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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

発作

2019-12-20 23:10:54 | 戦争遺跡

うん,たまに出るのだ。

何でこんなところで・・・

病気とは厄介な者である。

時は2016年夏の広島。

宿泊したのは広島グランドプリンスホテル。

その朝食をいただこうとした時のことだ。

窓から見える風景。

とても素敵な風景である。

そこには円形プールがあって,空を映し出して・・・

ありゃ・・・


 


千葉県市川市にある里見公園の戦争遺跡(馬の水飲み場)である。



ホテルで観た景色。


時たまこういう発作が起きるのである。

ゆきたんくの戦争遺跡おたくは,おたくを通り越して病気かもしれない・・・

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そういえば・・・

2019-11-21 23:41:46 | 戦争遺跡
ゆきたんくの趣味の1つ,戦争遺跡探訪で気になったことが・・・
鉄道第二連隊について調べを進めていた。
そこで,どうしても情報公開できない場所があった。
そう,私有地である。
松戸市胡録台にある畑の中に,陸軍境界標柱が並んでいた。
 
広い畑なので中に入る訳にはいかない。
ある時,畑の入り口にある農具小屋に人がいたので声をかけた。
自分の身分を言い,取材の許しを願った。
最初は快諾をいただけなかった。
 
戦争遺跡が好きな者は,おたくがかかっている者もいる。
土地の持ち主に無断で入り,畑を荒らしても何とも思わない輩もいるのである。
 
取材が必要な度に,教えていただいた電話に連絡を入れた。
千葉県北西部の戦争遺跡探訪で講師を務めたことがあるが,その時にもコースに入れさせていただいた。
その時は,畑の仕事の途中だったが丁寧に解説をいただいた。
 
また戦争遺跡に関する拙サイト勲侘記由(くんたきゆ)への写真掲載も,住所のリンクを貼らない約束で許していただいていた。
 
その場所であるが,現在ロイヤルホームセンターが建っている。
最初知った時には大変ショックだったが,自分の自由にできるものではない。
土地を売られたことについては,個人的な訳がおありだろう。
いちいち断りを入れることで,かえって迷惑にはならないだろうか。
現在は私有地でないから撮りためた写真を使うことも問題はないだろう。 
いずれにしても,生活を支えてきた思い入れのある土地を手放されたのである。
 
ロイヤルホームセンターは2016年11月10日にグランドオープンした。
ホームセンターが建って,もう断りはいらないとばかり写真を使うのもいやらしい気がした。
 
 そして今現在3年が経とうとしている。
 この3年間が自分のこだわりの中ではどうしても必要だった。
 
そろそろ大切な遺構ということで情報公開をしても良いだろうか・・・
 

自分が講師を務めた講習会では,このように畑を掘って待っていてくださった。2007.08.18

これは戦争遺跡仲間との取材風景。トラクターの轍を踏んで,畑を荒らさぬように・・・

 
 
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ちょい旅写真198沖縄・読谷

2019-10-31 23:08:15 | 戦争遺跡

シムクガマ。

聞かれたことはあるだろうか。

那覇から北に行くと読谷(よみたん)という村がある。

沖縄にはガマ(鍾乳洞)が多くあるが,読谷には対照的なガマがある。

有名なのはチビチリガマである。

戦時中避難していた方々の60%の82名(85名とも言われる)が集団自決された場所である。

同じ村内のシムクガマでは亡くなった方は一人もいなかった。

そこには1000名もの方が避難されていたのである。



シムクガマの内部。外国人の方も訪れていた。


1000名の人命を救った比嘉平治氏・比嘉平三氏が記された「救命洞窟の碑」


 ハワイ帰りで英語の分かる両氏が,米軍兵士とのやりとりを避難民に伝え,1000名を救命することができたのである。

意思疎通の大切さを知る一つの事例である。

チビチリガマにもこういう方がいらっしゃったらと思った。

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ちなみに

2019-10-08 23:04:33 | 戦争遺跡

昨日の投稿で書いた2005年9月15日に撮影した陸軍境界標柱がこれである。

この標柱についは以前に書いたことがあるので,記事が重複しないようにする。

言いたいことは,初めて戦争遺跡として意識して撮った写真ということだ。



ゆきたんくの知る中では,一番の美文字である。 → Map 


 

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ありがとうございます。

2019-09-17 23:00:34 | 戦争遺跡

もらった。

何を?

