2018.1 メキシコの旅2 1日目 時差15時間+日付変更線 12時間のフライト+機内食 メキシコシティの印象
時差15時間+日付変更線
私の席は左窓側の通路側C席、カミさんは斜め前の窓側A席で、着席して間もなくキャビンアテンダントが挨拶に来る。続いて、おしぼり、飲み物ウエルカムドリンクが配られる。私は躊躇せずシャンパンをいただいた。席が独立しているので、立ち上がってのぞき込まないとカミさんと話が通じない。のぞき込みながら、旅たちを祝って乾杯する。
ほぼ定刻通り16:40に離陸する。事前の調べではメキシコとの時差は-15時間だった。
日本の時間は東経135°を基準にしている。ヨーロッパ、たとえばロンドン東経・西経0°に行くときは、135/15=9時間の時差で、東から西に行くからロンドン時間=日本時間-9時間になる。
メキシコは西経105°に近いから、まず東経135°から東経・西経180°まで45°を飛び、東経・西経180°から西経105°まで75°を飛ぶことになる。45°+75°=120°だから8時間のズレのはずだが、東経・西経180°を基準に日付変更線が設定されていて、東から西に越えるときは1日分戻り、逆に西から東に越えるときは1日が2日分になる・・16世紀のマゼラン一行の世界一周で1日分のズレが分かったそうだ・・。つまり、東経・西経180°≒日付変更線では日本時間+3時間が時差だが、日付変更線を越えたところから24時間戻って逆算されていくため、時差が15時間になる。計算では確かにそうだが、理解が追いつかない。
2017年7月に国際交流・宮あじ会のメンバーとスリランカを訪ねた。旅の途中で腕時計がバッテリー切れ?で止まってしまった。私の歩数計には時計が付いているので、しばらく歩数計の時間を見ながら行動したが不都合が多い。それを聞いた同行のメンバーが腕時計を二つ持ってきていて、一つを貸してくれ、大いに助かった。帰国後、バッテリーを必要としない、自動巻腕時計かソーラー腕時計を調べた。C社のソーラー腕時計を値段も手ごろで、コンパス、温度計、高度計、アラーム、ストップウォッチ、世界時計機能が付いていたので購入した。時計盤の都市名に秒針を合わせると、アナログの針が目的地の時刻になり、通常は日時・曜日を示す小窓に日本時間がデジタルで表示される。夏時間、冬時間の調整もできる。海外旅行には便利な時計である。
メキシコシティはシカゴと同じゾーンなので、さっそく秒針をCHIに合わせた。頭を悩ませずとも、瞬時に日本時間17:00=メキシコシティ2:00になった。飛行時間はおよそ12時間なので到着はメキシコシティ14:00ごろになる。時差ぼけを防ぐにはメキシコシティにあわせて過ごし、寝不足はうたた寝でこなせばいい。
12時間のフライト+機内食
水平飛行になってしばらくすると、ワゴンサービスが始まった。シャンパンと水をもらう。機内は0.8気圧≒富士山5合目ぐらいに調整されている。気圧が低いと酔いが早いので、水分の補給が欠かせない。じきに、キャビンアテンダントがアミューズamuseを用意してくれた。チーズスティック、ホタテ貝、ポテト・菜の花のマリネでシャンパンに合う。
夕食は和食を頼んだ。前菜、鰆のお造り、海老・茄子・湯葉の小鉢、主菜はきんき味噌焼き+鶏もも塩焼き、ご飯・味噌汁、食後にデザートである。割烹料理屋の会席には及ばないが、なかなかの美味である。JAL、ANAともに機内食は口に合う。
ドリンクリストに、日本酒の鶴齢、山形正宗雄町があった。まず辛口の雄町をもらう。和食に合う。次に鶴齢をもらう。さっぱりした端麗でこれも旨い。まだ鶏ももが残っていたので、プレミアムモルツを飲み、食事を終える。日本時間では19:00ごろだが、デザートを食べ終わったころから酔いで眠くなった。一眠りする。
