それはそれは、幸たんくが生まれる前。
そう、ゆきたんくの名前の元にになった「たんく」という言葉。
ゆきたんくの体がたんくのように変化していったことが原因である。
そのゆきたんくにスポーツの講師の話がきた。
ラダーでステップをするゆきたんく
上写真は12年前のゆきたんくである。
体が動くだろうか。
若い者にインストラクターになってもらうしかない・・・
それはそれは、幸たんくが生まれる前。
そう、ゆきたんくの名前の元にになった「たんく」という言葉。
ゆきたんくの体がたんくのように変化していったことが原因である。
そのゆきたんくにスポーツの講師の話がきた。
ラダーでステップをするゆきたんく
体が動くだろうか。
若い者にインストラクターになってもらうしかない・・・
2回目の記事だ。
この男のことを書くのは。
メジャーリーガーだと思う男の名は「tajiri」である。
動画でしか動くのを見たことはない。
この男はつくづくプロだと思うのだ。
試合の組み立てが安心して見れる形になっているのだ。
言葉はいらない。
素晴らしい。
<!-- たじり2 -->
今日は、ゆきたんくの所属していた大学陸上競技部のOB会でした。
前回は昨年の8/1で、三重に行っている時でしたので初めての参加になります。
今回も、みなさん忙しい中遠くは三重県から参加の先輩もいらっしゃいました。
卒業後初めて会う仲間もいました。
大学の食堂を借りきって、OB会会則の話し合いをした。
そして北越谷の花の舞で28年の時を埋めて盛り上がった。
次回はここで、懇親会のみを行う。
さっそく店の予約を取る地元OBであった。
tajiri選手
8歳の頃からのプロレスファンである。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木を見て育った世代だ。
プロレスのゴールデンタイムを知っている人間にとって、現在のプロレスの状況はあまりにも悲しいと思う。
プロ野球巨人のV9時代、選手の名前は殆ど知っていた。
今はあまり知らないのが現状である。
仕事の時間帯もあるのだが、野球中継の時に見れる状態でもない。
現在のマイブームはインターネット動画のプロレスでtajiri選手である。
体が小さいのだが、2m級の相手と戦ってもお客様を満足させることができるパフォーマである。
ベースに極真空手の有段者というものを持っているので蹴り技には説得力がある。動画を見ていただければゆきたんくがはまった訳が分かっていただけると思う。
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今日はゆきたんくのおっかけ最後の日である。
長男のおーちゃんが10年間続けてきた陸上競技の最後の試合である。
先日は専門種目のハンマー投げがあったが仕事で観に行けなかった。
今日は円盤投げに出るのだが、10年間の締めくくりとして、同じ競技をやっていた父親として、この目で見届けたかった。
投げの準備でフォームのチェックだ。
体調はそんなに悪くはなかったが、就職活動に力を入れていた時期があって体力は落ちていたようだ。
円盤に炭酸マグネシウムをつけるおーちゃん
そんな中、自己記録に近い記録を投げることができた。
爽やかな顔で、競技生活を締めくくることができたので本当に良かったと思う。
そして嬉しかったのは、帰りの車中でゆきたんくが撮った動画を見ながら、
「ここがまだ課題だ」
「左足の接地が遅い」
などと反省している様子だった。
きれいさっぱり終わりというのもあるが、最後の自分をチェックするところなんかはとてもいい。
これで引退だが、たまには思い出したように試合に出てもいいんじゃないかとも思う。記録とかではなく、自分が取り組んでいた事をすぐに捨てなくてもいいじゃないか。
再び競技をする息子の姿を見ることができればと期待をしている親ばかのゆきたんくであった。
