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甘える(2)

2010-07-17 16:16:09 | 日記
子供だって、誰に甘えればよいかを知っているのだから、オトナはその何倍も甘え方を知っている。たとえば、私は腰痛を理由に家人と娘に甘えながら生活しているが、私と同様に(あるいはそれ以上に)体に不自由を抱えながら、誰にも甘えず(手を借りることなく)生きている人はいるはずだ。病院にいても同じで、私は、オペの翌日以外は、病室の窓まで(といっても2,3メートル)の歩行は、ラクではないが不可能ではなかった。それでも私は、看護婦さんを待った。「すみません、そこの窓を10センチほど開けてもらえまえんか?」「はい、10センチですか。新しい空気を入れましょう」といった会話も欲しかった。 信州浅間温泉の、或る宿に、『伊那乙女 ひとり連れて帰りたや』という吉川英治さんの文が石に刻まれて風呂場にあるが、『白衣の娘(こ) ひとり連れて帰りたや』の気分になるのが、看護婦さんへの甘えだった。甘えの対象は人だけではなく、空気(場の雰囲気)に対してもあると思う。 菅直人首相は、鳩山・小沢退陣→自らの支持率アップの空気に甘え、なんでもできるぞと驕って、「小沢さんは静かにしていて」「消費税云々」を言い出したのが行き過ぎで参院選で大敗した。 首相就任のときに誰かが、「勝ってなお緒を締めよ」の意味をこめて、カブトを贈ればよかったのではないか。 どうですか? 枝野幸男さん、菅伸子さん。

甘える

2010-07-16 08:16:20 | 日記
幼い頃、3人の兄(正しくは叔父:父の弟達)がいた。いちばん上のA男(17歳上)にはよく剣道を教わった。私の目的は、金属の刀身のはいた刀を買ってもらうことだった。もちろんオモチャなのだが、それまで持っていた刀は、刀身が木製だったので、どうしても金属モノがほしかった。剣道の慶子に、私はワザと木製のオモチャを使い、負けそうになると「だって、これ、ホンモノじゃないやんか」と口をとがらせ、それが奏功して、ついにA男は、祖母の財布から5円を抜いてホンモノを買ってくれたが(前にも書いたが、その頃我が家にいた女中さんの月給が年齢×1円であったことを考えると)ちょっとした値段である。 その下のB男は、単身上京して(当時の我が家は兵庫県芦屋市)慶應義塾に学んでいて、夏冬の休暇には帰ってくるが、なんとなくとっつきにくい印象だった。3番目のC男(12年上)は我が家系では抜群の器用人で、「ウチの庭に砂場とブランコがあったらええのになぁ」と言うと、次の日曜日には、それを作り始め、更に1週間経つと、砂場とブランコが完成しているということがあった。 もう1人、A男・B男・C男の下にD子姉(8年上)がいて、彼女には、私が大人になってからも世話になった。前にも少し書いたが、昭和30年代の前期、D子の収入より私のそれが上回っていても、背広の仕立て代を払ってもらっていた。 すべては、私の甘えであり、しかも、誰にどう甘えればいいかを考えて(こずるい)計算があったと思うが、ここは、その私をゆるしてくれた兄貴・姉貴の度量だろう。 私もそのお返しをする年齢になった。いや、とっくになっている。 家族に甘えている毎日が、他の感謝を忘れている気がする。

入院メモ(こぼれ話)

2010-07-14 09:12:32 | 日記
入院2日目に、「婦長のXXです、よろしくお願いします」と、35,6歳とおぼしき美人(マスクをかけていないので、この評価は正しい)が挨拶に来た。以後、退院の今日まで17日間、美人婦長の顔をみたことがないが、なぜだろう。普通、院長回診(1日おきにあった)には婦長がついてくるよなぁ。 廊下を挟んだトイメンの列の3ツ先の4人部屋に老爺が4人いて、中の一人が明け方(午前4時頃)から奇妙な唸り声を発するので、私はチリ紙で耳栓をして凌ぐが、同部屋のほかの3人の苦痛や思うべし。 よく事件が起きないなぁと感心する。  「この部屋が最高!」と、何人かの看護婦さんに誉められた。昼間のクーラー設定温度は24.5度で、窓は20センチほど開けてある。香りにこだわる長女がファブリーズなど2種りうの香料を置いてくれているので、サワヤカ感充分。  毎日、若い(しかも複数の)娘さんと触れ合う(雑談する、種々のサービスを受ける)なんてことは、私の体力では(もう酒場に行くパワは無い)ありえないが、入院生活にはそれがある。入院管理費(サービス料の如きもの)5,000円はもしかすると高くないのかもしれぬ。  ま、何はともあれ7月13日午前、我が家に生還した。 出迎えは長女で、車椅子で病院の玄関まで行く途中に笑い出し、「タイヤがパンクしそう!」と言う。私の体重プラス荷物(私のヒザの上に、枕やクッション、あれやこれやがある)で、かなりの重量になったようだ。 ちょうど玄関前には人待ちタクシーがいて、同じ町名の3丁目違いの我が家に生還。 まずは手足が150%伸ばせる蒲団に横になる。

