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夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

卯年のお年玉切手シート

2023-01-20 17:55:17 | 随想ほか雑記

 今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、昭和38年から令和5年まで卯年(ウサギ年)のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。十二支と十干を組み合せた干支で、今年は癸卯(みずのと・う)に相当するが、前回の癸卯は60年前の昭和38年(1963)ということになる。

(1)昭和38年(1963)

昭和38年のお年玉切手は5円切手4枚からなるシートで、佐賀県の郷土玩具である“のごみ人形”の干支シリーズから卯の土鈴の図柄が使用されている。のごみ人形は佐賀県の鹿島で昭和20年(1945)から作られていた土人形がもとになっている。なお、昭和26年(1951)11月に葉書は5円で封書は10円となったが、その後、昭和41年(1966)までは変わらなかった。

 

(2)昭和50年(1975) 

昭和41年(1966)7月には、葉書は7円に封書は15円となり、昭和47年(1972)2月には葉書は10円に封書は20円に値上がりした。昭和50年(1975)のお年玉切手は10円切手3枚のシートで、図柄には桂離宮の水仙の釘隠しが使われていた。釘隠しとは長押などの釘の頭を隠すための装飾具を言うが、桂離宮の参観者で水仙の釘隠に気づいた人は少ないかも知れない。

 

 (3)昭和62年(1987)

昭和51年(1976)1月に葉書20円、封書50円に値上がりしたが、さらに昭和56年(1981)1月には葉書30円で封書60円となり、同年4月からは、葉書40円、封書60円となる。昭和62年(1987)のお年玉切手は40円の切手1枚と60円の切手1枚からなるシートになっている。40円の図柄は、明治になって旧士族が始めた名古屋土人形の継承者による“めおとうさぎの餅つき”で、60円の図柄は慶事用折鶴になっている。 

 

(4)平成11年(1999)

平成1年(1989)4月に葉書41円で封書62円となり、平成6年(1994)1月には葉書50円、封書80円に値上がりする。平成11年(1999)のお年玉切手は50円切手1枚と80円切手1枚からなるシートになっている。50円切手の図柄は千葉県佐原の郷土玩具、佐原張子の“もちつきうさぎ”で、80円切手の図柄は、幕末に始まった渋江人形を継承した山形張子の“玉乗兎”である。

 

(5)平成23年(2011)

平成23年(2011)のお年玉切手は50円切手と80円切手の2枚からなるシートで、50円切手の図柄は福島県西会津町の”首振り招福卯”という西会津張子、80円切手の図柄は兵庫県丹波市の稲畑人形のうち“子兎土鈴”という土人形が使われているが、何れも江戸時代からの郷土玩具の流れを汲むものという。

 

(6)令和5年(2023)

平成26年(2014)4月に葉書は52円、封書は82円になり、平成29年(2017)6月には葉書62円、封書82円に値上げされ、そして令和元年(2019)10月には葉書63円、封書84円となった。お年玉切手シートは平成28年まで国立印刷局が印刷していたが翌年以降は委託するようになり、令和5年の場合は、凸版印刷(株)の製造になっている。図柄は干支に因んだ84円と63円のうさぎのデザインである。

 

 

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MD(ミニディスク)について

2022-10-02 15:55:46 | 随想ほか雑記

先日テレビを見ていて、十代の多くがMD(ミニディスク)を知らないということに驚いた。MDが登場したのは平成になってからで、CDに比べて小さく持ち運びしやすく、録音が容易にできる利点もあった。また、カセットテープとは異なり曲番が付けられる(頭出しが出来る)というメリットもあったので、今後は主流になる可能性もあると思っていたのだが、現実にはそうはならず、それどころか、今では絶滅危惧種にすらなっているらしい。こんなことになるとは思ってもみなかった。

上の写真は、所有しているSONYのポータブルミニディスクレコーダー、MZ―R4ST(1996年)である。写真の上側がステーションで、その左上側に本体が装着されている。写真の下側にあるのがMD(ミニディスク)で、ディスクをカートリッジに収めて保存する。

 

