風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

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2010年04月21日 | 詩集「紙のいのち」
Shio2


初潮という言葉と海とのつながりとかを
ぼんやりと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
私は学校へ行けなくなった


私は紙のにおいが好きだった
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子のにおい
襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いた


けれども紙の家は雨と風によわい家です
とても壊れやすい家です


紙の家を破いて
とうとう弟も家出した
弟のへやの壁に穴があいている
ぬけ殻のように自分のかたちを残していった
威張っていたけれど小さくてかわいらしい穴だ
壁穴のむこうには何もない
弟には何かが見えたんだろうか


弟があけた壁穴のそばには
きょうだいで画いた古い落書きがある
子どもがふたり手をつないで立っている
目と口の線が笑っている
しあわせを表現することなんて
しあわせになることよりもずっと易しい


台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父も帰ってこなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
私たちを捨てたということだろう


残ったのは祖母と私だけになった
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母は私を愛していると言う
私は祖母を愛していないと思う
このところ祖母はほとんど言葉を失って
もう私たちに通じあう言葉がない
猫のようによく眠る祖母は
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
私にはもう涙も残っていないから
しずかに死ねる年寄りはしあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
私は若いから苦しい


弟のぬけ殻の穴を
私は毎日すこしずつ広げてゆく
壁穴のなかの青い空
切り取られた空は水たまりに似ている
水たまりは湖になり
やがて海になるかもしれない
深い茫洋のそとへ
私は紙の家をすててダイブする
あかい血があおく染まり


そのとき私は
初めての潮になる


(2005)



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