職場の上司にもらった。

何を?

うん,広島まで行って手に入らなかったもの。

何さ?

 

これ。




てつのくじら館パンフレット


 江田島の戦争遺跡に時間をかけすぎ,呉のてつのくじら館を目の前に見ながら車を停めた時刻が16時29分。

閉館は16時30分。

あきらめたのである。

また,たった一枚撮った写真がこれ・・・



( ,,`・ω・´)ンンン? なんとゆきたんくの指のくじらが写っている・・・


 そんな訳でこのプレゼントは大切な宝物なのである。

このパンフレットを見て,再訪する日が楽しみになっているゆきたんくである。

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ちょい旅写真191…千葉・東金

2019-07-19 23:31:29 | 戦争遺跡

東金に飛行場?

もちろん現代のものではなく,大東亜戦争末期に造られた飛行機の格納庫の痕跡がある。

それは,コンクリートでできた支柱のようだ。

工事にあたったのは地元民の方。

それも勤労奉仕という名の半ば強制的なものだったという。

ただ,戦争に関する話はこのような形で残っていることが多いが実際にはどうだったのかは分からない。

調べるにしてもタイムリミットが近いか,過ぎているだろう。

米軍の九十九里浜への上陸を予想してのものだった。



狭い畑の中にある。


角の支柱。


綺麗に並んでいる支柱。


飛行機格納庫の跡らしい。2007.06.23 →  Map


 

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ちょい旅写真190…印西牧の原

2019-07-16 23:04:29 | 戦争遺跡

戦争遺跡である。

場所は千葉県印西市。

飛行機格納のための掩体壕だ。

印西牧の原には,蓋の無い無蓋掩体壕が残されている。



これはカッコいいな。 2006.12.23 → Map


 現在は展示用に一つ上写真の場所ではないところに設けられている。

元々は森があったと記憶しているが,そのしたに無蓋掩体壕があったのだろうか。

検証してみる。

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ちょい旅写真189…千葉・赤山地下壕・立山

2019-07-14 23:37:51 | 戦争遺跡

比較的近くだったけれどね。

いつでも行けると思っているとなかなか行かない場所がある。

戦争遺跡好きのゆきたんくが,他県ばかり行って肝心の千葉県内の戦争遺跡をスルーしていたのだ。



赤山地下壕 2019.02.11 → Map


赤山地下壕の最大の特徴は,壕内の縞模様である。

上写真の所が一番有名どころかな。

残念ながら立ち入り禁止場所である。

学術調査ということで申請するとどうだろうか。

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横須賀です6

2019-06-23 23:44:19 | 戦争遺跡

かつて外敵から首都を守るために,東京湾の守りを固めた時代があった。

その名残が,千葉県富津にある第一海堡と第二海堡である。

神奈川県側には,猿島があり,そして第三海堡があった。

あったというのは,現在は存在しないからである。

関東大震災のおり,施設や土台が破壊された。

復旧不能になってしまったからだ。



第三海堡の全景図と,かつての第三海堡の姿を映した写真(震災後のものしかないという)