機内はかなり乾燥しているから、喉がからからで目が覚めた。1時間ほど寝たようだ。水を補給し、映画を見たり、本を読んだり、自作見学ガイドをめくったり、うたた寝したりして過ごす。
メキシコ時間11時過ぎに、機内が明るくなる。ほどなく、おしぼり、飲み物が出て、食事になる。日本時間は夜中の3時ごろだから身体は寝ている感じだ。また和食を頼む。野菜酢和え、鰤煮付け、炊き込みご飯、味噌汁が出た。ビールを飲み、食後にコーヒーを飲む。到着まで2時間を切った。
立ち上がって窓をのぞくと平原が見えた。アメリカ南部?メキシコ北部だろうか。
13:40、眼下に大都会が広がるなか、メキシコシティ国際空港に着陸する。晴れているが、作業員を見ると、半袖の人もいれば厚めのジャンパーを着ている人もいる。暑いのか?寒いのか?分かりかねる・・あとで、日射しが強く動いていると汗ばむが、標高が高く風は冷たいので日影で動かないと寒気を感じるのを実感した・・。
メキシコシティの印象
イミグレーションゲートはかなりの混雑だった。同じ時間帯にいくつか着陸したようで、いろいろな格好の人が順を待っている。ノースリーブもいれば、ダウンを着ている人もいる。顔つきも様々だ。メキシコシティ国際空港は中南米最大の規模を誇るハブ空港だそうだ。北米、中南米、ヨーロッパ、アジアからメキシコを目指して飛んできたのであろう。
イミグレーションの列はゆっくり進む。およそ1時間かかった。スペインで覚えた挨拶はブエノス・ディアスしか思い出せなかったので係官にブエノス・ディアスと言ったら通じたようだが、返事は分からなかった。ブエノス・ディアスはおはようの挨拶だから、昼の挨拶を教えてくれたのかも知れない。アディオス≒さようならも思い出せず、簡単な挨拶言葉のオラと言ってイミグレーションを終えた・・あとでこんにちわ≒ブエノス・タルディス、今晩わ≒ブエノス・ノーチェスを思い出した・・。
15:00、スーツケースを受け取る。出迎えの日本人現地ガイドの案内でバスに乗り込む。お金のことや水のこと、トイレはスペイン語でバーニョなど簡単な言葉、車優先でしかもかなり荒っぽい、信号もあてにならないからよくよく注意、などを話してくれた。
道路は整然とした格子状のようで、2~3階の四角い箱状の建物が並んでいる。住宅のようだ。それぞれ好みの色彩が塗られているが、ちぐはぐ感はない。やがて高層のマンションが現れた(写真)。原色の彩りが違和感なく用いられている。マンションが民族衣装を着飾って、いまにも踊り出しそうに見える。メキシコ人はなかなかの色彩感覚があり、陽気に感じられる。
道路は、かなり混みあっている。都心に近づくほど渋滞で、のろのろになった。
もともとメキシコシティあたりはテスココ湖と呼ばれる広大な湖だったそうだ。15世紀、アステカ王国はテスココ湖の島にテノチティトランTenochtitlanと呼ばれる都を築いた。最盛期には30万人も住んだそうだからかなり大きな島だったか、あるいはいくつかの島に橋を架けて住んだのか、いずれにしても高度な技術を持っていたと思われる。
1519年、スペイン人エルナン・コルテス(1485-1547)がアステカ王国を征服し、テノチティトランを破壊、その廃墟の上にメキシコシティを建設した。テスココ湖は埋められ、あるいは干拓されてしまった。テスココ湖の片鱗は、国際空港のさらに東に小さな湖として残されているらしい。
国際空港は都心の東、ホテルは西に位置し、空港~ホテルは直線で12kmぐらいである。にもかかわらず、何度も渋滞があり、ガレリヤ・プラザホテル到着は15:45になった。
ホテル自体も大きいし、周辺は高層の建物が建ち並んでいる。部屋は5階で、窓の外にも高層建築が立ちはだかり、遠くには建設中の高層建築が見える。過密なためか、建物は上へ上へと伸びているようだ。部屋からの眺めはいまいちだが、メキシコの活気がうかがえる。続く
