追浜にある深浦湾に残されている桟橋がある。
海軍航空技術廠で使われていたものであろう。
波も穏やかで、水上機の離着率に適していたことから横須賀航空隊が開設され海軍航空技術廠が設置されるに至ったとのこと。
当時を偲ばせるものとしての一つが桟橋である。
これは現役なのだろうか。
周囲には船が停泊されていた。
桟橋 → Map
追浜にある深浦湾に残されている桟橋がある。
海軍航空技術廠で使われていたものであろう。
波も穏やかで、水上機の離着率に適していたことから横須賀航空隊が開設され海軍航空技術廠が設置されるに至ったとのこと。
当時を偲ばせるものとしての一つが桟橋である。
これは現役なのだろうか。
周囲には船が停泊されていた。
桟橋 → Map
うん、遺構が残っている。
それも昔然とした姿ではない。
未来の姿のようにカッコいい。
かつて首都防衛にために作られた人工島が三つある。
第一~第三海堡(かいほう)である。
第一、二海堡は現在も東京湾に残っており、姿を見たりツアーで上陸したり(第二海堡)できるようである。
そして東京湾に浮かぶ唯一の自然島が猿島であり、ここには行ってきた。
一番の目的は、ゲルショッカーの本部を見るため(笑)である。
話を戻そう、第三海堡については関東大震災により復旧できないことになった。
現在では撤去され、漁礁となっていたり、陸揚げして調査され、当時の土木工事の水準を超えた人工島造成技術が分析されたりしている。
第三海堡の遺構 2019.06.02 → Map
現在では、遺構(こことうみかぜ公園…神奈川県横須賀市平成町にある兵舎。)と模型でしか当時のことを知ることができない。
模型を初めて見た時には、サンダーバードを彷彿とさせた。
第三海堡全体図
関東大震災後のイメージ模型
原爆に日本が屈しなかったら、昭和21年には東金から攻める計画があったという。
首都防衛において、連合軍が上陸を図る候補として九十九里を予測していたからだ。
陸軍は本土防衛・首都防衛のため、九十九里浜には、砂浜には蛸壺陣地、丘陵地帯には洞窟陣地を構築し、迎撃体制を整えた。
この東金上田中は、近衛歩兵第10連隊独立速射砲中隊が工事を請け負い、独立第二四速射砲中隊の四七ミリ速射砲が配備される計画になっていたという。
場所は法光寺の中である。2020年11月15日 → Map
赤土が掘られている。
ぎりぎり奥で撮った写真。光がさしている。
実はここに来るのは2度目である。
もっと奥に入りたかったが、ここの住職さんらしき方に「音で崩れる危険性もあるので、あまり奥に入らない方が良いよ。」
と教えていただいたことがあったからである。
これも本土防衛の証拠として貴重な遺構である。
うん、戦争遺跡好きのゆきたんくである。
かつての軍需基地、それも敵機の攻撃を避けるべく穴を掘り、その中に工場を移していたこと。
どれだけ、必死だったかということだね。
2020年11月15日。 → Map
現在は入口しか近づけない。
水没している。
日立航空機(株)千葉製作所大網工場の建設工事は、大戦末期の昭和19年12月頃に開始された。
千葉市にあった同工場が空襲を避けて、疎開したからだ。
実際に三十数箇所の施設が確認されていたが、現存していない。
ゼロ戦の発動機部品が生産されていた。
実際酢には全稼働はしていないので、相手には脅威にならなかったようだ。
日本各地にこのような施設が存在している。
史跡として残されているのは素晴らしいが、中を見れないものだろうか。
東金市に飛行場なかんかあったか?
