風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

どんぐりころころ

2015年09月15日 | 「詩集2015」

どんぐりの実が落ちていると、おもわず立ち止まってしまう。
それは一瞬のことだけれど、なにか貴重なものが落ちているといった感覚がよみがえる。

いまではもう拾うことはないけれど、子どものころ、夢中になって拾い集めたことがあった。集めたどんぐりは学校に持っていく。それが何かの原料になるということだった。
クラス委員をしていたぼくは、集まったどんぐりを、教材を収納する引き出しに保管する役だったのだが、どんぐりでいっぱいになった引き出しを、そのまま引っ張り出そうとしたときに、引き出しの底が抜けて教室中がどんぐりだらけになってしまったことがあった。
どんぐりの、あの瞬間の嵐のような氾濫を鮮烈に思い出す。クラスのみんなが面白がって拾い集めてくれたのだが、そのあと、どんぐりをどう処分したのかは一切憶えていない。

釘でどんぐりに小さな穴をあけて、笛にする。
どんぐりに爪楊枝を突き刺して、独楽にする。
どんぐりにどんぐりを当てて、友達のどんぐりを自分のものにする。
いずれも中くらいの楽しさだったけど、ポケットがどんぐりで膨らんでいく程度の満足感。子どもの遊びとはそんなものだった。一時期はとても大切な宝物のように扱い、やがて遊びの熱気が失せると、どんぐりは元のただの木の実に過ぎなくなって、打ち捨てられてしまうのだった。

どんぐりころころ、お池にはまったどんぐりは、その後どうなったのか。
いまでは誰も気にもしないだろう。
どんぐりの笛を作って鳴らしてみようかとも思うが、
きっと寂しい音しか出ないのではないだろうか。










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