7月12日

2010-07-12 21:46:55 | 日記
午前2時に一度目が開き、次の目覚めは4時半頃かと思ったら、その通りになった。 まずラジオをつけ、テレビでサッカー中継を探すと、NHK教育でやっていた。選挙結果とW杯決勝の両にらみだが、前者はすぐに、民主敗北、自民は意外な改選1位、みんなの党は予想通りに躍進とわかって、サッカーに集注。  PK戦にもつれこむ寸前、延長後半の11分、スペインのゴールが決まって結着。  朝の腹部チェックで、A医師が、「もう一度CTを撮って、その結果で(明日の退院を)決めましょう」と言う。CT撮影は正午から、それをA医師が見て・・・競馬の写真判定で、ヨシ!とヒザを叩くときと、チェッと舌打ちをするときがあるあ、私は比較的、写真に強く、勝率は8割に近いのではないかと思うが、果たして今日のCT写真判定の結果は・・・。午後3時になって、Fさん夫妻が見舞いに来てくださる。家人がF夫人とコーラス仲間で、そのお付き合いが広がって、私のペインクリニック通いをF氏に車で手伝っていただいたりするようになった。 いわば、新・ご近所交際の仲である。  Fさん夫妻と入れ替わりにA医師が、明日の退院OKを告げに来てくれた。やはり、私は写真判定に強かった。  その前、昼休みの時間に、次女が顔を出した。仕事に使うちょっと変わった作文を頼みに来たのだが、この作文が難しくておもしろい。  明日は1杯の水割りが呑めるか(A医師の許可あり)> 食欲は、冷たい稲庭うどん+鯵フライを求めているようだ。 そうそう、シャワーOKなのもありがたい。 それに、12時間の睡眠もほしい。 

雨期と夏の間に(入院メモ)

2010-07-12 21:28:24 | 日記
入院して2日目だったか、福島の友人から電話があって、家人が私の入院を伝えると、「ああ、やっぱり」と呟いたそうで、それがよくわかる。 私も友人知人の誰彼に電話しても留守続きだったりすると、病気・入院を疑ってしまう。 特にその人に癌のオペなどの経験があったりすると尚更で、ま、トシをとるとみんなそんなものだろう。しかし、私のブログが途切れたことで、心配して連絡してくれる友人がいるというのは嬉しく、ありがたい。 A医師が回診で、「来週初めには退院できるでしょう。お約束はできませんが」と言う。 A医師は発言に慎重なタイプである。仮に120万円のボーナスを支払う見込みがあっても、「そうですね、ま100万円はいけるかもしれません」と従業員に伝える性格で、我が家では家人がこのタイプだ。一方、長女は「150万はムリかもしれないけど、100万ポッキリなんてことはない」と、風呂敷の大きい方だ。私と次女は少々ズルく、「ボーナスはフタを開けてみないとわからないところがおもしろい」などと、数字は伏せるのではないか。 退院の例で言えば、1日半前になって「あさって帰れますよ」と言うだろう。  娘が2人揃って顔を見せてくれた。長女が休み、次女が営業外出途中の昼食休憩の時間だそうだ。姉妹の連絡は毎日のメールがほとんどで、顔を合わせることは少ないようだ。私を元気づけるためか、2人ともよく喋り、確かにそれを聞いているだけでも頭が軽くなる。 それに、今日のヤミ食(家人の差し入れ)は、トンカツとタマネギの玉子とじ煮(つまい、カツ丼の屋根の部分)だから、更に元気になる。  (7月9日)