風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

16歳の日記より(7)メガネ

2021年03月11日 | 「新エッセイ集2021」

 

kは強度の近視だ。彼のメガネのレンズは無数に渦巻が入っている。その渦巻の中心で彼の目は小さく萎んで見える。視力が弱いせいか彼の動作は愚鈍で、お爺さんという不名誉なあだ名をもらっている。だが彼はさほど気にしているようにはみえない。
体育の時間、皆は面白がって彼を目がけてボールを投げつける。彼は受けようとして両手を出すが、その時はすでにボールは彼の顔面を直撃している。それでも彼は笑っている。彼の度の強いメガネを通すと辛辣な言葉や行為も、その視覚と同様にぼやけてしまうのだろうか。愚鈍なのは彼ではなく、彼の視力であり、度の強いメガネのせいなのかもしれない。
僕はときどき彼の眼鏡を借りたいと思う。僕の視力は両眼とも見えすぎるくらいに良い。だから投げられたボールを見失うことはない。僕の両手はしっかりとボールの行方を追って行く。僕がボールを捕り損ねるのは僕のテクニックが劣っているからにすぎない。だが、そのことに僕はたいそう傷つかなければならない。僕の失敗をあざ笑うような多くの眼を、僕はしっかりと受け止めてしまう。僕のいやな習性が、彼等の嘲笑の深さをそれぞれの眼の色に読み取ろうとする。そんな自分がいやで仕方がない。僕が日常生活に無関心を装っているのは、僕自身の心の葛藤を隠したいからでもある。
僕は勝手な夢をみる。夢の中で僕は、Kのような度の強いメガネをかけている。
僕を取り巻くまわりの視界は全てぼやけている。まわりがぼやけているということは、僕自身の存在もぼやけていることだと認識する。一つ一つの事物も風景も全てオブラートにくるまれている。そして僕自身もオブラートにくるまれている。もはや、まわりを傷つけることもないし、まわりから傷つけられることもない。どんな厳しい視線も、どんな嘲罵の言葉も、柔らかく跳ね返し、あるいは柔らかく吸収する。僕は繭のように自分の世界に固執し、少しずつ自分の世界を育てていくことが出来る、ような気がする。
またあるときは、僕は一匹の蛾になっている。
僕の体はもはや僕自身制御できない。僕の体はふわふわと軽くなって浮き上がる。部屋の天井に押し上げられ、やがて窓の隙間に吸い寄せられ、家の外へと飛び出していく。そして中空へ、何もない空へと浮遊しはじめる。もはや自分の体ではない快さで、翅になった両手を揺さぶっている。

 

 

 

 

 

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