風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

紙のイメージによる詩2編

2016年05月15日 | 「新詩集2016」

  紙のおじいちゃん

おまえに綺麗なきものを着せたったら
紙人形のように可愛いやろなあ
そんなこと言うてはったおじいちゃん
いつのまにか
紙のおじいちゃんになってしまはった

あれは風のつよい日やった
中学生やった私は下校の途中で
なんや空の方からおじいちゃんの声がしてん
ひらひらひらひら
凧のようなもんが街路樹に引っかかっとってん
そんなとこでなにしてはんの
おじいちゃんすっかり紙になってしもうてた

こんなに平べたになりはって
こんなにわやくちゃになりはって
私のリボンよりも軽いやないの
かなしいて悔しいて
紙のおじいちゃん
涙で溶けてしまいそうやった

あんなに背筋がまっすぐやったのに
おじいちゃん
朝は5時には起きだして
公園をぶらぶら
バイクを解体するヤンキーと喧嘩したり
ランドセルの小学生をからこうてみたり
啓蟄や夏越や彼岸花やゆうて
蜻蛉みたいに季語を追いかけてはった
おじいちゃん

それやのに
ただの白い紙になってしもうて
もう五文字の言葉もでてきいへん
七文字の言葉もでてきいへん
言葉をどこへ置いてきはったん

なんもかもぜんぶ
おばあちゃんが持っていかはったんやろか
おばあちゃんもとっくに
紙くずみたいになりやって
おじいちゃんが必死になって探したんやけど
終いにはなんも残らへんかった

生きるんかて死ぬんかて
最後はぺらぺらのもんや言うて
やたら紙をちぎりたおしてはったけど
おじいちゃんの体が
だんだん軽うなってしもうて
あれから

おじいちゃんは紙の眠り
おじいちゃんは紙の目覚め
すっかり紙にくるまれてしもうて
おじいちゃんはぺらぺら
もう紙のいのち

おじいちゃん
風の日はそとに出たらあかんえ
雨の日もそとに出たらあかんえ
あした私は
白無垢の紙人形になって
この家を出てゆくけれど


*


  ペーパーホーム

初潮という言葉が
海の言葉みたいなのはなぜかしら
などと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
わたしは学校へ行けなくなった

わたしは紙のにおいが好きだった
ノートのにおいとか
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子や襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いたことがある

けれども紙の家は
雨にも風にもよわい家でした
とても壊れやすい家でした

紙の家の
壁に穴をあけて
弟もとうとう家出した
あんなに威張っていたけれど
穴は小さくてかわいいぬけ殻みたい
その穴のむこうに
なにが見えていたんだろうか

台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父もいなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう

残ったのは祖母とわたしだけ
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母はわたしを愛しているという
わたしは祖母を愛していないとおもう
祖母はほとんど言葉を失って
もうわたしたちに通じあう言葉がない
猫のように眠ってばかり
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
しずかに逝ける年寄りは
しあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
わたしは若いから苦しい

弟が残した壁穴が
だんだん大きくなってゆく
青いしみのような空がみえる
小さな空は水たまりに似ている
水たまりは池になり
やがて海になるかもしれない

もうすぐ
紙の家をすてて
わたしも茫洋のそとへダイブするんだ
あかい血があおく染まる

その時わたしは
初めての潮になる






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