2018.1 メキシコの旅1日目 予習・資料づくり~準備~成田へ~搭乗
予習+資料づくり
2016年の暮れごろにメキシコの旅を計画した。メキシコを知ろうと、ウィンズロウ著「犬の力」(book431)、グリーニー著・グレイマンシリーズ「暗殺者の鎮魂」(book438)を読んだ。どちらも麻薬にからむ殺戮が描かれていた。舞台は、アメリカ・メキシコの国境近くだった。ほどなく、都合がつかずメキシコの旅は棚上げになり、予習も終えることになった。
1年経った2017年の暮れごろ、メキシコの新しいパンフレットをめくった。いくつかの旅行社のパンフレットーを比べて、手ごろなツアーを見つけた。
全日空直行便、往復ビジネス席、世界遺産に登録されているメキシコシティの近代建築、マヤ文明の遺産、スペイン時代の遺構を中心とし、メキシコシティ、メリダ、カンクンそれぞれ連泊の9日間である(行程図参照)。
春分のころはチチェン・イッツアで蛇の降臨ククルカンが現れるため、混みあうし料金も高くなる。年金高齢者なので、空いた時期の料金安めを選び、2018年1月25日出発を選んだ。
図書館から丹羽昌一著「天皇の密使」(book454)を借りて読んだ。実話を下敷きにした物語で、1910~1918年のメキシコ動乱期に日本人移民を支援する領事館書記生が主人公であり、舞台は国境近くである。日本・アメリカ・革命政府の立ち位置も描かれている。
二宮隆雄著「風炎の海」(book455)はメキシコが数ページしか登場しなかった。
堀口大学を主題にした矢作俊彦著「悲劇週間」は、数ページ読んだところで出発になり、メキシコへ持参したがほとんど読めなかった。
マヤ・アステカに関する本は写真を眺めて圧倒されたが、重い本なので図書館に返した。ブックオフで購入した2016年版地球の歩き方メキシコは、まんべんなく紹介されていて、地図もあり、現地で重宝した。
いつも、webから訪問先の資料をダウンロードし、ツアーの行程にあわせて並べ、写真や地図を挿入した自作の見学ガイドをつくっている。ホテルや地元料理だけでなく、地理・歴史も必要に応じて挿入し、準備の時間があれば裏表印刷で、A5サイズに仕上げる。
この自作見学ガイドを、前日夜か当日朝、または移動のバスで目を通す。見学先では、ガイドの話をメモする。歩きながらだと字が躍ってしまって判読しにくいこともあるが、いつwhen・どこでwhere・何whatを見学したか、そのいわれや特徴は何why・howか、などはあとで思い出せる。この自作見学ガイド、メモ、写真をもとに、追加で調べた資料を加え、旅行記をまとめている。
聞き漏らし、勘違い、表現の拙さもあるが、旅行記が見知らぬ土地に思いを馳せるきっかけになれば幸いである。
身の回り品準備
メキシコシティは北緯17°、メリダ北緯20°、カンクン21°で、いずれも北回帰線より南に位置し、暖かそう?暑そう?である。長期天気予報を調べると、メキシコシティは最低7℃~最高20℃、メリダ・カンクンは最低18℃~最高28℃だった。日本を出るとき・帰るときは真冬だから、真冬の格好+春の格好+夏の格好を用意することにした。
電圧は110vで日本と同じ、コンセントプラグも日本と同型のAタイプである。
水は心配なのでミネラルウォータ2㍑をスーツケースに入れた。今回のツアーでは旅行社が毎日500ccのペットボトルを配ってくれたし、どのホテルも毎日300ccのペットボトルが無料だったので、現地ではミネラルウォーターを購入しなかった。
