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気功6000年の歴史 その2(03~05)

2022-05-14 03:13:15 | 気功の話

気功の歴史

津村喬さんの整理された内容を

ご紹介

その2

 

 

十項目でわかる気功の6000年の歴史

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
03 丹田・命門等が発見とされ五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  随  
06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
08 劉貴珍北戴河療養院、陳濤上海気功研究所が現代気功の始まりになった  中国建国後
09 民間の気功が大流行になり、法輪功ではじけた。  2000年まで
10 健身気功が国の気功として作られた。  2004年以降

 

参考までに

気功6000年の歴史 その1(01~02)


ーーーーーー

 

 

03 丹田・命門等が発見され五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
 張仲景と華佗に代表される漢代の医科たちは気功の応用の範疇を大きくひろげた。
 張仲景は『金櫃要略』の中で気功による治療のメカニズムを詳しく説明した。その中で「丹田」「命門」などの重要概念の基礎が据えられた。
 華佗は「流れる水は腐らない。戸の枢(くるる)は虫がつかない」という思想で動功の大切さを説き、五禽戯を作り上げた。弟子の呉普はこれを実践して90歳を超しても耳目聡明で歯もすべて元気だった。惜しいことにそのままの形は失われ、後生さまざまな流派が華佗のやりかたを想像して五禽戯を起こした。
 馬王堆の墓から出た「導引図」「却谷食気篇」「養生方」などは当時の気功の発展状況を繁栄している。導引図の色の付いた布に書かれた44人の男女が体操をしているイラストが残されている。「却谷食気篇」の食気は呼吸法のことで季節に合わせた呼吸法や養生の知恵を書いている。「養生方」は気功養生の原則と方法を論じている。
 東漢の初年にインドから中国に仏教が入ってきて、気功にも大きな影響を与えた。仏教もまた気功から大きな影響を受けた。禅定を論じた『安般意守経』はさまざまなお経の中でも古代の気功ともっとも密接な関係がある。サンスクリットのアンナパンナの訳で「呼吸の出入りを念ずる」意味である。
 道教の系統では『太平経』『周易参同契』という二冊の大切な本が現れた。
 『太平経』は原始道教の経典で守一法とよばれる静功と五種の顔色を観察する方法などを説いた。
 『周易参同契』は魏伯陽が書いたもので仙学の分野を統括したものであり、『周易』を説明の道具として煉丹の過程を詳しく書いた。「万古丹之王」と呼ばれて内丹術の始まりとなったが、比喩・韜晦が多くて読むのは困難を極めるので、のちにたくさんの注釈書が出された。老子の読み方として最も有名な『老子河上公章句』もこの時期に書かれている。『淮南子』は西漢淮南王劉安が食客を集めて編集したもので古代の養生しそうも反映されている。ここには五禽戯と違う動物模倣が伝えられている。

 

 

04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
 魏晋南北朝とまとめて言われる時代。曹操と息子たちは気功の愛好者で大いに気功を広めた。曹操は華佗を幽閉してそのまま死なせたが、16人の気功師に動物模倣や呼吸法の授業をさせた。どんな食べ方をすれば長生きできるかという討論には曹操自身が参加している。息子の曹丕は気功による偏差について初めて記述している。
 この時期、三冊の本が出現して大きな影響を持った。
 ひとつは魏華存女史による『黄庭経』である。またその外景経は王羲之の手になるといわれる。『黄庭経』は人体の黄庭(庭も黄色も中央の意味。丹田、脾臓の意味)と各臓器には皆それを司る神々がいるとし、中医学の臓腑理論とそれを結びつけた。神々を存思ことで内臓を活性化する方法を提唱して、今日まで影響を与えている。
 晋代の医学者葛洪は『抱朴子』を書いて古代の気功の発展に大きく貢献した。葛洪は導引の作用は「まだ病気になる前に治療し、不和の気を通す」ことにあり、寿命を延ばすことができるとした。気功法の面では三つの大きな仕事をした。ひとつには胎息法であり、またひとつには『太平経』の守一法を発展させて、初めて明確に三丹田の理論を出したこと,また多数の動功功法を収集整理したことである。しかし不老長生につながる服食金丹についてはあいまいなものや誇張が多い。
 張湛の『養生要集』は晋代の気功養生学のひとつの水準を示している。養生で大切なことは一に心を散らさないこと、二に気を愛する、三に形を養う、四に導引する、五に言語を慎む、六に飲食に節度を、七に房室で乱脈にしない、八に俗世間に背を向ける、九に医薬、十に禁忌[タブーを尊重する]の十か条だとしたが五まで、あるいは八までは気功そのものと言ってもよい。精気神を守るために閉気法が大切だと考えていた。
 練功者が気を出すという外気はこのころ布気といわれていた。『晋書』には患者と向き合って坐り、一緒に瞑目しただけで患者が歩けるようになった例が書かれている。たくさんの人を救ったが報酬を受け取らなかったとある。内丹という言葉は許遜の『霊剣子』に初めて書かれた。
 南北朝時代の陶弘景は道教の理論家で医師でもあったが、『養性延命録』を書いた。気功は動静結合するが、静を主とする。服気療病篇では静功を導引按摩篇では動功を扱っている。静功については閉気法、吐気法、引気攻病法、六字訣を詳しく紹介している。動功はさらに詳しく、五禽戯、保健功など。黄庭経の影響もあり、それまでの気功養生の知恵を集大成したといってよい。 
 この時代にインドから達磨が来て少林寺に住んで大きな影響を与えたという伝説がある。長く坐禅をし、495年に嵩山少林寺を作ったとされる。

