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夢七雑録

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お年玉郵便切手で戌年を見送る

2018-12-27 19:11:53 | 随想ほか雑記

(1)昭和33年(1958)お年玉郵便切手シート

平成30年(2018)の戌年ももうすぐ終わる。そこで、手持ちの戌年のお年玉郵便切手で、これまでの戌年を振り返りながら、平成最後の戌年を見送ることにした。

お年玉くじつき年賀はがきの末等賞品となる年賀切手シートが登場したのは、昭和25年(1925)のことで、2円の切手5枚が1シートになっていた。当時は葉書が2円であったが、昭和26年の11月には5円に値上げされている。

戌年のお年玉郵便切手シートは昭和33年(1958)が最初で、5円の郵便切手4枚のシートになっていた(上の写真)。図柄は江戸時代の後期に始まる東京の郷土玩具で、出産祝いなどに使われる犬張子を図案としており、頭にはでんでん太鼓を載せている。また、切手の背景には雪が降っている。昭和33年は戦後の復興を終えて高度成長期を迎えており、神武景気に続く岩戸景気が始まっていた。この年、東京タワーも完成している。

 (2)昭和45年(1970)のお年玉郵便切手シート

岩戸景気のあと、昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックに向けての五輪景気が続き、さらに、いざなぎ景気へと引き継がれ、昭和43年(1968)には国民総生産GNPが世界2位となって、東洋の奇蹟と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げた。昭和45年(1970)は大阪万博が開催された年でもあった。

昭和45年(1970)のお年玉郵便切手シートは、奈良の法華寺の守り犬を図案とした7円切手4枚のシートになっている。なお、昭和41年に葉書は7円に値上げされていた。守り犬は光明皇后から口伝で受け継がれたとされ、護摩供養の灰を清浄な土に混ぜてこねて形を作り、乾燥後に胡粉を塗り雲母粉で磨いて絵付けしたもので、尼僧が作っている。この切手では、松葉の絵付けをした中形の守り犬が図案になっている。

 (3)昭和57年(1982)のお年玉郵便切手シート

昭和48年(1973)中東戦争による石油高騰により物価も高騰する。高度経済成長はここに終焉を迎え、安定成長期へと入った。葉書は昭和47年に10円、昭和51年に20円、昭和56年には1月に30円となり4月には40円となった。なお、封書は60円だった。

昭和57年(1982)のお年玉郵便切手シートは、犬の40円切手2枚のシートになっている。山形県米沢市の相良人形による図案で犬種は狆である。狆は室内で飼われていて、首輪や羽衣と呼ぶ涎かけをかけていた。相良人形は安永7年(1778)に米沢藩士の相良清左衛門が始めたといい、形ぬきをした粘土を焼いて彩色する土人形で、その一つが狆である。

 (4)平成6年(1994)お年玉郵便切手シート

昭和の末期に地価と株価の高騰によってもたらされたバブル景気は、経済の実体を伴わなかったため平成3年(1991)には泡と消え、そのあとは平成不況となる。政治の世界では、平成5年(1993)に非自民の細川内閣が誕生したが、平成6年になると政権復帰のために自民党がなりふり構わず村山社会党委員長を支持して村山内閣が発足する。

平成6年のお年玉郵便切手シートは、千葉の犬41円と土佐犬62円の組み合わせである。なお、平成元年に消費税が導入されたため、葉書は41円、封書は62円になっていた。千葉の犬というのは、千葉県長南町芝原で今戸焼をもとに明治初期から作られてきた芝原人形と呼ぶ土人形の一つで、羽衣と呼ぶ涎かけで飾られた狆を図案としたものである。また、土佐の犬とは、高知出身の作者の名をとって香泉人形と呼ばれている郷土玩具の一つで、土佐の横綱犬の土鈴を図案としている。

 (5)平成18年(2006)お年玉郵便切手シート

平成7年(1995)には阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。平成9年(1997)には山一證券が破綻し金融不安が生じて不況になった。その後、景気は回復に向かうがリストラなどによる失業の増加もあって、仕事無き景気回復となる。平成13年(2001)アメリカ同時多発テロが発生。平成15年(2003)頃にはアメリカ経済が回復し、日本の景気も回復に向かうが、その一方で格差が問題になった。

