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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

海から

2022-08-03 23:28:39 | 戦争遺跡

コロナ前の2019年、そう3年前にゆきたんくは広島にいた。

その時には呉を越えて、江田島まで足を伸ばした。

「海軍発祥の地」として訪問したのだ。

様々な戦跡を下調べして訪ねた。

大雨が続いたことにより、山や道が崩れて行きつけなかったところもあった。

 それが中心の目的になって大和の故郷である呉付近をしっかりと取材することはなかった。

 呉から江田島に行くには、倉橋島を通らないと行けない。

呉から倉橋島、倉橋島から江田島と2回橋を渡らなければならない。

 その時に通る音戸大橋から呉の工場群を見ることができる。

 残念ながら、自分の目でしかシャッターを押していないので写真は残っていない。

 今回の旅では、呉の工場群をしっかりみたいと思っていた。

結局、陸からと山の上からは見ることができた。

自分になかった発想が海側から見ることだった。

 大和ミュージアムの近くに「呉港フェリーのりば」があって、そこから「呉湾艦船めぐり」の船が出ることが分かったのである。

観戦ではない。今はやりのコロナの感染でもない。

「艦船」である。

艦船の「艦」は軍艦のことを指しているのである。

ちなみに「船」は軍艦いがいの船舶のことである。


 

海からの呉の港を見れる角度はたまらない。



大和誕生の地は、しっかりと残されている。
(現在は造船会社ジャパンマリンユナイテッドの工場)
大きな屋根が残されているが、大和の船体の半分しか屋根の下には入らなかったという。



 元海上自衛隊の職員の方だろう。
揺れる船の上で、様々な船の紹介をしていただいた。



2019年の旅では、残り1分で見学がかなわなかった鉄のクジラ。
海上自衛隊呉資料館(潜水艦あさしおとその奥の建物)のことである。


 陸から、山から、海からと呉の工場群を見れたのは感激であった。

宿題は、江田島と倉橋島に残る弾薬庫等の戦争遺跡である。

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朝の風景

2022-07-29 23:13:03 | 戦争遺跡

朝の風景。

家族がらみで朝に多い風景は松戸中央公園である。

もっとも、夜も一番多いか。

この松戸中央公園は、前にも書いたが松戸工兵学校跡地である。

送る時は、工兵学校跡に残る正門近くで降ろす。

ここから職場までは、歩いて運動するのだと・・・

ゆきたんくは、この風景を見ると安心するようになった。

心の安定をはかれるのだろう。



のりたん、行ってらっしゃい。


 そしてゆきたんくはここを後にして、職場に向かったり、自宅に向かったり自分の時間になる。

 15年くらい来前は、この日の仕事が休日ならば博物館に向かっていたな。今は言っても一週間か二週間に1回だね。

 心が落ち着くルーティーンは景色にあったか・・・

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松戸工兵学校

2022-07-26 23:10:37 | 戦争遺跡

夜の帳とでもいうのだろうか。

めっきり一通りのないいつもの場所。

女房のお迎えである。

まぁ、自分の時間のある時にね。

そして待つ。

街灯がありがたい。

 ゆきたんくの車が停まっている所だが、工兵学校の敷地の中である。

そこにはかつて「通信講堂及研究室」というのがあった。

松戸工兵学校は陸軍のエリートを養成する学校だったのだ。工兵学校の出身者は近代戦を担う幹部になっていったのである。


 