 

 

05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  隋唐五代 
 隋唐の時期の気功はいくつかの特徴がある。
◇医療の方面で広く利用されるようになり、たくさんの医学の名著が気功について書いていること。
◇伝統内丹術が勃興した時期であること。
◇気功の理論体系がかなりまとまったものになってきたこと。
気功の臨床応用に付いて
 大医署の中でやられた。この時代は導引の中に含まれる按摩療法が非常に重視された。政府の医学部門にも按摩科が整備された。当時の按摩科にはいまの「推拿」「気功」「整形」の三部門が含まれていた。
 隋唐の三大医典とされるのが『諸病源候論』『備急千金用方』『外台秘要』であり、どれも気功と密接な関わりがある本である。
 隋朝の太医令である巣元方の『諸病源候論』は610年に出された中医の病因・病機の専門書で、67部門1739 の病気を論じているが、その多くに薬だけでなく「養生法」を支持した。重複を除くと213種類の導引法が紹介されている。ひとつの症状について多い時は十数種の導引法を指定している。それは医学気功功法大全といってよい。[病名を確定した本として医学生が黄帝内系に次いで学ぶべき本になったが、長いことこの導引処方は軽視されてきた。最近になってその専門的研究が現れた]。『備急千金用方』も『外台秘要』もその内容を継承し採録している。
 孫思邈は偉大な医学家で道教学者であり、また「功高徳崇、造詣極高」と最大限の褒め言葉で呼ばれる気功家だった。『備急千金用方』は漢から唐までの医学の達成をふまえ、診断治療法から鍼灸、導引、按摩、養生の術まですべてを総括している。
 孫氏は修身養生の中で「性を養う」道徳修養を最も重視した。「およそ医師が治療する時は、必ず安神定志し、無欲で何も求めない境地になり、観音の大慈悲の惻隠の心を持ち、すべての人の苦しみを救うということでは、貴賎の別もなければ年取っているか幼いか、怨みがあるか親しいか、中国の人かよその国の人か、知性のある人かどうかを区別せず、みな同一平等に接する」と言っている。孫氏の気功は『諸病源候論』を継承しているほか、「調気」「閉気法」を主とする静功、「天竺按摩法」「老子按摩法」などの自己按摩法も詳しく紹介している。
 王燾于は752年に『外台秘要』40巻を出した。『諸病源候論』の養生導引法を引くとともに,若干の鍛錬方法を補充している。
 内丹術がさかんになった。
 内丹は外丹と一対の言葉である。歴史の中で少なからぬ皇帝や大臣が長生きのための丹薬を求めて中毒死したため、煉功することによって自分の中に「内部の丹」を生み出して防治疾病、延年益寿の効果を得ようとした。初めは内丹術の方法は比較的簡単で、胎息の基礎の上に意念導引を加えていた。唐末五代に鐘離権、呂洞賓という内丹の先駆者が現れたので、これを鐘呂派ともいった。内丹術の興隆によってそれまで重視されていなかった『周易参同契』が内丹の指導書として重んじられ始め、さまざまな解説が書かれた。
 気功の理論体系が発展した。
 この時期には社会の発展と科学の進歩を反映して、気功の基本理論体系に比較的大きな発展があった。
 『太清中黄真経』『太清調気経』『延陵先生集鍼灸服気経』などは内煉を主として呼吸鍛錬を重視している。また今で言う外気に当たる布気も論じている。今使われている気功の言葉はこれらの本で使われている。
 隋の智顗の『童蒙止観』[天台小止観]の気功理論体系への影響は極めて大きかった。気功の基本である調身・調息・調心はこの本に由来する。また練功中に出現する八触[八つの反応。練功の深まりの指標としての違和感]についても体験にもとづいて先駆的に整理している。

 

 

 


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