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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

あるかなぁ。

2021-05-12 23:53:58 | 戦争遺跡

どこだっけ?

ゆきたんくの趣味の一つである戦争遺跡。

流山市と柏市の境にある駒木に陸軍の境界標柱があった。

頭のところが欠けていて、頼りないのだが立派な史跡を示しているのだ。



2017.05.22撮影


豊四季駅とかつての柏飛行場を結ぶ途中にある駒木には弾薬庫があった。

その弾薬庫を含む施設は、かつての航空教育隊だ。

陸軍東部第102部隊だったところだ。

ここから330mほどのところにある境界標中には「百二」と刻印されたものもあった。

正式には陸軍第4航空教育隊である。

今まで見られた境界標柱がいつのまにか抜かれていることがある。

戦争というのは黒歴史なのだろうが、センナ総遺跡は立派な歴史の証人でもある。

事実は事実として受け止めることは大切だろう。

ということで心配になったのだ。

最新のものはグーグルマップでも確認できるが、いつの最新だか分からない。

瞬時に更新されるものではないからだ。

とりあえず家にいてもできること・・・

グーグルマップで見た。



あった。


それだけのことなのだが、安心するゆきたんくであった。

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近くにねぇ。

2021-05-02 23:54:09 | 戦争遺跡

いやぁ、知らなかったね。

近くにあったんだ。

ゆきんたくの自宅からも近いし、なんと通っていた大学の地名の場所にあった。

越谷陸軍飛行場跡だ。

現在のしらこばと水城公園の真ん中を、滑走路が通っていた。



鉄塔土台である。


土台の基礎部分。戦後75年経つのにほとんど錆びていない。


このような土台を7つ、兵舎跡を1つ、滑走路跡、滑走路の排水暗渠を2つ、誘導路を1つ、格納庫跡を1つ・・・

たくさんの遺構が残されているのだ。

今回の写真は鉄塔土台のみだが、いずれ紹介の記事を書きたいと思う。

完成は昭和20年終戦の年である。

急造の飛行場なのだが、造りはしっかりとしている。

そこに日本人を感じる。

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ショック

2021-04-17 23:59:16 | 戦争遺跡

いずれこの時がやってくるのだろう。

そう思っていた。

そして突然にきた。

川光倉庫のことだ。

旧陸軍気球連隊第二格納庫であった。



2005.10.02撮影。


旧軍の施設は頑丈に作られているから、この先もずっと残るものだと思っていた。

いつか中を見てみたい。気球連隊時に稼働していた部分はまだ見れるのだろうか・・・

 

昨年の9月から解体が始まり、その前には見学会も開かれたという。

ゆきたんくも再び仕事を始めた時期であり、情報に触れていなかった。

そんなことも知らず、今日出かけたら・・・



このように・・・


うん、思い出に残すしかないよね。

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お勉強が好き?

2021-04-10 23:24:42 | 戦争遺跡

ん?

そんなものは嫌いである。

小学校入学前夜のことを覚えている。

葛藤しているのだ。

ランドセルを背負って歩きたい。

でも、学校には行きたくない。

お勉強があるから。

勉強がどんなものかもわからないのに、なんで嫌いだったんだろう。

自分のやりたいことが、そのまま勉強になればいいのに・・・

昨年4月にその環境になったが、コロナに邪魔をされたしまった。

正確に言うと、自分が負けてしまったのだ。

まあ、本日は近隣(とは言っても少し離れているけれど・・・)の飛ノ台遺跡に行くことにした。

友達がヒントをくれた、ありがたい。

縄文時代の遺跡である。

が、

すぐ隣に戦争遺跡があったのだ。

軍用機「雷電」を製造していた日本建鐵の跡地があるのだ。

1941年(昭和16年)には日本建鉄が行田の海軍無線電信所の南東敷地で、軍需製品を生産した。

現在は、その時の建物はない。

のこぎり型の屋根(採光のため)の建物もない。



敷地西側 三菱マテリアルの土地となっている。


周囲は塀で囲まれている。


広い広い土地である。


 