ノートパソコンは2.3kgもあるが、Eメイル、日本のニュース、ブログなどに重宝しているので持参した。傘、目覚まし時計、洗面用具、コンパス、筆記具・・・・などなど、9日間の旅の必要品をスーツケースに詰めたら22kgほどになった。全日空のビジネス席は32kg以下なので問題はないし、メキシコの国内線は23kg以下なので大丈夫そうだ。
スーツケースを送る
最近は、往路だけスーツケースを宅配で成田空港に送っている。以前はスーツケースを持参したが、電車で他の方の迷惑になるし、エレベータ、エスカレータが見つからず階段で苦労したこともあった。平坦なところでも20kgを越えるスーツケースを押して移動するのは負担である。スーツケース1個あたり2200円ほどの出費を節約して、往路で転んだりへたばったりでは元も子もない。
いつも利用しているQ社にネットで宅配を依頼した。折り返し電話があり、集荷日に大雪の予報が出ているので集荷時間が遅延する可能性がある、ご了解を、ということだった。
予報通り、集荷予定日の朝から雪が降り始め、昼には積もりだし、夕方には子どもたちが雪だるまをつくり出すほど大雪になった。その大雪のなか、予定時間通りに集荷に来てくれた。Q社のプロ意識に感謝!。
出発は大雪の翌々日だったが、道路は至るところ雪が凍りついていた。とくに歩行者が多く通る歩道、路側帯、塀側は固まった雪が放置されていて、スーツケースを押して駅まで歩くのは至難である。宅配にしてよかったと改めて思いながら、駅に向かった。
成田空港で両換え
集合は成田空港第1ターミナル南ウィングに14:40であるが、スーツケース受け取り、両替があるので、ゆとりを持って12時前の列車に乗った。時間に余裕があるので、日暮里では運賃だけの特急に乗った。ライナー料金1200円ほどが節約できた。座席がちょうど埋まるていどだから空いている方であろう。列車内で持参のおにぎりを食べた。
成田空港第1ターミナル着13:54、改札を出た先の両替所でメキシコペソを購入する。webにはUSドルも使えると紹介されている。しかし、同行添乗員からはホテル、リゾート地ではUSドルが使えるが、アメリカ大統領の壁をつくるなどの発言からUSドルを使うとアメリカびいきと勘違いされる可能性が高い、メキシコの空港でも円-ペソの両替はできるが、ツアー客がいっせいに両替すると時間のロスになるし、両替をしたところを見られていて狙われやすい、などの連絡があった。
無用なトラブルを避けて、成田空港で3万円を両替した。37000メキシコペソが戻ってきたから、1ペソ≒0.8円の換算になる。物価の感覚が無いから37000ペソ/2人で足りるか気になるが、カード払いも通用するそうだ・・ホテルのバーではすべてカードにし、スーパー、コンビニではペソで払った・・。
念のため、手持ちのドルも持参した・・カンクンのレストランではUS ドルで払った・・。結果的に、買い物をしなければ1人1万ペソで足り、カードもUS ドルも不安はなかった・・。
機内へ
ツアー参加者は12名で、ゆとりを持って向かったはずの私たちが最後の受付だった。ほかの方はすでに受付を済ませているので、どんな方が同行するかはまだ分からない。
冬用のU社製ウルトラライトダウンをスーツケースにしまう。昨年10月末にアルザスとドイツ黒い森ツアーに参加するとき、日本では秋でも向こうはかなり冷えることがあるので薄手のコートを購入した。それがこの超軽量のダウンである。今回は日本が冬、メキシコが春~夏である。超軽量ダウンまったくかさばらないし、重さも少ないのが利点である。超軽量ダウンをしまい、重みのあるノートパソコンを手荷物にした。その結果、スーツケースは21.5kgになった。
ANA=スターアライアンスのマイレージを登録し、チェックインを終了する。ANAラウンジで、白ワイン、寿司、いなり寿司、サンドウィッチ、チーズなどをいただく。シャンパンはなかったので、有田焼の壺の日本酒をいただいた。
