gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

サングラス

2015-12-17 09:55:37 | 日記
先日、野坂昭如さんが亡くなった。野坂さんはかなりの照れ屋だったのではないかと想像している。サングラスを常用している人の大半は照れ屋だと思っている。タモリさん然り、内田裕也さん、かつての石原裕次郎さん然りである。裕次郎さんは映画の撮影中もアルコールを呑んでいたという伝説があるが、それも照れ隠しだったのだろうと思う。
私も長い間、サングラスを愛用している。左目の眼球が左に寄ってしまっていて(脳梗塞の後遺症の1つらしい)、それを隠すのが第一の目的だが、もう1つ、子供の頃から、強度の「まぶしがり屋」である。たとえば家人と夜中に車に乗っていて、対向車のライトをまぶしいと感じるのは私だけで、家人は平気で運転しているという具合だ。自分が照れ屋あるいは恥ずかしがり屋であるかどうかはわからない。歳をとってからはサングラスをかけたまま病院で診察を受けていて、それがドクターに失礼にはならなくなった。最近使っているのは高級品であって、これは家人の妹の遺品なのだが、弦の部分を修正して、充分にサイズは合う。レンズは薄いグレー、弦は金色で、前の方に刻印の文字があるが、小さくて読めない。もしかすると、18Kかもしれぬ。野坂さんの棺にはサングラスと原稿用紙とペンが入れられたそうだが、私の場合も(体にウィスキーをかけてもらうのは家人に頼んであるので)サングラスをぜひ入れてほしいと思っている。

赤穂浪士

2015-12-17 09:49:25 | 日記
松の廊下で刀を抜き、無抵抗の吉良上野介を切ったのは浅野であり、それは傷害罪もしくは殺人未遂の犯罪であって、処罰されるのは当然のことである。上野介は単なる被害者に過ぎないのだから、無罪放免はあたりまえ、また翌年の吉良邸討ち入りは集団テロだ。上野介はテロに殺されたわけだ。 という、『忠臣蔵』についての解釈があって、これは吉良の地元では多くの人に語られているそうだが、私にその話をしてくれたA先輩も、やはり上野介の肩を持っていて、そのことになると多弁になった。
文藝春秋の12月号の伊集院静さんの連載のページに、大石内蔵助が討ち入りの前日に書いた手紙が紹介されている。 宛先は赤穂の寺の和尚達。達筆に過ぎて私には内容は読み取れないが、二月十三日という日付と、内蔵助の署名と花押ははっきりとわかる。これだけ誤字も失筆もないのは、内蔵助という人物が、頭脳明晰、沈着冷静であったことの証と書いているが、写真を見る限り、その通りだと頷ける。
今日は12月14日。兵庫県赤穂市では、義士祭が行われているだろう。この300年前の出来事については、多くの作者が書いているが、いちばんおもしろいのは大仏次郎さんの『赤穂浪士』で、それについては以前に述べた。