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酒を買う

2020-06-21 16:21:54 | 日記
サラリーマン時代の同僚M君と電話で話していて、酒のことになった。M君は私より7つ若く、まだ仕事をしていた。内容はコンクリートの選別といったようなことで、私にはわからないが、彼は工業高校の出身だから、70歳を過ぎても何か技術的なことがわかるのだろう。1日3時間ぐらいの軽労働であるようだった。「酒を自分で買わないと」とM君が言った。その気持ちがよくわかる気がした。毎晩の酒を年金で呑むのと、自分で稼いだ金で呑むのとでは味が違うのだ。年金は家の金である。家計簿の金である。金銭に色はついていないが、女房の前でゆっくりと一升瓶を傾けるには、自分で稼いだ金がよい。それにM君はかなりの呑ん平なのだ。

我が家にはサントリー角壜の買い置きがある。1.8リットルの大壜だ。これは家人が買ってくれているもので、いわば何かの時のためのストックだ。私が毎晩呑むのはスコッチで、これはM君同様、自分の金で買う。銘柄はホワイトホースとジョニ黒だ。前から書いているように、私の酒量は雀の涙、蟻の涙である。家人に角壜を少々もらい、それに白馬を少々加える。自家ブレンドのウィスキーがグラスの中で完成する。それを炭酸水と氷で薄めて、1杯目、2杯目はジョニ黒の水割りになる。80歳を過ぎても酒は旨い。酒がおいしく呑めるのはありがたいことだと思う。家人は赤ワインを甘いジュースで割って飲んでいる。私はワインの味がわからない。1本5万円のものと千円のものとの差もわからない。もちろん家人もわからないで呑んでいる。それでいい。1時間近く経つと、家人の顔が赤くなる。私の顔も赤くなっているのだろう。

コメンテーター

2020-06-21 16:13:00 | 日記
コメンテーターを日本語にすると何だろうか。一言家ではちょっと変か。テレビのワイドショーというのは司会者と解説者と一言家でできているから、1つのコメントが番組をおもしろくしたり明るくしたりするし、もちろんその反対もある。

我が家では週日は朝からテレビ朝日を観ている。そういう習慣になっている。『羽鳥慎一モーニングショー』から始まる。一言家は3人いて、そのうちの2人は毎日交替するが、玉川徹さんだけは毎日出ている。玉川さんは同局の社員で、以前はリポーター役を務めていたが、そのときの<税金のムダ遣い追求>が成功した(その辺のことは、文藝春秋6月号に詳しい)。現在は一言家のエースである。この人が、野党に入って国会議員になり、予算委員会で質問に立ったらおもしろいかもしれないと思わせるようなところがある。

日曜日の朝は、TBSの『関口宏 サンデーモーニング』を観る。この番組で惜しまれるのが、岡本行夫さんの死去だ。岡本さんほど外交に関する明快な説明と意見を述べた人間は他に見当たらない。広い知識に加えて、よく勉強されているなぁという奥深さを感じた。声も好かった。一言家には声も大事である。スポーツコーナーには張本勲さんが登場する。思い出すのが張本さんと2人で話を面白くしていた大沢親分だ。早くに旅立たれたのが惜しい。このコーナーは野球だけではいあので、張本さんも忙しそうだ。いろいろな他のスポーツも追いかける時間が要る。しかし、このようなスポーツコーナーの週間モノは他にないのではないか。

家人は普通、長嶋一茂さんのファンになっている。一茂さんは羽鳥慎一さんの番組に金曜日に出て来るが、体型がきれいでかっこいいと応援している。彼をナガシマさんと呼ぶ人はいない。誰もが『カズシゲ(さん)』である。彼のコメントは常にストレートであって、気持ちが好い。どこか江戸っ子的な一言家といった印象がある。

マスク

2020-06-21 16:05:42 | 日記
アベノマスクが2枚届いたので1枚もらった。まずは、重田名人が治療に来てくれた時に使った。小さいという評判だが、そうでもない。テレビを観ていると、政治家たちでも大きなマスクを着けているのが少なくない。中には覆面に近いのもいる。

マスク着用が当たり前のことになって、損をした人も得をした人もいるはずだ。特に女性には大きな損得があるのではないだろうか。下手な川柳にすれば、「見直した マスクで消えた妻のシワ」といったようなことがあるのではないか。眼の魅力はそれほどではないが、顔全体(トータルルック)とかわいらしさがある女性は損をしていると思う。

毎日1回はテレビに映る小池東京と辻はマスクのオシャレが巧い。眼の周囲の化粧がキマっている。マスクも上等だ。何よりも小池さん自身がそのことを知っている。だから話し方も女優並みになる。今日、都知事選が告示されたが、コロナのこともあるし、小池さんに続けてもらおうと考える都民は多いだろう。