上の写真は、ステーションから本体を外して、上側に置いた状況を示している。本体にバッテリーとリモコン付きヘッドフォンを装着すれば、本体を持ちだして歩きながら聞くこともできるので、MDウォークマンと称していた。

この先、MD(ミニディスク)に録音することは考えていないし、MDウォークマンとして屋外で聴くこともないだろう。ただ、録音済みのMDについては、聞いてみた上で残した方が良いと思う場合は、別の媒体にコピーすることを考えたい。

 

 

 

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切手収集という趣味

2022-09-15 20:55:08 | 随想ほか雑記

切手収集が趣味の王様だった頃、雑誌の広告につられて海外切手のパケットを買ったことがあった。中身は未使用の切手が1枚、残りは使用済み切手41枚で、相場が分からなかったので、値段相応なのかどうかは分からなかった。それと、どのような切手なのか、当時は調べることが難しかった。切手収集を続けることも考えたが、それには小遣いが足らなかったので、きちんと保管する事を条件に、家にあった使わない切手はまとめて預かることにした。それから年月が経ち、自分で稼いだ金で、切手収集が出来るようになったが、その頃には、切手は投機の対象となり趣味の域を脱していたため、たまに切手を入手することはあっても、本格的な切手収集を始めるまでには至らなかった。

ところで、当時入手した海外切手のパケットだが今も手元にある。上の写真はその一部で、中ほどにある三角形の切手が、たった1枚の未使用切手で、円盤投げの図柄によるサンマリノの切手である。他の使用済み切手はともかく、この未使用切手は当時も多少の値がついていた筈なので、長く保存しておけば、可成りの値がつくのではないかと思い、このパケットを今まで残しておいたのだが、最近になって調べてみたら、この未使用切手は10円にも満たないことが分かった。ひょっとすると、この切手パケットの中の使用済み切手の中に、10円を超える値のつくものがあるかも知れないのだが。

 

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ふみの日切手

2022-07-18 07:15:11 | 随想ほか雑記

 毎月23日は語呂合わせで「ふみの日」と呼ばれている。中でも7月23日は、7月が文月と呼ばれることから、文月ふみの日として、ふみの日切手が発行されている。1998(平成10年)から2002年(平成14年)の5年間は、オランダの絵本作家ディック・ブルーナ(1927~2017)のデザインによる、ふみの日の切手が発行されている。今回は手持ちの切手の中から、「ふみの日」すなわち“Letter Writing Day”を、「LETTER」と「WRITING」と「DAY23」の3回に分けて切手シートのデザインとした、1999年、2000年、2001年の切手シートを取り上げる。

 

(1)1999年(平成11年)ふみの日切手シート

この年の切手シートの図柄のうち、上段は“LE”、中段は“TT”、下段は“ER”になっていて、合わせて“LETTER”を表している。上段には、「①お星さまにとどけ」「②キリンさんこんにちは」「③いっしょに飛ぼう」「④なに書こうかな」の4枚、中段には、「⑤ミッフィーとバーバラ」「⑥トランペットとぼく」「⑦きもちをこめて」の3枚、下段には「⑧お手紙まっててね」「⑨お手紙出すの」「⑩アヒルのさんぽ」の3枚、計10枚の80円切手が記されている。このシートの特徴は各切手のサイズや形が同じでないことで、④と⑧と⑩は円形になっている。

 

(2)2000年(平成12年)ふみの日切手シート

この切手シートの図柄のうち、上段は“WR”、中段は“ITI”、下段は“NG”になっていて、合わせて“WRITING”を表している。上段には、「①風船にのって」「②リンゴの木」「③インコさんこんにちは」の3枚、中段には「④自転車とウサギ」「⑤こころをこめて」「⑥うれしい手紙」の3枚、下段には、「⑦ハープ」「⑧リコーダー」「⑨コントラバス」「⑩お手紙届けてね」の4枚、計10枚の80円切手が記されているが、切手の形は、5枚の方形のほか、長円形が2枚、楕円形、円形、半円形が各1枚ある。

 

