
奈良の飛鳥を歩くと、いろいろな石たちが謎かけをしてくる。
石舞台、酒船石、亀石、猿石、鬼の俎板、鬼の雪隠など、その命名にも謎が含まれているが、今もなおスフィンクスのように、千年をこえて深い謎を投げかけてくる。
石舞台古墳を初めて案内してくれたのは、友人のH君だった。
その頃は田んぼの中に、とてつもなく大きな石がただ積まれてあるだけだった。
なんであんなものが、あんなところにあるのだという驚きは、容易に解かれることのない、飛鳥という古い風土そのものの巨大な謎の塊りのようにみえた。
石舞台古墳は、『日本書紀』の記述や考古学的考察から、蘇我馬子の墓だという説もあるが、真相は未解明のままらしい。
この石の舞台で、狐が女に化けて舞いをしたとか、この地にやって来た旅芸人が、この大石を舞台代わりにしたとか、そんなH君の話の方がしっかりと記憶に定着していて、今でもぼくの幻想は広がりつづけている。
そのとき彼は、あの石の舞台に立って大声で歌いたいとも言った。きっと声楽への強い野望があったのだろう。そのころ、彼は専門の先生についてベルカント唱法などを学んでいたが、飛鳥の舞台に立つことはなく、若くして自ら石になってしまった。
変わらぬ石の舞台の前では、ぼくは今もなお観客にすぎない。
ぼくには胸を張って演じられるものなど何もないのだ。
早逝した友人と、だらだらと生きつづけている自分と、このような人生の差異も謎といえば謎だといえる。ぼくにとって奈良の石の舞台は、あいかわらず謎の舞台としてありつづけている。
日常生活を送りながら、自分の内や外にさまざまな謎を抱え、解こうとしてもなかなか解くことができないことがある。
ぼくの謎など、たぶん取るに足りない小さな謎だろう。そんなとき、もっと巨大な謎の前に立ってみたい欲求にかられることもある。
ときどき飛鳥の石たちに呼び寄せられるのは、謎が謎のままに残るという不思議な世界で、大きな安心感に浸れるからかもしれない。