ANAのメキシコ便はまだ日が浅いせいか、搭乗口が離れていてバス移動だった。今日は晴れているが、雨のときはたいへんそうである。
飛行機はB788で、機内の前~中がビジネス席、中ほどにプレミアムエコノミー席、後ろがエコノミー席で、ファーストクラスは設けられていない。
ビジネス席は、横に2席・2席・2席の配列だが両サイドの2席は半席ずれていてプライバシーが確保できるようになっている。一人旅にはいいが、夫婦、友達も半席ずれているため、顔も見えなければ話もできない。中側の2席は横並びだがあいだに衝立が固定されていて、こちらも顔も見えず話ができない。
メキシコまで往路12時間余、復路14時間余は一人旅の気分だった。
ただし、トイレは温水洗浄機が付いていた。アルザスとドイツ黒い森ツアーはJAL直行便でこのときも温水洗浄機付きだったから、日本の航空機は日々改善されているのを実感した。続く
2011.10 長い道のりを超え「埼玉県東部地域振興ふれあい拠点施設=愛称・ふれあいキューブ」開館 フルページはホームページ参照
埼玉県春日部駅から歩いて5分ほどの好立地に「東部地域振興ふれあい拠点施設=愛称・ふれあいキューブ」が建っている(写真、外装に県産材を多用したユニークな外観も選定理由の一つ)。
さかのぼって、平成元年1989年、埼玉県は「地域産業文化センター」構想を発表した。まだ景気が好調なころだったと思う。県は、県内の東・西・南・北に拠点施設を構想したらしい。東部地域では春日部市に建設が決定した・・ほかは川口、川越、熊谷だったと記憶している・・。
ほどなく、基本構想策定委員会が組織された。第1回委員会で、私が座長に選ばれた。・・議論を重ね、基本構想をまとめて答申した。しかし、その後の経済環境の悪化で計画は頓挫し、知事の交代で行政全般が見直され、地域産業文化センター構想は中断した。20年以上前のことで、このときの記憶も記録も残っていない。
2007年、「地域産業文化センター構想」を発展的に引き継いだ「東部地域振興ふれあい拠点施設構想」が動き出した。
2008年、「東部地域振興ふれあい拠点施設構想(仮称)基本構想」を策定する委員会が組織された。私が座長に選ばれ、議論を重ねて、構想がまとまった。
2009年、埼玉県はこの基本構想をもとにして官民共同の事業計画を具体化し、東部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)整備事業について入札公告を行った。しかし、景気低迷が影響したのか、応募者が現れなかった。
同年、埼玉県は、公共施設単独整備事業へと見直しを行い、施設整備の基本コンセプト「『都市の森』の創造~埼玉県と春日部市が提案する未来建物~」を提示し、設計業務委託を公募型プロポーザル方式で選定する方針に切り替えた。
2009年、「東部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)設計業務委託公募プロポーザル」が公告された。同時に、設計業務委託業者候補者選定審査委員会が組織された。7者から応募があり、事務局による資格審査、1次審査ののち、審査委員会による2次審査で山下設計が最適案として選考された。
最適案についての審査委員会の評価
① 施設の配置及び機能性、デザイン、シンボル性
・線路側から館内の活動を見通すことができること、線路側に豊富な植栽を配置する考え方が示された。
② にぎわいづくりと緑化
・低層階に多目的ホールを配置し、屋外広場との一体的な利用が可能なにぎわいづくりの工夫が示された。
③ ライフサイクルコスト(LCC)、ライフサイクルCO 2(LCCO 2)の削減