(3)2001年(平成13年)ふみの日切手シート

この切手シートの図柄のうち、上段は“DA”、中段は“Y”、下段は“2.3”になっていて、合わせて“DAY 23”を表している。上段には、「①うさぎをだっこ」「②白い小鳥」「③たくさん書くよ」「④読みたいワン」の4枚、中段には「⑤サイクリング」「⑥お空にとどけて」「⑦小鳥と風見鶏」の3枚、下段には「⑧こぶたとニワトリ」「⑨うさぎとお花」「⑩ぼくらは仲良し」の3枚、計10枚の80円切手が記されているが、方形が3、円形が2、半長円形が2、長円形2、楕円形が1と、切手の形は様々である。変わった形の切手を使ってみたい気もないではないが、そうなると、ディック・ブルーナの切手シートのデザインの一部が欠落してしまうことになるので、やめた方が良さそうである。

(注)この記事を書くに当たって「日本切手カタログ」などを参考にした。

 

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寅年のお年玉切手シート

2022-01-30 16:22:01 | 随想ほか雑記

今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、先日、郵便局で入手した。これで、今年までの寅年のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。

 

(1)昭和37年(1962) 

昭和37年は干支で言うと、今年(2022)と同じ壬寅(みずのえとら)に当たる。昭和37年は、戦後の高度経済成長である岩戸景気と、いざなぎ景気の間の景気後退期に当たっていた。この年は、米ソ開戦、強いては核戦争の危険すらあったキューバ危機が生じた年でもある。なお、プロ野球では阪神タイガースが優勝している。

昭和37年寅年(1962)のお年玉切手の図柄は、出雲市の郷土玩具、張子の虎で、額面5円の切手4枚が1シートになっている。郵便料金は昭和26年から変わらず、はがき5円封書10円のままであった。出雲の郷土玩具・張子の虎は、江戸末期の彫刻家荒川亀斎による虎の像をもとに、出雲市の高橋熊市が造ったとされ、節句の祝いに贈るものであった。

 

(2)昭和49年(1974) 

昭和49年は干支で言うと甲寅(きのえとら)に当たる。その前年、中東戦争によるオイルショックがあって物価が高騰し、昭和49年にはマイナス成長となって、長く続いた高度経済成長も終焉を迎えることになった。

昭和49年(1974)のお年玉切手は10円3枚の切手シートである。なお、郵便料金は昭和47年に、はがき10円封書20円に値上げされていた。図柄は重要文化財の千葉寺(せんようじ)の銅梅竹透釣燈籠で、千葉寺址地から出土したものである。銘文から、室町時代の天文19年(1550)の鋳造で、現在は東京国立博物館の所蔵になっている。

 

(3)昭和61年(1986)

昭和61年は干支で言うと丙寅(ひのえとら)に当たる。また、九星気学では五黄(ごおう)の寅年に当たり、非常に強い運勢を持つ年とされる。昭和61年は、投機による株価や地価の上昇によって生じた、実態とはかけ離れたバブル景気が始まった年である。 

昭和61年のお年玉切手は、40円切手2枚のシートである。郵便料金はすでに、はがき40円封書60円になっていた。お年玉切手の図柄は大阪の郷土玩具で、五葉の笹に張子の虎が付けられた神農の虎である。神農は古代中国の伝説上の帝王で農業と医薬の道を開いたとされ、大阪の少彦名神社には薬祖神として合祀されている。文政5年にコレラが大流行した時、丸薬とともに張子の虎を授与したのが神農の虎の始まりとされている。

 

(4)平成10年(1998)

昭和64年(1989)は1月7日で終り、1月8日からは平成元年となった。その翌年、株価は暴落に転じ、平成3年(1991)にバブル景気は崩壊した。その後の経済は停滞し、平成10年(1998)もマイナス成長で、失業率は過去最悪の状態だった。

平成10年は干支で言うと戊寅(つちのえとら)に当たる。郵便料金は既に、はがき50円封書80円になっており、この年のお年玉切手は50円の三春張子虎と80円の博多張子虎のシートであった。三春張子の虎は郡山のデコ屋敷で作られている腰高虎で江戸時代からの手法が受け継がれているという。博多張子の虎は、初節句の祝いとして成長を祈願する首振りの虎になっている。

