goo blog サービス終了のお知らせ 

夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

牧野記念庭園から石神井公園へ

2023-05-06 16:40:44 | 散歩道あれこれ

西武池袋線の大泉学園駅を南口に出て、ゆめりあを通り抜け道路を渡って西側に下りる。コンビニを過ぎて、その先を左に入ると牧野記念庭園への案内表示がある。突き当たりを左にその先を右折して、牧野記念公園沿いに先に進み次の角を左に入ると牧野記念公園の前に出る。中に入って左に行くと牧野博士の像が出迎えてくれる。

見本園を抜けると顕彰碑があり、その先に書屋展示室がある。展示室の西側は記念館で展示室になっている。NHKの連続テレビ小説「らんまん」のせいか、いつもより入園者が多いような気がする。園内を見て回り牧野富太郎の胸像に挨拶して外に出る。

牧野記念庭園を出て左に行き学芸大通りを渡り東に向かう。幼稚園を過ぎてその先の四つ角を右に入り東京学芸大に沿って左に、その先を右に行く。東大泉つばき緑地を過ぎて南に向かって進むと富士街道に出る。石神井団地前の交差点を渡って次の角を右に入り、南に向かうと林の中になる。その先を左に入って石神井松の風文化公園に入り、園内を散策したあと、外に出て三宝寺池に下る。

三宝池に沿って池の北側を歩く。池の向こう側には厳島神社と浮御堂が見えている。先に進むと木陰に隠れるようにしてアオサギの姿があった。

沼沢植物群落のある浮島の辺りを眺めながら先に進むと、池の向こう側から渡ってくる橋が見えてくる。池の北側は水辺観察園で、野鳥を撮っているらしいカメラマンが何人も居るが、何を撮っているのかは分からない。ひょうたん池を過ぎ、井草通りを渡って石神井池沿いの道を歩く。後は石神井公園駅への道を急ぐだけである。

コメント

城北中央公園周辺の桜

2023-04-02 15:28:15 | 散歩道あれこれ

前日、久しぶりに都立城北中央公園に行ってみた。千川駅から要町通りを小竹向原駅に向かい、東側の四季の道を進んで武蔵野病院前の交差点を渡る。環七を右に行き、次の角を斜め前方に入って武蔵野病院沿いに進み、三叉路を左斜め方面に進めば小茂根四丁目公園に出る。この日は既に、桜散る季節になっていた。

先に進んで、つつじ広場を右に次の角を左折して坂を下って行く。右手の茂呂山公園に行くと、花見をする人たちの姿があった。桜の広場を過ぎて坂を上がり、大山高の門前にある桜の広場のような場所で少しばかり休む。

坂を下ると栗原橋に出る。右側の城北中央公園内には花見の人たちの姿も見える。橋を渡って先に進み、左に上がるとサービスセンターに出る。城北中央公園内には桜が点在しており、花見をする人の姿も見られるが、桜並木を見るのであれば、石神井川沿いに歩きたい。なお、石神井川沿いには調節池の工事が進行中であった。

湿化味橋を渡ってミモザ広場を歩く。ここには花見をする人が多く集まっている。広場の桜の下を通り抜けて開進橋に出る。そこからミモザ広場をしばらく眺めたあと、石神井川の上流へと川沿いの道を歩く。

関進橋から先は川に沿って桜並木が続く。次の橋は羽根木橋、そして羽根沢橋、仲羽橋、宮宿橋と桜並木の散策が続くのだが、正久保橋の手前で工事現場に遮られて遠回りの道となる。実は、環七の武蔵野病院前の交差点から、氷川台に向かって放射第36号線の道路が工事中で、氷川台駅の近くでは橋梁工事が進められていたのである。正久保橋から先も桜並木は続いているが、この日の散歩は少々疲れたので、氷川台駅で終わりとする事にした。

