A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

次世代テレビ放送はどうなるか? (6) デジタル時代のコンテンツとコンテナと関係は?

2011-08-10 | Weblog
自分が仕事でIT関連に携わり始めたのは、ちょうど昭和から平成に代わった頃。いわゆるバブルの真最中であった。「社内システムの再構築」という大プロジェクトに参加した時からだった。それまでは、大学こそ理系であったが仕事は現場のマネジメント。システムとは遠い「アナログの現場仕事」の場所だった。当時、バブル時代は企業の収益にも余裕があったので、プロジェクトをスタートするにあたっての調査や視察には大判振る舞いで予算があった。おかげで色々勉強させてもらった事が、個人的にも今残っている「資産」である。今のように経費をひたすら切り詰め、目先の利益ばかりを追うようなマネジメントでは、俯瞰的に物を見る機会も無く、企業の中で人材が育つことはないだろう。

そんな時代に、あるセミナーに行った時に資料が配られた。4枚の図版であったが、内容は「20年後のITの世界を予測する」というようなものであった。それから丁度20年が過ぎた、まさに今の時代を予測した資料であった。出展はハーバードビジネススクールであったように記憶しているが、実はその4枚の資料が、自分のそれ以降の仕事のバイブルになった。大事にデータにしてとっておいたが、昨年ハードディスクのクラッシュと共になくなってしまった。丁度、現役を退くタイミングでもあり、結果の入り口を見届けた直後でもあり、何かの節目だったのかもしれない。

その内容は、世の中のデジタル化の進展の俯瞰図であった。当時1990年を基点として10年前の1980年はどうだったか、そして現時点1990年はどうか、10年後の2000年はどうか、さらに20年後の2010年はどうかという構成であった。変化の激しい時代の20年先はどうなるか分からないということをよく聞くが、その資料に描かれていた20年後は概念であったが妙にリアリティーのある絵姿であった。そして、今その絵を思い出すと、世の中はその通りになりつつある。世の中で予想は当たらないというのはギャンブル位で、人口予測、技術予測の類は確実に予測どおりになっている。特に技術の場合は進化の度合いが幾何級数的なので、スピードを増して劇的に変わる。20年前まだパソコンが一般的ではない頃、100Mのハードディスクは貴重品だった。今やメガからギガを経てテラのオーダーに入っている。

1980年に始まる第1期のデジタル化とは単品のデジタル。
我々は俯瞰図をみながら「島のデジタル」と言っていた。まさにレコードがCDに替わった時代だ。この間で、世の中の多くのメカニック物がデジタル物に替わっていった。メーターや時計のような小物から、最後はカメラ、コピー機、自動車部品の類まで。ひとつひとつが確実に。でも、世の中のビジネスモデルは大きく変わることはなかった。レコード屋の商品棚がLPからCDに替わっただけだ。自動車も電子部品だらけになったが、自動車は自動車だ。ただし、メーカーでは機械工学に長けた技術者は仕事が無くなっていった、反対に引張凧になったのは電子工学のエキスパート達だった。いわゆる「物づくりの伝統」もこの流れともに消えていった。

単品のデジタル化が進むと。次に起ったのは複合化だ。デジタル化された機器は機能の共通化がやり易い。いつの間にか、オフィスにバラバラに置かれていた、コピーとファックス、そしてプリンターはひとつの筐体に収まるようになった。個のデジタル化の進化の結果である。今の携帯電話には一体いくつの機能が収められているのだろうか?電話はもちろん、時計、万歩計、メモ帳、予定表、辞書、地図、メール、インターネット端末、財布・・・・など限りがない。昔はそれぞれアナログの道具でかばんやポケットに入れて持ち歩いていたものが、今では手のひらにすっぽり入る端末にすべて集約されている。デジタル化による個の道具の究極の複合機だろう。図版上では、点の商品やサービスが「大きな島」になるように表されていた。隣り合っていた点がいつのまにか小さな円に変わっていった。

