玉川上水沿いに風の散歩道を10分余り歩くと、山本有三記念館に出る。三鷹市下連雀2-12-27。洋風建築の記念館は柵の外からも見える。記念館の入館は有料だが、庭園だけなら無料である。この土地と建物の最初の所有者は、日本電報通信社(現在の電通)の部長から東京高等商業教授に転じた清田龍之介で、土地は大正7年に取得している。当時、一帯は雑木林の広がる別荘の適地であったから、別荘地としての購入だったかも知れない。しかし、関東大震災後の大正15年、清田は完成した建物に移住している。昭和11年になると山本有三がこの土地と建物を購入して吉祥寺から移住してくる。この時、数寄屋風の書斎を設けるなどの改修も行っている。やがて終戦。建物は米軍に接収される。返還後、この建物は国語研究所に提供され、その後、青少年文庫が開かれる。昭和60年、三鷹市に移管されて修復が行われ、平成8年には記念館として開館し、現在に至っている。
道路から少し引っ込んだ場所に、記念館の門がある。石を不規則に埋め込んだ漆喰の門柱と、その横の尖頭アーチの意匠は、建物のデザインと関連がありそうである。建物の北側には洋風の庭園があるが、南側にも庭園があり、有三記念公園として昭和62年に開園している。
記念館は地上2階、地下1階。台所周辺は鉄筋コンクリート造で、建物は木造との混構造になっている。1階外壁は赤褐色のスクラッチタイルを用いるほか大谷石を使用し、2階は漆喰仕上げになっている。この建物は大正12年に竣工した帝国ホテルの影響を受けるとともに、関東大震災後の鉄筋コンクリート造の流行を早くも取り入れている。設計者については諸説あるが確証は無く、今のところ不詳という。
建物の内部3カ所に、形の異なる暖炉が設けられている。暖炉外側の煙突基部は大谷石を組み合わせて使っているが、その形が面白い。建物の南面は左右対称のように見えるが、良く見ると窓の形などに違いがある。2階のベランダの上に窓が見えるが、屋根裏部屋だという。
建物の南側は芝生の庭になっており、その奥には日本庭園の区画が設けられている。南側から建物を眺めると、樹林で建物の2階から上が程よく隠れ、芝生の緑の向こうに、建物の1階と庭へのテラスが見えている。大谷石は建物の随所に使われているが、庭へのテラスの階段も大谷石が使われている。
南側の庭は施主と家族のための庭であり、施主の意向が反映された庭になっている。清田邸の時は南側の庭も洋風であっただろうが、山本邸になってからは、山本有三が好む竹林と、郷里の栃木から運んだ石による池が造られ、読書と休息の場所に変えられている。その一方で、建物の側から見た時、洋風建築に相応しい芝生の庭が目立つので、日本庭園はその背景のようになり、四阿も目立たず、洋風建築に相応しい庭としても違和感はあまり無い。
(2)古瀬公園
武蔵境駅をnonowa口に出て北に向かい、境二丁目第一の交差点でアジア大学通りを越える。道は左へ曲がっていき、間もなく仙川を横切るが、川には水が流れていない。武蔵高校前の交差点で左に折れて公団通りを進み、松露庵の案内板に従い右に入る。松露庵の門が左側に見えるが、この門は古瀬公園の入口でもある。武蔵野市桜堤1-4-22。駅から歩いて15分ほどである。古瀬公園は宮内庁御用達のタンス商人だった古瀬安次郎が昭和10年頃に建てた別荘を、武蔵野市が買い上げて公園としたものである。
杉柱の門を入り石畳の道を進むと松露庵に出る。当初の計画では、古瀬公園に美術館を建てる事になっていたそうだが、市民の要望もあり、旧古瀬邸を改修し庭を造り待合を設けて、松露庵という名の総檜造りの茶室にし、有料の施設として、昭和49年に公開している。旧古瀬邸は茶室にも転用可能な和風住宅であったのだろう。
松露庵から左に行くと池があり、人慣れしたカルガモが来ている。池はあまり大きくないが、それでも飛び石が設えられている。池の中にはU字溝のようなものもあるが、これは後から持ち込んだものだろう。戦前の航空写真からすると、付近一帯は畑地の中に雑木林や屋敷林が点在する場所だったようで、古瀬家がここを別荘とした時も、防風のための屋敷林を必要としたと思われる。それに加えて松、梅、モミジなどを庭園の一部として植樹したのだろう。
古瀬公園を一巡りして西側から外に出る。振り返って西側の入口を眺めると、小さな美術館があっても良さそうな雰囲気である。ここで公団通りに戻るが、古瀬公園だけでは物足りないので、もう少し歩く。団地を再生した賃貸型集合住宅に沿って西に向かい、仙川を渡る。くぬぎ橋通りを右に折れると、集合住宅の間を通り抜けてきた仙川にまた遭遇する。ここの仙川には水が流れている。駅から古瀬公園に来る途中の仙川は空堀であったし、浴恩館公園内を流れていた仙川の上流にも水は無かった。では、水はどこから来たのか。後で調べてみたところ、雨水と浄水場の砂洗水を溜めて流しているという事が分かったが、下流までは到達しないという事らしい。仙川を渡って北に進むと玉川上水に出る。右へ行けば国木田独歩ゆかりの地へと出る。今回は左へ、玉川上水に沿って江戸時代から続く桜の名所を見に行く。今の時期は当然のことながら、葉桜見物という事にはなるのだが。
<参考資料>「緑と水のひろば71」「山本有三記念館」「山本有三記念館館報8」「武蔵野ところどころ」