 

(5)平成22年(2010) 

インターネットは1990年代から使われてきたが2000年代に入るとインターネットが使える第三世代携帯が登場し、2010年頃からはスマホの普及が始まった。

平成22年は干支で言うと庚寅(かのえのとら)に当たる。郵便料金は、はがき50円封書80円で平成10年と変わりが無かった。この年のお年玉切手は80円の加賀魔除虎と50円の静岡張子によるシートだった。加賀魔除虎は節句に贈られるもので魔除けを念じるものだが、愛嬌のある姿で首を振る郷土玩具である。静岡県には郷土玩具の張子虎が静岡、清水、浜松で作られているが、この年選ばれたのは顔が可愛らしい静岡の張子虎である。 

 

(6)令和4年(2022)

グローバル化にはプラスの面とマイナスの面があるが、コロナ禍は後者かも知れない。コロナ禍がいつ頃終わるのか判然としないが、良い方向に向かうことを願っている。

令和4年は干支で言うと壬寅(みずのえとら)に当たる。郵便料金は、はがき63円封書84円になっていた。この年のお年玉切手は、手紙を携えた2匹の虎のオリジナルデザインでシール式になっている。お年玉切手シートの製造は、平成29年になって国立印刷局からエンスヘーデ社に変わり、さらに令和2年からカルトール社となり、令和4年には凸版印刷になっている。

 

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年末年始・丑から寅へ

2022-01-10 18:47:09 | 随想ほか雑記

2022年1月6日。昼頃、予報通りに雪が舞い始め、そして、予報を超えて雪は降り続けて、都心では10cmの積雪になった。今冬の初雪かと思ったが、去年の12月26日の深夜に降った雪が初雪だという。雪は縁起の良いセンリョウの赤い実にも降り積もり、正月にふさわしい紅白の姿になった。

1月7日。夜に門松を外す。今年の初詣は去年と同様、近所の神社だけ。親の代から続いていた虎ノ門の金刀比羅宮も去年は参詣せず、浅草寺にも行っていない。そればかりでは無い。大晦日に穴八幡で戴いた一陽来復のお守りを0時0分に貼ることも止めている。昨年は丑年に縁のある牛嶋神社に行かず、今年も寅年に縁のある寅薬師に行っていない。今はただ、元日を含む三が日を心安らかに過ごし、そして、成人の日を含む三が日を心静かに見送るだけ。寅の年が良き年であることを願いつつ。

 

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令和2年の春愁

2020-04-14 20:18:06 | 随想ほか雑記

今回の花暦はカエデ科の園芸種のうち、ヤマモミジ系のタムケヤマ(手向山)を取り上げる。タムケヤマは紅枝垂と呼ばれる品種のうちの一つで、細かい切れ込みのある赤い葉が特徴的。4月頃、見落としてしまいそうな小さい花が咲く。

20日。南長崎花咲公園に行く。公園名は変更されている。桜が満開になるのはもう直ぐ。開館は延期になったが、22日には、トキワ荘を見に来る人がいるのだろう。

21日。用事で池袋へ。ついでに、駅周辺の桜を見に行く。南池袋公園。サクラテラスと桜。カフェレストラン前の芝生には思いのほか大勢の人。

22日。哲学堂にも桜はある。そして哲学の庭。今の騒動が終わった後は、哲学者たちの出番になるのかも知れない。所々の桜を見上げながら、妙正寺川をゆっくり下る。

29日。雪。椿の花にも。それでも桜は花を残している。見送り、そして、出迎える日のために。

4月。4日、5日。11日、12日。外出自粛。

 

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子年のお年玉切手シート

2020-02-25 19:51:32 | 随想ほか雑記

今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが2枚当たったので、先日、郵便局で入手した。この結果、手持ちの切手アルバムに、今年までの子年のお年玉切手シートが一通り揃ったことになった。

 

(1)昭和35年(1960)