1990年代の中頃から、現在に至る間に急激に成長したのが「デジタルネットワーク」である。これを我々は「島のデジタル」ではなく「大陸のデジタル」と呼んでいた。離れ小島に住んでいる人の日常生活は島の環境の制約を受ける。ところが他の島との移動手段ができ、本土とも繋がると島の生活も一変する。そして、橋やトンネルで結ばれてしまうと、そこはもう島というのではなく、地続きの本土の一部になってしまう。
デジタルの世界も全く同じで、単独の機器がいくらデジタル化してもそれは単体の機能が便利になるに過ぎない、しかし何らかの手段で外と繋がるとその機能は爆発的に進化し変化する。点在していた小さな点や、できたての円が統合されて色々な形の面が現れる。
丁度この期間に合わせるように登場し進化したインターネットの普及と引き続き起ったブロードバンド化が、「島のデジタル」から「大陸のデジタル」への変化をさらに後押しすることになった。

このように「単品のデジタル化」と「デジタルのネットワーク化」は相互に関連はするが、全く別の物として捉える必要がある。何故ならば、「大陸のデジタル」のビジネスモデルは既存のモデルを根底から変えてしまうからだ。レコードがテープやCDになっても、街のレコード屋は生き残った。もちろん大型店への集約や通販の台頭ということは起ったがメディアを売るという商売は変わらなかったからだ。しかし、音楽の提供方法がネットワークを経由するダウンロードサービスやオンディマンドサービスになると、街のCDショップは規模が大きくても小さくても不要になる。これが、ネットワーク化の怖さだ。
国の施策もいつの時からか「IT」から「ICT」に変わっている。このC= Communicationが加わった事がネットワーク化を意味している。

この資料にもうひとつ大事な切り口が図解されていた。IT関連のビジネス、サービスを、「コンテンツ」と「コンテナ」の2軸に分けて図表上にプロットされていた。鉄道に例えればコンテンツとコンテナとは貨車と荷物の関係だ。さらに区分すれば貨車とは、貨車本体、それに載せるコンテナボックス、さらに貨車の走る線路に分かれる。荷物を捌くコンテナヤードも重要な機能だ。要は荷物の移動に必要な移動手段全体がコンテナになる。ビジネスを考える上ではコンテンツビジネスをするのか、コンテナビジネスをするのかをまずははっきりさせる必要がある。アナログ時代には、コンテンツはコンテナに組み込まれて固定化されて切り離すことができなかった。このコンテナを取り扱うことがコンテンツを扱うというように思い違いをしていた。街のCDショップは今までコンテンツとしての音楽を売っていたのではなく、音楽の入ったコンテナとしてのCD盤を売っていたということだ。同じようにアマゾンの倉庫も、宅配便業者も今はコンテナビジネスをやっているということになる。コンテンツが紙に印刷され束ねられた物が新聞や雑誌になった。しかし、デジタルになるとコンテンツだけを簡単に切り離すことができる。残された紙の束は無用の長物になってしまった。

これまで、デジタルテレビ放送についての入り口の議論として、放送波かCATV回線かの課題を述べたが、これはコンテナの一部、番組の提供方法いわゆる「伝送路」についての問題だけだ。視聴者にとってはテレビを見ることができれば、その裏側は何の線に繋がっているかは実はどうでもよいことなのだ。地上波テレビ放送はコンテンツビジネスなのか、コンテナビジネスなのか、あるいは両方なのか、従来のモデルが終焉を迎えようとしているのに、この辺りの整理もまだついていないように思う。「大陸のデジタル」にテレビ放送が投げ込まれた時それはどうなるか?の答えが必要だが、それはゴールから想像すればそれほど難しい話ではない。実は整理がついていないのではなく、現状から類推すると自分たちの今の存在が無くなってしまうから整理を躊躇しているだけなのだと思う。
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