コメント

新井薬師から千川まで桜並木散歩

2023-03-26 20:01:50 | 散歩道あれこれ

新井薬師を起点として複数の桜並木を歩いてみた。新井薬師は通称で、正式には松高山梅照院薬王寺と言うらしい。本尊は薬師如来座像で、眼病に御利益があるとされる。

新井薬師の桜を撮ろうとしているカメラの横をすり抜けて、本堂にお参り。それから境内を見て回る。境内には桜が多く、 寺の裏手の新井薬師公園も桜の並木になっていた。

公園を出たところが中野通りで、ここからは通りを北に向かう。中野通りの桜並木も、今日はおそらく満開か、それに近い状態に当たるのだろう。

歩道橋の上に大勢の人が居ることに気づく。桜並木の道路を横切っていく西武新宿線の電車を撮影しているらしい。撮影向きの場所は既に占領されている故、階段途中で1枚パチリ。

中野通りを先に進み、下田橋の手前で哲学堂に入ってみる。妙正寺川の向こう側は桜の広場になっていて、花見を楽しんでいる人たちの姿が見えるが、今回は先の予定がある。哲学堂はまたの機会に、外に出て中野通りを北に向かい蓮華寺下の交差点に出る。中野通りはここを右に、その先の交差点を左に行き、目白通りとの交差点(南長崎六)で終わりとなる。なお、この交差点は中野区、新宿区、豊島区の境界にあたる。

蓮華寺交差点から新青梅街道を左に行く。この道にも桜並木は続いている。江古田公園を過ぎて江古田大橋を渡り、その先の交差点で北側の歩道に移る。街道は上り坂となり江古田通りに出る。歴史民俗資料館に行くのは割愛して今回は江古田通りを北に向かう。

江古田通りを先に進み、東福寺を過ぎて江古田川を渡る。その先の交差点を左に行くと江古田憩い橋があり、ここから桜を見ながら江古田川沿いに進み、橋を渡って江古田の森公園に入る。公園内を散策したいところだが、時間が無いので北江古田橋を渡って右に行き江古田通りに戻る。交差点を左に行けば大江戸線の新江古田駅に出る。

目白通りを渡って江古田通りを北に向かうと、江古田駅南口の交差点で千川通りに出る。ここを右に桜並木の道を歩く。所々にある桜の巨樹は精一杯の花をつけている。満開と言っても良いのだろう。

先に進むと、角にコンビニのある交差点(練馬区と豊島区の境界)で桜並木は終わる。この交差点は、千川通りを流れていた千川上水が直角に曲がる地点に相当し、以前は、この交差点を曲がり西武池袋線の踏切を渡って先に行く通りも千川通りと呼ばれていた。しかし今は、この交差点で千川通りは終わりになっている。

西武池袋線を渡った少し先から桜並木が始まるが、見頃にはまだ早い。いま満開の桜を見るのであれば、明豊中の辺りから先になるだろう。千川上水跡を公園化した千川親水公園沿いにも、所々に桜がある。それらを見ながら進めば、千川駅のある要町三の交差点に出る。この交差点を横切って板橋高沿いに流れていた千川上水は姿を消しているが、桜並木だけは板橋高の敷地に沿って、少し先まで続いている。

 

 

コメント

板橋区赤塚の梅林

2023-03-11 08:00:40 | 散歩道あれこれ

今回は有楽町線の地下鉄赤塚駅を起点としたが、東上線の下赤塚駅を起点としてもよい。赤塚中央通りを北に向かうと、やがて下り坂。今は緑道になっている前谷津川を渡り急坂を上がれば松月院前の交差点に出る。松月院は江戸時代からよく知られていたらしく、「江戸名所図会」の巻之四にも図入りで取り上げられている。江戸の散歩の達人・嘉陵も来ており、当ブログでも「江戸近郊の旅・嘉陵紀行」の“吹上観音道くさ”の項で取り上げている。