昭和35年用の5円の年賀切手は、昭和34年12月に発売されている。郵便料金は昭和26年から、はがき5円、封書10円のまま変わらなかった。昭和35年のお年玉切手シートは、5円の年賀切手4枚を1シートにしたものである。

昭和35年の子年の年賀切手(お年玉切手シート)の図柄は、金沢の郷土玩具“米食いねずみ”になっている。この郷土玩具は天保の頃に藩の足軽が手内職として始めたものに由来し、竹ひごをおさえると、ねずみの頭としっぽが下がり前に置かれた米を食べるというカラクリ仕掛けになっている。お金が増えるとも言われた玩具であった。本来の“米食いねずみ”は桐の廃材を焼いた黒いねずみで、台も木材をそのまま使っていたが、年賀切手では正月向きの図柄にするため、白ねずみに変え、台と竹ひごを緑に、背景を金色にしている。

 

(2)昭和47年(1972)

郵便料金は昭和41年に、はがき7円、封書15円に値上げされ、昭和47年2月には、はがき10円、封書20円に値上げされている。昭和47年用の年賀切手は昭和46年12月に発売され額面は7円で緑を背景色としている。昭和47年の1月に発売された時は、同じ図柄ではあっても額面は10円となり背景色は青になっていた。

昭和35年の子年以来、年賀切手の図柄には十二支が使われてきたが、一巡したことから昭和47年の年賀切手には米俵や金銀サンゴを積んだ宝船の図柄が使用されることになった。この年のお年玉切手シートは青の背景色に宝船の図柄で額面10円の切手3枚である。

 

(3)昭和59年(1984)

昭和59年の郵便料金は、はがき40円、封書60円になっていた。昭和59年用の年賀切手は昭和58年12月に額面40円で発売されている。

この年のお年玉切手シートは40円の年賀切手2枚になっている。年賀切手の図柄は、滋賀県東近江市五個荘小幡町の郷土玩具“小槌乗りねずみ”になっている。この郷土玩具は素焼き粘土に彩色した小幡人形(おばたでこ)と呼ばれるもので、元禄年間に飛脚屋だった細居安兵衛が伏見で技術習得して始めた土人形に由来する。年賀切手になったものは8代目の細居文蔵の作という。

 

(4)平成8年(1996)

この年、郵便料金は、はがきが50円に封書が80円になっていた。年賀切手は50円切手と80円切手で、平成7年11月に発売されている。

この年のお年玉切手シートは、50円と80円の年賀切手各1枚からなる。そのうち、50円切手は仙台市の堤人形“唐辛子乗りねずみ”が図柄になっている。堤人形は昭和58年の年賀切手として“ししのり金太郎”が取り上げられているので、今回が2回目ということになる。堤人形は元禄時代に仙台藩主が足軽の副業育成のため江戸の今戸の陶工を招いて窯場を設けたことに始まる。江戸時代の堤町には土人形屋が13軒あったというが、明治以降は衰退し、現在では、文化年間から続く人形師、芳賀家だけがその伝統を継承している。80円の年賀切手の図柄は鹿児島県霧島市の“米倉ねずみ”で、しっぽを動かすと、ねずみが見え隠れするカラクリ仕掛けの玩具になっている。なお、この年のお年玉切手シートは1枚しか当たらなかったが、その1枚をうっかり折ってしまっている。切手シートとしての価値は額面だけという事にはなるが、それも思い出の一つなので、そのまま残してある。

 

(5)平成20年(2008)

平成20年用の年賀切手は平成19年11月に50円と80円が発売されている。なお、通信販売用としてオリジナル年賀切手50円が平成19年11月に発売されている。

お年玉切手シートは50円と80円の年賀切手各1枚になっている。なお、切手シートの銘版は国立印刷局になっているが、平成15年の組織替えで切手の印刷が大蔵省印刷局から国立印刷局に変更されたことによる。50円の年賀切手は長野県塩尻市奈良井の福徳十二支土鈴のうち、ねずみの図柄のもので、ちゃんちゃんこを着たねずみが並んで福俵に乗っている。80円の年賀切手は山梨県甲府市の十二支招福土鈴のうち、ねずみの土鈴を図柄としている。この土鈴は武田神社で参拝者に授けられるものという。

