風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ホタルブクロは記憶の袋か

2022年06月12日 | 「詩エッセイ2022」




すっかり夜になって ふたたびハンドルを握る 小さな町を過ぎ温泉地を過ぎると 明かりもない高原の道になったが まっ暗で雨も激しくなったので どんなところを走っているのか 見当もつかないまま走り続ける ワイパーで打ちつける雨をかき分け 見にくいヘッドライトで 闇を探りながら走っている この道は初めてではない 昼間であれば 広い高原の中を縫いながら 一本道を快適に走っているところ だがいまは雨の中を もがきながら走っている すれ違う車もなく いつ果てるともしれない 暗闇の道路が続いていて 視界にあるのは細い路面と えぐられたような土手 丈の低い高山性樹木の茂みだけ まるで灯りのないトンネル ところが そのような視界の中を 走り続けているうち この単調な映像に すこしずつ色彩が滲んでくる ヘッドライトに照らし出され 崩れた土手に露わになった黒土 夜の闇よりもさらに黒い その映像は 古いスライドを見るように 記憶の底から浮かび上がってくる 手で触れると 指の先が真っ黒になり 洗ってもなかなか落ちない きめの細かい黒土の感触まで 指の先に伝わってくる ああ帰ってきたのだ 土と灰の匂いのする土地に 火山灰が降るところに 運動靴を汚しながら 駆け回った野や山に かつては山が 噴火する地鳴りで目をさまし はるかな噴煙を眺めながら 自転車を走らせた下校の道 それは楽しく晴れやかな映像ではないが 悲しく暗いものでもない だが胸を押し上げて膨らむ思い 懐かしい土との出会い そのときなぜか 白いホタルブクロの花が 闇の奥からぽっと現れる あれは花なのか虫なのか この地に初めて住んだ6歳の少年が 初めて目にした不思議なもの その花の名前を知って さらに神秘なものとなって 記憶の土手でいまも咲き続けている あの不思議な白い花は 記憶のフクロかもしれない その中にあるものは 夏の夜のホタルの 光の瞬きだけではない スギナの露のにおいや おたまじゃくしやどじょう 芹や嫁菜やタニシ 幽霊やひとだま 少年の小さなホタルブクロに それらはいちどにどっと 詰め込まれたままで 思い出したいことや 思い出せないこと たまに出てきたりこなかったり じれったいがやはり おまえは花のままで いつまで袋のままで 閉じこめているのか 虚ろな姿をしているが いつも俯いているので 覗くことはしなかった 


 

 

 

 


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