・平面計画のコンパクト化、実績に基づいた実現性のある省エネ技術の採用、設計終了後の性能検証などにより、LCC の32%削減、LCCO 2の48%削減を確実な形で提案している。
④ 自然エネルギー、新エネルギー導入による啓発
・地下水位が高い現地の状況に注目した井水、地中熱などを複合的に利用した斬新な空調設備の提案がされている。
・太陽光など自然エネルギーの活用状況や環境負荷削減効果などを表示し、利用者に見えることで環境に対する啓発効果を高める提案がされている。
2011年、東部地域振興ふれあい拠点施設全体の包括的な管理運営を担う「東部地域振興ふれあい拠点施設指定管理者」の募集が行われ、指定管理者候補者選定委員会が組織された。10者から応募があり、・・埼玉ふれあい拠点運営共同事業体を候補として選定した。
2012年、知事サイドから親しみやすい愛称をつけると広く活用されるのではないかの提案があり、東部地域振興ふれあい拠点施設の愛称選定委員会が組織された。
・・全国から975件の応募が寄せられ・・商標登録を確認のうえ、愛称選定委員会で審査のうえ、3作品を候補として選定し、県知事、春日部市長により「ふれあいキューブ」が愛称として決定した。
2015年、指定管理者の契約期間満了に伴い、新たに「東部地域振興ふれあい拠点施設指定管理者」の選定を行うことになり、「指定管理者候補者選定委員会」が組織された。2者の応募があり、選定委員会でヒアリングを行ったうえ、審査項目ごとに採点をし、指定管理者候補者、次点候補者を選定した。その結果、埼玉ふれあい拠点運営共同事業体と契約された。
スカイツリーラインの車窓からふれあいキューブの特徴的なデザインを眺めるたび、構想の策定、設計業務委託者の選定、指定管理者の選定、愛称の選定にかかわる紆余曲折を懐かしく思い出す。雨降って地固まるとよく言われる。さまざまな出来事を乗り切るたびにしっかり根付いていくと確信する。ふれあいキューブが県民市民に活用され、産業振興、地域住民の活動・交流の起爆になること期待したい。
2018.1 渋谷で岡本太郎の「明日の神話」&新橋演舞場で新作歌舞伎「日本むかし話」
新橋演舞場の新作歌舞伎「日本むかし話」のチケットを購入した。
開演は4時半なので、ランチを久しぶりの渋谷で取ることにした。あちらでもこちらでも建設工事が進んでいて、記憶に残る街並みとは様変わりしているようだ。
予約したレストランは渋谷駅直結なので連絡通路を歩いていたら、巨大な=高さ5.5m、長さ30mの壁画に気づいた。
岡本太郎(1911-1996)のエネルギーがあふれ出している。タイトルは「明日の神話」で、水爆の悲惨を乗り越え、再生するたくましさがテーマだそうだ。このときは岡本太郎だと思いながらも、ランチの予約時間が迫っていたので、歩きながら眺め、通り過ぎた。
なんと、その後にメキシコツアーに参加し、世界遺産に登録されているメキシコ国立自治大学壁画の見学のとき、ガイドが、岡本太郎がこの壁画を描いたシケイロスの影響を受けた、岡本太郎はメキシコシティのホテル壁画を頼まれて1968-69に「明日の神話」を描いたが、ホテルが倒産して「明日の神話」が行方不明になった、などの話をした。
「明日の神話」はその後メキシコシティの倉庫で発見され、修復されて、2008年から渋谷駅の連絡通路に設置されたそうだ。・・・縁は不思議である。
ランチのあと、1階の商店街で夕食用の弁当を探した。いろいろな弁当屋さんが店を構えていた。おこわ米八は、5種類のおこわがあり、組み合わせることができるので、2種類のおこわを楽しめる弁当を購入した。
市川海老蔵夫人小林麻央さんは若くして息を引き取った。幼い子を残してさぞや無念だったと思う。その娘れいかちゃんが、新橋演舞場の新作歌舞伎「日本むかし話」に出演する話題がニュースで紹介された。ちらしには市川海老蔵宙乗り相勤め申し候、と記されている。新橋演舞場は動きがダイナミックで楽しめる。海老蔵、れいかちゃんの激励になればと出かけることにした。