今は平和な静かな道。


のほほんと女房を迎えに行くゆきたんくである。

なんとありがたいことかな。

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松戸工兵学校

2022-07-01 23:58:24 | 戦争遺跡

またやって来ました。

松戸工兵学校。

戦跡好きなゆきたんくが、特別好きな所。

いつもいつも、ここに来る。

まぁね、女房の職場がここの近くなので時間のある時は送り迎えをする。

その時に、かつての工兵学校の敷地の中にいるということなんだね。



この道路の左が聖徳大学、右が松戸中央公園。


松戸中央公園には、当時の門柱が残っている。

歩哨楼も残っている。

戦争遺跡が好きな人にとっては垂涎の物件であるのだね。

陸軍の境界標柱も、減ってきてはいるがまだまだ残っている。

思うのだけれど、戦争のマイナス面ばかりを取り上げている方々がいるが、「転ばぬ先の杖」という観点で考え直すことも必要なのではないのだろうか。

最近、ここに来る度にそう考えてしまうゆきたんくである。

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綺麗だね。

2022-06-20 23:37:55 | 戦争遺跡

うん、ゆきたんくの好きな戦争遺跡。

そしてこの時期になると目を楽しませてくれる。

現松戸中央公園はかつての松戸工兵学校の跡地である。

この近くにある女房の職場近くにアッシーをする。

さて、中央公園の周囲には紫陽花が植えてある。

そして今花が咲いている。

この紫色が目にとても心地よいのだ。

 もちろん、個人差はあるだろうがこれを目にすることで芽の疲れが取れるような気がするのだ。

 そして季節によっては彼岸花がずらっと並ぶ。

それはそれでまた綺麗なのだが、今はこれを楽しむ。



紫陽花


公園内も様々な花があるのだが、そのうち紹介する。

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掩体壕

2022-06-16 23:31:34 | 戦争遺跡

うん、記事にできなかった四国旅行での出来事。

5月1日に掩体壕について触れた。

その掩体壕に書かれた言葉についてはスルーしていた。

それは、その意味を探すのが大変だからだ。

探せなかった時は、基礎情報と想像に任せるしかない。

そんな不安を感じながら調べに入る。

「極天隊」はすぐに見つかった。

 別名「戦闘第四〇一飛行隊」は松山空港隊第三四三航空隊に編入された部隊とのこと。

 聞いたことのある「紫電」、「紫電改」を擁して世界最強の航空隊を作るという考えがあったということだ。



 

 掩体壕の取材は随分としたが、そこに書かれている字に関して調べたことはない。今回は掩体壕に書かれた字が、保護されていたことから調べてみる気になったのだ。

 ここ松山航空隊だけでも、五つの飛行隊がある。

一個人で全てを調べる時間はないかな。

 これからも気が向いた時に掘り下げてみたいと思う。

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朝から戦争遺跡

2022-05-01 23:43:28 | 戦争遺跡

さて、悪い癖か・・・

むずむずと・・・

うん、戦争遺跡である。

松山空港近くに掩体壕が3つあるということでさっそく出かけた。



すっかり、倉庫として使われている。 → Map



こちらは自家用車の車庫として使われている。 → Map


大きな掩体壕である。こちら自治体が管理していた。 → Map


しっかりと残されているのがありがたい。

そう、生身の語り部がもういなくなってきている。

このような遺構がしっかりと見れる環境なのが嬉しい。

この後、子規記念館博物館を見学し、帰りの途についた。

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海なし県なのに・・・

2022-04-11 23:15:54 | 戦争遺跡

埼玉県。

ゆきたんくが3年住んだ県。

海なし県なんだね。

現在は千葉県に住んで35年になる。

興味を持った戦争遺跡でのことだ。

本当に些細なことだが、気にもしなかった。

海軍と言えば海での活動を考える。



「海軍用地」の字が見える。 → Map


 この海軍境界標柱は、かつて埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市清戸、東久留米市上の原にかけて存在した「大日本帝国海軍の通信施設の名残であることが分かった。

 ゆきたんくの住んでいる千葉県では、船橋市に通信施設があったことを思い出した。行田の円形道路にあった施設だ。「トラ・トラ・トラ」で有名だ。この埼玉の施設についても、逸話がないか調べてみようと思っている。

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やっと見れたと思ったが・・・

2022-04-10 23:22:18 | 戦争遺跡

うん、昨年水の多い時期に行って見れなかったもの。

今は水は少な目か。

そして草もまだ茂っていないからある意味チャンスだ。

ということで出かけたのは川越である。

小江戸を見に行った訳でも、菓子屋横丁に呼ばれた訳でもない。

 かつて四式陶製手榴弾を製作していた浅野カーリット埼玉工場跡地近くで、陶製爆弾の陶器が捨てられている川越東高近くの河川敷に行ったのである。

 思ったよりも水かさが高く、河川敷を歩くことはできなかった。

近くまで行き、陶製爆弾の陶器の撮影に成功した。



これだ。


前に来た時は、この場所も水の中だったので再訪が必要だろう。

これも歴史の証人なのである。

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戦争遺跡

2022-03-21 23:30:57 | 戦争遺跡

昨日の話である。

旨いラーメンを食べた後、帰途につく。

友人が、戦跡があると言う。

ぐぐるまっぷさんで前らか気になっていた物件がこの近くにあるという。

それは寄るしかない。

当然の助動詞である。

ん?