松月院前の交差点から坂を下る。松月院前から東京大仏前の交差点までの道路が開通する以前、この道路の西側も松月院の境内であったらしい。先に進むと、東京大仏の乗蓮寺の入口がある。昭和46年に板橋仲宿から移転してきた寺だが、何度か行っているのでパスし、美術館入口の交差点へ。左に行くと赤塚城址の梅林に出るのだが、今回は先に板橋区立赤塚溜池公園に行く。梅まつりは終わってしまったらしいが、梅林見物だけなら遅くはない。梅を眺めながら園内を散策し、溜池を一回りして小休止。今回は赤塚城址より梅の方に関心があるので、郷土資料館は又の機会ということに。

赤塚城址は都立赤塚公園の城址地区になっている。赤塚溜池公園から急坂を一気に登り切って赤塚公園へ。久しぶりのハイキング気分。多少疲れたが、休んではいられない。赤塚城址の原っぱを突っ切って赤塚公園の梅林に向かう。ここの梅林は、梅畑だったものを農家から譲りうけたものなので、赤塚溜池公園の梅とは一寸ばかり違う。梅林の出口は南東側にあり、ここを左に行くと美術館入口の交差点に出る。今までは、ここから三田線の高島平駅に出ていたのだが、今回は別のルートで成増駅に向かうことにした。

 

 

 

 

コメント

中野区の梅の名所・哲学堂へ

2023-03-05 11:12:44 | 散歩道あれこれ

今回は、中野区の梅の名所である哲学堂を取り上げる。大江戸線の落合南長崎駅から南に、交差点を渡って新青梅街道を西に向かい、猫地蔵堂入口の先で新青梅街道から分かれて左前方の道を進む。哲学堂通りに出て左へ、バス停の先を右に渡って哲学堂に入る。哲学堂の建立は明治36年。明治から大正にかけて建てられた建造物等が多く現存している。それらを見て回り、観象梁という橋で妙正寺川を渡る。大正時代には川の南側は田畑で、天文・気象などの自然観察に向いた場所だった事が橋の名の由来らしい。この橋は富士桟とも呼ばれていたが、現在の橋に架け替えられる以前は、橋の高欄が富士の形だったからだろう。今は橋を渡った先が哲学の庭になっているが、戦後しばらくの間は料亭の痕跡が残っていた。橋から西側は戦前からの梅林だったが、現在は梅の木が多い庭園風に整備されている。

哲学堂を出たあと中野通りを渡って北野神社へ行く。参詣のあと、妙正寺川の南側、崖下の日陰の道を歩く。この辺りで天然氷を製造したことがあったらしいが、場所がどこかは分からない。江古田公園橋を渡って北側の江古田公園に出る。園内では江古田古戦場の碑が目立つ。「鎌倉大草紙」には、江古田原沼袋で豊島一族と太田道灌が戦ったことが記されているが、戦いは広い地域で行われていたのだろう。新青梅街道に出て江古田大橋で江古田川を渡る。その先、江古田一丁目西の交差点で北側の歩道に移り西に向かう。

街道は少し上り坂となり江古田通りを過ぎると交番がある。その先の右手にある中野区立歴史民俗資料館に入る。入館は無料。おひなさま展を開催中だった。今回の散歩はここまで。帰りは新青梅街道を西に行き、沼袋の交差点を南に行けば西武新宿線の沼袋駅に出る。或いは、資料館の裏手に出て東に行くと江古田通りに出るので、ここを北に行けば大江戸線の新江古田駅に出る。また、新青梅街道を東に戻って落合南長崎駅に出ても良い。

コメント

雪中四友

2023-02-28 17:27:47 | 随想ほか雑記

“雪中四友”という言葉がある事を知り、広辞苑で調べてみたところ、“画題:玉梅・臘梅・茶梅(さざんか)・水仙の称”とあった。描きたいものが見つけにくい雪の季節であっても、冬に花を咲かせる梅や臘梅、サザンカや水仙は画の題材として使えるので、困った時に助けてくれる友人のような存在なのだろう。そこで、今まで撮った写真の中から、冬に花を咲かせる、梅、臘梅(ロウバイ)、山茶花(サザンカ)、水仙の写真を探してみた。

 