一般チケット販売時間と同時にネットでアクセスしたが、手ごろな料金では花道側2階席後列しか取れなかった。花道の様子はモニターで鑑賞することになるが、舞台はしっかり見えるし、宙乗りは目の前で楽しめる。良しとしよう。
「日本むかし話」は宮本亜門氏の演出で、竜宮物語、桃太郎鬼ヶ島外伝、疾風如白狗怒濤之花咲翁物語、一寸法師、かぐや姫が演じられた。
海老蔵は自主公演で一つずつ演じてきたそうで、新橋演舞場では通しで演じるうえ、宙乗りにも挑戦することにしたそうだ。
れいかちゃんは子どものころのかぐや姫として登場し、台詞もよく通る声でしゃべり、場内をわかせていた。
鬼ヶ島外伝で、天から届いた不思議な石を守護神として海老蔵扮する赤鬼たちが平和に暮らしていたが、桃太郎の命令で家来の犬たちが不思議な石を盗み出す。
花咲翁物語では、海老蔵扮する犬シロが追っ手に追われるが、親切な老夫婦に助けられる。犬は不思議な石で貧しい老夫婦を助けるが、追っ手に見つかり、命を落とす。海老蔵=犬は宙づりになり、桜吹雪を散らしながら昇天する。場内は大喝采だった。
これからも新作、創作の新たな歌舞伎を期待したい。
book457 インフェルノ ヴィジュアル愛蔵版 ダン・ブラウン 角川書店 2015
ダン・ブラウン(1964-)の著作はすでに5冊読んだ。内容が深いし、展開も劇的で、読み応えがある。
ダヴィンチ・コードに始まるラングドンシリーズの新作がインフェルノだが、訳本が出た時点で図書館の予約待ちが3桁になるほどの人気だった。2016年に映画化されたので、先に映画を見てしまった。
ようやく図書館からインフェルノを借りることができた。なんと650ページ余のヴィジュアル愛蔵版だった。持ち運びには向かないが、物語の舞台や関連する資料、絵画、彫刻などの写真・図版が豊富に挿入されていて、映画に負けないほどの臨場感をつくり出してくれた。写真、図版のお陰で、フィレンツェ、ヴェネツィア、イスタンブルを旅行している気分にさえしてくれた。
映画は原作を下敷きに脚色されるが、インフェルノの後半は原作とは異なった展開になっていた。映画の結末もいいが、原作の結末の方がダン・ブラウンの問題提起が鮮明になっていると思う。
タイトルのインフェルノは、フィレンツェ出身でフィレンツェを追放された詩人・ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の神曲・地獄編に由来する。
ミステリアスな事件は神曲が鍵になっていて、宗教象徴学者ラングドンの本領発揮により一つ一つの謎が明かされていく。ダン・ブラウンはそれぞれでラングドンに神曲を解説させているから、神曲に疎くても謎解きについていくことはできる。
事件を仕掛けたのは、生化学者ベルトラン・ゾブリストである。ゾブリストは、地球での持続可能な人口は40億人前後と考えているが、現実には70億人に達しようとしている。ゾブリストは、WHO事務局長エリザベス・シンスキーに地球を持続するためには地球上の人口を減らさなければならない、そのため思い切った手を打つと警告する。
最終章で明らかにされるが、ゾブリストは生殖能力を奪う感染性のウィルスを開発し、そのウィルスを謎の場所に隠し、時限装置で発散させる仕掛けを作った。
ゾブリストは、大機構最高責任者総監に莫大な報酬を払って隠れ家を用意してもらい、極秘にウィルスの開発を進め、完成させて謎の場所に仕掛けた。
WHOシンスキーたちは、ゾブリストがウィルスを完成させたことに気づきゾブリストを追い詰めたが、フィレンツェのバディア・フィオレンティーナ教会の尖塔から、私が贈るのは未来、私が贈るのは救済、私が贈るのはインフェルノと唱え、身を投げてしまう。