昔はあったのだ。
アジア太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、陸軍の東金飛行場があったのだ。
その飛行機格納庫の礎石が残されている。
この礎石からの鉄筋で壁や屋根を支えていた。 → Map
成田から飛び立つ旅客機もこんなに近くで見れる場所だ。
道路からは見れないほど奥にある。
米軍の九十九里浜への上陸を想定して作られた飛行場である。
ここに住んでいた方の話では、偵察用飛行機や、迎撃用飛行機が配備されたという。
敗戦間際には敵の軍艦への体当たりも試みられたという・・・
さて、掩体壕を見に行って来た。
とは言っても2020年12月12日のことである。
掩体壕というと飛行機の格納庫というイメージである。
これは何に使われていたのか・・・
入口が実に狭いのである。 → Map
まずサイズが小さいので飛行機は入らない。
中を覗いてみる。
暗所恐怖症のゆきたんくにとっては、なかなかスリリングな一瞬である。
帰宅後、画像処理をした。
なかなか不適切な落書きもあった。悪ガキの憩いの場であろうが声は響きそうだ。
こんな遠くまで来てまで戦争遺跡を見たいなんて病気だな。
うん、不治の病だから諦めねばならないのである。
病にかかりながら、健康体でないてできない矛盾した大人の遊びである。
とこで何を格納したのだろうか。大きさから言って「震洋」だろうか・・・
うん、大きい。
今までいろいろな所で掩体壕(飛行機格納庫)を見てきたが、これは大きい。
場所は千葉県旭市鎌数にある「旧海軍香取航空基地の掩体壕」だ。
大型機用の有害掩体壕である。隣の2階建て住居より大きい。 → Map
当時のそのままの形で農機具庫などの倉庫として使われている。
昔の物との共存ができている。
また、戦争遺跡としての保存も兼ねているのは嬉しい。
米占領軍本体本土初上陸地点。
そう、敗戦してしばらくした1945(昭和20)年9月2日、降伏文書調印式が行われた。
東京湾上の戦艦ミズーリ号においてのことだ。
その翌日、3日の午前9時20分に、3500名の米兵がが「館空」水上班滑走台(スキップ)に上陸してきた。
こんなに穏やかな顔をしている景色なのに・・・ → Map
それから78年近く経つのだ。
ここから、戦後日本の占領政策がスタートしたことになる。
今の平和をありがたく思う。
千葉県館山市洲崎。
現在は、波左間漁港になっており、すぐ東側に波左間海水浴場がある。
夏場は人で賑わう場所なのだ。
そこひっそりというか、姿みえるのだが、なんだろうという遺構が残されている。
これだ。 → Map
館山航空基地の西に沖ノ島がある。
現在は海水浴場になっているが、かつての戦争遺跡でもある。
島内を歩いていると、地下壕跡に出会う。
その中で一つ、奥まで入れない構造なので蓋がされていない箇所がある。
これだ。
しっかりした作りの地下壕か・・・
結構綺麗なつくりになっている。
ゴミらしきものがある。ここで過ごしていた者があるのか・・・
当時、ここで働いていた方の話を聞くことはもう叶わないのだろうか。
館山は戦争遺跡の宝庫だ。
そして訓練の厳しさでは群を抜いていたという館山海軍航空隊。
横須賀海軍航空隊が拡張され、教育・訓練部が霞ヶ浦に、館山に作戦部隊を移した。横空はヶ研究航空隊に特化し航空廠併設。
館空は実戦部隊となったが、木更津に移り、内線作戦部隊に転換とwikiにはある。
太平洋戦争以前の1930年に開隊された。
館空の残したものは、いろいろと取材した。
今日は、居住地の中に眠っている掩体壕を紹介しようと思う。
実際には、掩体壕のあるところに居住地ができたと思われる。
軍に接収された後は民家などないからである。
そして戦後は、居住地に代わるが、掩体壕は倉庫になったり、内部を改造して生活してりしているところもある。
今回紹介する掩体壕は、当時の位置に当時のままでそれも言われないと気づかない場所に位置している。
館山に残っている掩体壕は2つで、宮城と香(こうやつ)で、写真は宮城のもの。
かなり大きな掩体壕だ。 → Map
香(こうやつ)のも取材しにいかないといけないな。
そう、館山市を代表する戦争遺跡である。
館山海軍航空隊の施設だ。
一般見学者の入壕量は200円と安い。
1.6kmの壕のうち250mが公開されている。
よくこの壕の紹介で使われている写真の場所へ行きたかった。
そう、絶対に行っておきたい地ポイントというものはあるものだ。
それがここ。
砂岩に綺麗な模様が入っている。 → Map
実はこの時に体調を崩していて、この3月で仕事を辞める予定だった。
行ける時に行ける所へ行っておこうという。
そういう気持ちを友人が察して、車を出してくれた。
一泊二日で館山にある戦争遺跡探訪の旅に出かけたのである。
いまとなっては懐かしい、ゆきたんくと松葉杖。
元通り普通に歩けるようになるのか、それさえ先行きが見えなかったころに、たくさん歩けたこの時の旅は非常に有意義だったと思う。
今は、仕事に復帰して元気に過ごしているゆきたんくである。
友人に感謝だ。
これも、2019年2月17日の取材である。
よくぞ、地上ものを残してくれたというか、残ってといたという気持ちである。
戦後80年近くになると、管理していない地上も物は朽ち果てる傾向にある。
もっとも、ここも完全な形ではないのだけれど昔の姿を彷彿とさせてくれるのは戦争移設ファンにとってはありがたい。
館山海軍砲術学校跡地(炊事場) → Map
レンガ造りの建物で、入口にコンクリートのアーチがある。
このような意匠を見ると、胸がわくわくする。
かなり広い施設の敷地の中に残されているが、周囲は田畑で民家もあり、地下に住んでいると人にとってはどのような思いなのか。
調べたみたら、平和教育のNPO団体が活用しているとのこと。
煉瓦はイギリス積みであった。
今日はお迎え。
うん、松戸工兵学校跡(松戸中央公園)のところで女房を待つ。
夜は寂しいなぁ。
しばらく、戦跡調査をしていない。
もっとも、この付近の戦跡はほとんどコンプリートしている。
だが、陸軍の境界標柱は少しずつ減ってきている。
松戸一中裏にあった標柱も抜かれてしまった。
今はどこにあるのだろうか。
昨年抜かれたやつ。 → Map