夢七雑録

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落語散歩「道灌・怪談乳房榎・高田馬場・紀州」

2017-05-06 07:52:25 | 散歩道あれこれ

雑司ヶ谷から東新宿まで、落語の「道灌」のほか、「怪談乳房榎」、「高田馬場」、「紀州」にゆかりのある場所を歩いてみた。今回は、池袋から鬼子母神に行き欅の参道を通って、都電荒川線の踏切を渡ったが、副都心線の雑司が谷駅か都電の鬼子母神前を起点としてもよい。

踏切を渡って郵便局を過ぎ、二番目の左に入る道を進んで雑司ヶ谷公園を過ぎると、程なく目白通りに出る。目白通りを渡って富士見坂を進むと、直ぐ左側に細い坂道が分かれていく。この坂を日無坂と言い江戸時代からの古い道で豊島区と文京区の境界になっている。石段もある急坂を下って突き当りを左に行くと、豊川浴泉という都内では数少ない銭湯がある。ここを過ぎ次の角を右に入り、二つ目の角を左に行くと豊島区立・山吹の里公園に出る。この辺りが“やまぶき村”と呼ばれていた事から、道灌ゆかりの山吹の里を公園の名にしたようで、山吹の里の説明版も置かれている。公園で一休みしてから、豊川浴泉まで戻る。

豊川浴泉の前の道を西に進むと、右からくる富士見坂の道と合し、その先で宿坂から下ってくる古道に出る。左側には南蔵院があるが、ここは三遊亭圓朝の「怪談乳房榎」の舞台となった場所で、絵師の菱川重信が龍の絵を描いていた寺ということになっている。

南蔵院から面影橋に向かうと、橋の手前のオリジン電気跡の工事現場の角に、供養塔を再利用した山吹の里之碑が置かれている。なお、この碑は豊島区側に位置している。

神田川を面影橋で渡り、新目白通りを渡って左へ。水稲荷への道に入って甘泉園公園に行く。江戸名所図会の記述からすると、山吹の里は、神田川南側の新宿区側にあった事になるが、現在の甘泉園の門も、江戸名所図会の“山吹の里”の挿絵に描かれた門にどこか似ている。

甘泉園から水稲荷に行くと、叔父の決闘に助太刀した堀部安兵衛の碑が立っている。ここの一つ南側の東西の道を茶屋町通りと呼び、高田馬場の北側に沿って茶屋が並んでいたという。ここは、仇討ちがあると聞いて大勢の人が集まったが、いつまで待っても始まらない。実は、茶屋に頼まれて人集めをしただけだったという、落語の「高田馬場」の舞台でもある。

西早稲田の交差点を渡り、坂を下って馬場下町の交差点に出る。江戸名所図会では、道灌が鷹を放したのは戸塚の金川の辺としているが、金川は交差点の近くを流れていた蟹川と考えられる。交差点を右に行き戸山公園に行く。この公園は、尾張徳川家下屋敷の戸山荘の跡で、今は藤の花が盛りになっている。落語の「紀州」は、将軍の跡目を紀州候と争って敗れた尾州候の話である。

戸山公園の箱根山南口を出て大久保通りを渡り、統計局の西側の道に入る。抜弁天北公園を過ぎ、南に真直ぐの道を進むと抜弁天通りに出る。交差点を渡って西に、次の角を左に新宿センター通りを進み、次の角で左に行くと大聖院の下に出る。駐車場への坂を上がると、右手の駐車場の隅に紅皿の墓がある。太田道灌に山吹を差し出した少女を紅皿とする話によるもので、中世の十三仏板碑を用いて墓としている。今回の落語散歩のコースはここまで。最寄り駅は東新宿駅である。

 

(注)この記事を投稿するにあたり、“散歩道あれこれ”というカテゴリーを新設した。

 


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