おーちゃんお疲れ様。
室伏広治選手の銅メダルが確定しそうだ。
北京オリンピックハンマー投げに5位入賞した室伏選手。
試合後のドーピング検査で、2位入賞のワジム・デビャトフスキー選手と同3位のイワン・チホン選手のベラルーシ勢が筋肉増強剤に陽性反応を示した問題で、この2選手は失格になるそうだ。
したがって室伏広治選手はアテネの時と同様の繰上げでのメダル獲得となる。
彼の今までの生き方を見ていると、メダルの色や獲得は二の次、三の次であるような気がする。それは彼の父室伏重信氏の影響が大きいことは否めないと思う。
自分がハンマー投げに青春を燃やしていた高校時代、スターは室伏重信氏だった。高校3年生の時、国立競技場で8カ国対抗陸上大会が開かれた。
プログラム
「走」、「跳」なんて、興味はなかった。ただ、ハンマー投げだった。
室伏選手の1投げに一喜一憂していた。現在では息子のおーちゃんがお茶の間で室伏広治選手のビデオデータを何回も見ているが、当時はパーソナルなビデオなんて手に入らなかった。
プログラムの赤丸部分を拡大してみる。
室伏重信氏のサイン
ゆきたんくは重信氏の投擲順番が来ると、それこそ神経を尖らせて見るわけだ。その時に、元気な子供がそばにいた。「お父ちゃん、がんばれー」と何回も繰り返しているわけだ。ゆきたんくにとってその黄色い声は騒音でしかなかった。うるさいガキだなと思っている訳だ。
しかし、重信選手の投擲の度に騒いでいるのを見る。よく聞くと「お父ちゃん」という言葉が聞ける。そう広治選手の幼い頃の姿だったのである。
ハンマー投げか終わった。しばらくしてさっきまで賑やかだった子供がすぐそばの客席のほうへ走っていく。そこには金髪の女性がいた。重信氏は国際結婚をしていたことは知っていたので子供の母親であり、重信氏の奥様であることは分った。
ゆきたんくはいてもたってもいられず、そこにプログラムとペンを持って走った。その時にいただいたサインは今でも宝物だ。
そしてそれから4年後、ゆきたんくも大学4年生になり就職を考えていた時に「鉄球は教えてくれた」が発行されたのだ。
人生のバイブルとして貪る様に、一生懸命に読んだ。現在ではゆきたんくは本好きだが、この時のことがきっかけだと思う。
そこに書いてあったことは、端的に言うと、「今の自分にできる、一段上の負荷をかけろ」と言うことだった。何かを目指すことは大切だが、それは結果や通過点でしかないというものの見方のものさしはこの本から教わったように思う。
その父を持つ広治選手には、メダルは結果であって目指すものではないということだ。金メダルを獲得したアテネでは試合終了直後は銀メダルだった。あまりの悔しさに我を忘れて、グロープを叩きつけそうになった時、彼の師の一人であるランス・ディール氏に教わった、「大切なのはメダルではなく、ハンマーグローブや、シューズだ。」ということを思い出して落ち着いたと言う。自分を磨くための道具がメダルよりも大切だという教えだ。
だから今回の銅メダルの獲得についても、さほど興味はないのだと思う。彼は「一段上の負荷」である、ハンマーヘッドの加速についての仮説検証を自分の肉体で成し遂げたいと思っている。残り少ない競技人生の最後の段階に入っている肉体。年齢との闘いに挑もうとしているのだ。世界記録更新を成し遂げようとしているのだ。
その陰で、つらい思いもしている彼がいる。彼にとっての現役選手世界最高記録の84m86を投げた大会で、喜びのあまり飛びついた相手、アヌシュ選手はドーピングにより、永久追放。昨年大阪の世界選手権で3連覇を遂げたティホン選手と一緒にウイニングランを走ったことは記憶に新しいが、その彼も今回の違反者。ライバルであり、友人である存在が遠ざかっていく様は本当に残酷だ。
2大会続けてメダリストになったとしても、競技を通した友が去っていくのと引き換えで素直に喜べるはずがない。