(1)梅

写真は目白庭園でのもので、2016年1月の撮影。庭園内には雪がまだ残っていた。

「梅つばき早咲ほめむ保美の里」:芭蕉

 

(2)臘梅(ロウバイ)

この写真も目白庭園でのもので、撮影は今年の2月。この日、雪は無かった。

「臘梅や雪うち透す枝のたけ」:芥川龍之介

 

(3)山茶花(サザンカ)

今年2月10日、都内に大雪警報が発令された日の写真である。写真の花は寒椿(カンツバキ)かも知れないが、寒椿をサザンカの園芸品種の一つとする考えもあるようなので、サザンカとして取り上げることにした。

「山茶花のここを書斎と定めたり」:正岡子規

 

(4)水仙

今年の2月、目白の森での撮影。園内には他にも水仙があった筈だが、この日は見当たらなかった。

「水仙や寒き都のここかしこ」:蕪村

 

コメント

田柄梅林公園と光が丘の梅林

2023-02-21 17:58:46 | 散歩道あれこれ

光が丘駅から東に行き“光が丘東大通り”に出て右折し南に向かう。梅林公園の交差点を渡ると、光が丘の外側に田柄梅林公園がある。元々は梅の実をとるための梅の畑であったものを、練馬区が買い取って昭和55年(1980)に公園として開園したもので、白梅や紅梅が66本植えられているという。

出かけたときは白梅や紅梅は咲き始めのようで、園内はロウバイが目立つ存在になっていた。ロウバイは蠟梅と書くが、梅という文字があってもバラ科サクラ属の梅とは異なりロウバイ科ロウバイ属なので、ロウバイは公園になってから植えられたのかも知れない。

田柄梅林公園から少し北側に戻って、西側の夏の雲公園を通り抜け、高い煙突を目印に北へと向かう。月見大橋を過ぎてふれあいの径を進み、ふたご橋を渡って光が丘公園に入る。水景施設を横目に左に行くと、道は西から北へと向きを変えていく。歩く人と走る人を邪魔しないよう気をつけながら足を早めると梅の花が見えてきた。本数は数えていないが、梅林と呼んでも良いのだろう。この辺りはグランドハイツがあった場所で梅林は無かったと思われるので、梅が植えられたのは昭和48年(1973)に返還された後、昭和56年(1981)に公園として整備された時期から後のことだろう。

コメント

うめのき憩いの森

2023-02-13 17:39:33 | 散歩道あれこれ

練馬区に、「うめのき憩いの森」という梅林があることを知り行ってみた。有楽町線の平和台で下車し1番口に出て環八通りを渡り右へ、工事中の道路を渡ってスーパーマーケットのライフに沿って左に行き、都営アパート沿いに進んで児童遊園の先の角を右に入る。先に進むと北町西小学校があり、その先の幼稚園を過ぎると北町西小学校東の交差点に出る。交差点の右手に立入禁止の表示が見えるが自衛隊の練馬駐屯地である。この交差点を左に行き、次の角を右に入って、ケアセンターの先の角を左に入ると「うめのき憩いの森」に出る。ここは練馬区が土地所有者から借りて開放しているそうで、早咲きの梅が9本、遅咲きの梅「白加賀」が129本あるということである。訪ねた時は、遅咲き梅が見頃になるのはもう少し先のようであった。

 

コメント

卯年のお年玉切手シート

2023-01-20 17:55:17 | 随想ほか雑記

 今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、昭和38年から令和5年まで卯年(ウサギ年)のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。十二支と十干を組み合せた干支で、今年は癸卯(みずのと・う)に相当するが、前回の癸卯は60年前の昭和38年(1963)ということになる。

(1)昭和38年(1963)

昭和38年のお年玉切手は5円切手4枚からなるシートで、佐賀県の郷土玩具である“のごみ人形”の干支シリーズから卯の土鈴の図柄が使用されている。のごみ人形は佐賀県の鹿島で昭和20年(1945)から作られていた土人形がもとになっている。なお、昭和26年(1951)11月に葉書は5円で封書は10円となったが、その後、昭和41年(1966)までは変わらなかった。