28歳のときに上の前歯2本を抜いた。入れ歯が出来上がるまでの10日間ほどマスクを着けて出社した。たしか秋の始まり頃だったから目立つ。誰からも「風邪ですか?」と訊かれた。マスクは毎日というか、すぐに汚れる。食事のとき、飲酒のときにアゴの所まで下げるのだが、それでも汚れる。スペアをポケットに用意していても間に合わず、会社帰りに薬局に寄ることもあった。当時は公団住宅に住んでいたのだが、家人もマーケットで会う友人に「御主人、どうかなさったの?」と訊かれたりしたそうだ。つまり、マスクは目立つのだ。それがいま、目立たなくなっている。それどころか、マスクが当たり前、素顔が珍しくなっている。「あら、あの人、まだマスクしてる」と言われるような日が来るまでには、かなりの時間が必要なようだ。

アンパン

2020-06-21 15:56:51 | 日記
「ヤボさん、アンパンやってもらえないかな」、1年後輩の連中から声をかけられた。日曜日だったのか、小学校のグラウンドを覗きに行って、どこかのチームの草野球でも見物しようかと思っていた。昭和26年、6年間過ごした茨城での最後の年で、私は高校1年生だった。アンパンとはアンパイアの略で、野球の主審のことである。「塁審はどうする?」と訊くと、「それは自分らでやっから(やるから)」と言うので、引き受けた。アンパンをやるのは初めてだった。「ストライクは甘くするよ」と念を押すと、「かまねぇよ。ヤボさんの言う通りにすっから」、文字にすると茨城弁は粗雑だが言葉の調子には敬意がある。「かまねぇよ」は「自由にやってください。全部お任せします。よろしくお願いします」という意味なのだ。私はギリギリの球はすべてストライクにするつもりだった。中学3年生の草野球である。「友人とのフォアボールで出塁して」という試合にはしたくなかった。しかし、私の心配は全く不要だった。両チームとも少々の悪球でもバットを振った。私の生涯に一度のアンパン役は両チームのみんなに頭を下げられ、礼を言われて気持ちよく終わった。

アンパンなら木村家、と甘党の誰もが言うし、たしかに旨い。もう1軒旨いの小田原のモリヤだ。この店のアンパンは誰かが箱根に行くたびに、みやげに買ってきてほしいと頼むのだが、これが容易には手に入らない。箱根へ遊びに行く人は土日にゆっくりして月曜日に帰ることが多いのだ。そして、モリヤは月曜日が庭球である。この空振りは何度もあった。

バイト生活をしていた頃、三軒茶屋の雀荘で打っていると、夜の8時か9時頃にパン屋の主人がよく売れ残りのアンパンを持って来てみんなにプレゼントしていた。私は酒を呑みながら打っている。時々はアンパンをもらいながら呑んだ。パン屋の主人の麻雀が下手だった。アンパンも甘いが、それを焼いた、人の良さそうなオッチャの打ち方も大甘だった。

ノム・ウツ・カウ

2020-06-21 15:43:17 | 日記
山口瞳先生は、「男の一生はノム・ウツ・カウである」と書いた。一方で、「私は軽石である。そのココロはカカトスルバカリ」と述べている。そこに江分利満氏の素晴らしさがある。

私の「呑む」の出発点は何だっただろうか。中学時代の友人の家で呑んだ密造のドブロクか。高校2年のときに六大学野球の慶早戦で慶應が勝利し、その夜に銀座で呑んだビールか。酒に強くなったのは渋谷の恋文横丁にあった中華料理店「頂好(テンハウ)」での白乾酒(パイカル)のおかげであることは以前に書いた通りであるが。とにかく酒は好きだったし今でも好きだ。もし自分が酒の呑めない体質だったら、全く別の人生になったであろうことは間違いない。第一に友人が違う。友人が違えば人生も異なる。

「打つ」は少年時代のビー玉が始まりか。いや、やっぱり中学2年生の時におぼえた麻雀だろう。それは近所のオトナ達の対戦を後ろで見ていて興味を持ち、時々おとなのメンバーが1人不足したときに代打要員として参加したことからスタートした。高校2年になるときに茨城から東京に転居し、新しくできた都会の友人達に唯一負けなかったのが麻雀だけだったことは以前にも書いた。20歳になる頃には世田谷・三軒茶屋の雀荘で、ヤクザやセミプロみたいな人間を相手に腕を磨いた。サラリーマン時代は1カ月分の呑み代をカ愛車の同僚相手に稼いでいた。別に自慢するつもりはない。麻雀が自分の体質に合っていたのだと思っている。

「買う」については、私の世代は、昭和33年3月31日までの日本には公娼制度があったということ、赤線と青線があって金のない若者は赤線に行かず青線しか知らなかったこと。プロの女性と遊ぶことを嫌う体質の男もいた、とだけ書いておこう。私にだって、ボストンバッグはある。いろいろと詰まった墓場まで持って行くボストンバッグがある。