夢七雑録

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11.2 半田いなり詣での記(2)

2009-01-22 22:41:22 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 新宿(葛飾区新宿)は川畔に近い方から上宿、中宿、下宿に分かれている。この日は丁度、中宿にある山王権現(日枝神社。葛飾区新宿2)の祭礼の日で、殊のほか賑わっていた。嘉陵は中宿の中川屋で昼食をとったあと、すすめられて夕顔観音に向う。中川の堤を2kmほど北に行くと、富士浅間の社に出る。その少し先に夕顔観音があった。元禄の頃には、夕顔観音を訪れる参詣者が昼夜を分かたずという状況であったが、嘉陵が訪れた時は、訪れる人もいなかったようで、格子戸も閉め切っているような有様だったという。現在、富士浅間神社は富士神社(葛飾区南水元2)と名称を変えて存続し、富士塚も健在であるが、夕顔観音の方は既に廃堂になっている。
 
 夕顔観音を出た嘉陵は、近くの民家で道を教えてもらうが、案内してくれた男から、この辺での漁の話を聞いている。3kmほど曲がりくねった畦道を行くと、半田稲荷(葛飾区東金町4。写真)の南側に出る。嘉陵は始めてここを訪れたわけだが、拝殿の天井に描かれていた香取栄広の龍について、筆勢といい墨色といい、なかなかの出来と感心している。また、尾張や紀伊の藩士、諸侯の家士のほか、江戸の町々の者が月参りすると知って驚いてもいる。半田稲荷は、文化年間の末頃から、願人坊主が疱瘡麻疹退散を唱えて、この稲荷を担ぎ出したことで繁盛するようになるが、嘉陵が訪れたのは、このような時期でもあった。なお、半田稲荷の社殿は弘化二年(1845)に新たに造営されているので、嘉陵の見たものが今に残っているわけではない。
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