風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ノルウェイの森へ(2)

2021年04月20日 | 「新エッセイ集2021」

 

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前回(1)からの続き

ここでいきなり最終章へとぶね。
「僕」の下宿の庭で、レイコさんと直子のお葬式をするシーン。
ぼくはこのシーンがとても好きだ。心にあいた暗い穴に、ローソクの灯が一本一本ともっていくような気がする。この小説におけるクライマックスではないだろうか。
レイコさんが療養所を出られたのは、あなたと直子のおかげよと言う。そして、直子との最後の夜のことを語りはじめる。

直子がレイコさんに最後に語ったのは、一度きりの「僕」とのセックスのことだった。その時のすばらしかったことを仔細に語ったという。それは直子にとっても、生きていることの実感と愛することの喜びを感じた、彼女の人生の頂点だったんだね。
レイコさんが、そんなに良かったんならずっとワタナベ君とやってればよかったのに、というと、直子は「何かの加減で一生に一度だけ起こったことなの」と答える。直子はすでに、自分の体が死に向かっていることを悟っていたんだろうか。

そして、きみが理解できなかったという、レイコさんと「僕」がセックスするシーン。
ぼくはセックス(性)という言葉を、生きるという言葉に置換してみた。直子が一生に一度と表現した、あのときの真に生きた感覚を、直子はレイコさんにバトンタッチしたのではないだろうか。
直子の唯一の遺書が「洋服は全部レイコさんにあげて下さい」と、たった一行のメモ書きだった。その洋服を着て、レイコさんは「僕」に会いに来る。そのときのレイコさんは、生きつづける直子ではなかっただろうか。

「かつて僕と直子がキズキという死者を共有していたように、いま僕とレイコさんは直子という死者を共有しているのだ」と「僕」は考える。
レイコさんはこれから北海道に渡って、今まさに新しい生活を生きようとしているところであり、「僕」は緑との新しい生活を始めようとしているところだった。
「僕」と直子との愛は、このような形で新しく引き継がれていったのだと、ぼくは考える。

以上、ぼくなりにきみの拘りを解釈してみた。
独断にすぎるかもしれないけれど、こういう読み方もあるのかと理解してもらえたら嬉しい。
あと、緑のことや東大生の永沢のことなどにも触れたかったが、長くなってしまったので、またこんど機会をみて、きみと語り合いたい。

 

 

 

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