平成18年(2006)のお年玉郵便切手シートは秋田犬を図案化した50円と佐土原人形の戌を図案とした80円の組み合わせになっている。なお、平成6年に葉書は50円、封書は80円に値上げされていた。佐土原人形は宮崎県佐土原町(現在は宮崎市に編入)で江戸時代から作られていた郷土玩具で、涎かけを掛けた狆の土人形が図案になっている。

(6)平成30年(2018)お年玉郵便切手シート

平成20年(2008)にはリーマンショックもあったが、その後の景気は緩やかに回復し、長さだけは、いざなぎ景気を超えたという。平成23年(2011)には東日本大震災が発生。その後も各地に地震や噴火があり、さらに豪雨による災害もあった。

平成30年(2018)のお年玉郵便切手シートは、小さな犬62円と大きな犬82円の組み合わせになっている。なお、平成26年には消費税分を含めて切手は葉書52円、封書82円となり、昭和29年には葉書が62円に値上げされている。今回のお年玉郵便切手は、郷土玩具ではないものの干支の戌によるデザインとしており、白い小さな犬と黒い大きな犬が室内で向き合うポップなタッチのデザインになっている。この図案ではパールインクという光沢のある特殊インクで花格子の地紋を描いているが、上から見たのでは分かりにくいので、上の写真は斜め上から撮っている。大きな犬の耳のあたりには★型が、小さな犬には💛が、パールインクで描かれている。ミシン目の一部は骨の形の目打ち(○で示す)になっており、シールの下部には犬の足跡が書かれている。小さな犬は全身がミシン目の中に納まっているが大きな犬ははみ出ている。何か意図があるのだろうか。

平成の戌年はもうすぐ終わってしまうが、平成はまだ続くので、平成が古き良き時代だったかどうかは、年号が変わったあとで考えたい。年が変わって、亥年のお年玉郵便切手シートが当たったとしたら、来年はその切手シートで亥年を見送ることになるかも知れない。

 


カードゲーム(トランプ)の思い出

2016-07-10 13:26:28 | 随想ほか雑記

(1)ブック型トランプ

日本では、プレイングカードの事をトランプ(trump)と呼んでいるが、正しくは、切札(一番強いカード)の事をトランプというらしい。大統領候補となったトランプ氏も同じ綴りだそうだが、それはそれとして、トランプならわが家にもあった筈と思い、家探しをしてみた。すると、銀行で貰った未開封のトランプとブック型のミニトランプが出てきたが、昔よく使っていたバイスクルのカードは、何時の間にか処分してしまったらしく見当たらなかった。ミニトランプは安物ではなさそうだが、高級品でもなさそうである。メーカーは判然としないが、ブックの背表紙からするとユニバーサル社かも知れない。年代的には戦前のものに違いないが、旅行などの際に度々持ち出していて、使い古しになっているゆえ値は付かないだろう。一応、札は揃っているので、まだ使えそうだが、このままそっと、しまっておきたい気もする。

 

(2)コントラクトブリッジ

もう半世紀も前のことだが、コントラクトブリッジ(ブリッジ)の講習会に誘われ、ほんの気まぐれで出てみたことがある。そして、数日後には、初心者にもかかわらすブリッジのメンバーになっていた。ブリッジは4人で行う競技で、向かい合う者がペアを組み、ペアとペアが勝負を競う事になるため、メンバーが揃わないとゲームが始められないという事情があった。また、ルールが複雑で予備知識無しではゲームに参加できないこともあって、講習会への参加はメンバーになる事を意味していたらしい。結局、毎日のようにブリッジをすることにはなったが、楽しくもあった。その後、昼休をブリッジで過ごす人の数が次第に増えていき、それに伴い、こちらも観戦する側に回ることが多くなった。それから何年かが経過したある日、職場でのトランプは禁止というお触れが出された。囲碁や将棋は何の御咎めもないのに、知的で紳士的なゲームであるブリッジが何故ダメなのかという批判もあったが、お触れが取りやめになる事はなかった。トランプと言えばポーカー、ポーカーと言えば賭け事というイメージがあったのかも知れない。そんな事があってから、ブリッジを止めてしまったため、今ではブリッジのルールもおぼろげになっている。

 