 

(2)昭和50年(1975) 

昭和41年(1966)7月には、葉書は7円に封書は15円となり、昭和47年(1972)2月には葉書は10円に封書は20円に値上がりした。昭和50年(1975)のお年玉切手は10円切手3枚のシートで、図柄には桂離宮の水仙の釘隠しが使われていた。釘隠しとは長押などの釘の頭を隠すための装飾具を言うが、桂離宮の参観者で水仙の釘隠に気づいた人は少ないかも知れない。

 

 (3)昭和62年(1987)

昭和51年(1976)1月に葉書20円、封書50円に値上がりしたが、さらに昭和56年(1981)1月には葉書30円で封書60円となり、同年4月からは、葉書40円、封書60円となる。昭和62年(1987)のお年玉切手は40円の切手1枚と60円の切手1枚からなるシートになっている。40円の図柄は、明治になって旧士族が始めた名古屋土人形の継承者による“めおとうさぎの餅つき”で、60円の図柄は慶事用折鶴になっている。 

 

(4)平成11年(1999)

平成1年(1989)4月に葉書41円で封書62円となり、平成6年(1994)1月には葉書50円、封書80円に値上がりする。平成11年(1999)のお年玉切手は50円切手1枚と80円切手1枚からなるシートになっている。50円切手の図柄は千葉県佐原の郷土玩具、佐原張子の“もちつきうさぎ”で、80円切手の図柄は、幕末に始まった渋江人形を継承した山形張子の“玉乗兎”である。

 

(5)平成23年(2011)

平成23年(2011)のお年玉切手は50円切手と80円切手の2枚からなるシートで、50円切手の図柄は福島県西会津町の”首振り招福卯”という西会津張子、80円切手の図柄は兵庫県丹波市の稲畑人形のうち“子兎土鈴”という土人形が使われているが、何れも江戸時代からの郷土玩具の流れを汲むものという。

 

(6)令和5年(2023)

平成26年(2014)4月に葉書は52円、封書は82円になり、平成29年(2017)6月には葉書62円、封書82円に値上げされ、そして令和元年(2019)10月には葉書63円、封書84円となった。お年玉切手シートは平成28年まで国立印刷局が印刷していたが翌年以降は委託するようになり、令和5年の場合は、凸版印刷(株)の製造になっている。図柄は干支に因んだ84円と63円のうさぎのデザインである。

 

 

コメント

豊島区内名所めぐり(9)池袋駅周辺

2022-12-11 09:47:37 | 散歩道あれこれ

「コース」

池袋駅―22番・元池袋史跡公園―23番・東池袋中央公園―24番・SDGシンボル―池袋駅。 

このコースは、北池袋から池袋へのコースに続けて歩いても良い。池袋駅西口から池袋西口公園の東側に沿って南に行くと、交差点の北西側に22番・元池袋史跡公園がある。雑司ヶ谷村絵図には村の西端に池袋の名の由来とされる丸池と、この池から鬼子母神の北側を流れる弦巻川が描かれている。池袋に開設された成蹊学園の敷地内には丸池が含まれており、成蹊池の名で呼ばれていたが、大正時代の終わりに成蹊学園が移転した後、池は次第に埋められていき、平成10年には、少し離れた場所に史跡公園として残されることになった。

ホテルメトロポリタンの東側を南に向かい次の交差点を左に、線路の下をびっくりガードでくぐる。その先、南池袋一丁目の交差点を渡り、ジュンク堂書店の前を左に行き、二つ目の角を右に入る。池袋大仏を過ぎて先に進み、突き当りを左に折れ、豊島区役所があるビルに沿って北に行き、その先の角を東に行く。音羽通り(都道435号)に出て、その先の横断歩道を渡って北に向かう。日出町公園を過ぎ、その先の横断歩道を渡ってサンシャインシティ内に入り左に、外に出て道を右に行けば23番・東池袋中央公園に出る。