話が前後するが、WHOシンスキーはことの重大さを知り、ゾブリストの身辺を監視して、フィレンツェの貸金庫から円筒印章を押収する。円筒印章を繰り返し振ると発電し、ダンテの神曲をもとにしたボッティチェルリの「地獄の見取り図」が投影される。
シンスキーは「地獄の見取り図」から読み取れるゾブリストの仕掛けを明らかにしようと、ラングドンに応援を頼み、フィレンツェへ飛ぶ。
ラングドンは、大聖堂付属美術館館長ブゾーニと円筒印章を調べ、ヴェッキオ宮殿に展示されているダンテ・アリギエーリのデスマスクが謎解きの鍵であること見つけた、らしい・・らしい、というのは後述するがラングドンが記憶を失ったためである・・。
大機構総監は、フィレンツェでラングドンがゾブリストの妨害をしていると判断し、大機構上級現地隊員ヴァエンサに阻止を命じる。
ヴァエンサは円筒印章を取り戻そうとラングドンを撃つが、外してしまう。
物語の始まりは、ラングドンがフィレンツェの病院で気がつくところから始まる。頭に銃で撃たれた傷があり、数日間の記憶が失われていた。
ラングドンはドクター・シエナ・ブルックスとドクター・マルコニーに手当を受けていた。そこへヴァエンサが現れ、止めようとしたドクター・マルコニーを撃ち殺してしまう。
シエナはラングドンを連れだし、自分のアパートに逃げ込む。記憶を失ったラングドンはシエナと、ラングドンの上着の隠しポケットの円筒印章の謎を解こうとする。円筒印章を振ると、ボッティチェルリの「地獄の見取り図」が投影された。地獄は9層から成り、第8の圏の10の壕にCATROVACERの文字が書き加えられ、右下に「真実は死者の目を通してのみ見える」と記されていた。
ヴァエンサの失敗を聞いた総監は、監視・対応支援チーム隊長ブリューダをシエナのアパートに派遣する。新たな攻撃から逃げるため、シエナは三輪バイクにラングドンを乗せて走り出す。
ラングドンは地獄絵の書き換えに気づき、CATROVACERをcerca trovaと推理する。チェルカ・トロヴァとは、ヴェッキオ宮殿五百人広間のジョルジョ・ヴァザーリによるマルチャーノ・デッラ・キアーナの戦いに記された文字である。
謎を解くためヴェッキオ宮殿に向かうが、検問が張り巡らされていたため二人はボーボリ庭園に入り込む。ここにも追っ手が迫る。二人は、ヴァザーリの回廊を抜けて、なんとかヴェッキオ宮殿に入る。
まだ記憶が戻らないラングドンに、ヴェッキオ宮殿職員のマルタが、昨日大聖堂付属美術館館長ブゾーニといっしょに来て、ダンテ・アリギエーリのデスマスクを持ち出したと追求される。
ヴェッキオ宮殿にもヴァエンサとブリューダたちが追ってくる。ヴァエンサは五百人広間の小屋裏に逃げ込んだラングドンを追い詰めるが、シエナに落とされ、墜死する。
ラングドンは、ブゾーニの最後の電話で知らせた「天国編第25歌」をヒントに、シエナとサン・ジョバンニ洗礼堂に潜り込み、ダンテのデスマスクを発見する。
そこには、ゾブリストが残したメッセージ「・・・・馬の首を絶ち 盲人の骨を奪った 不実なヴェネツィアの総督を探せ 黄金色をした聖なる英知のムセイオンのなかでひざまずき ・・流れる水の音を聞け・・・・」が記されていた。
ラングドンとシエナはェネツィアに飛ぶ。
大機構総監はことの重大さに気づき、ゾブリストの企てを阻止しようとシンスキーと連携し、ヴェネツィアに飛ぶ。
次の舞台はヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂、あとは読んでのお楽しみに。映画を見て結末の違いを比べ、ダン・ブラウンの意図と映画監督の意図を考えるのも一興である。