<オートブリッジ>

本棚を整理していたら、ブリッジを一人で学ぶのに使うオートブリッジという道具が出てきた。ブリッジでは、こちらが間違うとペアを組む相手にも迷惑がかかるので、もう少し勉強してみようと購入したのがこのオートブリッジで、外国製である。ブリッジでは、プレイに先だってビッドによる競り(オークション)が行われるが、どのようなビッドをすれば良いのか、また、プレイの段階ではどのような順番でカードを出せば良いのか知る必要があり、これを学ぶための道具がオートブリッジということになる。オートブリッジには、カードの様々な配られ方に対して、最適なビッドやカードの出し方を印刷した紙、つまり、棋譜のようなものが多数添付されている。この紙をオートブリッジ用の器具に入れて使うのだが、器具の窓を手でスライドさせて順番に表示するだけの全手動型の器具である。この道具を使用した痕跡は僅かにあるものの、あまり使われないまま今日まで眠っていた事になるが、今では何の役にも立たない、ただの思い出の品になってしまっている。

 

(4)サクライ・コンベンション

ブリッジにおける競り(オークション)を、より有利に行うための巧妙な方法として、コンベンションというビッドの仕方が考えられている。ブリッジを始めた頃、日本人の名を付けたサクライ・コンベンションというのがある事を知り、いつかやってみたいと思っていたのだが、残念ながら、その機会が訪れる事はなかった。今では、このコンベンション自体を知っている人も少ないかも知れないが。

(注)サクライ・コンベンションについて

ペアを組む相手が1NTをオープンした時、こちらの手が良く6NTか7NTの可能性があれば3Dをビッドする。相手は12ポイント持っていれば3NT、13ポイントなら3S、14ポイントなら3Hと答える。これを受けて、両方の点を合わせ33ポイントなら6NT、37ポイントなら7NTへ行き、32ポイント以下なら3NTで終わる。なお、本当にダイヤが良い時は4Dをビッドする。

 

(5)その他のカードゲーム

ババ抜きや神経衰弱に始まって、これまで様々なトランプのゲームを行ってきたが、ブリッジの他にもう一つ上げるとすれば二八(ニッパチ)だろうか。数人で出かけた出張の帰り、客もまばらな列車の中で延々と二八を続けていた日の事を今も思い出す。トランプの一人遊びの本を買ってきて、暇つぶしに遊んでいたのは、ずっと昔の事である。今では、一人遊びについての記憶も、微かに残っているだけになっている。

 


プリントゴッコ

2015-12-16 19:03:52 | 随想ほか雑記

わが家の花暦、今回はソヨゴ。モチノキ属の常緑小高木で秋には赤い実をつける。その名は、風にそよぐ様子からという。幹は細くて、風吹けば揺れる風情である。

家の中を片付けていたらプリントゴッコの箱が出てきた。久しぶりのご対面である。手作り感のある年賀状が気に入って長いあいだ使用して来たプリントゴッコだったが、本体の発売が中止になったのを期にカラープリンタで賀状を作成するようになってから、今日まで置き去りにされていた事になる。プリントゴッコによる賀状作成は、マスターと呼ばれるシルクスクリーンと原稿を重ねて本体にセットし、フラッシュランプ(閃光電球)を発光させる。その熱で原稿が転写したシルクスクリーンにインクを乗せて1枚ずつプリントするのだが、この作業が結構楽しかった。ただ、インクが乾くまで時間がかかるという難点があり、枚数を追加する必要が生じた時は、また初めからやらなければならないという問題もあった。それに比べると、パソコンとプリンターによる賀状作成は手間がかからない。そして、気が付くと楽な方を選んでいたということである。プリントゴッコは2012年に消耗品を含めて全業務を終了しているので、何れ使えなくなることは分かっている。この先、プリントゴッコを使うかどうかも分からないが、今や消滅危惧商品になっているプリントゴッコを、今すぐ処分してしまう気にはなれない。


計算尺

2015-07-02 22:32:05 | 随想ほか雑記

我が家の花暦、今回はギボウシ。ユリ科の多年草で、その名は擬宝珠に由来するという。ただ、花のつぼみの形は、より細長いように見える。ギボウシは小さな花ではないので日影の中ではよく目立つが華やかさは無い。今年は周囲をミョウガに囲まれて、物静かに花を咲かせている。