意味?

んなのない。

 自分が大学の時に陸上競技部の先輩が、それは当然という時に使っていた言葉を思い出したのである。もう40年も前のことである。

 こんな時に、記憶の地層の中から発掘されるのである。

敢えて屁理屈を付けるのならば、

「戦争遺跡を見つけた。」

「行きます。」

のますである。

「行くか?」 → 「ますっ」

こんなところだろう。



世界大戦記念碑 → Map


場所は柏市。

なんでここにあるのだろう。

裏を見ると大正9年(1920年)と彫ってある。

つまり第一次世界大戦を記念した碑であったのだ。

この土地(千代田村)の軍人会の建立である。

お国のために頑張っていただいた方たちである。

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趣味の時間。

2022-03-13 23:46:10 | 戦争遺跡

さて、今日はのんべんだらりと・・・

まずは職場に行く。

軽く仕事をした後、友人と会いタンタンメンをいただく。

かねてより、気にしていたお店である。

旨い。

おなかが満足したら、次は頭である。

とは言っても頭の片隅なのであるが・・・

近くに陸軍境界標柱がある。

見に行くしかない。



民家の塀の下に・・・


まあ、人の家の前だから地図を貼るのはやめておく。

陸軍と刻まれた文字がはっきりと見えるのが良い。

これだけで満足してしまうゆきたんくである。

お安くできているのである。

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やぁ、こんな所に。

2022-03-04 23:39:06 | 戦争遺跡

筑波の戦争遺跡を満喫して、とんQで旨いとんかつを食べて・・・

帰ろうと思ったが、念のため・・・

調べたらあったんだなぁ。

西つくばに航空士官学校が。

行くしかない。



陸軍境界標柱である。 → Map


この付近で、滑走路跡等、見て回ることができた。

しかし、なんといっても現物で物を言うのは、この境界標柱である。

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モニュメント。

2022-02-27 23:12:58 | 戦争遺跡

そう、今回の遺構で一番のモニュメントはこれだ。



谷田部海軍航空隊記念碑 → Map


モニュメントの上に載っているのは、御影石製のゼロ戦だ。

ゼロ戦というと、特攻をイメージし嫌う人がいる。

しかし、特攻は国の家族を守るために命をささげたことを忘れてはいけない。

その方たちのおかげで、現在の日本があること、自分の人生が不自由ないことを感謝しなればいけないと思う。

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造池

2022-02-25 23:51:07 | 戦争遺跡

今日も霞ヶ浦海軍病院ネタである。

現在は霞ヶ浦医療センターとなっているが、そこにはたくさんの遺構がある。それがそのまま使われているのが「造池」である。



八角形に造られている。 → Map


現在も活用されている。

池の周囲を取り囲む石は御影石で作られている。

中では鯉が泳いでいた。

軍病院当時は、消化水槽の役割を果たしていたのだろうか。

詳しいことは調べないと分からない。

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やっぱり、これを見ないと・・・

2022-02-24 23:34:15 | 戦争遺跡

昨日は消火栓の記事を書いた。

 ただ、自分のこだわりとして、境界標柱を見れるとありがたいと思っている。

 今回は海軍病院跡だから、海軍境界標柱に会えると嬉しいと思っていた。



左下の折れたやつに「海軍用地」と彫られている。


これは病院の南東部で見つけた。

この付近に6本あり、そのうちの1本である。

場所は → Map

民家の庭先のような場所であり、垣根の陰になっていた。

これが撤去されずに残されていることはとてもありがたいことである。

 ゆきたんくの住んでいる松戸では、工兵学校跡の標柱がまた1本減っていた。

 自治体レベルで保存しなければ、どんどんなくなってしまうの可能性が高いのである。

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