 震災時に4.5mも土台が沈下し,第三海堡の武器類はほとんど使い物にならなくなったという。

そして施設も海水に浸かり,長い時間が経ってしまった。

30年もの年月をかけて作られた第三海堡。

海底30mを埋め立てたのである。

それが完成2年後の関東大震災で水没したのである。

軍事的には役に立つことはなかったが,建築において,経験・技術の蓄積では大きな貢献をしているのである。

その第三海堡の中の建築物で,崩れることなく引き上げることができたのは4点だ。

横浜市夏島に展示されている,「探照灯」、「観測所」、「砲台砲測庫」と横須賀市平成のうみかぜ公園にある「大型兵舎」だ。



探照灯施設の上から周囲を見渡すことができる。 → Map



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横須賀です5

2019-06-09 23:16:20 | 戦争遺跡

こりゃ怖い。

この穴だ。



何の穴だ。


 猿島は戦争時の要塞である。

通路は,島の中を掘って切通しを作り,その両側に施設を建設していた。

その切通しでできた通路でカーブがあるところにこの穴があるのだ。

ガイドさんの説明ではこの穴は銃撃の跡だという。

次にググル様から借りた写真を載せる。



切通しの通路。


 この正面部分が,1枚目の写真の壁である。

正確に言うと,通路の曲がり部分だ。

終戦を迎え,この場所を接収した米軍は当然内部調査をする訳だ。

そして,島内を回る時にいくら武装解除とは言っても何が起こるか分からない。

影に日本兵が隠れていてはまずいということで,この正面に見える壁に威嚇射撃をしていたそうだ。

曲がり部分はこんな感じだ。


 




 

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横須賀です4

2019-06-08 23:04:46 | 戦争遺跡

さて,人生60年近くで初めて出会った言葉がある。

昨日投稿の「発電所」からの電気をどうやって照明まで届けるか。

もちろん,動線はある。

まずは発電所ね。



発電所。


 ここで作られた電機は,この建物横から続く通路に沿って送電線が張られていた。

それを調整するための穴があった。



この中に手を入れて作業をしていたという。


 この穴のことを「ハンドホール」というそうだ。

人間が1人入れるのを「マン・ホール」。

手だけを入れて作業するから「ハンド・ホール」なんだそうだ。

なるほどね。

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横須賀です3。

2019-06-04 23:33:58 | 戦争遺跡

遂に猿島へ。

興奮のひと時である。

みかさ桟橋から10分の船旅だ。



無人島なわりに,観光地化している。


桟橋からみた水は綺麗だ。


 いかにも無人島という感じを期待していたが,しっかりと観光地化していた。

桟橋はしっかりしたものだし,着いてすぐに目に入ってきたのは「猿島オーシャンズキッチン」である。

ゆきたんくと同行のY氏の頭の中は戦跡で一杯。

猿島オーシャンズキッチンの脇の建物に目が釘付けになっていた。



階段の奥の建物はなんぞや?


出たぁ。当時の建物で発電所である。


 明治時代中頃に蒸気機関による発電所が作られた。

島の中央部高台にある照明所に電気が送られていた。

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横須賀です。

2019-06-01 23:17:19 | 戦争遺跡

戦争遺跡オタクのゆきたんく。

今日は横須賀の戦争遺跡を一泊二日で調べる。

もっとも杖が取れて2日目なので無理はしない。

今回どうしても外せなかったのはこれ。



イーーーーーーーーッ


 場所は猿島である。

これでピンとこられた方は,50代半ばの方々だろう。

種明かしはこれ。

仮面ライダーのゲルショッカー結成式が行われた場所である。

一応ショッカーの秘密基地の扱いだった。



ゲルショッカー結団式。ブラック将軍もいる。


 戦争遺跡なのかどうなのか・・・

取り敢えず戦争遺跡としては,東の猿島,西の友ヶ島を制覇したことにはなるのだが・・・

続く。

 

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準備中。

2019-04-15 23:07:14 | 戦争遺跡

本日ホテル予約完了。

先のことであるが,横須賀の戦争遺跡探訪の準備の1つである。

ゆきたんくの足の状態によって歩ける距離が変わるので,どれだけ見れるかは分からない。

友人が車を出してくれることは決定しているので,ゆきたんくは事前に場所の確認をすること,そして視察計画を立てることが分担になっている。

数にして50か所以上である。

目玉は,猿島と戦艦三笠である。



当日お世話になるホテルである。


 コブレンツに連泊した時にお世話になったメルキュールの姉妹店である。

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赤山

2019-02-17 23:13:58 | 戦争遺跡

ずっと前から行きたかった。

館山の赤山地下壕である。

大戦末期に造られたものだと言うが,手彫りでしっかりと造られていた。

松代や吉見と同じで,遺構の一部しか見学できないが,安全管理上は仕方ないだろう。

やっと行けた。

車を運転してくれた友人に感謝である。



地下壕の中で記念撮影。


 

 

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