 

(6)令和2年(2020)

令和2年用の年賀郵便切手は令和元年11月に発売され、63円切手が川崎巨泉画による伏見小判鼠、84円切手は川崎巨泉画による伏見唐辛子鼠を図柄としている。銘版にはカルトール社の名がある。また寄付金付お年玉付年賀郵便切手は、ねずみと米俵の図柄の63円切手と、ねずみと赤かぶの図柄の84円切手で、何れも切手デザイナーによるオリジナルデザイン、銘版は国立印刷局になっている。2017年からはフランスのカルトール社も日本の切手の製造を行うようになっていた。

お年玉切手シートは、福の字を図柄とする63円切手と寿の字を図柄とする84円切手で、切手デザイナーによるデザインである。銘版はカルトール社になっている。シートにはねずみが描かれ、福の字の切手にもねずみが描かれている。シートには★が描かれているほか★の形の特殊穿孔もある。シートは6色でシートの右下に6色の星印のカラーマークがある。

<参考資料>「年賀状の戦後史」ほか。

 

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亥年のお年玉切手

2020-02-01 10:28:56 | 随想ほか雑記

平成最後の亥年が過ぎ去って、すでに1カ月。手持ちの亥年のお年玉切手を見ながら、戦後の亥年の時代を振りかえってみた。

 

(1)昭和34年(1959)

昭和34年は、神武景気から岩戸景気へと続く高度成長期にあたり、白黒テレビ、洗濯機、 冷蔵庫が家電の三種の神器として話題になった時代である。皇太子殿下の御成婚のパレードがあり、美智子妃の美しさが評判になった年でもあった。郵便料金は昭和26年から変わらず、はがき5円封書10円のままだった。

昭和34年亥年(1959)のお年玉切手シートの図柄は“鯛えびす”で、額面5円の切手4枚が1シートになっている。図柄の鯛えびすは高松市の郷土玩具で、嫁入りの時に近所の子供達への手土産として持参したものという。もともとは、土を型抜きして彩色しただけの簡素なものだったが、後に和紙を張り付ける張子になっている。

 

(2)昭和46年(1971)

昭和39年の東京オリンピック開催のあと景気は一時停滞するがすぐ回復し、いざなぎ景気とよばれる高度成長時代を迎え、昭和43年には国民総生産が世界第2位となる。多くの国民が中流を意識するようになり、カラーテレビ、クーラー、自動車が三種の神器となる。所得が上がる一方で物価も上がり、郵便料金も、はがきが7円、封書が15円になっていた。

昭和46年亥年(1971)のお年玉切手シートの図柄は猪で、額面7円の切手4枚が1シートになっている。切手の図柄は新潟県妙高市(旧新井市)平丸の郷土玩具で、ウリノキ(瓜の木)の樹皮を剥いで乾かし、藁を芯にして束ねて作った、勢いのいいイノシシである。

 

(3)昭和58年(1983)

高度成長は昭和48年のオイルショックにより破綻し、翌年にはマイナス成長に転じた。その後、第二次オイルショックを経て、昭和58年には景気が回復に向かうようになる。この間、物価は上昇し、郵便料金については、はがき40円封書60円になっていた。

昭和58年亥年(1983)のお年玉切手シートは、額面40円の切手2枚で1シートとなる。お年玉切手の図柄は仙台市堤町の堤人形で、金太郎が猪にまたがる構図になっている。江戸時代の堤町には陶器の人形を作る家が多かったが明治以降は衰退し、最後に残った一軒が売り出した堤人形が仙台の土産品として残ることになったという。

 

(4)平成7年(1995)

平成7年は、バブル景気が文字通り弾けたあとの、失われた10年のうちにある。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった年でもあった。郵便料金は値上がりを続け、はがきは50円に封書は80円になっていた。