東池袋公園の北西側の角から西に交差点を渡り、左前方を斜めに向かう道を進み、その先の交差点で首都高の下を潜ると、サンシャイン60通りに出る。この道を先に進むと東口五差路の交差点に出る。この交差点には24番・SDGsシンボルが2カ所にあるが、それを確認してから池袋駅へ。これにて、「つながるウォークラリー」の24カ所の区内名所めぐりを終えた事になる。

 

コメント

豊島区内名所めぐり(8)北池袋から池袋へ

2022-12-09 17:54:24 | 散歩道あれこれ

「コース」

北池袋駅―20番・池袋本町公園―21番・池袋の森―池袋駅

千川駅から有楽町線で池袋に出て東武東上線に乗り換えて北池袋駅で下車。ここが今回のコースの起点となる。地下通路を通り西側の駅舎を出て西に行く。少し坂を下ると右側に池袋中のグラウンドが見えてくる。道の左側にある池袋本町小に沿って西に向かい、次の角を左に行くと20番・池袋本町公園に出る。

公園内を歩いていくと、北西の角に庚申塔があった。円頭角柱型庚申塔で寛文2年の造立。豊島区の登録有形文化財(歴史資料)になっている。

公園を出て西に向かうと道に突き当たる。この道は江戸時代からの道で、池袋村図で小石川道としている道である。突き当りを右に行ってすぐの角を左に入るのが、これから先のルートになるのだが、このルートの道も江戸時代からの道で、池袋村図では雑司ヶ谷道としている。これらの道は、伊能忠敬の江戸府内図にも記されており、雑司が谷道は雑司ヶ谷を経て高田馬場に至る道でもあった。昔の雑司ヶ谷道の道筋は現在の平和通りへと続く筈なのだが、国道254号で途切れているので、右側の歩道で首都高の下を潜る。ここを左に行けば平和通りに出られるのだが、今回は国道254号を起点とする劇場通りをたどり、池袋小学校前の交差点で左に入る。先に進むと平和通りに突き当るので、ここを右に行く。

平和通りを南に進むと、道がやや左に曲がって行く場所があり、その傍に21番・池袋の森の入口がある。「池袋の森」の標識もあるのだが、入口は少々分かりにくい。池袋の森は林学博士の島田錦蔵の居宅跡を公園としたもので、入園は無料。年末年始は休園である。

島田博士の居宅の森は、ほぼそのままの姿で現在に残されたようで、この公園は繁華街の中に突然現れる森のようになっている。ログハウスの傍には井戸水を汲み上げた池もあり、以前はトンボも居たらしい。樹木を眺めながら小休止したあと平和通りに戻り、先に行けば線路沿いの道になる。池袋駅は近い。

 

コメント

豊島区内名所めぐり(7)東長崎から千川へ

2022-12-04 07:36:04 | 散歩道あれこれ

「コース」

東長崎駅―17番・千早フラワー公園―18番・熊谷守一美術館―19番・千川彫刻公園―千川駅。

椎名町駅の北口を出ると広場になっている。大正時代には、この辺りから北側に自動車工場があったそうだが、それらしい跡は見当たらない。広場から右に行き、雑誌「WIRED」で紹介されたカフェMIAMIAを過ぎ、保育園の先を左に折れて長崎十字会商店街を北に向かう。先に進むと左手前方に長崎幼稚園があり、ここを右に行くと学習院大学職員の住居跡地を公園にした長崎公園に出る。先に進んで、巣鴨信用金庫がある交差点を左に行くと右側に17番・千早フラワー公園がある。公園内に入って、地下鉄大江戸線のリニアモーター式試作車両を眺めてから公園を出る。

千早フラワー公園の北側にある、信号のある交差点を左に行き、その次の、信号のある交差点を右に入る。二つ目の四つ角を右に入ると直ぐ18番・熊谷守一美術館がある。美術館の壁面には熊谷守一が描いた庭の赤蟻の図が刻まれており、美術館前の通りの名も赤蟻通りになっている。