引き出しの奥にしまわれていた計算尺に気が付き、取り出してみた(写真)。使われなくなって長い時間が経つが、カーソルも滑尺もスムーズに動き、今でも使えそうである。計算尺とは、アナログ式の計算道具のことで、対数の原理を用いた計算尺の発明は17世紀に遡るという。日本にもたらされたのは明治27年(1894)だが、明治42年(1909)になって、逸見治郎が孟宗竹の合板を使用したヘンミ計算尺を完成させる。ヘンミ計算尺は他の追随を許さないほど完成度が高く、昭和40年(1965)の世界シェアは80%だったという。写真の計算尺は1968年頃のものだが、1970年代も後半になると、関数電卓の普及により計算尺を使うことも無くなり、計算尺は引き出しの奥に閉じ込められたままとなる。今は、計算尺の使い方も忘れてしまったが、仮に覚えていたとしても、この先、使う事は考えられない。計算尺は、もはや、無用の道具に過ぎないが、それでも何故か処分する気になれない。

引き出しの中を整理していると、リズム・メーター(写真)というバイオリズム計算尺の一種が出てきた。これを、計算尺の仲間に入れるべきかどうか分からないが、姿かたちが計算尺に似ている。ここで言うバイオリズムとは、人間の好不調にはリズム(周期性)があり、誕生日を起点に、身体(P)には23日の、感情(S)には28日の、知性(I)には33日の周期があるという説であり、好調と不調の期間、好不調の変わり目の要注意日を求め、家庭生活や社会生活に役立てようというものである。ただし、リズムには個人差があり、結果を盲信する事は勧められないという注意書き付きである。写真のリズムメーターはバイオリズムが流行した1970年代の初めに入手したと思われるが、役に立ったという記憶は無い。

 


いつかある日 御嶽山

2015-03-29 09:20:51 | 随想ほか雑記

我が家の花暦、今回はジンチョウゲ。沈丁花の名は香料の沈香と丁子からきていると言い、遠くからその存在が分かるほど強い香りがする。

御嶽山の噴火から半年が経った。以前、御嶽山に登った事があるので、とても人事とは思えない。下の写真はその時に撮ったもので右上が山頂である。山頂に到着したのは、11時過ぎ。あの時、噴火に遭遇していたら、どうなっていたのだろう。せめて、山頂付近にシェルタがあったなら、助かる命もあったのではと思うと残念でならない。シェルタは阿蘇山を始め幾つかの火山には設置されているようだが、未設置の火山も少なくないらしい。気がかりである。


昭和の遺品・ソノシート

2013-08-06 19:10:07 | 随想ほか雑記

 平成25年もすでに8月。昭和はますます遠くなりつつある。昭和時代にはよく使われていたが、今は使われることもなく消え去る運命にある、そんな昭和の遺品も少なくはないだろう。ソノシートも、そうした、昭和の遺品の一つである。

 ソノシートは、薄く柔らかな塩化ビニールシートを材料にした廉価なレコード盤で、聴くにはレコード・プレーヤが必要となる。ソノシートは朝日ソノラマ社の商標になっていたため、他社はフォノシートやシートレコードなどと称していたが、総称としてはソノシートで通っている。ソノシートは、1958年(昭和33年)にフランスで発明され、その翌年には、ソノシート付きの音の出る雑誌として国内でも出版されている。当時、2曲入りのEP盤が300円ほどしたのに対し、同じ2曲入りのソノシートは100円と安かったが、音質面や耐久性には難があった。ソノシートの主流は、円盤状の17cmLP盤(331/3回転)であったが、それ以外のものもあった。当初のソノシートは、片面だけに録音されていたが、後に両面録音のものも登場した。ソノシートは安価なこともあって、雑誌の付録や記念品などにも利用された。

 上の写真は、ソノシート付きの雑誌の一例で、昭和38年に現代芸術社から出版されたものである。これには、関連記事とともに、17cmLP盤片面録音のソノシートが4枚添付され、計8曲が収容されていた。販売価格は380円であった。

