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アンパン

2020-06-21 15:56:51 | 日記
「ヤボさん、アンパンやってもらえないかな」、1年後輩の連中から声をかけられた。日曜日だったのか、小学校のグラウンドを覗きに行って、どこかのチームの草野球でも見物しようかと思っていた。昭和26年、6年間過ごした茨城での最後の年で、私は高校1年生だった。アンパンとはアンパイアの略で、野球の主審のことである。「塁審はどうする?」と訊くと、「それは自分らでやっから(やるから)」と言うので、引き受けた。アンパンをやるのは初めてだった。「ストライクは甘くするよ」と念を押すと、「かまねぇよ。ヤボさんの言う通りにすっから」、文字にすると茨城弁は粗雑だが言葉の調子には敬意がある。「かまねぇよ」は「自由にやってください。全部お任せします。よろしくお願いします」という意味なのだ。私はギリギリの球はすべてストライクにするつもりだった。中学3年生の草野球である。「友人とのフォアボールで出塁して」という試合にはしたくなかった。しかし、私の心配は全く不要だった。両チームとも少々の悪球でもバットを振った。私の生涯に一度のアンパン役は両チームのみんなに頭を下げられ、礼を言われて気持ちよく終わった。

アンパンなら木村家、と甘党の誰もが言うし、たしかに旨い。もう1軒旨いの小田原のモリヤだ。この店のアンパンは誰かが箱根に行くたびに、みやげに買ってきてほしいと頼むのだが、これが容易には手に入らない。箱根へ遊びに行く人は土日にゆっくりして月曜日に帰ることが多いのだ。そして、モリヤは月曜日が庭球である。この空振りは何度もあった。

バイト生活をしていた頃、三軒茶屋の雀荘で打っていると、夜の8時か9時頃にパン屋の主人がよく売れ残りのアンパンを持って来てみんなにプレゼントしていた。私は酒を呑みながら打っている。時々はアンパンをもらいながら呑んだ。パン屋の主人の麻雀が下手だった。アンパンも甘いが、それを焼いた、人の良さそうなオッチャの打ち方も大甘だった。

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