結局取材時間の半分は戦争遺跡になってしまった。

まあ興味のあることはいくら時間があっても足りない。

うん、飛ノ台遺跡もしっかりと取材した。

そうだ、ゆきたんくの好きなさだまさし氏の69才の誕生日であった。

「さださん、おめでとうございます。」

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うーん。

2021-01-10 23:24:29 | 戦争遺跡

パワーが・・・

仕事を再開して楽しんでいる。

その分余暇にかけるエネルギーが残っていない。

ウルトラマンでいうとカラータイマーが鳴っているのだ。

で、今日は久しぶりに「幸たんく」の手をつけた。



市川市の戦争遺跡・・・


たっぷりとネタは溜まっている。

退職した時、のんびりと取り組めるかなと思ったら体調不良。

これって、若い時に食欲はあるがお金がない。

年取って、ある程度お金は持っているが胃袋がおとなしくなるのに似ている。

うん、バランスなんだろうな。

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お勉強。

2020-12-06 23:08:29 | 戦争遺跡

今日は久しぶりに鎌ヶ谷に行った。

そこには・・・

海上自衛隊下総航空基地近くに眠っている戦争遺跡である。



地下壕の形を呈している。入口は柵が設けてあって入れない。


この下には破壊された通路が残っていたが、綺麗になくなっていた。

これもある意味でショックである。



通路の写真 2005.12.03


さて奥を覗いてみる。

内壁は滑らかで綺麗に仕上げられている。



一体何のための壕だったのだろうか。


今回今まで一番きれいに撮れた奥の方である。


 

 

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こんな近くに

2020-11-19 23:01:51 | 戦争遺跡

大網からの帰りである。

松戸市の金ケ作に、旧鉄道第二連隊の軌道敷跡がある。

それに沿って、陸軍の境界標柱があるのだが、今まで気づかないやつを見つけた。

というより、気づいた。

その近くでは6本も見つけているのに、道路沿いの一番見つけやすいやつを見落としていのである。

というより、車の通りが激しくて、こんな所にはないという先入観が強かったのかもしれない。

ともかく、新しい境界標柱が1本増えたのである。



陸軍境界標柱 → map


 

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聴音壕?

2020-11-18 23:48:42 | 戦争遺跡

これも13年前のお話。

大網の戦争遺跡をと探している時に、地元の方から聞いて確認しに行った壕。

聴音壕(ちょうえんごう)と言い、遠くから飛んで来る敵に飛行機の音を聞く施設だという。

そのころは、もうレーダーの時代だと思うが、日本はそうやっていた。

物資等が足りなかったから、他に方法がなかったのだろうと思う。

大網の宮谷八幡神社の裏に穴がある。



この祠の裏側に、穴があるのだ。


かつてこの穴に入る足場があったのだろう。


穴の入ってすぐあたりの上に、金具のようなものが見えている。


当時の軍の施設だったのだろうか。

どうやって検証しようか。

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上田中坑道陣地

2020-11-17 23:16:23 | 戦争遺跡

茂原取材の後で、東金に寄った。

法光寺という お寺の裏側に「上田中坑道陣地」が残されている。

本土決戦に備えて、九十九里浜側の守りを固めるためだ。


やはり怖いなぁ。


フラッシュを焚くと、坑道が左右に分かれていることが確認できる。


右側の坑道を見た。目が慣れてきたら光がさしていたので写真を撮った。


前に寄ったのは13年前か。

中に入ろうとした時に、大きな声を出すと崩れるかもしれないから見ていてあげると声をかけられたことを覚えている。

今日は友人一緒だったが、やはり怖い。

静かに少し奥まで入ってみた。

向こう側の開口部から光が見えた。

満足した。

 

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お勉強。

2020-10-31 23:31:16 | 戦争遺跡

少しでもね。

子どものころから,避けて通ってきたお勉強。

遅まきながら進めないとね。

という訳で,今日は茨城県阿見にある予科練平和記念館に行ってきた。

ここで青春時代を過ごした若者たちの気概を知るためにだ。

大戦の終末を知るとまことに悲しくなってしまうものがあるが,この方たちのおかげで現在があることを実感できる。

本当に感謝である。



予科練平和記念館


 

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ちょい旅写真212・石川・兼六園横・旧陸軍第9師団司令部