それを考えるととてもせつないのだ。
ゆきたんくと長男のオーちゃんはハンマー投げが専門種目だ。
もちろんゆきたんくは引退している。
おーちゃんは、後1年の現役を頑張ろうとしている。
そんな2人に、それぞれのスターはちゃんといる。
ゆきたんくは室伏重信氏。
おーちゃんは室伏広治選手。
写真はアテネ五輪で金メダルを獲得した年のものだ。
室伏広治選手の母校、成田高等学校にあった横断幕達である。
室伏選手のだけ縦で別格扱いだ。
その金メダルは、試合終了時の記録が一番良かったハンガリーのアヌシュ選手のドーピング失格によって繰り上がったものだ。
そのアヌシュ選手は、室伏選手が世界歴代3位の記録を投げた試合に出場している。そして大記録樹立後の室伏と抱き合って喜んでいるのだ。
そのアヌシュ選手は、陸上競技の世界から永久追放の身だ。
そして今年は北京五輪があった。
室伏選手は5位入賞。
しかし、ベラルーシの2選手がドーピング検査により失格になる可能性がある。そうなれば室伏選手は銅メダルを手に入れることになる。
その2選手は、室伏選手を世界歴代3位から5位にした選手たちである。
そのうちの一人は世界記録にあと1cmに迫った世界選手権3連覇をなしとげたイワン・ティホン選手だ。
記憶に新しい昨年大阪で行われた世界選手権で6投目に大逆転劇を演じ、アナウンサーに「さすが86mスローワー」と言わしめた選手である。
そして試合が終了すればノーサイド。ホスト国の代表選手である室伏選手と一緒にウイニングランを走った親友だ。
今度メダルを獲得することになれば、実績は上がるが友人を失ってしまう恐れがある。手放しで喜べないメダルの獲得が2大会連続である。もうロンドン五輪の時には37歳になってしまう室伏選手に再浮上を望むのは酷だろう。
父親は37歳の時に自己新記録を出して「中年の星」と呼ばれていたことがあるが、その時とは状況が違う。
世界に名を残すハンマースローワーとして満足の行くオリンピックがあったのだろうか。ハンマー投げに取り組む姿勢精神は枯淡の域に達してはいるが、気持ちのよい結果に恵まれなかったことは本当にかわいそうな選手である。
彼の博士論文に著した理論を、自分で検証するつもりだったろう室伏広治選手も体はもうボロボロだという。せめて今後に彼の理論を実践できる選手が出てくることを祈らずにはいられない。
室伏親子はとは記録も、競技レベルも比較することができないゆきたんく親子ではあるが、平凡な幸せを味わっていることに関しては感謝である。
しかしね、IOCの方々は早くすっきりしてあげないと、室伏選手が気の毒に思います。
カラーは長男のおーちゃん、白黒の写真は若き日のゆきたんくである。今から25年も前のことである。場所は日大グラウンドである。井の頭線の桜上水駅で降車して歩いた。日本大学文理学部の陸上競技部のグラウンドである。今をときめく室伏広治選手の父親、室伏重信氏(中京大学教授)、石田義久氏(東海大学教授)、菅原武男氏(ゆきたんくにハンマー投げを初めて教えてくれた方)の3方がハンマートリオとしてオリンピックに出場していたのは、もう35年以上も前のことである。 その栄光のサークルでゆきたんくの長男、おーちゃんもハンマーを投げることができた。関東インカレである。 室伏親子のように、親子でハンマー投げをやっていることと、うちら親子は違う。室伏親子は学術的レベルでハンマー投げを語れるのである。二人とも博士様のはずだ。
もう、ゆきたんくはハンマーを投げれる体ではない。軽いハンマーでなら動きを見せるぐらいのことはできるが、もう若くはないのである。
しかし考えたら、時が過ぎるってこういうことなのだろうか。自分でできなくなったことを息子がやっている。そしてそのことで時代を超えて共通の話題があるのだ。(ちなみに次男のつっくんとはギターでつながっている。)
ゆきたんくは良い時の過ぎ方をさせていただいているんだなと思う。