夢七雑録

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1.神田川源流

2009-10-18 08:57:08 | 神田川と支流
(1)水源

 出発地は吉祥寺である。十数年前に神田川に沿って歩いた時は一人だったが、今日は道連れが居る。本当は、団体歩行より単独行の方が好みなのだが、まぁ、仕方がない。ともかくも、丸井の横の道を入り、群衆の間をすり抜ける。それから、行楽地にありがちな店を横目に、速足で下っていくと、ようやく水面が見えて来た。ここまで来ると、さしもの人混みも井の頭公園の中に拡散して、水と緑が優勢になる。諸々の音と臭いが混ざり合った駅前は、どうにも苦手だ。少し休んでから、池の周りをうろつこうと思ったが、道連れの方は水源を見に行きたいようなので、黙って従うことにした。

 池の水源らしきものは自然文化園分園近くにあった。そこは、家康がお茶をたてた井戸の跡ということになっているが、本当のことは分からない。はっきりしているのは、江戸時代の水脈は既に断ち切られていて、今は地下深くから汲み上げているという事だけだ。湧きだしている水の量は思いのほか多いが、その大半は井の頭池の底から沁み出して、再び地下深くへと戻ってしまうのだそうだ。つまり循環水になっているわけで、いま湧出した水のうち、神田川に辿りつくのは、ほんの僅かと言うことになる。井戸から湧き出したばかりの水は、清冽な水のようにも見えるが、多分、飲用には不適なのだろう。近寄って嗅いでみると、どこか金属のような冷たい臭いがした。

 江戸時代、この井戸と、家光が自ら小柄で井之頭と刻んだコブシの木と、家光が植えた柳の木の三か所に、立て札が立っていたという。井戸は見た通り残っているが、コブシの木は江戸時代に枯れてしまい、その枯れ木も焼失して今は無い。柳の木の方は明治以降も残っていたという話だが、今はどうなったか分からない。少し気にはなったが、今日のところは先を急ぐゆえ、それを確かめに行くのは止めにした。

(2)ひょうたん橋

 水源はこのへんにして、池に沿って東に向って歩く。歩いていくうちに、さしもの広い池も次第に萎んでいき、その萎んだところに取水口と、小さな橋が二つ。二つまとめた呼称かどうかは知らないが、「ひょうたん橋」という名前がついている。この橋の先に、ひょうたん池というこぢんまりした池があって、この池の向こうに水門橋という小さな橋が見える。その水門橋から先が、神田川ということになっている。

 江戸時代には、井之頭池の東端の土橋から先が、神田上水になっていた。明治になっても、その状況は変わらなかったのだろう。昭和になると、取水口が二つになり、その二つの流れが合わさる先に小さな橋が作られる。やがて、流れは少しずつ広がって、ひょうたん池という小さな池となる。池を川とは呼びにくいので、池の先の小さな橋が水門橋となって、神田川の起点になった。まぁ、こんなところだろうか、あてにはならないが。ひょうたん池が、自然発生的に出来たのか、意図的に作られたのかは分からないが、神田川に流れる水量を調整するバッファとして、今でも役に立っているようではある。

(3)水門橋

 ひょうたん池を回って水門橋に行く。神田川の初めの水量は多くもないが少なくもない。橋を渡って流れに沿って少し行ったところに、「一級河川 神田川」と彫られた石が置かれている。そこからまた、水門橋に戻ってひょうたん池の方を眺める。

 それにしても、「ひょうたん」とは言いえて妙である。さしずめ、神田川が流れだすのは、ひょうたんの口に当たる「水門橋」で、ひょうたんの首に当たるのが「ひょうたん橋」のある場所に相当するのだろう。考えてみれば、ネクタイを首に巻くとサラリーマンもしゃきっとするし、犬だって首輪のおかげでしゃきっとするのだ。川の流れも、首の所に結ばれた紐のような「ひょうたん橋」のおかげで、しゃきっとするに違いない。


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