2020-10-14 23:58:43 | 戦争遺跡

戦争遺跡おたくのゆきたんく。

旅をするのにも,名所旧跡にアレンジをする。

2017年12月26日。

石川県の兼六園に行った。

その南に位置するのが「旧陸軍第9師団司令部」である。

ここまで来ておいて,この史跡をスルーするはずがない。

ここで詳しい説明はしない。

戦争遺跡を逃さないというのがテーマだからだ。



旧陸軍第9師団司令部庁舎


この建物を見,その一部に大日本陸軍の星章を見つけただけで大興奮である。安くできている人間なのだ。

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13年ぶりに・・・

2020-03-20 23:30:56 | 戦争遺跡

会ってきた。

東大和市にある「旧日立航空機立川工場変電所」だ。

「軍需工場の変電所」から「戦争を伝える文化財」になっている。

軍需工場ゆえに,爆撃を受けた訳である。

それも軍用機のエンジンであるならば,ここを叩いておかなけばならないのは必要であろう。

ここで生まれたエンジンを積んだ軍用機により,自国の飛行機が落とされたならば敗戦につながるからだ。

ただ,動員された学生や,地域住民が亡くなるということは納得できない。

日本軍は無辜の民は狙わなかったはずだ。



空襲時,この中に人がいたと思うと・・・


結果,多摩地区に集中していた軍需工場は空襲に逢い,100人近い方が亡くなってしまったという。

変電所に残っているクレーター状の穴から分かるように,建物の中にいた人たちはどんな状況だったのか。

もちろん,窓枠や扉などは爆風で吹き飛びでいたはずだ。

想像できない怖さ,辛さ,悔しさだったと思う。

戦後も建物はそのままで,平和産業として1993年まで操業していた。

変電所自体は主要設備機器の更新をしながら、工場へ電気を送り続けていた。

変電施設の役割を終え,取り壊しになるところを「地域住民や元従業員の方々の強い要望」で、変電所の建物はそのままの場所で保存されることになった。

このような史跡をしっかりと残し,後世の人間が何を感じるかが,これからの世に大切なことと思う。

実際,広島市の原爆ドームなどは,世界各国から見に来る人がいる。

心に響く姿を持つ生の遺跡を大切にしていく気持ちを持ちたい。

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スピードアップが必要か・・・

2020-01-14 23:08:54 | 戦争遺跡

このところ充実している戦争遺跡探訪。

ゆきたんくの足が悪い分,いつも友人が車を出してくれる。

本当に申し訳ない。

ついつい甘えてしまうゆきたんくである。

満足しているはずが夢を見た。



広島の戦争遺跡。 


 先年訪れた,広島県の呉と江田島,そして大久野島。

その3か所に共通していたことがあった。

高いところにある砲台跡に行けなかったことである。

いや,無理しても行くぞと鼻息は荒かったのだが,

道が通れないレベルではなかった。

道がないのである。

そう,崩れ落ちいているのだ。

宿題で一番の楽しみだった大久野島の中部と南部の砲台。

そこまでの経路が入り口で通行禁止になっていた。

大久野島にいたっては,低いところにあった弾薬庫が,地面の流れによって分断されてしまっていた。

この間(かん)の雨の降り方にもよるが,ますます見れなくなるものが増えていくのではないか。

形あるうちにこの目で見ておきたいものである。

まだ機能している道が崩れ,行きたい場所に行けなくなる夢であった。

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ここにも

2019-12-26 23:59:26 | 戦争遺跡

先人の偉大さを知る場所は一つではない。

昨日,7年ぶりに知覧にいた。

その時から宿題になっていたのが鹿屋である。

日本でもっとも多くの特攻隊員が飛び立った地である。

きっと,知覧からの特攻機に乗った隊員もそうであろうが,開聞岳を見て戦地に向かわれたのだろう。

忘れてはならないというか,あまり表に出ないのだが,

「回天」,「震洋」,「海竜」,「桜花」,「伏竜」などの形で特攻に向かわれた方もいらっしゃった。

国のためと言いながらも,この様な形で自分の生涯を閉じられることにどんな思いでおられたか。



鹿屋航空基地資料館にて 


 零戦だけではなく,様々な形での特攻があったのだ。

限られた時間の中で,自分にできる精一杯のことを遺された方々。

いかに自分が幸せかを思い知らされるのだ。

また,そういう国で過ごせる恩恵に感謝しなくてはならない。

それを深く知るために,勉強が必要だなと思うゆきたんくである。

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この方たちのおかげで

2019-12-25 23:51:44 | 戦争遺跡

いろんな意見がある。

はっきりしているのは,この方たちのおかげで今の自分があると思っている。

感謝にたえない。

若い方は17から行かれた。

遺書をしたためた字の素晴らしいこと。

この方たちが生きておられたら,日本はどう変わっただろうか。



知覧特攻平和会館


本当にもったいない。 

そう考えさせる手紙の数々。

現代の条理の中で生きている自分がどれほど幸せなのか。

ここでの物差しで計るのは大切なことだ。

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