この年のお年玉切手シートは、額面50円と80円の切手各1枚で1シートになっている。50円の切手は島根県出雲市の出雲張子、首ふりの亥を図柄とし、80円の切手は岐阜県高山市の郷土玩具で、生木綿を染付し籾殻をつめて縫い合わせた縫いぐるみの亥を図柄としている。

 

(5)平成19年(2007)

この年、安倍総理が突然退陣し参院選で自民党が惨敗したり、食品偽装や年金記録漏れがあったり、“偽”という字が今年の漢字に選ばれる、あまりぱっとしない年だった。

平成19年亥年(2007)のお年玉切手シートは、額面50円と80円の切手が各1枚で1シートになっている。切手シートの印刷は大蔵省印刷局で行ってきたが、平成15年に組織替えがあったため、平成19年のシートの製造は国立印刷局になっている。50円切手は、浅草助六の江戸趣味小玩具で、宝珠を持つ亥を図柄としている。また、80円の切手の図柄は、千歳焼をルーツとする富山の郷土玩具、富山土人形の亥を図柄としている。

 

(6)平成31年(2019)

平成という時代が、古き良き時代になるのか、それとも時代の転換点になるのか。それはまだ分からない。この年、消費税増税に伴い郵便料金も上がり、はがきは63円、封書は84円となる。当分は1円切手が出回りそうである。

平成31年亥年(2019)のお年玉切手シートは、62円と82円各1枚で1シートとしている。62円切手の図柄は金を招く右手を上げた猫、82円切手は人を招く左手を上げた猫になっている。シートの印刷は平成29年から、オランダのエンスヘーデ社になっている。シートに描かれているLUCKYとHAPPYの文字は上の図では白字になっているが、実は切り抜き文字であり、裏が黒であれば黒字になる。シートで使われている色は6色で左下に💛で示されている。また猪は切手には描かれていないが、シートの絵の中に描かれている。ミシン目の右下には♡が穿孔されているが、切手の上下を判別するためらしい。

 

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LD(レーザーディスク)の思い出

2019-08-07 20:20:37 | 随想ほか雑記

昭和という時代には流行していたが、やがて衰退してしまった昭和の遺品の一つにLD(レーザーディスク)がある。LDとは、映像や音声の電気信号を微少な凹凸として円盤の上に記録するビデオディスクの一種で、直径30cmのものが主流だったが、後に直径20cmの円盤も使われるようになった。当初、映像や音声はアナログ信号を記録していたが、音声信号については後に、コンパクトディスク(CD)と同様にディジタル信号として記録することが可能になった。レーザーディスクが登場したのは1970年代のことで、国内では1981年(昭和58年)にパイオニアがLDプレーヤーを発売したのが最初である。

1984年にはCDとLD兼用のプレーヤー、CLD9000がパイオニアから発売された。当時、レコードからCDへの切り替えを検討していた事もあり、価格は少々高かったが思い切って購入した。LDはレンタル禁止だったので、LDを多少なりとも買いそろえないと、LDプレーヤーを購入した意味がなかった。最初のLDは、LDプレーヤーと同時に買い求めた「スターウオーズ」で、結局、シリーズ三部作(旧)をLDで揃えることになった。ただ、LDが安くはなかったのと、当時はTVで度々映画が放映されていた事もあって、映画の多くはビデオテープ録画にまかせるようになり、LDとしては、放送の機会が少ないものや、繰り返し試聴する事の多いオペラやミュージカル映画などが中心になった。

CLD9000はCD兼用機だったが、後にCDプレーヤを購入してからは、LD専用機として使用した。1989年には両面再生が可能なCL909(上の写真)に買い替えたが、結局、この機種を最後まで使い続けることになった。1996年になるとDVD規格が登場してDVDへの移行が始まり、2006年にはLD盤の製造が中止となり、2009年になるとLDプレーヤーも生産終了となる。そして、2012年には使い続けてきたCL909が故障した。中古のLDプレーヤーへの買い替えも考えたが、LDの盤自体にも寿命があることから、あきらめた。かくて、30年近いLDとの付き合いも、これにて終りとなった。

 

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