 上の写真も現代芸術社から出版されたものだが、17cmLP盤の両面録音のものが3枚添付され、14曲が収容されている。販売価格は450円であった。

 ソノシートは雑誌の付録としても使われている。上の写真はコンピュータ雑誌の付録の両面録音LP盤のソノシートで、コンピュータが鳴らす音楽を紹介している。

 ソノシートの多くはLP盤であったが、EP盤(45回転)もあった。上の写真はその一例で、特典として添付されていたものである。

 ソノシートの多くは17cm盤であったが、上の写真の右側の盤のように、これより小振りのものもあった。

 ソノシートには、レコードのような円盤ばかりではなく、方形のものもあった。上の写真はその一例で、レコード・プレーヤにかかりさえすれば、形は自由であった。

 ソノシートは観光バスでも配布されていた。上の写真は、静岡県の日本平の観光バスのもので、昭和40年頃のものである。これには、観光案内と歌が収録されていた。なお、同種のものとして、当ブログのカテゴリー「古いアルバムめくり」で、半世紀前の旅の写真の中で紹介している、佐渡の観光バスのソノシートがある。

 地方自治体でもソノシートを制作していた。上の写真は、その一例である。ソノシートは安価なことから、様々な利用がされてきたが、レコードがCDに置き換わり、レコードが衰退すると、ソノシートも制作されなくなってしまった。現在では、レコード・プレーヤ自体も激減しているので、ソノシートは絶滅危惧種という事になりそうである。


富士山の貨幣・紙幣・切手

2013-07-02 19:20:28 | 随想ほか雑記


 富士山ほど多くの絵画に取り上げられた山は、他に無いだろう。富士山を撮った写真に至っては、ほとんど無数と言っても良いぐらいである。また、富士山の図柄は様々なところで使用されてもいる。そこで、富士山が世界遺産に登録されたのを機に、手持ちの貨幣・紙幣・切手の中から、富士山の図柄を用いているものを探してみた。

(1)貨幣

 上の写真は、昭和17年発行の1銭アルミ貨幣で、富士山を図柄としている。現行の1円玉より一回り小さい、吹けば飛ぶような貨幣で、当時も、この貨幣で買えるものはあまりなかっただろう。貨幣カタログによると、現在の価値は美品でも50円なので、世界遺産登録記念の富士山グッズとして買っておくのも良いかもしれない。

 上の写真は、昭和39年の東京オリンピック記念の1000円銀貨幣で、富士と桜の図柄が使用されている。この銀貨は日本初めての記念硬貨として人気が高く、一時は額面の20倍ほどの値を付けたという。その頃に売ってしまえば儲かったのだろうが、その後は値下がりを続け、貨幣カタログによると、現在の価格は美品で3000円だという。むろん、買取価格はずっと低く儲かるようなものではない。それでも、二度目の東京オリンピック開催が決まれば、少しは値上がりするのだろうか。

 富士山を図柄とする記念硬貨は、財務省のホームページによると、上記のほかに、次のようなものがある。このうち、③と④はプルーフセットとして、額面をかなり上回る高額で販売されている。また、地方自治法施行60周年記念貨幣の発行が予定されているが、静岡県と山梨県のものは富士山の図柄を用いるようである。

①日本万国博覧会記念100円白銅貨。昭和45年。図柄は北斎の凱風快晴(赤富士)。
②天皇陛下御在位10年記念500円白銅貨。平成11年。図柄は富士山と菊。
③2007ユニバーサル技能五輪国際大会1000円銀貨。平成19年。図柄は富士。
④第67回国際通貨基金世界銀行グループ年次総会記念1000円銀貨。平成24年。図柄は富士山と江戸の庶民。


(2)紙幣

 上の写真は500円札に使われていた富士山の図柄で、大月市の雁ケ腹摺山から見た富士山の写真を原図としている。

 現行の1000円札は、本栖湖の逆さ富士の写真を原図とする富士山の図柄を使用しているが、新渡戸稲造の旧5000円札も、同じ写真を原図としている。

(3)切手

 切手カタログによると、普通切手に富士山の図柄を用いたのは、大正11年の富士鹿切手が始まりということになる。翌年には、別の図柄の富士山による震災切手が発行され、大正15年には富士山の風景切手が発行される。昭和15年になると、富士山と桜の切手が発行され、この図柄を簡略化した切手が昭和19年に発行される。上の写真は、その翌年に戦後初めて発行された切手で、昭和19年の切手の図柄をそのまま用いているが、目打(ミシン目)は無い。昭和21年には、北斎の赤富士を図柄とする切手が発行されるが、その後、富士山の図柄は、記念切手に移るようになる。