赤蟻通りを東に行き、二つ目の四つ角を左に折れて北に行くと粟島神社に出る。ここを右に行き要町通りを渡って左へ行くと、右斜め前方に行く道がある。この道を北に向かって進むと、19番・千川彫刻公園に出る。この公園から西に行き要町通りに出れば有楽町線千川駅の入口がある。

コメント

豊島区内名所めぐり(6)椎名町から東長崎へ

2022-12-02 18:03:27 | 散歩道あれこれ

「コース」

椎名町駅―二又交番―トキワ荘跡地―14番・昭和レトロ館-15番・トキワ荘マンガミュージアム―16番・東長崎駅

椎名町駅の南口を出て西に、その先を左折して椎名町公園に行く。なお、池袋から椎名町へのコースで、椎名町駅に行かずに続けて歩く場合は、山手通りのガードを潜ったあと、直進すれば椎名町公園に出られる。この公園の西側の道を南に進み目白通りに出て右に行くと、目白通りから右に分かれる道があり、その交差点には二又交番がある。右に分かれる道は、江戸時代からの道で、明治時代には清戸道のルートでもあったが、今はトキワ荘通りとか南長崎通りとか呼ばれている。今回のコースはこの道をたどることになる。

この通りを先に行くと右側にトキワ荘お休み処があり、トキワ荘マンガステーションの先には子育地蔵尊の入口がある。次の角を右に入った先の右側には、以前、落合電話局があり公衆電話ボックスもあったので、トキワ荘の住人は路地を通って、この公衆電話を利用していたという。トキワ荘通りを先に行くと中華料理店松葉があるが、この店の通りを挟んで反対側の敷地にはトキワ荘跡地のモニュメントもある。先に進むと、通りの左側に14番・昭和レトロ館(豊島区立昭和歴史文化記念館)が開館していた。戦後に建てられたマーケット「味楽百貨店」の建造物を利用して、今年の11月3日にオープンしたという。1階は一般社団法人マンガナイトによる施設で火曜以外は有料だが、2階は昭和のくらしを展示しており無料になっている。

先に進むと左側に南長崎花咲公園(トキワ荘公園)がある。公園内には15番・トキワ荘マンガミュージアム(要予約)があるほか、「トキワ荘のヒーローたち」の記念碑がある。また西側の道路沿いには、周辺地域の昔の写真が展示されている。

公園を出て岩崎家住宅を過ぎ先に進むと長崎銀座の入口に出る。ここを北に向かうと東長崎駅に着く。東長崎駅は16番の名所になっているが、駅が名所とは思えないので、改札の前にある、手塚治虫のジャングル大帝に登場するレオとライヤのモニュメントがマンガの聖地としての名所になっているのだろう。

 

コメント

豊島区内名所めぐり(5)池袋から椎名町

2022-11-30 17:54:30 | 散歩道あれこれ

「コース」

池袋駅-池袋西口公園―産業振興プラザ―上り屋敷公園―12番・目白庭園―13番・目白の森―椎名町駅

池袋駅西口に出て池袋西口公園沿いの道を西に行くと劇場通りに出る。ここを左折し東京芸術劇場に沿って南に進み、池袋警察署前交差点を渡った先で、としま産業振興プラザの7階にある豊島区立郷土資料館に立ち寄る。目的は開催中の区政90周年特別展「豊島大博覧会」を見るためで、期間は来年3月までという。入館料は無料。月曜は休館になる。 

産業振興プラザのすぐ先で、現在の劇場通りは終りになっているが、その先を南へと伸びていく細い道がある。この道を進み、次のT字路を右に行くと上り屋敷公園の角に出る。ここを左折して南に行くと目白庭園への案内表示があり、先に進んで西武池袋線の踏切を渡るとすぐ、12番・目白庭園がある。園内を見て回り小休止してから目白庭園を後にする。なお、目白庭園については当ブログの「寒のあとさき・目白庭園」(2016.2.19)でも取り上げている。

目白庭園を出て、庭園北側の道を塀に沿って西に向かい、突き当りを左に行く。なお、ここを右に行くと踏切に出るが、その右側は上り屋敷駅があった場所で、プラットホームらしき跡が残っている。さて、左に行けば目白通りに出るのだが、その直ぐ手前に右へ行く道がある。この道は目白駅から椎名町駅に通じる道で、今回のコースはこの道を利用している。この道を先に進むと下り坂となる。坂の下の右側にカフェがあるが、その先の十字路を左に行くと13番・目白の森に出る。目白の森には門が2カ所あるが、事務所に近い方の門を仮に表門と呼び、もう一つの門を裏門と呼んでおく。園内を散策してから裏門(写真)から外に出る。右に下ると目白駅から椎名町駅に通じる道に出るが、ここを左に行く。道なりに先に行くと五色湯があり、その先で山手通りに出る。ここを右に行き、頭上注意のガードは見送って、その先のガードをくぐると、右手に椎名町駅の入口がある。

 

コメント

豊島区内名所めぐり(4)大塚から池袋へ

2022-11-26 07:49:13 | 散歩道あれこれ

「コース」

大塚駅―10番・鈴木信太郎記念館―雑司が谷霊園―11番・雑司ヶ谷旧宣教師館-大鳥神社―法明寺―池袋駅

大塚駅南口から南大塚通りを南に向かうと春日通りとの交差点に出る。地下鉄丸の内線・新大塚駅の入口を横目に横断歩道を2回渡り、それから、春日通りを左に行く。その先の角を右に下れば直ぐに道が分かれるが、右に行く方を選ぶ。道幅の割には通る人の多い道である。少し先の右側に、豊島区立の鈴木信太郎記念館の入口がある。この記念館はフランス文学の研究者であった鈴木信太郎の旧宅で、入館料は無料。月曜は休館日になっている。この旧宅は明治20年代の建物を移築した座敷棟と昭和21年建築の茶の間・ホール棟、1階部分を鉄筋コンクリートとした昭和3年の書斎棟からなっており、旧鈴木家住宅として豊島区の有形文化財(建造物)に指定されている。

鈴木信太郎記念館を出て右に行き、道なりに左へ曲がって行くと開運坂下の交差点に出る。記念館の場所は豊島区だが、開運坂下はすでに文京区で、ここから暫くは文京区内を歩く。交差点を渡って急な開運坂を上がり、突き当たりを左に、その先を右に行く。ここからは護国寺裏の静かな道を歩くことになるが、それも長くは続かず、間もなく喧騒の日出通りに出てしまう。首都高の下を潜ると再び豊島区内となり、雑司が谷霊園に沿って左に行き、次の角を右に入って霊園沿いの道を歩く。保育園の近くに旧宣教師館への案内板があり、ここを左に行き、その先の案内板により幼稚園の角を左に入ると雑司が谷旧宣教師館に出る。この建物はアメリカの宣教師マッケーレブが明治40年に居宅として建てたもので、数少ない明治期の宣教師館として貴重なので、旧マッケーレブ邸として東京都の有形文化財(建造物)に指定されている。

保育園まで戻り霊園沿いの道を先に行くと道は下り坂となり、雑司が谷七福神のうち毘沙門天を祀る清立院を過ぎる。その先、宝城寺の石垣沿いに進み、介護老人保健施設に出て左へ、次の角を右に折れると都電の踏切に出る。踏切を渡る道は弦巻通りで、大鳥神社を過ぎると東京音楽大学がある。その先、法明寺の境内に入って北に向かうと東通りで、ここを左に行くと南池袋一丁目の交差点となり、横断歩道を2回渡って右へ行けば池袋駅に出る。

なお、鈴木信太郎記念館と雑司ヶ谷旧宣教師館については、当ブログの記事「鈴木信太郎記念館と山崎家住宅」(2018.10.31)と「東京文化財ウイーク2021・豊島区その2」(2021.11.12)に細部の記載がある。

 

 

コメント