 富士山を図柄とする記念切手は種類が多いので、今回は主なものだけを取り上げる。富士箱根の記念切手は、国立公園シリーズの一つとして昭和11年に発行されているが、昭和24年と昭和37年にも図柄を変えて発行されている。このほか、観光地百選として昭和26年に発行された日本平の図柄には富士山も含まれている。国際文通週間の記念切手には、北斎の富嶽三十六景の図柄が数多く採用されており、上の写真は、そのうちの昭和44年に発行された甲州三島越の図である。国際文通週間の記念切手には広重の東海道五十三次の図が採用されており、その中に富士が描かれているものが幾つかある。ふるさと切手のシリーズでは、静岡県と山梨県に富士山を図柄とするものがある。このほか、自然公園の日や国際観光年、東京サミットなどの記念切手や日本の歌シリーズなど、富士山を図柄とした切手が多数発行されている。


大正時代の貯金箱

2013-06-23 09:06:08 | 随想ほか雑記


 父の遺品の中に大正時代の小さな木製貯金箱があった。これまで放置したままになっていたが、最近になって中を調べたところ、明治の半銭銅貨、大正の50銭小銀貨などのコインが出てきた。そこで、これらの貨幣の価値はどうなのか、調べてみた。



(1)金相場により換算した価値
 大正14年の金相場、純金地金の1g当たりの市場小売価格の最高値は1円73銭であり、2012年の相場では4677円なので、その比は2703倍となる。

・半銭: 0.005円×2703=   13.5円
・50銭: 0.5円×2703  = 1352  円

(2)古銭としての価値
 古銭としての価値は、状態や希少性などにより大幅に変わるが、販売価格の一例をあげると、次のようになる。買い取り価格は当然これより低く、並みの品質のものなら買い取りの対象にもならないらしい。

・明治中頃の半銭銅貨:   250円 (美品)
・大正末期の50銭小銀貨: 600円 (美品)

(3)大正時代の価値

 大正時代の末頃に、半銭と50銭で何が買えたかを「続・値段の風俗史」などの資料で調べてみた。

①半銭銅貨
 明治の中頃であれば、この銅貨で金太郎飴1本が買えたのだが、大正時代も末になると、飴の値段は数倍にはね上がってまっている。お駄賃に貰った半銭銅貨を握りしめて近所の駄菓子屋に行っても、買えるものが無かったかも知れない。駄菓子以外では、大正10年に半銭銅貨で鉛筆が1本買えた。今なら鉛筆1本50円ぐらいだろうか。

②50銭小銀貨
 大正時代の末、江戸前寿司やトンカツの値段は20銭ぐらいだったから、50銭あれば食事をしてもまだ余裕があり、観劇は無理でも映画ぐらいは何とかなったかも知れない。ただ、山手線や私鉄の運賃は最短区間で5銭したので、往復を電車利用とすると赤字になる可能性もある。入場料がもう少し安い動物園ぐらいなら、帰りに2銭の饅頭か鯛焼きを買い、8銭のラムネを飲むことは出来ただろう。仮に、50銭銀貨を使わずに10枚ほど貯めれば、野球のグローブを買うことだって出来た。当時の50銭銀貨は、それだけの値打ちがあったのだが、今では、希少品や状態の良いもの以外、さほど値打ちがないらしい。やはり、プライスレスの遺品として貯金箱ごと保存すべきものなのだろう。

(4)追記


 家の中を探したてみたら、古銭や記念硬貨に混じって、武内大臣の1円紙幣が出てきた。偽造防止用の透かし入りで、1円銀貨と交換すると記載されている日本銀行兌換銀券である。番号がアラビア数字なので大正時代の発行ということになるようだが、当時は1円銀貨の流通が止められていたため、実際には銀貨との交換が出来ない状態であったらしい。この紙幣、名目上は1円だが、金相場で換算すると2700円という事になる。ただし、古い紙幣としての価値はさほどではなく、状態も良くないので、販売価格も200円にいくかどうかである。

 古銭は永楽通宝や寛永通宝で、展示即売会か何かで入手したものらしい。1408年の永楽通宝には¥150との記載があり、時代が古い割には値が付かないようで、今は、古銭収集を趣味とする人も少ないらしいので、今後の値上がりも期待できそうにない。昔は、記念硬貨を手に入れるため、長い行列ができるほどであったが、今はどうなのだろう。記念硬貨も金貨ならば、金相場に応じたプレミアがつくかも知れないが、それ以外の記念硬貨はあまり期待しないほうが良さそうである。